「等価定理の亡霊・Ⅱ」

だが、公債がひとつの国の中だけでの取引に留まらない、言わば公債の国際取引社会や、公債の国際的金融資本化が一般的となった現代社会に措いて、この理論が通用する場面は非常に限定的なものだ。

すなわちこの理論自体が、もはや過去の遺物でしかないのだが、意外にも日本の財務省などではこうした古典的な考え方に基づく政策、またどこかで「リカード・バローの等価原理」が、基本理念になっているのではないかと疑わせるような政策が多くなっている。

そのひとつが日本国債の海外市場流通量の少なさであり、また税制に対する考え方である。

リカード・バローの定理は、もともとどちらかと言えば為政者側の考え方ではあるが、そこには一般庶民が実態として政府が発行する公債が何を意味しているかも明確にしていた。

しかし国際化していると言いながら、日本国債の海外流出量は極めて少なく、この意味では言葉はどうあれ、「リカード・バローの等価定理」は日本国内に措いては為政者側の半分が成立している。

増税と公債の発行は同じ事、この理論が日本の政治の中には実態として存在し得る状態であり、しかも日本政府は国債の海外流出を抑制する方式での資金調達をしているが、国民はどうだろうか、形式上国際化されていることに目を奪われ、そして自身が海外の公債も買えることをして、国際化されたように見えている日本国債が持つ、きわめて古典的な意味が理解されてはいないのではないだろうか。

おそらく現在の日本国民の意識の中には、国債の大量発行が、大増税と同じであると言うことが理解されていないのではないかと思う。

このことが理解されていれば、少なくとも2010年4月の国会を通過した民主党の大きく膨らんだ予算、それに伴う財政出動と、不足予算のための大量赤字国債発行に対して、厳しい反対運動が起こらなければならなかったはずだが、結果として金融市場、経済の国際化の影にうまく隠れて、200年も前から存在する古典的な財政理論を使って、今も民間資本を政府予算に組み入れようとする財務省の方針に、まんまと一般大衆が騙されている形が成立した。

そして政府の消費税増税論であり、ここに公債の発行が増税と同じ意味だと言う、古典的な経済論を熟知している財務官僚ならではの思惑が、色濃く反映されている。

リカード・バローの等価定理は、為政者にとっては詭弁に使われやすい。

そしてこの理論は民衆にも注意を促しているのだが、民衆は国債の発行と増税が同じであることを理解しにくく、現代社会の経済や国家の仕組みもまた、そうした事実をわかりにくくしている一因となっている。

更にいかなる理論もそうだが、時代が変わって古くなり、それが当てはまらない時代となったとしても、状況が揃えば理論と言うものは成立していくものであり、その理論を知らねば、例えどんなに古典的な理論であっても、知っている者によって、知らない者が支配を受けるものであることを覚えておくと良いだろう。

またリカード・バローの等価定理は、少なくとも民衆が国債を金融商品と考えてしまっている中では自覚されない。

このことをして政府財務省は赤字国債を利用しているが、こうした事実は一方で民間によるリカード・バローの等価定理に対する反転性を象徴しているとも言える。

すなわち民間が国債を未来に措ける増税に備えての備蓄と考えず、自己金融資産だと考えるようになった時点で、すでに等価定理の言うところの、公債の発行が生涯所得に影響しないという理論もまた崩壊するのである。

そして残るものは国債の発行と増税が結びつかない民衆の増加と、わずかばかりの金利に高さに惑わされて国債を買い、少ない金利を受け取って得をしたと喜びながら、その実手にした金利の何十倍、何百倍と言う増税にあえぐ日本国民の姿である。

ここでは等価定理がものの見事に国民から金を搾り取る道具としてしか使われていない。

土地収用でも同じだったが、人間は窓口が違えばそれは分離している印象を持つが、その実政府や行政と言ったものは基本的には1つの企業と同じことであり、こうした組織は何でもできることを、我々民衆は忘れてはいけない。

最後に、くどいようだが、国債の発行と増税は同じことであり、公債の発行は大衆の生涯所得に影響を与えない、このことをして民間資産と国債を分けて考える者もいるがそれは誤りであり、このような亡霊を背負った者のような考え方は、近い未来に措いてですら日本経済を壊滅に追い込むことになるだろう。

その上に現在日本のアベノミクスはこうした国債の金利までマイナスにし、しかもその国債を中央銀行が買い取ると言う、一般社会的には詐欺の領域にまで及んでいて、この意味では等価定理の原則は既に二段階も蔑ろの状態と言えるだろう。

国債の発行は増税、このことさへ覚えておけば、少なくともリカード・バローの等価定理の半分、つまり民衆の利益について理解したことになると思う。

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 出来の悪い中学生が、部活その他で、先輩の遣り方に不満を持ったり、批判したりなのに、先輩に成ると、自分が言っていたことはすっかり忘れて、悪しき先輩と遣ることがそっくり、と言うことは多分にあるでしょうが、二度と中学生には戻らないけれど、野党は通常与党に成る危惧は、有りませんが、偶々与党になると、公約は速攻で忘れ、前の与党も裸足で逃げ出すような事を平気で遣っておきながら、自覚無く、野党に転落若しくは、候補者に逆戻りすれば、同じ批判を繰り返す。メモリーバッファが壊れているのでしょうか。

    昔、祖父が、戦時中に金属供出したり、戦時債を買ったりしたそうです。戦後、国債は償還され約束の利息が付いたが、インフレで価値はお茶代程度。それでも倅が(詰まり自分の父)、一年ぐらいで外地から復員。一人も戻らなかった集落も有ったらしい。
    国債という増税を好き放題遣って、ファーストクラスで、ハワイに観光旅行に行くような首長や議員ばかり、その増税で苦しむのは子や孫の世代、こちらは論理回路が壊れているようです。

    但し、それに投票するこちらは、両方壊れているかも(笑い)。

    1. 今の日本の経済政策は緊急事態の非合法措置を延々やっているのと同じですから、これは長くやっていると信用が失われ、正常な状態に戻れなくなる。国際社会が経験的に学習し、その結果必ず破綻する事が明確になっている「財政ファイナンス」がアベノミクスの正体であり、日本はこの行きつくところまで来てしまっていながら、仮想である「株」の枝葉に踊り現実が見えていない。このまるで夏の日の午後のような空虚感と非現実的空間の次は突然の嵐になるような、そんな気がします。

      コメント、有り難うございました。

  2. 数日前に知った、かなり問題が多いと思われる、ポケモンGOが、今日日本上陸したらしいです。半分以上は、仲間の話題に合わせるために遣るような気がしますが・・
    明日は、ニュースやら、ワイドショーやら賑やかしく取り上げるでしょう。
    本当の事故や嘘の事故、経済効果やらお追従記事、保守反動、色々出そうです。
    事前規制は出来ないでしょうし、金に目が眩んだ連中が、アメリカで大人気のゲームを大市場の日本で、売らないわけは無いでしょうが、これも将来の大借金に成るでしょう。
    兎も角どんな人がどんな事を言ったか、誰かちゃんと記録して置いた方がいい気がします、何時の世も、曲学阿世は花盛り(笑い)。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      先週少し仕事で凡ミスをやってしまい、その手直しで、しばらくパソコンを開く時間が無くなり、ご連絡が遅れてしまいました。大変申し訳ございませんでした。

      ポケモン何某の話は聞いていたのですが、結構前に流行った「タマゴッチ」くらいかなとも思うのですが、こうした価値反転性競合時代ですから、そこから更に発展する可能性もありますね。
      でも結果としてこれは生産活動ではなく、基本的に投資にはならない。きっと今まで以上に社会の生産性を落とし、人々の娯楽欲求を増幅させる事にしかならないのでしょうね。遠く銀河の果てからやってきた宇宙人が見たら、あんな小さな液晶画面を見て、それにすがって生きている人間たちが随分滑稽に見えるかも知れないですね。

      コメント、有り難うございました。

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