「音楽は熱い!」

雪と言うのは面白いもので、風が無くて空から舞ってくるときは、クルクル回りながら落ちてきて、それはまるであっちにもこっちにも小さな白い妖精が踊っているような賑やかさがある。
だがこれが一度荒れてくると、全てが白い矢のようになって眼前を横切り、視界は白い斜線に占拠され、さながらそれは氷の魔女が自分を試しているような思いにさせられるが、本当に雪が積もる時と言うのは以外に静かなもので、そうした場面では外の雪を見ていると、まるでポタポタと言う音が聞こえそうなのだが、まったくの静寂であり、この静寂はゆっくりと何かが回転しているような、またパズルのピースが全て組み込まれて動けなくなった景色のような、そんな感じがするものである。

「ううっ・・・、寒くなったな・・・」
これは本人が親しい友人に語った話なので、詳しい年代は分からないが、戦後暫くしてからの話だろうか・・・・・・。

漫画家の小野佐世男氏(おの・させお、1905年~1954年)は原稿やスケッチの整理に追われ、それに没頭していた手を止めたが、無理も無い、1月の北海道の寒さだ、油断してダルマストーブに石炭をくべるのを忘れていては、すぐに部屋の温度が下がるのは当たり前のことだった。
小野氏は部屋の隅にあるストーブの蓋を開けると石炭をそこへ放り込み、近くの椅子を引きずり寄せて座り、タバコに火をつけた。

石炭がくべられたダルマストーブは一気に勢いを増し、そこに体を向けていると顔が熱いくらいなのだが、そう、寒い夜にはこうした暖かさが嬉しいものだ・・・。
「もうこんな時間か・・・」小野氏は窓から外を眺めたが、夕方から降り出した雪はなお、音も無く降り続いている様子で、この分ではどうやら明日出かけようと思っていたスケッチには出かけられそうも無い、仕方ない無いな・・・と思い、またストーブの蓋を開けると、今度はその中へタバコの燃えさしを放り込んだ。

そして明日スケッチには行けそうもないことから、それをひとしきりぶつぶつ独り言にした小野氏は、諦めたようにまた机に戻り、今日1日でスケッチした絵を整理し始めたが、こうした雪国の夜と言うのは、まったく静かなもので、ストーブの炎が立てているのかも知れない、僅かな感覚的想像音が聞こえてくる気がするだけだった。
椅子に座り、手を頭の後ろに組んで背伸びをした小野氏は、そのまま姿勢を止めて、しばらくその静寂を味わうように目を瞑った。

だがそのとき、「んっ、これは」と思った小野氏は反射的に聞き耳を立てたが、どうやらそれはこの静寂に溶け込むほどに微かな音楽の音だった。
しかもこれは「セントルイス・ブルース」、小野氏にも聞き覚えのある音楽だったが、おかしい・・・、この宿はいつも使っているのだが、今日は確か自分しかいないはず、でも誰か宿の関係者かな・・・そう思ってまた作業の続きを始めたが、しかしこれはいかん、今までが静寂過ぎた分、今度は音楽に気が散ってしょうがない。

「済まんが、もう少し音量を小さくできないか・・・」、連絡用の呼び鈴を押して宿の女中を呼び出した小野氏はこう文句を言った。
しかしこれに対して女中は怪訝そうな顔をし、「おかしいですね、誰もラジオなどならしてはいませんが・・・」と答えたが、「それならレコードか、とにかく静かにしてくれ」と言う小野氏に、女中は宿では一切大きな音を出してはいないと言う。

これに業を煮やした小野氏、「ならこの音は何だ」と女中にも耳を済ませて、音楽を聞くように・・・と苛立ったが、今度はさっきとは別の曲が流れてはいたものの、依然その音楽は聞こえていた。
そして女中はしばらくその音楽に耳を傾けていたが、やがて何を思ったかその音のする方へ、ゆっくりとダルマストーブの方へ歩いていったかと思うと、こう言うのである。
「不思議だわ、このストーブから聞こえてくる・・・」

「そんなバカな・・・」小野氏は慌ててストーブに近寄ると耳を傾けてみたが、何と女中の言うとおり、確かに音楽はそこから聞こえていたのである。
そしてここからが小野氏らしいところだが、どうなっているのかと思い、ストーブの蓋を開けてみたが、面白いことにストーブの蓋を開けると音量が大きくなり、閉めると小さくなる。
まるでダルマストーブがラジオになったようなものだったのである。

小野氏はその後何度もストーブの蓋を開け閉めしたが、その度に音量は大きくなったり、小さくなったりし、しかもストーブの中では真っ赤な炎が燃えているのだった。
そしてこの現象は少なくとそれから5時間は続き、小野氏と女中はそれをずっと聞いていたと言うのだが、小野佐世男氏は、小野耕世氏の父親にして、こうした怪しい話で人をかつぐのが上手かった人でもあったことから、後年、本当は小野氏が女中を口説こうとしてラジオを仕込んだのではないか・・・などと言う話も出て来るのは是非もなしか・・・。

しかし、これとまったく同じ記録がカナダ・オリエンタリオのエールマーにも残されている。
それによると1964年、やはり石炭ストーブに石炭をくべた主婦が、その直後からラジオ放送がストーブから流れてくることを聞きつけ、このときはこれを警察に報告し、ラジオ店関係者や専門家も駆けつけているが、その家のラジオは勿論、付近の家のラジオも全て消してもらって確認したにも拘らず、ストーブは依然蓋を開けるたびに、ラジオのニュースを流し続けたのである。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 高校の時、通った町はでは雪が下から降ると言われるほど、強い吹雪の時が有りましたが、今考えると結構な薄着で、通学していました、慣れですね。

    全く熱い音楽ですね(笑い)。世の中には、不思議なことが沢山有ると思います。
    ダルマストーブ、少年の頃家も使っていました、石炭だけにちょこっと盛った気もします(笑い)。
    蓋を開けると共鳴が大きくなるとか、女中さんは良い人だったか、それとも集団ヒステリーだったか、余り詮索する必要はないように思います。危機や神経が集中したときには、神の啓示が有ったり、モーツァルトのレークエーム、人によってはベートーベンの第九番、バッハのバッサカリヤとフーガが、頭に中で繰り返し聞こえたりする方がいても宜しい気がします。
    1人で洞窟や山上で瞑想に耽っている修行者は、きっと何か聞こえているような気がします、自分は周辺が静かになって、意識の集中が途切れると聞こえるのは、残念ながら耳鳴りです(笑い)

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      実は新手の女の口説き方だったら面白かったのですが、確かに仰る通り、人間の聴覚は脳が管理していますから、本当は存在しない音を聴かせられている事も多いかも知れません。また物理学的には熱はエネルギー磁場ですから、そこには偶然にコンデンサーの機能が発生する場合も有り、本当の事を言えばこの手の話は比較的多かったりします。他にもトースターやレンジからフットボールの中継が入ってきたと言う話も有りますし、動物や人間から聞こえてきたと言う話まで存在するくらいです。
      ちなみに私は良く色んなものが聞こえます。
      その多くは人の話し声や、時には自分を呼ぶような大きな声の場合も有りますが、行ってみれば誰もいない、と言うパターンです。後、雨音が微妙に読経の音に聞こえたりする事も多いですね・・・。多分何かの記憶の残りか、また、自分がそうではないかと思う故に聞こえて来るのかも知れませんね(笑)

      コメント、有り難うございました。

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