「雨は夜更け過ぎに・・・・」

もうすぐ、クリスマスがやって来る。
そしてこの季節になるとFMから必ず流れてくるのが、山下達郎の「クリスマスイヴ」だ。
この曲は知っての通り、ベースが「パッフェルベル」の「カノン」と言うクラシックの曲だが、さすがに卒のない山下達郎、とても滑らかに作ってある。

だが山下達郎がこの曲を作った当時、実は余りヒットしなかった。
この曲がヒットしたのは、遠距離恋愛中のカップルを描いた場面に、「雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう・・・」と曲が入り、その経験のある者、また現在進行形のカップルにとっては涙無くしては見られなかった、あのJR東海の名コマーシャルで使われてからだ。
そしてこの「クリスマスイヴ」はヒットチャートを駆け上っていくのである。

山下達郎はその昔、松任谷由美、そのころは荒井由美だったが、彼女のアルバムでバックコーラスを勤めていたが、このアルバムの恐ろしいところはキーボード、坂本龍一、ギター、高中正義と言った具合で、現代では雲の上の人達をバックで使っていることだった。
後に松任谷由美が「坂本がね・・・」とか坂本龍一を呼び捨てにするのは、こうした経緯があったからだ。
話はさらにそれるが、80年代一つの時代を築いた「ジ・アルフィー」彼らにしてもデビュー当時「研直子」のバックバンドをやっていた。

山下達郎の奥さんは竹内マリアだが、この2人の音楽ジャンルは、実は普通歌謡でもある。
つまりロックや演歌ではなく、その時代を反映したメロディーや歌詞で曲を作っていく方式で、同じ系統でも「踊るポンポコリン」に携わった大滝詠一や織田哲郎らから比べると、その遊びのセンスはかなり浅く、こうした面で才能と言うよりは、商業的センスに秀でているように思う。

だが、これは決して山下夫婦を低く評価しているのではなく、例えば福山雅治はシンガーの「ミーシャ」にこう語っている。
「時代に無理やり逆らうんじゃなくて、流されて良いと思う。その流されていく中でちょこっと自分を織り交ぜていければいいんだ」さすが福山らしい言葉だが、こうした事は大切なことだと思う。

崇高な精神、特殊性、自分らしさを表現しようとする余り、とんでも無いところまで行ってしまったもの、また自分がファンから何を求められているのかが分からない者は、やはりトンチンカンになる。
人間はどれだけ頑張っても同じ人間だから、それほど大きな差がある訳ではなく、才能と言うのはごく僅かなスパイスみたいなものだ。
だからとんでもないものを考えるのではなく、基本の上に少しだけ自分を乗せればいい、その少しの部分が全体を引っ張って、それは明確に「自分らしさ」になる。
そしてこの基本と言うのが、その時代のことで、その時代とは「普通の暮らし」のことだ。
流行とは世の中の多くの人が望むことを言うのだから、まず「普通」が分からない者には時代が分からないし、もし自分が時代の先端を走っているなら、その時代には合っていないはずだ。

クリスマスイヴの原曲であるカノンは他の多くのアーティストもそれを編曲して自身の曲に作り変えている。
NHKのアニメ「地球へ」のエンディングに使われていた加藤ミリアの曲、「ザード」、エヴァンゲリオンはG線上のアリアだったかも・・などだが、この中でも山下達郎のクリスマスイヴは珠玉の一曲だと思う。

北陸もクリスマスの頃は、雨は夜更け過ぎに、雪へとかわるだろう・・・になるかな・・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 素晴らしい、自分には多いですが、これも不得手な分野かも知れませんので、似たような、多分似ていない勝手な話をします(笑い)。

    日本は、音楽や料理、服装がとても多様で、それらが自由に行われている、そう言う意味では素晴らしい国だと思います。
    ガラパゴス化とか言って自虐なのか、世界から遊離しているとか、必要以上に高度化しているとかを揶揄しているようでもあります。
    それは多分、日本の習慣や一般的知的・道徳的レベルが、他地域と違うからでしょうが、余り自覚無く、他地域も自国に準じていると言う誤解から来る人の良さが影響しているように感ぜられます。
    数百年前にヨーロッパから宣教師が来たけれど、教化する項目は日本には無かった、と言うべきか、どちらかというと庶民が彼らを越えた居たとさえ、考えられます。
    余りにも世界から遠く結構お互いに理解し合えない事が多いですが、世界的レベル(下と言っても良いかも・笑い)に合わせて、国際政治を遣ったら良い気がします。只これも近年、自壊している畏れも感じますが・・・

    当地週末は好天の様です。

    1. ハシビロコウさま、有り難うございます。

      日本と言う国は伝統的に他国の文化や慣習に対して寛容だった、もっと言うなら良いものはどんどん取り入れて国家システムを作ってきたように思います。儒教や陰陽思想、漢字文化などを正確に取り入れて、そこから新しい日本文化を創って行った。また傍らでは伝統を重んじたオリジナルに対しても敬意を忘れなかった。中国古典思想はが中国では失われ、日本で残った背景には、こうした日本民族の文化に対する多様性と、その価値を認める品位が有ったのだろうと思います。いまやオタクは一つの文化になり世界中でこれが認められ、漫画は映画化されたりドラマ化されるに至った。日本人の表現の仕方が、それまでの形から新しい視覚的な形へと変化してきた背景には、1980年代のファッションと言う伝統の流入と、同時並行して起こる節操の無い国際情勢と必ずしも無関係ではなかったような気がします。また世界の政治は時代遅れの方向へと向かっていますが、この中で日本の右往左往ぶり、田舎者ぶりが目立ちます。来年はこれが更に混乱してくるでしょうね・・・。
      北国の者としては雪は勘弁して欲しい気持ちと、どこかでは待っている気持ちが交錯して複雑です。
      当地はこれから荒れてきそうな気配です。

      コメント、有り難うございました。

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