「カレーライス」・2

一方一般家庭に措けるカレーライスの普及は、1903年(明治36年)に初めて粉末カレーの国内生産が開始された事から、大正、昭和初期になるとカレーライスは一般家庭へも普及が始まってくるが、これが飛躍的に地方へと波及していく経緯には「日本軍」の台頭が深く関係していて、大鍋で大量に作ることが可能なカレーライスは軍隊でも大いに採用され、しかも人気メニューだった。
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1873年(明治6年)には満20歳以上の日本国民男子は兵役の義務が課せられる、所謂「徴兵令」が発布されるが、地方から兵役で軍隊入りした若者達が、軍隊でカレーライスの味を覚え、それまで地方にまでは普及していなかったカレーライスが、こうして軍を除隊した若者達によって地方へ持ち込まれ、この事が地方へカレーライスを波及させていく事になった。
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おかしなものだが、カレーライスがこれほどまでに日本人に愛される事になった背景には、それが主食の米とのマッチングが抜群だった事もさることながら、明治時代から太平洋戦争後まで続く牛肉価格の高さも影響してしているようだ。
1902年(明治35年)、牛肉100gとカレーライス1食の価格は同じ7銭である。
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ところが1932年(昭和7年)にはカレーライス1食が10銭前後なのに対し、牛肉100gが34銭、つまりはカレーライスの3倍の価格なのであり、これが逆転したのが1950年(昭和25年)のことで、この時は牛肉100gが37円、カレーライスが50円となっているが、これはカレー粉末の調達の難しさ、他の材料を揃えて調理する事の難しさから価格が逆転したと考えられる。
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これが1980年(昭和55年)には牛肉100gが339円、カレーライスが450円となり、ほぼ価格は拮抗する。
つまり日本の農業では常に酪農分野はコストが高くなると言うことであり、これが太平洋戦争敗戦によって、価格の安いアメリカやオーストラリア産の牛肉が入ってくるようになって、初めてカレーライスと牛肉100gの価格が同じになったのである。
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カレーライスはその豪華さと相まって、何と言っても牛肉の量は少なくて済む訳で、同じように高価な牛肉や豚肉を効率的に、豪華に見せようとする食堂関係者の努力は「トンカツ」「カツレツ」などを生み、西洋では一般的にコロッケと言えばクリームコロッケだが、ここでも日本人の代替材料調達センスは抜群の商品を発生させる。
それが現在も人気が高いジャガイモのコロッケである。
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日本は肉が高かった、この事がカレーライスの文化を深め、更には日本式の西洋料理を発展させた。
現代でも続くレストランやホテルの人気メニュー、これらが現代の形のようになったのは大正時代のことであり、この時期に今も存在する洋食はメニューは全て出揃っているのである。
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最後に植物の肥料に関して、植物の肥料はその成分が一番少ない肥料の成分が植物の成長を支配する。
すなわち牛肉が高くて使えないから、あらゆる洋食が発展したことを考えるなら、大量に存在するものは発展せず、少ないものほど発展する。
なるほど「米」が中々発展しない原因は、こうしたところにも原因があるのかも知れない・・・。
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T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 東郷平八郎が、イギリス留学から帰って、そこで気に入った料理である、ビーフシチューを作らせようとして、肉じゃがになった、と言う『都市伝説』がありますが、お手軽だし、兵隊にも受けて、徴兵解除に成った連中が郷里に持ち帰った、何となく有りそうな話。
    今でも艦艇勤務では、曜日が分からなくなるので、カレーを金曜日の昼に食べて、曜日を思い出すらしい(笑い)。
    舞鶴方面や横須賀辺りではどちらも元祖とかで海軍由来(?)のカレーや肉じゃがを、出す店が有るようですが、自分はどちらも食べず、海の近くなので海鮮系の食べ物、自分で勝手に作れる料理をワザワザ食べる理由がない(笑い)。
    今は、牛丼他で牛肉を食べますが、子供の頃は、馬肉はよく食べましたが、牛肉は殆ど記憶が有りません。
    日本の簡単なおにぎりが好きですが、東南アジアの糯米を主に食べている連中は、魚醤に唐辛子や淡水魚の塩辛を入れた激辛、強烈な臭いのタレに、その蒸かした糯米をちょっと浸して食べていて居ます。スイカやマンゴと一緒に食べるのも普通のようです。米は栄養的にも優れているし空気の様で、平時は特に感慨は無く食べられていますが、アジアでは米の地位が揺らぐことは無いでしょう。お天道様と米の飯がいつまでも付いてくることを願っています(笑い)。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      肉じゃがの起源はあちこちの地域で主張されていますが、やはりその初めは海軍とかだったのでしょうね。しょうゆとのマッチング、ご飯との相性を考えるならこれ以上の組み合わせは無いでしょうね。そして軍に召集され初めてカレーや肉じゃがを食べた地方の青年達は「こんな美味しいものが世の中にあったのか・・・」と思った事でしょう。私がこの仕事に弟子入りした動機は、親方が昼ごはんに奢ってくれた「カツ丼」でした。生まれて初めてカツ丼を食べた私は「世の中にこんな美味いものがあったのか・・・」と思ったものでした。「天皇料理番」でも秋山徳蔵が初めてカツを食べて涙を流す場面がありましたが、微妙に自身の弟子入りとオーバーラップし、何か今でも特別の思いがあります。カレーは今日日本を代表する料理、家庭料理となりましたが、これを支えた背景には「米」があり、温かい米の飯にかけられたカレーは、その原初が軍に有って、少なくともこれを食べている時は戦闘では無かった時だったでしょうから、私的にはどこかで「平和」がイメージされる食べ物で有ります。

      今朝は家事が忙しく、もうこうした時間になってしまいましたが、今夜はカレーにしましょうか・・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

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