「塗師小刀を研ぐ」

塗師小刀(塗師刀)に限らず、刃物はその鍛えと同じように研ぐ技量によって生きもすれば死にもする。

塗師小刀の場合、裏が微妙に凹面になっていて、これを砥石で摺り合わせて刃先に2mmから3mm幅の平面部分を削り出す事から始める。

だがこの際注意しなければなら無いのは「研ぎ過ぎ」で有り、裏の凹面の大部分を平面にしてしまうと、次に裏を研いで刃を付ける時に大変な苦労をしながら、切れ味は微妙に悪くなる。

「この場合は過ぎたるは及ばざるが如し」と言う生易しいものではなく、一度の失敗がその刀を使い続ける限り不都合になってしまうのである。

そして表は刀の厚みに対して刃先に向かって傾斜をつけて研ぐが、この時も研ぎ傾斜を大きく付ける(刃先を鋭角にする)と結果として刃先が薄くなり、切れ味は良いが刃こぼれし易くなり、この傾斜が浅い(鈍角にする)と切れ味は悪くなる代わりに刃こぼれが少なくなる。

この傾斜角度は人によって違う。

男女や力の有無、刀の質、それにどんな仕事をしているかによっても変化し、一定の決まりは無いが、塗師小刀の厚みに対して表刃の幅が1cmくらいだろうか、これを基準に「自分の幅」を見つけ無ければならず、刀には柔らかい刀と硬い刀が有り、これは雰囲気として湿っている切れ味と乾燥しているような切れ味の差となって現れる。

柔らかい刃「粘性刃」は比較的薄くしても刃こぼれは起きないが、硬質刃「乾性刃」は薄くすると刃こぼれが起き易くなり、切れ味の評価はその職人によって違うし、どちらかに優劣が有るものでは無い。

ちょうどマニュアルカメラの露出調整がフィルム感度、レンズの絞り、それにシャッター速度の3つで調整できてバランスが取れるのと同じように、塗師小刀も刃物と職人、それに仕事に応じて調整するのがその正しい在り様に思う。

また刃先の形状は前記事の「丹波」の話にも出てきたように、本来は直線のものに緩やかな曲線形を作ってやらねばならないが、これは一朝一夕で出来る事ではなく、ある程度まで曲線への道を付けたら今度は仕事をしながら、その中で何年もかけて自分の曲線を作って行くのであり、またこうして数年後に自分の理想とする刃の形が出来たとしても、少し油断しているとその形はすぐに崩れて行き、理想とする刃の形は中々維持が難しいものでも有る。

傾斜角度が丸くなってしまっては切れ味が悪くなる事から、これは直線でなければならず、この直線を維持しながら曲線形の刃形を形成する場合、イメージとして自動車レースの多角形ドリフト、或いは多面体を頭に描きながら研ぎ、その上で円が極限角度の集積で構成されている事を思うと良いかも知れない。

塗師小刀は柄を差したらまず上塗り前の「中塗り」と言う液体漆を塗り、一番最初に裏に細い平面部分を付ける事から始まるが、その後は常に表から研いで刃先が薄くなって0・1mmほど裏に折り返ったら、これを裏から研いで仕上げるのが普通であり、この際も表を研ぎすぎて先が薄くなって行く部分(かえり刃と言う)が多くなると、裏を研いだときに刃こぼれが出る確率が高くなるゆえ、かえり刃は出来るだけ小さく研ぐのが良い。

そして良い刃物は良い砥石を求めるものであり、また高い平面性が無いと刃物は綺麗に研ぎ上がらない。

この為、塗師小刀を研ぐときは、まず砥石を平面性の有るコンクリート面などで研ぎ合わせるが、この時も砥石をいきなりコンクリート面などに当てると砥石の角が欠ける事から、先に砥石の角を研磨してから研ぎ合わせる注意力が必要になる。

「下で妥協したものは最後まで挽回は出来ない」

私の師匠はこの事をいつも言っていた・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

6件のコメント

  1. おはようございます。
    コメントが出来るようにして頂き、とても感謝しております。
    自分に智恵は付きませんでしたが(笑い)
    助けてくださる方によって、道が啓けるという、我が人生のようです(笑い)

    記事に対しては、余り色々な事が刺激されて、まとまりが付きませんので、
    もう少し考えてから、コメントさせていただきたく、
    今は、開通のお知らせまで。
    重ねて、有難うございました。

    キラキラネーム(笑い)のような夏未夕漆綾って、どう言う読み方なのでしょうか、
    もし差し支えない無ければ、ご教示頂きたく、お願いいたします。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      こちらの記事も楽しんで頂けましたでしょうか・・・。
      「漆籤」は漆とそれを塗る技術の辞書を作ろうと思い始めたものですが、余りにも描かねばならぬ事が多すぎて、もしかしたら死ぬまで続く事業になるかも知れません。過去の社会システムが持つ有用な部分、技術や仕事が持つ状況に忠実な美しさ、そこから色んな事を感じて頂ければ、嬉しく思います。
      また「夏未夕・漆綾」は30年ほど前、独立した時、名前を何にしようかと仲間と話していて、丁度そこで飲んでいたブランデーが「カミュ・ナポレオン」だった事から、「かみゆう」が出てきて、夏の日がいつまでも暮れてしまわないような、そんな名前にしようと、「夏未夕」となった訳です。しかし、今から考えてみればキラキラネームの走りだったやも知れませんね(笑)

      コメント有り難うございました。

  2. 何度も読んで、深い内容で経験の無き者には、その深淵が必ずしも、実感できませんが、
    理解するだけでも、長年の修行が必要なことは分かりました(笑い)。
    筋の良い方は、そのはけの具合やら、小刀の性質やらで、コツを掴んで経験と共にここだ、というものを、体得するだろうし、筋の悪い方は、中々駄目そうですね。

    現代は最低限のサービスを確保するためにマニュアル全盛ですが、本当に良いサービスを提供するには、当人の資質というものが、大きく関わってきて、本当にできる人が微に入り細にわたって書けるわけでもないですが、書いても伝わらないし、複雑で理解もできないし、単純化すれば、大多数には理解できますが、今度はそれこそ最低限のサービスさえも確保でき無くなりますね。

    どこかに偉い先生が居て、その方がマニュアルを書いて、何でもマニュアルが有れば大抵の事ができるような錯覚を持っているような社会ですが、実際は事象が刻々、相互に変化して書ける物では無いし、そもそも、その神髄は、密教じゃ無いですが、言葉では、とても伝えられない。

    刃物が人生のようで感じ入りました。

    こちらはお気楽なものですが、どうぞ宜しく、お願いしまっす(笑い)

    1. ハシビロコウ様、こちらでも有り難うございます。

      実は「塗師小刀」だけでも500ページの本が数冊に及ぶほど色んな事が存在するかも知れません。おりに触れ、他の話と織り交ぜて出来るだけ解りやすく書いていく事が出来ればと思います。
      孫子の言う「今日の道は明日は通れない」は仕事でも同じで、これはどの業種であっても変わらないところですが、知らない間に刻々と変化し、そして人の意識も変わって行きます。例えば50年後に誰かがどうしても知りたい技術が有ったとして、私はその人一人の為にでも自分が知っている事を残しておいてやりたい。この仕事に就いて多くの先達が教えてくれて行ったものを、少しでも多く記録して置きたいと、そんな事を思います。ですが、先生然として何かを押し付けるのではなく、私が知っている事はこうだが、そこから先あなたはどうする、あなたはどう考える、と言うスタンスを大切にしたいと思います。
      難しい話ばかりになってきますが、時々明治、大正の面白い職人達の話なども交えて行きたいと思いますので、どうぞ、肩の力を抜いて、お楽しみ頂ければ幸いです。

      コメント、有り難うございました。

  3. 「下で妥協したものは最後まで挽回は出来ない」

    良い言葉ですね。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      「下でだめなものは上に行っても挽回は出来ない」は今でも私の基本中の基本ですが、一方、未来に措けるあらゆる不都合を一番最初に全て予見する事は出来ない。それゆえこの言葉の本当の意味は「その時々で最善を尽くす」と言う事なのでしょうね。そして以前他のブログでも記事にしたか、コメントで書いたかとは思いますが、椀などの木地は重ねるとき、わざと少し音がする程度の荒さで重ねていく話を書いた記憶が有りますが、こうしてその初期に厳しく扱うと、例えば椀なら木地が割れている場合は割れていない物とは違う音がして、この割れている椀の木地は補修をして塗ればそれ以降、割れていない椀より割れる確率は低くなる。つまり初期の禍はそれを正せば後の福となりますが、これを正さずに行くと禍は決定的なものになる。漆器だけではなく社会や政治、或いは経済、人間関係もまた同じかも知れないですね。

      コメント、有り難うございました。

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