「普通」

優れた策略は人にそれが策略で有る事すら気付かせない。

それが策略かも知れないと人に思われる策とはむしろ未熟、小さなものであるとしたら、我々が暮らすこの世界でも我々が気付く事と言うのは程度が浅く、むしろ全く気付かないものの方に偉大さを思わねばならないかも知れない。

人間の目はどうしても光ったもの、尖ったものに関心が向かいやすいが、例えば奇跡などにしてもたった1回起こった偶然など、それが神の降臨だったとしてもたかが知れている。

その1回で終わるなら、さしたる事もないが毎日太陽が当たり前のように昇り、沈み、水が飲めて食べ物を得る事が出来る。

金も出さずに誰もが平等に無尽蔵に空気が吸えて生きながらえる。

毎日当たり前のように起こる奇跡は奇跡ではなくなり、やがてこの事を考えもしなくなるが、この考えもしなくなった事、毎日連続する奇跡こそ最も偉大な奇跡と言えるのではないか・・・・。

この意味で私は先鋭的な目立つ事を意匠とした物つくりには至って抵抗が有り、頼まれれば嫌とは言わないまでも、どちらかと言えば「普通」で有る事、存在しても邪魔にならないが、無いと寂しいと感じる物を思う時が有る。

これは素晴らしい物で・・・は、ある種の奇跡の申告だが、その最も偉大な部分が誰も気づかないところに在るなら、私は「普通」を目指したいものだ・・・。

1回限り、いや数回だったとしてもたかが知れている奇跡より、この世をごっそり頂くような、気付かない「普通」を、当たり前の事が当たり前で有るような物を作りたいと思う。

目立つと言う事は善きに付け悪きに付け、何某かの力の乱れが有るように感じる。

その意味では目立つことはある種の「問題」を抱えている事になり、ここではむしろ毎日の暮らしを言葉にする事もなく、目立つ事もなく暮らしている者こそが本当の力ではないか、そんな事を思う。

時々半月型、内朱の銘々皿に和菓子を置くと、ああ、やはりありきたりだが、これが一番安心して見れるな・・・・、などと思ったりする。

今日も暑くなりそうだ・・・・。

 

 

 

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 自分も目指す所は普通だと思いますが、茫洋としていて、伝えるのも困難を感じることが多いです。
    最近はアザトラマン(あざといことをする人)が多くて、売れなくなったら、反原発、再生可能エネルギー、平和憲法の安易路線が、別の意味の「普通」(笑い)
    アフガンは数十年、実際はもっと前から内戦しながら、侵略軍と戦って、
    サハラ近辺は、旱魃と政情不安で飢餓状態が続いて、
    それが、別の普通ですが、あれが普通なわけが無い。
    普通ほど有り難い物は、ないんですよね。
    知的な若しくは身体的な障害が或る方や、水俣病などの方が、偏見や差別、病苦に苦しんでいるのが普通なのはやりきれない。
    ツバメの雛が、巣にいて雁首揃えて親に餌をねだるのは、とても可愛い、という人が、ごく普通に憎たらしいカラス、とか言う。
    この命題では、色々尽きない話題が多いですね。
    自分は一つだけは、自信を持って、「県立○○高等学校・普通科」を卒業しました(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      特殊や奇跡は本当に数が少ないもので、しかも影響力は有るかも知れませんが本当の力が無い。私は欲張りなのでごっそり持って行きたい。だから一番力が有る「普通」が好きなのですが、この普通も仰る通り、自分の都合かも知れない。世界は本当は何もなければ必要な土地に必要な数の人間や生物が暮らす、普通なはずですが、どこかで光を求める者が増え、やがて光に何もかもが集まり、普通だったところには不足が起こって来る。世界の状況は明確に異常ですが、これを普通だと思ってはいけないし、日本の今も勿論普通ではない。何かがどころか、すべてがおかしい・・・。
      ハシビロコウ様は普通科でしたか・・・。
      私は実業高校卒で、名前だけ書ければ入れる学校でしたが、それもかなり以前に廃校になってしまいました。
      随分前に同窓会が有って、そこで「自分は本当は普通科へ行けたんだけども、家が貧しくて実業高校だった・・・」と言ったマヌケがいましたが、こうした程度の者が有力者となっている地域ですから・・・(笑)

      私は昔から成績が悪くて、努力とか頑張る事が苦手でした・・・。
      そのつけが今巡ってきているのかも知れませんね(笑)

      コメント、有り難うございました。

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