「バイオ・エシックス」1

1934年~1972年にかけて、アラバマ州タスキギーでのことだが、黒人男性約600人の梅毒患者について、その病状変化を調査研究するために、40年に渡って患者に積極的治療、処置を一切行わず、ペニシリンなどの抗生物質の使用も行わなかった。
しかし患者には「無料」の治療が約束され、食事を提供し、死後の葬儀費用も当局が負担したが、患者の死後はどうなったかと言うと、データ作成のために無断で解剖が行われていたのである。

これはアメリカ連邦政府公衆衛生局(PHS)が関与し、この地域全体の病院で秘密裏に行われていた梅毒研究であり、しかも本人には無料の治療と言いながら、その実治療は行われず病状経過の研究がなされていた、またこうした被験者は黒人に限られていたことなど、1972年にマスコミよってこの事実があばかれたとき、アメリカ世論は大変な問題意識に包まれたが、「治療」や「無料」に名を借りたアメリカ当局の悪質な人体実験はこれだけに留まらない。

ソルトレーク市郊外で行われていたのは、細菌戦争に備えてのバクテリアの大気中放出実験であり、こうしてどれだけの市民が影響を受けるか、およそ9年間にわたり170回も実験していたのはアメリカ陸軍である。
またカリフォルニア州ではブドウ園の農薬について、その安全性を実験する為に、発がん性物質が含まれた薬品であるにも拘わらず、本人達に告げず学生ボランティアを被験者として参加させていた。
さらにこれはひどい話だが、ピッツバーグの病院では、最初から実験データを集めることが目的で、3歳の幼児に肝臓、脾臓、大腸などの5つにも及ぶ臓器移植が行われ、この幼児は3週間後に死亡している。

このようにアメリカでは掲載した事例以外にも多くの人体実験が行われてきたが、こうした実験の被験者の大部分が、アメリカ人とは言ってもアフリカ系やスペイン系、それに囚人や高齢者、女性、幼児と言ういわば社会的弱者やマイノリティーであったことから「人権」としての問題も発生し始めるが、その一方で起こってくるのは「生と死」の問題であり、例えば治療中の患者の主権の問題だった。

カレン・アン・クインランさんは回復の見込みがなく、眠ったままの植物人間状態だったが、人工呼吸器に繋がれた娘の姿に、彼女の両親は機械に頼らず自然に死を迎えさせることを望み、合衆国とニュージャージー州に「死ぬ権利」を求め、裁判所に提訴した。
これに対して1976年、裁判所はこの主張を認め、カレンさんの人工呼吸器は外されたが、何と彼女は人工呼吸器が外されてから10年間自発呼吸を続け、生存したのである。

だがこのカレンさんの場合には人工呼吸器は外されたが、「自然死」を望むと言う観点から水分や栄養分の補給は続けられたが、その後起こってくるナンシー・クルーザンさんの事例では、全ての生命維持装置を外すと言う、こうした概念からさらに突きつめられた「死ぬ権利」にまで話が及んで行ったのである。
やはりカレンさんと同じように植物状態となったナンシー・クルーザンさん、彼女の状況を見かねた両親は、裁判所に娘の「死ぬ権利」を主張し提訴したが、これはその影響の重大さから合衆国連邦最高裁にまで争議が及び、結局連邦最高裁は1990年6月25日、この件に関しては「本人の意思が不明確」なことを理由としてナンシーさんの両親の訴えを退けた。

しかしここで連邦最高裁はある画期的な判決をしている、すなわち「死ぬ権利」を認めたのである。
連邦最高裁は本人の意思があらかじめ明確となっていて、これを実証できれば「死ぬ権利はある」としたのである。
ナンシー・クルーザンさんにはその後、新たな証言が見つかり、これに基づいて本人の意思を踏まえた上で、両親の主張を受け入れたミズーリ州ジャスバーグ検認裁判所がその「死ぬ権利」を認め、彼女の水分、栄養補給チューブは外された。
1990年12月26日、ナンシーさんは死亡した。

そしてオランダの「安楽死法案」である。もともとオランダでは、以前から医師会で作成した基準を満たしていれば、司法判断で安楽死が容認されていたのだが、オランダ議会下院、上院でも通過した「改定埋葬法」がこの「司法判断の容認」に法的根拠を持たせる結果と成り、従ってあくまでも本人の意思が大前提になることでは「死ぬ権利」を踏襲しているように見えるが、ナンシーさんの場合は生命維持装置を外す、と言う積極性を持たない「死ぬ権利」だが、1994年のオランダの「埋葬法」改定は、医師の投薬によって、死に至らしめることを認めている点で、これは区別されるべき大問題となった。

また「生」措いて、1992年の段階でアメリカにある代理母仲介業者は30であったが、2008年にはこの数が、闇業者も含めて4000から6000あるのではないかと言われていて、この問題が表面化したのは1988年、メリー・ベス・ホワイトヘッドさんの事件からである。
彼女は依頼人である精子提供者の男性から、金銭の報酬を受けて男の子を出産、その後彼女はこの男の子を手放すことを拒み、依頼人男性との間で裁判となったが、1988年2月3日、ニュージャージー州最高裁は、メリーさんの親権は認めたものの養育権を否定し、結果としてこの生まれた男の子は代理母依頼人の男性に引き取られたが、金銭で子供をやり取りするありようは厳しく糾弾され、代理母出産は不道徳で違法であるとの司法判断がなされた。

そしてアメリカのみならず、各国で根強く議論されている妊娠中絶に対する考え方だが、1973年合衆国連邦最高裁は、人工妊娠中絶を女性のプライバシー権として容認したが、1989年にはこの権利に中絶時期の制限を設けた判決が同じ連邦最高裁から出され、これを廻って妊娠中絶禁止運動が盛んになっていった。
ただ暴行を受け、それにより妊娠した場合、また各国で異なる法令上の未成年者の規定内の妊娠、経済的問題によるものと、その事情が複雑多岐に及ぶ妊娠中絶には、一定の基準が未だに設けられないのが現状である。

バイオエシックス2へ続く

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. テーマが大きくてワクワクしますね。
    ~~~
    この人体実験の精神の延長線状に、広島長崎への原爆の投下が有った。
    そこの住人がドイツ人・イタリア人、まして況やアングロサクソンだったら、それは有り得ない。
    又、日本に当時、原爆が有るとの情報が有れば、勿論あの攻撃は無かったし、もしかしたらもう終戦を模索していることが分かっていたのだから、東京大空襲も無かったかも知れない。
    GHQが東京裁判を開廷するに当たって、戦犯を確定するために事前に各方面の証言証拠を集めるため、山形で病気療養中の石原完爾を訪ねた時、石原は、トルーマンを戦犯にする証言を取りに来たのじゃなかったのか、みたいな強烈は批判をしたらしいです。やや問題の有る人物とは思いますが、こう言うところは物が分かっている(笑い)。
    遣り方が人道的なら、病気の治療と言うのは基本的には人道的なわけだから、各種方法を本人の同意を得て、苦痛なく進めるのは良い事でしょうが、臓器移植というのは、すでに人の業をこえて神の領域に踏み込んで居る畏れを感じます。
    自分の親が、自分がそういう状況だったら・・自分の子供がそう言う状況だったら・・迷いが有るか・・自分だったら、断る自信有ります(笑い)。
    山中教授の研究は人類の福祉の向上を目指しているし、人格も高潔のように思えて尊敬しておりますが、一歩間違えば、500年後1000年後の大間違いの原初の小さな一歩かも知れません(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      アイザック・アジモフでしたか、ロボット三原則を提唱しましたが、いずれかの時点で人類は機械やバイオ生物、バイオ人類と統一した公平な規則を持たねばならない時が訪れるような気がします。そしてそれが出来なければいずれかは殺し合いになるか、選民と奴隷のような形が現れると思います。私が一番衝撃を受けたのギリシャのレリーフでした。奴隷の足を切り取って、足を負傷した将軍に縫い付ける手術のレリーフを見たとき、言いようの無い絶望感、人類に対する絶望感を憶えたものでした。だからそう言う世の中にだけはしてはならない、それを防ぐ生き方をしようとしたのが、私の根底に存在するものかも知れません。バイオ技術はこれから先、色んな事を可能にしますが、それに比例した深い闇を作るでしょう。もはや人体が器でしかなく、例えば自分の部品取り用の人体も形成できる時代、それは本当に自分のものなのかどうか、栽培された自然薯と自然の自然薯に区別が設けられるか否か、そこまでして生きて何を為すのか、そう言った事を考えるとき、人類は新しいすべての存在に対する定義を持たないと、やがて自滅する公算が強いような気がします。

      コメント、有り難うございました。

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