「塗装工と言う誇り」

もう20年近く前になるだろうか、仕事で某和紙産地の作家と共同製作品を作る機会が有り、私は細い紙の帯を朱や緑などの漆で拭いて、それを編み上げて敷物を作ったが、これに和紙作家が意匠を加えたと言う事で仕上がりを楽しみしていた所、出来上がってきたのは表面にべったり和紙が糊張りされた状態のものだった。

これでは別に下で編み上げた漆の風合いなど始めから必要が無く、こうした作家の有り様に私は漠然とこの和紙産地の衰退の速さを見た気がしたが、同じ事は輪島塗にも言え、基本的に漆は塗料である事から、輪島塗職人は塗装工の範囲の中にある。

それゆえこれを勘違いすると「漆芸家」や「漆芸作家」なる者が存在し始めるが、自身の価値をこうした形で高める有り様は、他の塗装を職業とする者を賤しめるものとなる事を畏れなければならず、ここを間違えるとその作られた品物も卑しさから逃れられない事になる。

江戸時代中期から晩期の指物(さしもの)と言って、箱など角のある器物を漆で塗ったものを修理していると、そこに塗り職人の名前は出て来ないが、箱を作った指物師の名前が箱に刻まれている場合がある。

私がこうしたものを見てきて思った事は、「ああ、漆は塗料なんだな」と言う当たり前の事だった。

だが輪島塗の世界に有って、そして輪島と言う地域だけで暮らしていると、どうしても漆が塗料で有る事を忘れ、まるで自分が作ったように思ってしまうが、本質は躯体に有る。

つまり素地となる木製の器物が無ければ、或いは脱乾漆でもそうだが、元になる形が主であり、漆はその塗料なのである。

だから漆を塗ってはいけないものも存在する訳で、幅3尺、長さ6尺を超える杉や桧の板は、それだけで杉なら50万円、桧や欅(けやき)の場合200万円とも700万円ともの価値を持つのであり、これに漆を塗ると価値が下がってしまう。

ここでは漆を塗ってあることで何か不都合を誤魔化しているのでは無いかと見られてしまう訳である。

同様の事は「神代杉」(じんだいすぎ・杉の化石化したしたもの)でもそうであり、基本的には桐箪笥(きりたんす)なども、漆を塗るとその空気や湿度調整機能が失われる事から、よほどの事情が無い限り、それを塗ってしまうと職人の質が疑われる事になる。

茶道の千宗家十職の一つ「一閑」(いっかん)の「一閑張」の技法は和紙を躯体に糊で何枚も貼って、その上から柿シブや漆を塗って仕上げる技法だが、ここで注目すべきは「漆や柿シブ」と言う表現であり、明確に漆が選択塗料の一種でしかない事が記されている。

ゆえ、こうしたものを修理する場合、もう二度と絶対剥がれないように紙を漆で張ってしまうとそれが価値を失う。

つまりこうしたものは表面の漆が切れて紙が剥がれてきたら、水で少しずつ表面の紙を剥がし、そこからまた糊で和紙を貼って仕上げるのが正解なのであって、これを輪島の堅牢優美に照らし合わせ、漆で貼って仕上げる事は、冒頭の和紙作家にも似たりの風情の無さ、傲慢な事になってしまうのである。

ちなみに欅の話が出たので、お寺の丸柱に付いて最後に記しておこう。

直径1尺(30cm)の丸い柱は、古くは全て欅(けやき)が用いられているが、実はこうした欅の丸柱を日本で探すとするなら、1本が1000万円でも探すのは難しく、東南アジアから似たような木を輸入したとしても1本が300万円くらいになる。

これらの木が何十本と使われた日本の古代建築のスケールを思うとき、自身のやっていることの小ささを思うのである・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 高田好胤が薬師寺の金堂を復興したときに、使われた木材の大部分は台湾から運ばれたようで、主旨を理解協力してくれた台湾人無くしては無かったらしいです。
    彼も誤解の多い人かも知れませんが、中々面白い僧侶と思っています、師の橋本凝胤も相当面白い。

    名前は忘れましたが、天井裏にお守りというか建築者を記名して願を掛けるお札のようなものは、制作時にちょっと混乱は有ったのですが・・出入りの宮大工の棟梁名でした。
    当時未だ二人はそれ程信頼で結ばれて居なかったようですが、後年、棟梁が本に好胤を信頼するようになり、ずっと薬師寺の面倒をみるようになりました。
    何十年後でも、何百年後でも、大修理の時は、その棟梁名を未来の宮大工達は見ることになります。

    誰の名前が適当かは、物によって違うでしょうが、コンクリートの橋に選挙区の代議士の名前が建築者は適当じゃない場合が多き気がします(笑い)

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      神社仏閣の成立はある種の大きな情念、それも個人かごく少数の人間の情念が世を動かした形のように思います。
      妖しい事をいえば空海なども本当の怪僧ですが、その怪しさが世を動かしたとも言えるし、あらゆる新しいテクノロジーを世に示し、これに人々は驚嘆した。
      そして悔しいかな我々はこうした過去の人達が為した事を再現すら出来ない。文明が進歩したように見えながら年々歳々失い続けてきたと言う事なのだろうと思います。また確かに社寺の棟上祭の札木に記された棟梁の名前は「おおー」と言う印象ですが、どこかの病院で見かける議員先生の寄付名が入った車椅子は思わず避けてしまう。
      大きな事業が改修の時にしか見えてこない名前は、最も効率の悪い宣伝効果で有るがゆえに崇高な気がして、少ない費用で最大限の宣伝をしようと言う者は卑しく見える。
      くれぐれも後者のようにはならないようにしたい、そう言う人間にならずに終わりたいものです。

      コメント、有り難うございました。

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