「東京コレクション・Ⅰ」

ジュルナル・デュ・テキスティル、これはフランスのファッション業界紙だが、この雑誌の数年前の人気投票によると、ベストテンに入っている日本人のデザイナーの少なさが目に付く。
2006年に山本輝司がバイヤー部門の8位に入っているのが最高で、後は日本人が一人も入っておらず、ジャーナリスト部門では日本人でランクインされた者が1名もいなかった。

1995年前後までは川久保玲、山本輝司、三宅一生と言う大御所達の活躍は世界的な評価得て、少なくとも1970年代後半から20年ほど、ファッション界の最先端はこうした日本人が常にリードしてきた感があるが、新陳代謝の激しいファッション界で、長きに渡って常にそのトップであり続ける事はまことに特殊なケースであり、また大変な偉業とも言えるが、ここにいたって「アンダーカバー」や「ズッカ」を除けば、こうした大御所たちに続くブランドが全く無くなってきていた。

また「マスターマインド」のように、世界中の注目を浴びた東京ストリートのデザイナー達も、まず海外の展示会を優先していく方向にあったため、ショーと言うものを開かない傾向になって来ていたし、これまでであれば東京でその実力を試し、そして世界へ羽ばたくと言うのが一つのファッション界の流れだったが、膨大な経費と時間を要するファッションショーへの参加は、実力のある者ほどこれに参加しなくなり、こうした意味では頂点のブランドを欠くパリコレの存在意義は年々薄れはじめている。

そしてこうした傾向に呼応するかのように、東京では独自のファッションコレクションや、ファッションウィークが発展し、その代表格がエビちゃんこと、「蛯原友里」や「押切もえ」などファッション雑誌「CanCam」の看板モデルを媒介として発展して行った、「東京ガールズコレクション」などであった。

ファッション携帯サイト「girlswalker.Com」「fashionwalker.Com」を運営するブランディング(旧社名ゼイヴェル)が主催したこのイベントは、2005年にスタートしたものだが、モデルが着用しているその洋服が、その場で携帯電話で購入できるよう、同社のサイトと連動した形態だったこの新しいコレクションは、「モテ系」や「赤文字系」などの人気ブランドを集め、2回目の開催では有料のイベントにも拘らず、1万8000人の女性を集め、2006年にはパリで開催される日本のポップカルチャーの見本市「ジャパン・エキスポ」に「東京スタイルコレクション」として招かれるまでに至った。

またこの当時から現在もそうだが、相対的に高齢化社会の中にあって若い女性の価値は高騰し、その結果若い女性は特別扱いの傾向が社会に現れ始めるが、こうした傾向は何も今に始まったものではないが、本来彼女達は変わらなくても、周囲が高齢化によってグレーになっていく中で、変わらないと言うことは結果として上昇したと同じ効果になった為、彼女達は独特の高揚感が味わえるようにもなって行き、こうした傾向の流れが「私は特別」と言う意識に繋がった「セレブブーム」である。

セレブ意識と言うのは知的な関心は薄いが、有名で資産があれば、美貌でも高級ブランドでも、ボーイフレンドでも手に入らないものは無いと言うような、まことにバブリーな、あっけらかんとした活気のことだが、もともといつの時代でも女の夢を向こう側に見ているファッションと言うものの本質からは、そう外れない意識でもあると言えるだろう。

更に日本国内のファッションは、その販売と言う点から、年代やスタイルに応じて更にきめ細かいものになっていくが、こうした中で「J世代」や「FI世代」「クラシコ系」「小6サイズ」「アクセシブル・ラグジュアリー」などの区分が発生してくる。
「J世代」とは段階世代と団塊世代のジュニアの間に生まれた1960年代前半生まれを言うが、その代表格で言えば黒木瞳、松田聖子の世代であり、子育てが終わりオシャレやグルメ、そして子供にも金を惜しまず消費する、または出来る世代の大人の女性を指した販売区分である。

「東京コレクション・Ⅱ」に続く

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 詳しいですねぇ。

    ファッションと言う物は、権力者か金持ちが、他者と自分を分けて、差別化若しくは自己の誇示だと基本的に思っています。
    それで「裸の王様」のような話も出てくるのでしょう。
    越後屋とお代官様が、「お主も悪よのう」の場面で、お代官様が金糸銀糸の立派な服装で、一発撃ち放しの役立たずながら、素晴らしい装飾の単筒を持っている映像は好きです。
    その逆の、かぶき者が、反流行で、詰まりは流行を意識して、それなりの服装。昔恵まれていた旧制の高校生や帝大生が、弊衣蓬髪高下駄も気にしないという拘り。
    今のセレブが、10本の指に20個の指輪をして(笑い)奇天烈な服装も、可愛い者ですが、下品な臭いが漂っている(笑い)
    それらが立派に見える人が、流行と思って真似れば、流行が形成されるのでしょうが、基本的な気候や文化に基づいていないので、変化が激しい。
    江戸時代でも今でも多分、着物をお祖母さんから譲って貰えば、仕立て直し無く着られるのは、或る意味究極の不易流行かも知れません。
    流行ったら、昨晩の雪がグジャグジャに道路を覆っているのに、裸足にサンダルで通勤する女性を見ると、可愛い気もしますが、人の情念の空恐ろしさを感じるときもあります。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      セレブと言う言葉の意味が「あっけらかんとした消費」にある事を考えても、そこには初めから貧しさに対する、或いは基本や普通に対する無神経な差別意識が存在する事は間違いないと思いますが、女と言うものはそう言うものであること、そして今の社会が女型の社会である事から、こうした価値観、無神経な差別意識はまだまだ続く事になりそうですね・・・。
      またこのようにしてパリコレクションから逃げた日本のファッション消費を、欧米ブランドが日本本土へ追いかけてきた流通の在り様と言うものを考えるなら、より個人にメーカーが近づいた現在形態の走りだった事も感じます。またファッションはどこかで現状の打破を根底に持っていますから、この意味では現実や状況が多少無視される傾向を持ちます。若い女性などが真冬に網タイツでミニスカートなど正気の沙汰ではないのですが、これが女心とファッションと言うものかも知れません。たまにボンレスハム状態の方もおいでますが・・・。
      それにしても悪代官と越後屋は一度はやってみたいですね・・・。
      金ぴかの衣装で「越後やその方も悪よのう・・・」で、隣の部屋ではうら若き着物姿の女性がいて、その帯を引っ張って女性が回転しながら「あ~れ~」って言う場面、生きている間に是非ともやってみたい(笑)

      コメント、有り難うございました。

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