日本神話の中で「大国主命」(おおくにぬしのみこと)が出てくる出雲神話の一節に、案山子(かかし)の神様が出てくる場面がある。 そして昔から案山子は「知恵」の象徴とされ、案山子の神もまた「知恵」「知識」の神様として信仰を集めてきたが、ここで言う案山子とは、田んぼで雀を見張っている案山子とは少し様子が違う。 大国主命が出雲、美保の崎に出かけたときの話だが、途中でガガイモのサヤを割った船に乗り、蛾の皮を剥いで作った着物を着た小さな神様がこちらにやってくる・・・、大国主命はその小さな神に名前を尋ねた、しかし小さな神様は口を結んだまま何も答えようとはしない。 困っていると、そこへヒキガエルがやってきて大国主命にこうささやく、「案山子の神にお聞きなさい」・・・・、そこで大国主命は「久延彦神」(くえびこのかみ)と言う案山子を呼び、この案山子の神に眼前の小さな神の名を聞いた。 古代に措いて、自分の本名を教えると言うことは重要な意味があり、それは互いの信頼を表す様式とされていたようであり、ここで大国主命が少彦名命の名前を知ろうとしたことは、既に少彦名命に対する1つの信頼の表し方であり、少彦名命の名前を知ったときから、大国主命は少彦名命との間に心のつながりを生み出したことになる。 そしてこの話に出てくる案山子の神だが、実は意外なところにそのルーツがあり、その伝承ルートの端は東南アジアとされているが、原型は「太陽神」が変化したものだと言われている。 だがこの2つの神・・・、元は一つ目一足の神だったのではないだろうか、神社では大概複数の神が祭られることが多く、久氏比古神社では「一つ目」の性質が「天目一箇神」になり、「一足」の性質が「久氏比古神」の話として伝承されてきたが、ベトナムにも古代には「ドククオク」と言う神に対する信仰があり、この神は一つ目一足の神である。 どうだろうか、久氏比古神はこのベトナムの「ドククオク」神に非常に良く似ているのではないか、そして出雲神話に出てくる久延彦神(くえびこのかみ)は一つ目一足の案山子神であり、「古事記」ではその神は足で歩くことはできなかったが、天下のことは何でも知っていた・・・と書かれている。 そしてこの場合、日本での案山子神の歴史は久延彦神が基本形となって久氏比古神になったのか、その逆かは不明だが、現在もその信仰の形跡が残る、久氏比古神が基本となって、久延彦神に発展して行った可能性の方が高いのではないだろうか。 またベトナムの「ドククオク」の一つ目とは「太陽」のことを指していて、古代信仰では、太陽には一本の足があると考えられていたものが多い。 そこで日本神話では出雲神話でさりげなく、大国主命を導く「一足」と言う特徴を重視した案山子神として登場させ、また世界中のことは何でも知っているとしたことから、「知恵」を象徴するものとしたのではないだろうか。 こうした傾向は仏教でも同じような配慮が伺えるが、アバロキティスバラ「観自在菩薩」は仏陀の指導者であり、どこかで仏教に対するバラモン教の立場がそこに見て取ることができ、このような背景から古代日本の異文化に対する考え方は、非常に大切な根幹を押さえながら、自国文化にそうした異文化の特性を配慮して組み入れていたことが分かり、太古の時代からすでに大陸を意識した姿、つまり中国、朝鮮半島との親密な交流が伺い知れるのである。 ちなみに太陽神を一つ目一足とする考え方は、ベトナムなどの東南アジア以外にも世界中に見られ、例えば古代バビロニアでは太陽神は一足とされていたし、エジプトでも太陽神ラーは一眼とされている。 太陽には1本の足・・・、古代の人々のイマジネーションには真に驚嘆させられる。 |
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太陽の化身とも言われる八咫烏の三本目の足は太陽神から貰ったかも知れません(笑い)
近所の由緒ある大きな神社では7月に李祭りが有りますが、その時に虫やらいの名残か、団扇でもっと扇げ、と言う事で、頒布がありますが、絵柄は八咫烏です。
今、歴史や社会の経験に基づいた智恵は、みんな何処かへ置き忘れて、お馬鹿な考え方を持った何人かが集まって、最低の決定をして、それに邁進するという事が多く、但し知能は高い物だから、どんな事でも論破して行く。
言い伝えを頑なに守って、龍神の怒りに触れないようにしていたのに、簡単に破る者があり、災難を被り、他人の所為にする(笑い)
我が郷里にも、十和田湖・八郎潟・田沢湖に纏わる龍神伝説が有りますが、八郎潟は干拓されて田圃に成りましたが、残念ながら入植開始から減反は始まりました。
ハシビロコウ様、有り難うございます。
私の住んでいる三井町でも昨日「虫おくり」の札が配布され、私は早速その札を細竹の先を割って挟んで田んぼに刺しました。
これでいもち病が撃退されるわけでは無く、カメムシが来ない訳でもないのですが、白い幣紙が風になびいていると、どこかで大きなものに守られている感じがします。
大分前に忌み場の記事を書いた記憶が有りますが、昔からここには家を建ててはいけない、ここを荒らしてはいけないと言う場存在したもので、しかし近年はこうした場も平気で合理性の下に開発が為される。でも見ているとやはりそうした場での成功は無いような気がして、災害などに遭遇する場のほとんどはどこかで何某かの無理が有るような気がします。
八咫烏は日本で最も由緒のある紋ですね・・・。
確か前漢でもどこかで三本足の烏紋が存在したような気がしますが、もしかしたらこれより遥か以前から存在してきた紋なのかも知れません。
いずれにしても天を恐れぬ者は、その自身の傲慢さに拠って滅びるのかも知れませんね。
コメント、有り難うございました。