雷が落ちる時、それがどこへ落ちるかは決まっていないが、実は落ちる場所からもそれが誘導されている。
いわば不確定性原理の因果律と全く同じなのだが、例えば全ての手が読める将棋の名人同士が対戦したとするなら、その勝敗は対戦が決まった時点で決している事になり、勝敗確率は「先手必勝」である。
だがこれは対戦する2名の名人がどこかの時点で止まっている事を想定したもので有り、生死を問わずこの世界の森羅万象は常にファイゲンバウム定数値で混沌に向かい動き揺らいでいるゆえ、そもそも全てが始めから不確定となり、止まった状態が有り得ない。
つまり運命と偶然は同義、或いは同時成立と言う関係に有るのかも知れない。
そして同じ原理は輪島塗の最大の特徴である「下地付け」(したじづけ)にも言える事であり、通常漆器には下塗りと上塗りが有るが、この中で輪島の下塗りは強度と優美さの中庸である事から、日本の漆器の中で日野に次いで厚い下塗りをする。
糊と砥の粉、それに漆と珪藻土(けいそうど)を焼いて粉末にしたものを練り合わせ、それをヒバの亜種である「あすなろ」又は「あて」とも言うが、そうした木材を割って長さ27cm、厚さ3mm、幅は2cmから最大で20cmまでに加工した直角三角形のヘラで抑える様に塗っていくのだが、ここで大切なのは実際に漆を塗る利き手と同時に、塗る器物を持っている側の手の動きである。
右利きの場合であれば、右手にヘラを持つが、この右手もさることながら仕上がりの精度や美しさにとって重要なのは左手の動きになる。
もし右手が上から下へ向かってヘラを動かすなら、左手はそれを補佐増長させるように下から上に向かって器物を動かし、これによって手や腕の運動機能が持つ回転性を補っていくのが理想的な在り様となる。
丁度雷が落ちるときに地面からもそれを迎える動きが有るのと同じで、もっと簡単に言うなら言語のようなものだ。
人間の理解はそれを理解しようとしなければ理解できない。
弁舌爽やかで流暢な口調の人の話は、それが安定しているだけに聞いている側の理解は薄く関心も低いが、これが言語に障害が有る人の話となれば、聞いている人は出来るだけ多くの事を聞き取ろうと努力する。
それゆえ多弁な人の話より無口な人、言語を話す事が困難な人の話が、より人の心の中に届き易いのであり、これは話している人、漆器で言うところの右手よりも聞いている人、漆器では左手の在り様によって理解と言う一つの完成が違ってくるのと同じである。
ちなみに昭和の時代には既に伝説となっていた輪島塗の上塗り名人「中村半次郎」は、椀の高台(椀の下側)を指で持って回転させた時、普通の職人は凡そ一回転半だが、これを2回転させる事が出来たと言われている。
本当に技術を高めれば、最後はヘラを持つ右手を動かさずに、左手で持っている器物を動かして仕上げることが出来るようになる。
つまり言語で言うなら、相手の話を聞いているだけで自身の話をしていると同じ事、偶然が運命と重なった瞬間である・・・・。
桐野利明の方の「中村半次郎」と似ている凄い方のような気がします。
実際は人斬りが、専門じゃ無かったようで、良く考える人だったようですが。
ファイゲンバウムの定数値はこの度初めて、聞きました。
フェルマーの最終定理は、内容は大した事はない気がしますが(笑い)、
人によっては悪魔の定理らしく、色んな人が証明するために人生を翻弄されて(?)、
360年後にやっと証明された。
善悪を越えて、人は偶にこんな事をする。
違う母語同士で、共通言語でも、相互の言語で片方が片言でも、準備と知識が有れば、共感を持って易々と通じることもあるし、話者が聞き手の理解を望まなければ、議論の応酬は可能ですが、結論は勿論、物別れ。
国際会議でも、正式な会議でも、日常でも、家庭内でさえも、お金とか、見得とか無知とかに心が囚われていると、全く通じないことが多くて、端から見ると馬○に見えるけれど、こう言うのって多い気がします、自戒を込めて(笑い)。
ハシビロコウ様、有り難うございます。
人間は基本的に他を理解する事は無いのだろうと思います。我々が理解だと思っているものは、たまたまその時は同じ方向の事を考えたと言う事なのかも知れません。それゆえ言葉を多用してもそれが多くなれば多くなるほど理解は出来ず、実際多くのことを語る必要が有ると言う事はその事が理解されにくいものであるからそうなっていると言う事なのではないかと思います。ですから予め理解できない事を知っていれば無用な言葉は少なくなり、少なくなった分聞く側は多くの事を自身が考える。これが理解であるような気がします。「ファイゲンバウム定数」は第一と第二理論が有りますが、秩序から崩壊へ向かう時ですら一定の秩序に従っている事になります。私達は長く続いているから秩序を思いますが、実は混沌こそが常であり、秩序は特殊なものなのかも知れませんね。
また、そうでした桐野利明も中村半次郎でしたね・・・。
輪島の中村半次郎は上塗りの名人ですが、今では誰も知らないかも知れません。
上塗りのゴミをかけないために裸で、漆をろ過する吉野紙を大事なところに巻いて仕事をしていたと言われています。
輪島には、今では知る人もいなくなったこうした話が沢山存在していました。
今後機会を見つけてこうした話も残して行きたいと思います。
コメント、有り難うございました。