「小さな者が大きな者を支配する」

植物の生育上必要な元素は17種有るが、その内「N」(窒素)、「P」(りん)、「K」(カリウム)の元素は植物によって地面から大量に摂取される成分であり、従って植物にとってこれらの元素はもっとも不足しがちな元素となり、一般的に「肥料の三要素」と呼ばれるものはこの「窒素」、「リン」、「カリウム」の三元素を呼称する。
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また植物生育諸元素17の中で「酸素」「水素」「炭素」は水や二酸化炭素から摂取されるが、それ以外の元素は土壌から水によって溶解された「イオン」の形で植物に摂取され、自然界では植物が発展を終え枯れてしまうと、それまで植物が根の部分から摂取した育成諸元素は再度土壌に帰化するが、農業上育成された植物は、その収穫された部分が発育するに要した元素の分だけ、土壌中から諸元素を消失させる。
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この為農業上の育成植物栽培に用された土壌は、基本的には植物育成諸元素が失われていく事から、そのままでは植物の育成は困難となり、他からその失われた諸元素を補給しなければならなくなる。
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高等植物を構成する元素比率は「酸素」45%、「炭素」45%、「水素」6%、「窒素」
1・5%、「カリウム」1・0%、「カルシウム」0・5%、「硫黄」0・4%、「マグネシウム」0・2%、「リン」0・2%、「ケイ素」0・1%、「塩素」100ppm、「鉄」100ppm,「マンガン」50ppm、「ホウ素」20ppm、「亜鉛」20ppm、「銅」6ppm、「モリブデン」0・1ppm となっている。
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そして窒素は植物細胞を構成するたんぱく質や「核酸」を構成する為の、植物にとっては最も重要な元素であり、窒素が不足した場合、その葉は黄色になってしまい、枝分かれも少なく、茎も細いものになってしまう。
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同じように「リン」はDNAやRNAなどの「核酸」、ATPやリン脂質などを構成する重大元素であり、これらは若芽や種子などの他、成長原点、つまり「根」などに多く含まれていて、植物の発芽や細胞分裂に取って無くてはならない元素であり、「カリウム」は植物細胞内の浸透圧調整に関係する元素となっているが、デンプンやたんぱく質の合成、蓄積にとっても重要な元素である。
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従って植物は「窒素」が与えられると葉の色が綺麗な緑色になり、枝の分岐も多くなり、植物全体が勢いを増していき、「リン」を与えると花や芽の形成が促進され、「カリウム」を与えると果実が肥大化するのを促進する為、一般的に植物の葉や茎が成長する時期には「窒素」、開花時期には「リン」、果実や種子が大きくなる時期には「カリウム」が多く必要とされると言われている。
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1800年代初頭まで、植物の成長には有機物の腐敗によって発生する「腐植」が必要だとされ、こうした説を「腐植説」と言ったが、これに対して1840年、ドイツの「ユスツス・リービッヒ」(1803年ー1873年)は、植物の生育にはリンやカリウムなどの鉱物が必要であることを発表し、こうした説を「腐植説」と区別して「鉱物説」と言った。
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また彼はこれに付随して、「植物の生育に必要な元素はそれぞれに付いて必要とされる最小限度量が決まっていて、その植物の生育は必要元素がもっとも不足している元素の元素量によって支配される」とし、この理論を「リービッヒの最小律」と言う。
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更に例えば植物の必要諸元素の内、酸素や水素の量が少なくても、それは元の必要最小限量が多い事から大きな影響とはならないが、元々必要最小限量の少ない鉱物元素が少ない場合、その植物の成長は致命的なダメージを受ける。
この事から植物の成長は、その植物が必要とする元素の中で最小限度量が少ないものほど、植物の成長を支配し易いと言う事もまた言えるのである。
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そしてこうした原理はまた人間社会の株式相場、市場原理、それに「多数決」の原理に類似している。
民主主義の原則である多数決は、実は少数意見をどう扱うかによって、その成否が決まってくる。
より多数の意見をして少数意見を封殺、そして事を決した場合、そのことは数による専横であり、ここから発生してくるものは対立となって表面化し、万一その決議に欠陥が生じた場合、少数意見者の協力が得られないばかりか、その手法を巡って二度と再び多数意見者は少数意見者の同意を得られなくなる。
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ここに多数決の数の専横は、民主主義とは相対するものとなってしまうのであり、そもそも多数決はより良い方法や問題の解決策のためであるにも関わらず、そこで「勝った負けた」のような感情を生じせしめるような多数決は、感情論による多数独裁とも言うべきものなのであり、これを繰り返している政治は、初めから民主主義を放棄していると言っても過言ではない。
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少数意見の全てが正しいわけではないが、植物と同じように、民主主義は少数意見、小さな意見を大きな全体にどう反映するかが重要なポイントになってくる。
多くの意見が調和し融合して一つの目的が為されるなら、それはまるで青い葉を見事に繁らせた巨大な植物のようなものともなれるだろう。
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しかし互いがいがみ合って、「数の少ないものなど如何程のことや有ろう」では、いつかその数の少ないものをして大きなものが致命的なことになるか、それをして気付かない内に秩序を崩壊させていく事になる。
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自然に生きる動植物の在り様は大変厳しい。
だがこの厳しさが生きる力とも言えるものだ。
政府や官僚制度を批判する事も大切だが、民衆も今一度自分が何者なのかを考え、自分が生きること、この地球上の一つの生物としての在り様を鑑みるなら、自然の驚異や自身が生きることまでも、いつしか政府や行政に責任を求めてはいないか、安全に幸福に暮らせることが当たり前だと思っていないかを、考えてみる必要が有るのではないか・・・・。
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生物にとって生きることは、実は至難の業であり、かつ生きる事こそが自身存在の意義ではないのか・・・。
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 小学校の理科のお勉強で、『最小養分率の法則』と言うものの説明があり、その先生が、木製の桶の図を示して、各板に色んな元素や要因を名付けて、その板の高さが1つだけ極端に短いのが有り、桶に水を入れても、そこから全て流れ出るから、最も少ない物に成果は制約される、と言う主旨のことを、田舎のガキンチョでも分かるように説明しました、ボンヤリしていましたが、それだけは心に刻まれました(笑い)、ウン十年越しに、「リービッヒの最小律」と再会。

    リンカーンの「人民の為の~~」もケネディの「諸君は国家に何が出来るか~~」も、これを意識した戦略なのでしょう、二人とも暗殺されたのは、既得権益を侵されて反撃もあるだろうし、主旨を理解しない者たちも、多いと言う事と証左なのでしょう。
    今の大統領選挙の、失礼ながら野良犬の群の喧嘩のような様は、それはそれで、現代のアメリカの縮図でしょうから、それ以外の国家や人々は、その津波が押し寄せた時の為に、出来る備をすべきでしょうが、もしかしたら、数年前に某国で民主党に熱狂した状態かも知れないので、世界中が一敗地に塗れて、1世代ぐらい苦難の道が続いて、インドやその他の国が世界史に踊り出る、と言う事が有るかも知れません。
    又大きな2つの勢力が、拮抗していると、過激な小勢力が、時代を引っぱりして、これはこれで危ない(笑い)。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      こうした原理はある種森羅万象の理と言うべきもので、例えば「飛つ鳥後を汚さず」なども、本来主題ではない後の掃除を見ればおおよそ全体が知れるのと同じかも知れません。
      日本の多数決は基本的に「対立」ですが、その本質は日本国内、同じところに住む人同士で問題に対する対処を巡って対立している訳で、これでは問題は解決しない。よしんば解決したところで対立では後に「調整」が必要な時が必ずやってくる。「調整」は政治ですから、本来政治が調整で動いている時は民衆の利益になりますが、利権や保身、それに繋がってくる者が現れると調整ではなく「専横」がやってきて、こうした仕組みから人間は中々逃れられない。本当は多数決と言う手法は政治家や議会にとっては自身らの無能振りを示しているのと同じなのですが、TPPの審議を見ていてもこれが自身らの恥だと言う事が分かっていないようです。まして国民投票や住民投票などと言った事態は、基本的にその国や行政区に議会が存在しなかったと同義になってしまう、その事の重大性を為政者はかみ締める必要が有るだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

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