「子供の頃の沈黙」

私がまだ本当に幼い頃、家には鶏がいて、アヒルがいて、猫がいて、ヤギもいた。
このうち鶏は、私が祖母にせがんで夜店で買ってもらったヒヨコが大きくなったものだったが、買った直後はあんなに小さくて可愛かったのに、数ヶ月もするとまさか凶暴な雄鶏になるとは夢にも思わず、だんだん立派になって来たこの鶏は、やがて子供の私をバカにするようになり、私は足をつつかれたり、追いかけられたりするようになって行った。
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一般に動物と言うものは人間の子供をバカにしているところが有り、この点ではアヒルも似たようなもので、羽を広げては威嚇しながら追いかけてきたり、河で泳いでいるとそこへやってきて、頭をつついたりと言うことが多かったものだ。
またサギなども大人であればさっさと逃げるが、子供だとやはり羽を広げて「ギャー」と鳴き、威嚇するだけで逃げない。
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私の子供の頃はこうした生き物達と小競り合いを繰り返しながら、そこで興亡が展開されていたものだった。
ボーっとしていると後ろからそっとヤギが近づき、そして私を頭で押して田んぼに突き落とすのだが、やがては私も学習し、後ろからの気配にわざと気づかない振りをし、近づいて来たらさっと身をかわして、今度はヤギを後ろから押して、田んぼに落としてやったものだ。
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だがそんな彼らだったが、それでも余り見慣れない人が来たときなどは、私の周りをさりげなく巡回し、どこかで私を守るしぐさが有ったものだった。
立派な鶏冠(とさか)の雄鶏などは、いつも「ふん、世話の焼ける奴だ」みたいな顔をしながら私を見ていたものだ。
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そんなある日、小学校から帰宅した私は、いつもなら自分が帰ってくると、真っ先にやってきて足をつつくあの雄鶏が、その日に限ってやってこないことを不思議に思って慌てて家へ走りこんだが、居間で展開されている光景を見て思わず口をつぐんでしまった。
そこでは離れた町に住んでいる叔父さんと、家の家族全員が囲炉裏を囲んで酒を飲み、その囲炉裏には大きな鉄鍋がかけられ、そこで白菜と一緒に煮えていたものがあったが、今朝まで元気だったあの雄鶏が、夕方にはこうして鍋で煮られていたのだった。
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私は当時自分の部屋と言うものがなかったことから、黙ってそこを去ると、裏の山へ上がり、栗の木に顔を押し付け、声を出さずに泣いた。
ヒヨコだった頃のことを思い出すと、後から後から涙が溢れてきて、それは一時間も続いただろうか、やがて私は少し離れたところを流れている沢水のところまで来ると、そこで顔を洗い、着ていたシャツで顔を拭うと、また家へ戻って行った。
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こんなことは当たり前のことだった。
農家で飼われている鶏など、いつかはこうした運命にあって、この雄鶏に限らず家には他にも鶏が飼われていて、そうした鶏は誰かお客さんが来ると、こうして殺され食べられて行ったし、こんなことは初めてでも何でも無かった。
だから私はこうしたことが有る度、ただ黙って口をつぐんでしまうようになった。
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そしてそれから数年後、自転車に乗れるようになった私は、たまには遠出しようと思い、家から10km程はなれたところまで足を伸ばしたが、ひどい山の中で、止められたトラックに何頭もの牛が乗せられていて、その牛をトラックから降ろそうとしている人たちに出会った。
だが牛はどうも降りるのが嫌なようで、悲しそうな声で鳴き、その目からは涙が流れていたように見えた。
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私は何か状況は分からなかったが、でもどこかで一瞬にしてあの雄鶏が殺された時と同じものを、その場の雰囲気から感じ取ったのだと思う。
「ぼうず、どこへ行くんだ」と話しかけるその男達が恐くなって口をつぐんでしまい、自転車をもと来た道に向けると、一目散に家へ逃げ帰ったが、夜、その話を祖母にしたところ、それは屠殺場と言って、牛が殺されるところだと言う話を聞いた。
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以来私は家族にも話してはいないが、基本的には肉を食べたいとは思わなくなった。
また私は今に至っても、こうして動物達が殺されて食べられることに対しては口をつぐんでしまうが、そこには何がしかの後ろめたさのようなものがあるからに違いない。
つまり何も言えないから口をつぐんでしまうしかないのだが、一方で命の大切さを思い、この地上に今を生きる者は全て同志であるとの思いが有りながら、しかし片方で人が牛や豚を殺して食べることを私は批難できない。
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いつも思うことはどんな動物にしても、死にたくはないだろうな・・・、と言うことであり、猫や犬は可愛がられても、同じように牛や豚を思う人間が少ないことを、自分としては気の毒に思うし、また申し訳ないとも思う。
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数日前、たまたま偶然だったが家族とテレビを見ていたとき、ニュースで宮崎の口蹄疫の報道があり、その際畜産農家の人が、牛の殺処分がかわいそうだとコメントしている場面があり、それを見ていた娘が何気なく、どの道殺される牛にとっては、口蹄疫も肉にされるのも同じではないかと呟いたのを聞いた私は、一瞬何かの違和感をおぼえた。
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それはそうだが、でも違う・・・。
そして私は心のどこかで「しまった」と思った。
私は今まで自分が言えずに口をつぐんできた事で、子供に何か大切な事を伝えられなかったのではないか、一瞬そんな不安が頭の中をよぎった。
即ち人間は優しい心も大切だが、その反対に生きていくときには植物であれ、動物であれ何がしかの「他」を殺していかなければならない現実があり、この2つの事は相反しながら1つなのだと言うことを、体験として示してこれなかったような気がしたのだ。
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私は私が口をつぐんできた部分のことを子供に教えられなかった、自分が怯えて避けてきた事が、こんな形で結果として現れて来るのか・・・と愕然としたものだった。
生き物を殺すと言う事が一体どう言うことなのか、そしてそれをしなければ生きていけない人間とは何か、自分が生きているとはどう言うことなのか、言わば人間の基本に当たる部分を、私はずっと口をつぐんで逃げてきてしまった。
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さて私はどうやってこれを挽回したら良いものか・・・。
20年以上前、日本国内だが、あるインド人の青年に出会った事があった。
彼は私に大豆から肉と同じ触感の「大豆肉」を作る研究をするために、日本に来ていると語っていた。
牛を一頭食べられるまでに成長させるには、最低でもその7倍のトウモロコシを必要とする、それだったらそれと同じ量の大豆で肉が作れたら、牛も殺さなくて済むし合理的だと笑う彼の横顔が、今宵ほどに何故か思い出される・・・・。
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(本文は2010に執筆されたものを掲載しています)
T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

8件のコメント

  1. 自然の番組で、動物が食べられる物とそうでない物を教えるとか、類人猿が、各種生存の智恵を教えるみたいな事は全くないようです。或る地域のボノボは、凹んだ石を台にして、持ちやすい石で硬い木の実を割って、親は食べますが、子供はジッと見ては居ますが、親が教えることは有りません、上手く行くと4~5年で真似が出来るようになって、上達する子供もいるだけです。
    各種挨拶行動等も、教えるわけではなく、見て経験して、それが、覚えられる能力が備わっていれば、自分で育ってゆく、と言う事のようです。
    人間も、学校や家庭で「教えて」居るようですが、実は、そうではなくて、子供はそれを見て、自分で育つようです。よって、た様な教育機会が有って、覚える能力が備わっていれば育つのだそうです。それも驚きとか、積極的な実体験を伴わないとあまり効果は無いそうで、つまりパワーポイントで画面の中で流れるように教えると、何故が無いので、一瞬分かった気がするようですが、実にならない(笑い)
    近年の子供はそう言う意味では不幸かも知れません。色んな年齢の男女が、周りに沢山居て農漁業や祭り、会議、小競り合い、冠婚葬祭、そんな物から隔離されて、同じ程度の同年齢の者達の学校のクラスと1人の男の大人と1人の女の大人が居る「家庭」しか知らない(笑い)。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      確かに人間と言うのは教えることは出来ず、学ぶ、それも見て経験するしか無いのかも知れないですね。そこを考えると教育とは何かが見えてくるような気がしますが、一方で自身の生命に直結しない、例えば文化や知性と言ったものの見方が増えてくると現実との乖離を起こすのかも知れません。関東大震災の資料を見ていると、若い娘が水溜りで裸になって体を洗っていたり、震災2日後にはもうバラック建の小屋で雑炊が売られていたりする。評判の良くない山本権兵衛でも、死体を始末する事を仕事として出して、金を払って復興に努めている。この目の前の現実に忠実な有り様こそ、人間の心の強さこそが後に「東京」を作って行ったのだろうと思います。優しさや絆と言うふやけた文化や人間性ではない「力」これを復興としなければ優しさに弱くなって被災地は遠からず壊滅する。災害そのものは事象ですが、それを力とするか弱さとするかは人間の仕儀で、ここで唯一拠り所となるは目の前の現実。今の世の中は現実を見ずに、遠いところばかり、綺麗なところばかり見ようとする。蓮の花は泥の中に根や茎があって蓮の花だろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

  2. ずっと昔読んだ本で、北欧でトナカイを放牧して暮らしているサーミ人に同行した旅行記を読ました。2~3週に1頭屠って食料としながら移動して行くのですが、何回かその断末魔の有様を見ている内に、その新鮮な肉の美味しさがの方が強くなり、見ているだけでヨダレが出たって言う下りが有り、パブロフの犬か、と思いましたが。そんな場で育っていれば、勿論日常的な事で、特段の感慨は無いのでしょう。
    菜食主義者のインド人が地表より上の野菜しか食べないと言うのも、今日本で流行っている、糖質制限とか穀物を採らないと言うのも、アフリカのサバンナや密林に住んでいて、狩猟した肉が本当の人の食い物で、メロンとか木の実とかムシとかは、その代用品というのも、それ程違う気はしません。人の美学、動物にはない、短期的には動物は、自分の食べ物以外は命を繋ぐものが目の前にあっても基本食べないで飢え死にする。
    マダガスカルに2ヶ月ばかり居て、国内外のお歴々が参加して、そこの開所式を遣ったとき招待されて、かぶりつき(笑い)で、牛が生け贄にされるのを見ていました、逃げた人も居ましたが、勿論自分は血抜きまで儀式が終わって、衛生上の理由で移動されるまで見ていました。朝6時から居ましたが、肉が料理されて出てこなかったのに失望しました。
    ダライ・ラマ14世は、色々有りますが、一言で言えば、捨てられたものを食べるだけだから、何でも食べる、えり好みは出来ない、勿論肉も食べる。こちらの方により共感があります。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      最短にして最速、孫子も似たような事を言っていますが、目の前にウサギやイノシシがいて、これを見逃し、養鶏場で手間隙かけた鶏肉を買う・・・。この手間隙こそが過ぎたるなのであり、同じイノシシで言うなら子供のうりぼうは可愛いから逃がし、大人のイノシシを恐れる。言ってみれば人間はその時の環境や自身の立場でしか物事を見ていないし考えてもいないと言えます。本来捕食しなければならないものを逃すと、やがてそれは捕食上位を侵す。最短で食べることはある種の生物の責任でも有るのですが、ここに優しさや知性が入ると簡単に自然のバランスは崩れ、結局人間は暮らしにくくなっていく。旨いものをたらふく食べて太るからジョギングをする。ひたすら美しくなりたいと化粧品を使いながら、性格を直す事を考えないから、その美しさは無駄になって朽ち果てる。見ているとアホらしい限りの世の中ですが、2000年前、4000年前も私と同じような事を嘆いている者がいる訳ですから、人間のこうした現実乖離と言うものは、これもまた人間の本能なのかも知れないですね。

      コメント、有り難うございました。

  3. “風よ人よ水よ”

    自分はいわゆる酒飲みじゃありませんが、年に何回かは友人と外で飲む機会が有ります。ま、適当な雑談をするだけですが、時間の経つのが早いです。

    夜は、晩酌なんぞというものでは有りませんが、いきなり疏食を食い始めれば、少量と言うこともあって直ぐ終わるので、愛想もないので、準備運動、ミネラル補給も兼ねて、自作のいい加減なそこらから採った実で作ったリキュールを薄めて一杯飲むか、アルコールを含むこれ又怪しい缶飲料をゆっくり飲んでから、最後に残った仙人ご飯に何か漬物を掛けて食べていますが(笑い)、近所のスーパーのテナントにある、自分には全く不釣り合いの小綺麗な店の各種飲料売り場を見たら、石川県の“風よ人よ水よ”と言う酒を発見、4合で千円弱、早速買い求めて、小さなコップで飲んでおります。長い間清酒から遠ざかっておりましたが、中々、乙でありますが、久しぶりの所為か喉がひりつきました(笑い)

    旅人の歌を思い出した次第であります;
    あな 醜 賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば 猿にかも似る
    験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし

    長ったらしくて、失礼しました。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      4合で1000円は高いか、安いか・・・(笑)
      これは私の推薦ですが、「宗玄」(そうげん)の2級酒、今は2級といわず「銀ラベル」と言うのかも知れませんが、実はこれが能登では一番旨いのではないかと思います。1級の金ラベルや特級ではなく、昔なら2級とされた銀ラベル。辛口なのですが、これを熱燗でつけると何ともいえないものがあり、私はコテコテの大吟醸や甘い地酒よりははるかに旨いと思うのですが、今度見かけたらお試しください。
      古来中国の賢人達、それに曹氏も酒無くてなんぞこの世かな・・・と言っていたように思いますが、酒は多分「人」なのでしょうね。自身も然ることながら、その周囲に人を呼び、その人と相まって得られる至福を知らずに物事を理解することは出来ない。同様に男なら女を知らない、女なら男を知らねば世の半分は理解する事が出来ず、子供の1人も作ってみなければ「この世」を知る事が出来ない。しかし今の日本は「お一人様」が一番暮らし易い世の中、やがてこの社会が崩壊するのは至極当然の成り行きかも知れませんね・・・。

      コメント、有り難うございました。

  4. 昔、知った人で、酒でも飲まなければ、人生遣っておられん、という人が居ましたが~~♪
    斗酒比隣を集む、イタリア人とは違いますが、奈良時代の貴族もお酒を楽しんだようで、想像と違って(笑い)今に思えば、静かにばかりではなく、かなり卑猥な乃至は正直な即興の歌を叫んだりしたようですね(笑い)
    教えて貰った宗玄を置いているお店は概ね分かりまして、その内ついでを作って(笑い)行ってみようと思っていまして、楽しみを留保しております。
    各種日本酒が有る店も、もしかしたら有るかもしれないと思って、二軒ほどぶらついてみました。
    石川県~~、と言うのが幾つか有り、新潟に移る辺りに「金沢県~~」と言う銘柄が有り、POPを書いた人の脳内には金沢県が成立しているらしい~~♪
    学校で地理はどれぐらい習っているのか知りませんが、前に職場で、県とかも相当あやふやで、多分知っているのは半分以下(?)旧国名は殆ど知らないと言う人も居ました。勿論現在の県名との連動は殆ど成されていない様でした。そう言う場合は、大抵歴史も相当バラバラで、~~時代の順序や事件は殆ど関連が無く、それはそれなりに面白かったですが、全文平仮名で話さないと行けないそんな感じでした。
    それはそれで暢気でいい気もしますが~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      宗玄は見つかりましたか。
      これの二級と言うのがポイントで、その土地で好まれるものと、都会で好まれるものは違うかも知れませんが、出来ましたら一度お試し頂けると幸いです。
      またどの地域もそうですが、故郷に対する愛着やプライドが有り、明治維新で出遅れた金沢などは特にそうした傾向が強く、能登もそうですが、どこかでは高慢なところが有ります。
      金沢のキャラクターである「百万さん」等も、どうしてあのような不気味なものを、と言う印象をぬぐえませんが、ある意味、あのセンスの無さと気色悪さが金沢を正確に現しているとも言えます。それと多分金沢や能登は知っていても、これが石川県だと言うのは以外に知らない人もいたりして、でもこれはどこも同じかも知れません。宇都宮が何県かを石川県で尋ねると、一瞬みんな言葉に詰まるかも知れません。ただ、「金沢県」より「加賀の国」の方がそれらしい気がしますが、銘柄で有ればそれもまた然りでしょうか・・・。
      酒でも呑まねばやってられるか・・・。
      まさにその通りですね(笑)

      コメント、有り難うございました。

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