「庚申待ち」

 

時は徳川将軍様の時代、江戸の町では時々みなで集まり、酒も加減しながらチビチビ飲み、それでいてそろそろ家へ帰るのかと思えばそうでもなく、つまらない話と古女房で朝まで大騒ぎ、方やバクチに興ずる者と、なぜかみんな一晩寝ない夜があった。

これが世に言う「庚申待ち」の夜だ・・・。
江戸時代には一大ブームとなったこの信仰は現在では知る人も少なくなったが、今夜はこの話をしておこうか・・・。

「庚申待ち」とは人間の体内にいるとされる三尸(さんし・尸は屍または何かを司るの意味)と言う虫に話が始まるが、三尸と言う虫は庚申(こうしん・千支で表される日の一つ)の夜、寝ている人の体内を抜け出て、その人の犯した罪や悪行を天帝に告げ口すると言われていた。
そして天帝はこうした三尸からその人間のいろんな所業を聞き、それで人間の寿命を決める・・・一般的にはこうした場合寿命は短くなるのが相場だろうが・・・そう言うことになっていた。

それで庚申の夜、この三尸が体を抜け出し天帝に告げ口できないように、夜は寝ないで過ごす・・・と言うのが「庚申待ち」だ。
だが面白いのは、なぜか人々は悪行や罪を犯すことを止めようとは考えず、虫の告げ口を封じることを考える点だ・・・とても人間らしい考え方に好感が持てる。
この三尸・・・面白い事には1匹ではなく、上、中、下の3匹の虫だと言われていて、上は人の頭にあって視力を奪い、顔に皺をつくり、白髪を増やすとされているが、中の虫は人の腹の中にあり、五臓六腑を傷つけ、また悪夢を見させると言われ、暴飲暴食を好むとされていて、下の虫は足にあって、人から精力や命を吸い取ると言われている。

「庚申待ち」の発想からすると、人間はただでさえこうした三尸によって、いろんなものを吸い取られているのに、その上天帝に告げ口までされて、寿命が縮められた日には生きる時間がなくなってしまう・・・と言うことなのだろうか。
当時庚申の夜はあちこちでバカ騒ぎが起こり、踊り明かし、飲み明かし、バクチや喧嘩三昧・・・また静かにしていると眠ってしまうからと大声で騒ぐ者と・・・ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。

庚申の三尸の発想は恐らく中国の道教にその端を発しているだろうが、この尸は日本の陰陽師達には天文の神とされていて、これ自体は全く根拠のないものなのだが、なぜか天文をつかさどるもの・・・になっている、そして一般大衆の間では疫神の一人と言われている「青面金剛」信仰となっていたり、道教で言う天帝が帝釈天だったり、閻魔大王だったり・・・更には三猿にかけて、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三匹の猿などと混同されていたりで、訳が分からないことになってしまっている。
つまりその地域で独特の風習や、その地域独特の民間信仰と混じって、三尸も天帝も別のものに置き換えられている場合が多く、その結果詳細を説明できる者が誰もいない正体不明の信仰となっている。
また虫は三尸のほかに九虫がいることになっているが、これは三尸九虫三符などの秘符で一挙に祓われることになっている。

三尸の正体は、実は老化、不摂生、と言うものに対する恐れ・・・そしてこれは人間の煩悩、「業」と言うものを指しているように思う・・・が、「庚申待ち」を知らなかった私は、今まで何回の庚申で眠ってしまったのだろう・・・三尸がしっかり仕事していれば、今頃天帝が大激怒しているに違いない・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 昔、この話を何かで知って、郷里の集落を自転車と当時未だ有る程度運行していた路線バスで、訪ね歩いたことが有り、或る集落の外れに庚申塚を発見し大喜び、江戸時代は大字乃至は纏まった集落は、それぞれが村だった様ですから、そこに集まるか、神社若しくは名主などの家に集まり、御先祖様のチョンマゲの貧乏百姓が、2ヶ月に1回とか、集まったのかと暫し思いに耽りました。
    きっと或る種の娯楽と場合によっては談合があったのでは、大義名分が立つから当局も余り文句を付けられなかったでしょう。
    多分、持てる者・持たざる者応分に負担をして富の再分配も行われていたのではないかと。
    自分は、未だに信心深くはないし、天地に感謝を忘れがちですから(笑い)、お腹の虫が散々告げ口したのでこんな目に遭って居るのだろうと、虫の所為にしております(笑い)
    お腹の虫と言えば、虫の居所が悪いとかは、この虫でしょうかね。藤田某という先生は、自分で人体実験もしたらしいですがサナダムシを一匹お腹に飼っていれば、そいつが大量にカロリーを消費するらしいので、腹痛その他の副作用も殆ど無く、数ヶ月から一年有余月で、肥満解消、希望の体型になったら、世間に在り来りにあるように、特に政界にあるように、恩を仇で返して虫下しを飲んで体外排出すれば良いらしいです。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      こうした信仰は、元々疫病に対するものだったようにも思いますが、それを楽しんでしまう江戸庶民にはパワーを感じますね。流石に信仰を盾に取った無礼講まで幕府は取り締まる事ができず、或いはこうした集まりが別の目的に利用されていた場合もあったでしょうね。今では殆ど失われてしまったこの風習ですが、苦しい生活の中、娯楽の少ない時代にはこうして集まって馬鹿騒ぎをする事がとても重要だったのだろうと思います。どこかで現在のハロウィンと同じ香りがして、本当はハロウィンじゃなくても何でも良いのだけど、町に繰り出して馬鹿騒ぎと自己主張がしたくて、ハロウィンと言う伝統に便乗して・・・・。
      と、言うニュアンスも感じられますね。
      こうしてみると私などは余り得意では在りませんが、集まって馬鹿騒ぎと言うものも、人間にとっては必要な事なのでしょうね。
      庚申塚は今でも日本各地に残っていますが、時々村の境界を示している場合もあると聞いています。その意味では道祖神に近い思いの部分も有りそうです。そして天帝を怒らせない様に悪行を戒めるものが、その天帝の使いを誤魔化してしまおうと言う発想、いかにも陽気で刹那的な江戸元禄の文化を感じますね。

      コメント、有り難うございました。

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