「神の手」

第一次世界大戦が始まって間もない頃の1914年8月23日、圧倒的軍事力を誇るプロシア(ドイツ)軍と戦っていたイギリスとフランスの連合軍は、ついにベルギーのモンスで完全にプロシア軍に包囲され、ここに引くも進むも、そこには「死」有るのみの状態となってしまった。

「おお、神よ、我々に力をお貸しください」
進退極まった兵士たちはもはやこれまでと、天に祈りを捧げる。
刻々と迫ってくる最後の瞬間、もはやプロシア軍はその眼前にまで迫っていた。
その時だった、迫り来るプロシア軍と包囲された連合軍の間に、どこからともなく黄金のマントを翻し、白馬にまたがった十字軍風の騎士たちの一軍が現れたかと思うと、彼らは一斉に何千と言う矢を放ち、その矢はまたたく間にプロシア軍兵士たちを倒していき、ここに連合軍の退路が開けたのである。
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モンスでの苦戦は後方に有る病院でも話題になっていたが、もはや絶望視される中、1914年8月26日になると次から次へと傷を負った兵士たちが帰ってきた。
そして彼らは一様に天の軍が、天使達に助けられたと証言したのである。
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このことは敵で有るプロシア軍でも記録が残っている。
それによると、8月23日、連合軍を包囲したプロシア軍の前に突然白い大きな光が現れ、それと同時に体が動かなくなったと言うのである。
また別のプロシア軍兵士はこうも証言している。
「違うんだ囲まれたのは俺たちだった。俺たちは何千と言う古い装束の兵士たちに囲まれ、彼らから何千と言う矢を受けた」
「でもおかしいんだ、俺は10本ほどの矢に射貫かれたが、血も出なければ死にもしない、ただ体が動かなくなるだけなんだ」
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またこれはヘルシンキ大学のウィレニウス教授の調査資料だが、そこには1939年ソビエト軍がフィンランドに侵攻したおり、圧倒的軍事力を有するソビエト軍に対して、これと互角に戦い撃破したフィンランド軍の奇跡、いわゆる「雪中の奇跡」に付いての記述があり、ここでは当時冬の寒さを甘く見たスターリンと、白い服を来てゲリラ線で戦って行った、フィンランド軍の意識的な差に付いて述べられている。
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実に11月から戦争を仕掛けたスターリンは、この年の冬が氷点下40度以下の厳しい気象条件下の戦いになることを予想しておらず、為にソビエト軍の死者はその82%までが凍死者だったのである。
更にウィレニウス教授の資料には先程の意識的な差に付いて、中々興味深い記録が残されている。
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そこではやはりプロシア軍に囲まれたイギリス、フランス軍と同じように、ソビエト軍に囲まれたフィンランド軍兵士の話としてこのような証言が残っている。
「私たちがソビエト軍に囲まれた時、こちらはゲリラ戦ですから精々が数十名単位しかいませんでした」
「それをソビエト軍は何百人もの兵隊で囲み、銃で撃ちまくりでした」
「でも12月24日のことでした、私たちは囲まれて万事窮す、これで終わりかと思って天を仰いだんです」
「そしたら突然空が眩しい光に覆われ、その眩い光の中に翼をはやし、光の十字架を掲げた天使が浮かび上がってきたんです」
「これを見たソビエト軍は大慌てでした。その隙に私たちは逃げることが出来たんです」
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なるほど、神が後ろにいてくれるなら、「死」すら容易いことかも知れない。
この意識の差がソビエト軍を撃破したフィンランド軍の力の源だったのかも知れない。
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そしてこれは新聞にも配信されたことから、知っている方もおられるかもしれないが、1973年5月、第4次中東戦争中の出来事だった。
ヨルダン川ではエジプト・シリアの連合軍がイスラエル軍と対峙していたが、この当時のイスラエル軍は既に戦争で資金も食料も底をつき、もはや限界の状態だった。
それに対しエジプト・シリア軍は実にイスラエルの24倍と言う重火器類を装備し、ここで一挙にイスラエルを殲滅すべく、戦車部隊を集結させていた。
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エジプト・シリア軍の戦車は大挙して確実にイスラエル軍に迫ってくる。
イスラエル軍兵士たちは誰もがこれで終わりを覚悟し、残された選択はもはやどう死ぬかしかなかった。
「神よ・・・・」
大方の兵士たちは覚悟を決めた後、目をつむって死を待っていた。
が、しかしやがて何かがおかしいことに気づく。
たしかにエジプト・シリア軍の戦車軍団の音は聞こえるが、その音がなぜかいつまで経ってもこちらへ近づいて来ないのだ。
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エンジンは出力を最大にして唸り声を上げている、恐ろしい程に早い回転となったキャタビラは砂をもうもうと巻き上げ、凄い勢いとなっている。
しかしどうしたことかエジプト・シリア連合軍の戦車は一向に前に進んでいなかった。
そればかりか暫くすると唸りをあげて前進の出力を最大にしている戦車軍団は、前進しようとしながら少しずつ後退していくのだった。
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「なんだ、これは一体どう言うことなんだ」
これにはさすがにイスラエル兵士たちも我が目を疑った。
しかしやがて後ろのイスラエル軍兵士たちからポツポツとこんな声が聞こえて来る。
「神だ、神の手だ・・・」
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何とこんな事があって良いものだろうか、エジプト・シリアの戦車軍団とイスラエル兵士たちの間に突然光輝く巨大な手が現れ、その手は侵攻して来る戦車軍団を押しとどめたかと思うと、今度は少しずつ押し返していたのである。
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気象現象でもごく稀にだが、空に大きな人の顔のような雲が出現する事が有り、凄いものになると、目の部分がウィンクしたように見える場合まである。
全く人間の手としか言いようのない大きな手が出てきたように見える雲も有れば、空間が直線で切られたように見える現象もある。
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私も今度何か困ったときが有ったら、少しだけだが「神よ・・・」と言ってみようかと思う・・・。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 自分は、神社仏閣は好きで良く立ち寄りますが、旅の一つの目的地だったりもします。昔は基本的には神仏のご加護を願ったことが有りませんでした。
    特に、喜捨やお祈りと引き替えの神仏の加護は、高遠高邁なる御心の神仏が、金額の多寡に心を動かすことが有るわけもなく、その程度じゃ、危ない気もしたし(笑い)。
    上座部仏教徒や、モスレムが普通に礼拝しているのを見て、出来ればご加護も欲しいですが、心の平安は、ここから生まれるやも知れないと思うようには成りました。
    世界大戦や中東戦争で起きたような事が、9.11のビル内の避難者にも起きていると言う報告がありますから、脳内現象なのか、神仏の顕現なのかは分かりませんが、「神よ・・」言ってみる価値は有ると思います(笑い)。
    奉賀・神饌・直会も神と人を結ぶという意味で重要だと思います。

    フィンランドと言えば、モロトフのパン籠・モロトフに捧げるカクテル(モロトフ・カクテル)を思い出しました。世界史には時々ろくでもない奴が出たりしますが、それを乗り越える人達も出る。

    石川県が、全国模試でトップを奪いましたね、おめでとうございます、努力が報われる経験は、明日の糧(笑い)。それに福井・秋田と三強は揺るがず、他県もそれなりに頑張れ(笑い)。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      吉川英治が宮本武蔵を描く中で、小さな祠の前を通るとき、一度立ち止まって拝もうとして止める場面を描いていますが、この表現は実に素晴らしいですね。また古来より戦闘の前に立つ「神祓い」は、それを執り行った軍の味方になるとは考えられていなかったらしく、むしろそれを執り行える「余裕」や「力」こそが勝利への道だったのかも知れません。奇跡と言うものは願って出現してはならないもののような気がしますが、それでもある種天の采配は人間の正義や願いを越えて起こってきます。
      私も神社仏閣へは敬意を現しますが、願い事はしないことにしています。自分の願いは自分が叶えるものであり、神や仏が叶えるものではないと思っているからで、それゆえに中々思うとおりにならないのかも知れません(笑)

      全国模試、雪の降る地域が上位三強となった事は嬉しいですね・・・。
      勤勉、努力と言う言葉が失われて久しい中で、何かそうした古くて懐かしく、しかも重いものがまだ日本の中に残っている感じがして、良かったなと思います。

      さて、今日は晴れですが、明日以降暫く雨が続きます。そしてこの雨が止んだら遅くなりましたが稲刈りになりそうです。

      コメント、有り難うございました。

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