「塗師小刀・1」

輪島塗りの基本は下地塗り(したじぬり)に有って、従って仕上げである上塗りをする職人にしても必ず下地塗りの修行を終えている事が普通だった。

通常この下地塗りの弟子修行は3年、若しくは4年で、お礼奉公が1年から2年と言う具合で家によって1年ほど幅が有ったが、これは本人の習熟速度によっての幅でも有った。

そして輪島塗の弟子修行はこの下地塗りの弟子修行を指し、これに際して「年季明け」(ねんきあけ)と言う職人としての認証制度が有ったが、上塗りの修行は特に定められておらず、通常は1年ほど先輩の上塗り職人を見習う事で足りていた。

上塗りの基本は下地塗りの基本に同じで、後は漆の調合とゴミがかからないようにする工夫が重要になる事は、こうした在り様にも見て取れる。

また輪島塗の職人は、他の職種の職人より遥かに低賃金で有った事から、例えば昭和9年の菓子職人の給与だと、家に女中を一人雇えて家族が暮らして行ける賃金だったが、これが輪島塗の職人だと単独収入で家庭を維持するのがやっとの状況、それも「夜なべ」と言う残業をしてその程度にしかならなかった事から、旦那が下地職人、女房が研ぎ職人で共稼ぎが普通だった。

それゆえこうした状況から職人は技術の提供者であり、「場」や材料、塗る品物の調達は通常プロデューサーの塗師屋、その親方が提供するのが普通であり、この事から輪島塗の職人の道具は、下地をする時に使うヒバ材の亜種「あて」で出来た木のヘラを削る時に使う「塗師刀」(ぬしがたな)、或いは「塗師小刀」(ぬしこがたな)と呼ばれる短刀一本が有れば、それでどこでも仕事が出来たのである。

塗師小刀は文字通り時代劇に出てくる短刀と同じもので、通常で有れば持ち歩いていれば銃刀法違反に問われるが、輪島では塗師屋の職人で有れば外でこれを持ち歩いていても同法には問われなかった。

その代わり、最低でも小刀を何かで包んで持ち歩く事が条件になっていて、これは昭和61年頃まで適応されていた輪島の慣習法、慣習規定だった。

つまり銃刀法を巡って、明治時代に既に組織されていた輪島漆器商工業組合と警察機構が、協議して不文律慣習法を形成していたのであり、輪島ではこうして多くの者が塗師小刀を所持しながら、長い歴史の中で同小刀での殺生事件が今日まで一件も発生していない事に鑑みるなら、広義ではアメリカの銃社会や核兵器、或いは日本の風俗営業法、食品の規制法など、規制と法、これらと人の関わりの何が本質なのか、それが見えてくる気がしないだろうか・・・。

今日は塗師小刀に付いて説明したかったのだが、本題に入る前に時間がなくなってしまった。

明日は塗師小刀の「形」に付いて少し書いてみようか・・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 子供の頃、肥後の守、紐を付けてバンドに繋ぎ落とさないようにして何時も持って歩いていました。当時は刃物とノコギリが仕込んであるのが、標準仕様でしたが、思い出して十年ほど前に入手しましたが、ノコギリが仕込んである物は、見いだせませんでした。
    切り出しとかやや上等な物も、何とか入手してやや精密な加工をするときは片刃なので、良かったですが、嵩張るので、持ち歩きには肥後の守。

    竹を加工して遊び道具を作ったり、クリの皮を剥いたり、イタドリやぶどうづるを割って昆虫の幼虫を取りだして餌にしたり。蔓を切り出して、木の枝に適当に結んで、ターザン遊びをしたり。勿論、これで人を傷つけると言う発想は、全くなかった。
    大抵の子どもが持っていましたが、危ないから使うの止めなさい、と言うことも、無かった様な気がします、最も子どもも多かったし、親も忙しかったし、構っていられないと言うこともありましたが。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      法の大系として「自律」と「他律」が存在するかと思いますが、古代社会の多くは神仏の信仰から「準自律」の法大系だったように思います。すなわち自身の行動を神仏に照らし合わせて量る、神仏に拠って自発的にしてはいけない事を判断する社会ですが、欧米文化はこれを「他律」つまり、「法」で規制し罰則を設けた。この事は行動の善悪を明確にするようで、その際までの悪を許す事にもなる。そして権威、例えば王政などが崩壊するとその法は効力を失い無秩序になる。一番良いのは自身が天に恥じぬようにと思う、それが信じられるような社会の形成に有り、これは厳しい法だけでは構築する事ができないだろうと思います。
      ちなみに私の仕事場では年中塗り棚に「しめ縄」が張られ、正月には塗師小刀が神棚に供えられる。漆は僅かな気候の変化で千変万化し、自身の技術だけではどうにもならない時が出てきます。ぎりぎりまで突き詰められた技術は残された偶然を一番恐れるのかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

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