「塗師小刀・2」

塗師小刀は職人の命だった。

その道具を見ればその仕事が解る事はどの職業に措いても言える事だが、塗師小刀で言えば柄や鞘に綺麗な装飾が施され、綺麗に研がれた刀が素晴らしいのでは無い。

柄や鞘に使うのが惜しくなるような装飾を施さず、使う事のみに徹したものである事、またその必要とされる刃先は何枚ヘラを削っても刃こぼれを起こさず、しかも切れ味の限界角度を持っているものが美しい塗師小刀と言うものだと思う。

また自分の腕と、この塗師小刀一本で飯を食っている職人は漆に対して、或いは漆器に対して経験を持てば持つほど臆病な姿になる。

それゆえ明治、大正時代の職人の中には塗った漆器を乗せておく棚の上に、しめ縄を張っていた者がいたくらいだ。

そして職人に取って塗師小刀はその人生の終焉にも、無くてはならない存在だった。

輪島塗の徒弟制度が封建制や武家のしきたりに起源を持つ所以は農業も同じで、昭和40年代後半まで、農家で天寿を全うした者の亡骸には、この世への未練を断ち切ると言う意味で胸の上に鎌(かま)が乗せられたが、これは武家がその亡骸の上に短刀を乗せた様式を真似たものだった。

同じように輪島塗の職人がその天寿を全うした時は、その当人の人生の全てで有った塗師小刀が胸に乗せられ、これをしてこの世に未練無きようにと祈ったのである。

ちなみに私はこれまでに4度、こうして亡くなって行った先達の胸に塗師小刀を乗せたが、そのいずれの時も当人に対して申し訳なくて、畳に顔を押し当てて号泣した・・・。

沢山の事を教えて貰いながら、このような自分にまで優しく接してくれた先人達に何の恩返しも出来なかった事、そして今自分が何を為しえたかと言えば、何も為しえていない、この事がひとえに申し訳なくて、ただ号泣するしかなかったのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 良い話を聞かせて貰いまして、有難うございます。
    伝統社会で、生きていれば、色々な場面に遭遇したのでしょうね。
    棺桶にそれぞれの生前の象徴物を入れて、最後の別れを行う、我々が忘れた、否、忘れかけている儀礼だと胸に染みます。

    偶に芸能人の派手は「告別式」のニュースが有って、「感動的」な別れの言葉有って、眼がしらを押さえたり、よよと泣く姿の映像が出ますが、何か営業用というか白々しさを感じることが多いです。
    ついでに最大限の賛辞と感謝の表明、残念ながら正気とも思えない。

    昔、ちょこっと傲慢になって、ちょっと大きな仕事がそれで駄目に成ったのかなぁと思ったことがありましたが、それが偶に思い出されると、何か嫌な気分に成ることが有ります。
    その時は、多分気づかなかったのだろうけれど、誰か何か言ってくれても、今流行のように逆ギレしたかも知れないので、それはそれで恐い(笑い)

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      もうこうした世界に40年近く存在していると、お世話になった人は殆ど無くなり、旧知の塗師屋も大半が倒産や廃業してなくなってしまいました。
      どうやら今度は私が誰かに見送られる日が近くなってきたのかも知れませんが、亡くなった職人のところへ駆けつけると、そこの奥さんが既に遺体に置かれている塗師小刀を一度外して私に渡し、それを再度胸の上に置く訳です。これはどう言う意味かと言えば、残っている私もあなたが主人の後継だと認めますよと言う意味が有ります。
      そしてこうした関係とは言葉だけのやり取り、美しいだけの関係ではなく、本当に地獄の中を共に闘ってきた者同志だからこその話でも有る訳です。

      コメント、有り難うございました。

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