「砥石が割れる」

今の時代にこう言う話をすると女性陣からボコボコにされそうだが、何分「昭和」と言うレトロな時代の話ゆえ、そこはどうか大目に見てやって頂けたると有り難い・・・。

漆を塗っている工房である「塗師屋」では下地、研ぎ、上塗りが別々の部屋で行われ、そこでは各工程の職人達が作業をしていたが、用事がある時は下地の職人が研ぎの部屋へ行く場合も有り、反対に下手な下地でもしていようものなら、血相を変えた研ぎの女職人が下地職人の部屋へ乱入してくる事もあった。

「誰や、こんなガタガタの下地をしたのは!」

「俺や、どこがガタガタや言うんや」

「こんな物研げるか、見てみぃ!」

そう言って研ぎ途中の盆を持って、その下地をした職人の所へ行こうとする研ぎ職人、しかしその手前では別の下地職人がたまたま塗師小刀を研いでいて、近くには仕上げ砥石が置いて有ったのだが、頭に血が上っている女の研ぎ職人にはそれが目に入らず、思わず砥石をまたいで歩いて行く・・・。

これを見ていた小刀を研いでいた下地職人が、今度は大声でどやす・・・。

「こら、女が砥石をまたぐな、砥石が割れたらどうする」

おそらくこの職人は別の職人を援護する目的も有ったのだろうが、この言葉にカチンと来た研ぎの女職人は、もはや制御が効かない。

「女がまたいだくらいで割れるよむない(良くない)砥石を使っているから、仕事が下手なんやないかぁ」

「何やと、女は不浄なもんやから、昔から砥石をまたいだら駄目やと決まっとるんや」

「おお、不浄やと、その不浄なもんからみんな生まれて来るんやないか、偉そうな事を言うたらいかんぞ!」

「・・・・・・・・」

流石にこれを言われると男の下地職人は返す言葉が無い。

「まあ、いいわ、どこがガタガタなんか見せてみぃ・・・」

と言う事になって行くのである。

 

だが塗り職人の世界では、確かに昔から「女が砥石をまたぐと砥石が割れる」と言う話は口伝に拠って伝承されてきた経緯があり、この背景は女の性器の形が割れている事を隠語に含んでいるのだが、それとは別に例えば山岳信仰や離島などの神聖な土地には女が入れない場合が有り、小刀と言う職人に取っては命とも言える物の神聖さを表現した背景が存在したのかも知れない。

 

元々神道と女の相性は極めて悪く、穢れと言うものの大きさは人が死んだ時より、子供が生まれた時の方が大きいとされ、それゆえ死人が出た時より身内に子供が生まれた時の祓いが厳しいのであり、この要因は「血」に有る。

 

すなわち、子供が生まれる時には母親の胎内から多くの血が流れる。

この赤い血を神道は極端に嫌うのであり、ここから総じて経血のある「女」は不浄と言う事になって行ったものと思われる。

 

随分と失礼な話だったのだが、私が弟子修行中の頃には、研ぎの仕事は全て女の職人と弟子だった。

そして彼女らの中でも古参の職人は新しく入った女の弟子には、この砥石をまたぐと割れる話をして聞かせていたもので、その際「女は不浄なものだから・・・」と穏やかな顔で話していたものだった。

 

男の不甲斐なさは男ゆえ知り、女の不浄は女ゆえに知る・・・・。

何と謙虚な在り様で、物を大切にする慈愛に満ちた姿ではなかったか・・・・。

そんな事を思うのである。

 

男女雇用機会均等法、男女同権、ジェンダー、性差別と言う言葉が蔓延する今日、これらの言葉の中には男が男を知らず、女が女を知らない底の浅さが透けて見える様な気がする・・・。

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1.  日本神話では自然も神々も自生していて、根本神はその中から生まれた天照大神、すなわち女性神。千年前から紫式部・清少納言も含めきら星の如く女性が活躍し、百人一首のうち21名は女性。山内一豊の妻に代表されるように(笑い)家庭の経済は古来より女性が握っていたし、寺子屋の先生も相当数女性だった、など日本の女性は男性とと個人の特長を生かして住み分けて生きていたのに、戦後、ゲルマン的乃至はキリスト教的考え方しか持っていない無知・蒙昧な人々に感化されて、大誤解をした人たちが、向き不向きも考えないで平等とか言って、日本の女性の地位を下げてしまったのじゃ無かろうかと考えています~~♪

     神道系でもそれに被さってきた仏教でも、実際は修行も戦争も男のものだったでしょうが、それは差別からではなく、保護からだろうし、男は女性に対する欲望に弱かったので、ご立派な理由を付けて、分離したのじゃないかと思っています。

     最も権威有る曲学阿世の(笑い)南原繁東大総長なぞは、サンフランシスコ講和条約を悪意を以てソ連・チェコ・ルーマニア・・などホンの数カ国が入っていないで50カ国に近い大部分の国との講和を「単独講和」呼んで反対。それから60数年たって、今でもロシアとは、戦争状態(笑い)ですが、日本に経済協力を求めてきていています。懺悔してから来て欲しい(笑い)
     その曲学阿世に薫陶を受けた連中から学んだ福島○○とか山尾○○○とか東大法学部出身の国会議員は、未だに深い夢の中。
    最近、お笑いみたいな知識人というか、知識も覚悟もない、日本の高校以下ぐらいのアメリカのMBAみたいな人が誤解されて、世間も誤解して大活躍しているようですが、我が愛読の(笑い)ごく単純な「教育勅語」を熟読玩味した方がどんなに良いことか~~♪

    自分も含めて、刷り込みからの脱却は難しい、それがお気楽と言う事もあるでしょうが~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      「森山真弓」女史が官房長官の時、大相撲の優勝者に賞を贈り総理大臣の言葉を伝える役の慣例が官房長官だった事から、彼女は「私、土俵に上がろうかな・・・」と発言した時が有り、これに慌てた角界と政府は随分と苦慮したものでしたが、森山女史のこうした「ウフフ」発言はそれまでも多かったのですが、結局彼女はその一線を踏み越えようとはしなかった。女史は茶目っ気は出しても「女」を超えようとしなかった事は大きかったように思います。しかしこれが福島瑞穂になると結構危ない気がしますし、アナと雪の女王で映画を観ながら合唱したヤンママだと、それこそ男尊女卑は許せないとして土俵に上がるかも知れない。西洋文明の悪い癖は常に「比較」から自分の状況を図ることで、ここから人権や自由平等が始まってしまう。それゆえ現実世界の一番大切な部分を踏み躙って自由平等と言う雰囲気を尊重してしまいます。現実世界に明確なものは無く、真実は薄い霧のような状態で漂っているかも知れない。そしてこの薄い霧のようなものは理解するのではなく感じる事であり、ここには明確な言葉や形は存在しようが無い。謙虚さとは自分の現実を正直に見つめる事とも言えるだろうと思います。

      コメント、有り難うございました。

  2. 昨夜、4月23日、某NHKの「美の壺」で輪島塗の紹介が有りました。この番組は谷啓が狂言回しの頃から贔屓にしており、質の高い内容のものが偶にあり、今回も大変興味深く見ました。磨きの工程の紹介もあり、記事との連動もあり、身近に感じて観ることが出来ました。塗師屋作りの家の紹介も本の一瞬でしたが、有りまして、少しばかり想像もしました。
    我が郷里の能代春慶は、昔日はそれなりの需要で藩の銘産品でもあったのでしょうが、絶滅一歩手前とは聞いていましたが、とうとう後継者が途絶えて、休止状態のようです。能代はフェーン現象でS24、S31の二度の大火が有り、各種資料も消失していて、時代も変化したし、復活は難しそうです。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      輪島塗も現実にはもう滅んでいると思います。
      例えば私が知る技術は江戸後期から昭和40年代に蓄積された技術ですが、これらは材料から始まってもう完全に別物になっていますし、工程技術も伝統工芸展や日展の作家などの恣意的な技術に拠って規範は完全に歪んでいます。名前だけ輪島塗ですが、その内容は30年前とは全く違うものになり、しかも後継者は当綾の代表クラスの年代が最後ですから、後10年もすれば朱鷺より珍しい事になるでしょう。
      でも私は滅ぶ事も大切だと思っています。
      必要な者、強い者が生き残り、必要ない者、弱い者が滅びるのは自然の摂理であり、これに逆らえば害の方が大きくなる。そしていつかまたそれらが必要になったら繁栄すれば良いだろうと思っています。
      こんな事を言えば業界の人に怒られますが・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

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