「四面楚歌」

 

力拔山兮 氣蓋世
時不利兮 騅不逝
騅不逝兮 可奈何
虞兮虞兮 奈若何

四面楚歌と言うと、一般に周囲を敵に囲まれ身動きが取れなくなった事を指すが、私はこの「四面楚歌」と言う言葉の響きがとても好きだ。

「前漢」成立黎明期の紀元前203年「垓下の戦い」に於いて、「漢」の劉邦(りゅうほう)が「楚」の項羽(こうう)を打ち破った戦いで、周囲を敵に囲まれただけならまだしも、夜になりその敵軍の四方から祖国「楚」の歌が聞こえて来た時、項羽は「ああ、これほどまでに敵に寝返った者が多いのか・・・」と呟き、最後の決戦を覚悟する。

その時、力も有り気概も持っているが時の利を得られなかった、愛馬の「騅」や寵愛する「虞」美人との別れを惜しんだのが冒頭の詩である。

元々漢と楚が争っていた紀元前202年、戦争に疲れていた両軍の内、最初に天下を二分する事で戦を終結させようと提案したのは「漢」だった。

そしてこれを了承して「楚」は撤退を始めたが、直後に裏切って楚軍を「漢」が追撃、だまし討ちに遭った「項羽」は徹底抗戦するも、時既に遅しとなってしまった。

敗退に次ぐ敗退で篭城していると、夜になって祖国の歌が周りを囲んでいる敵兵の中から聞こえてきた時、項羽が思ったことは「天意」だった。

「ああ、自分ではないのだな・・・・」と思ったに違いない。

それゆえ、四面楚歌とは天意を悟り、自身の身が時勢にない事を悟る意味だと私は思っている。

「天意」が自分を選んでいない時、その天意に対して自身を如何に処するか、如何にして滅んで行くかを思う事だと認識している。

生きることは万世最大の重要課題だが、死ぬ事もまたこれに匹敵する重要な課題で有り、ものを創るは破壊に同じである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. あの頃の華は、未だしっかり礼が有り、遺体が切り刻まれた項羽に対して劉邦は魯公の礼を以てして、葬った。虞美人は自殺したらしいですが、お気の毒でした。
    那須与一が敵の用意した扇の的に、鏑矢を射って当てたら、敵の将兵が皆、歓声を上げて船縁を叩いて祝福した。
    日本は明治の戦争で、ロシアの艦隊司令官ステッセル将軍に礼を以て対したし、露陸軍の守備将軍に対して、アメリカでそれを知った金子堅太郎も礼を以て対した、様です。勿論大東亜戦争でも同じ。
    大抵の諸外国は言ったもん勝ち。
    最近は日本もお馬鹿ちゃんが多くて困ります。天意なんて、彼等の辞書には有りません(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      今回の参議院選挙を見ていても全くチャラいものでしたね・・・。
      皆様の暮らしを守る為、この国を良い国にしたいとか言う言葉は薄い・・・。
      自分の為、自分が生きていくために、と言う気迫が欠けている。
      天意の解釈は「民」、しかしこの民を言うなら自身を見なければならず、民を通して自分が今どこにいて何をしたいのかを知らねばならないところ、それが全く見えずに唯選挙に勝つだけでは「政」とはならない。
      都知事選候補もそうですが、今の政治家は民衆に絶望を与える。
      今の日本はどこかで空白感が有り、この空白の後には激しい天意に晒されるような気がして、私はそれを恐ろしく思います。
      また日本の国民も皆多分同様の予感がしているようにも思えますが、それを打ち消す為に安易な享楽が蔓延している感じもします。酒でうさは晴らせても現実は変える事は出来ない。享楽の後には厳しい現実に立ち向かわねばならないにも拘らず、今日もまた現実から逃げてしまった・・・。
      これがいずれ日本の惨状を招かねば良いのですが・・・。

      コメント、有り難うございました。

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