「ぼんぼろ風」

冬は風に拠って始まり、風に終わる。

11月中頃か後半、日本海を低気圧が急激に発達しながら進み強風が吹き荒れ、雹(ひょう)や霰(あられ)が「からんからん」と音を立てて瓦を叩き、こうした事が連続するようになると本格的な冬がやってくる。

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一方冬が終わる時も、やはり日本海を急速に発達しながら低気圧が通過し、台風を超えるほどの強風が吹き荒れて、こんな事が幾度も間隔を広げながら、やがて春がやってくる。

この春の訪れを告げる強風を「春一番」と言うが、輪島塗の世界では春一番より少し遅れて吹いてくる、穏やかな風の事を表現する言葉が残っていた。

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輪島では冬の湿度は高いが、その反対に一年で一番湿度の低い季節が春であり、特に4月中頃から5月中旬の暖かい日、湿度が40%以下の暖かく穏やかな風が吹く時がある。

輪島塗の職人達はこれを「ぼんぼろ風」と呼んで、暖かい風の有り難さを思いながらも警戒した。

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湿度が低い為に漆が乾燥しにくくなるからだったが、もっと深刻だったのは素地段階の状態、木製加工状態のものは、この「ぼんぼろ風」が当たると反りや歪みが生じ、糊付け段階のものは素地がバラバラになってしまう事が有ったからである。

 

その為「ぼんぼろ風」が吹く前には木地を固めておく作業を急がねばならなかった。

せっかく木地屋さんから届けられた「七五四段重」「ひちごよんだんじゅう)が放置して置くと、バラバラになってしまう事すら有った為、漆で接着して置かないと大損になってしまう。

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何としてもこれだけは避けたいところだったし、下地塗りでは「ぼんぼろ風」は仕事の遅れの理由としても成立する要件だった。

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また「ぼんぼろ風」の定義はとても趣(おもむき)深いものがあり、ここでは4月中頃から5月中旬としたが、正確には「田んぼに水が張られる頃」に吹く暖かい風の事であり、つまりは稲作の「荒起こし」から田植え前」の短い季節を指す。

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輪島塗りの職人達は水田に水が張られ始めると、「お~、ぼんぼろ風やな・・・」「気~つけにゃならん」と言いながら、その顔は決して苦しそうな表情ではなかった。

漆が乾燥しないのは困った事だが、その困り具合は決して春の暖きを嬉しく思う気持ちを超えるものではなかった、と言う事なのかも知れない。

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ちなみにこの「ぼんぼろ風」は言語としては既に死滅してしまった可能性が有る。

経営効率優先、農作業従事者の高齢化に拠って、1980年代と比較しても現代では田植え時期が早まっているからであり、輪島塗の職人界では高齢者の引退や死去に拠って、「ぼんぼろ風」と言う言葉が使われなくなってしまっているからである。

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白か黒か、右か左か、と言う具合に何が何でも決着を求めてしまう現代社会に在って、ぼんやりとした春のような在り様が一つくらい残っていても良いような気がするのだが、観光アピールとして「あえの風」は有名になったものの、職人言葉の「ぼんぼろ風」は滅んでしまった。

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「風」の表現が一つ失われるのは辛いので、ここに記しておきたい・・・。

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 現実と季節的農事・作業が、生活様式や技術の変化で、従来とは時間的にも内容的にも、齟齬・差異が出て、美しい、説明の要らない言葉が、廃ってゆくのは残念ですが、昔はもしかしたら、老人達が、若者や、寝る前の昔話で、子供たちに、昔の生活の様子や、あり方を、そんな言葉を使って伝承したと言う事もあったでしょう。
    我が郷里でも、小学校時代から、共通語(良い言葉~笑い)を使う運動が有り、それはそれで、意味が有ったし、教育の1貫でも有って効果もありました、TVの普及と共に、急速に浸透しました。
    残念ながら教えた連中が(笑い)やや程度が低かったのか、地元の言葉は、悪い~恥ずかしい言葉であると、現在のカスの反日的進歩的文化人の様な単純さで教えているというような、反発が、自分はボンヤリした小学生ですが、何となく感じて、今一ノリませんでした。
    今は、SNSとかでは非常に短い日本語でもない「ナイス」に代表されるように、複雑な感情を伴う表現は理解されることもなく、理解そのものが廃ってゆく様で、又もの型が短期間の内に完結することのように進んでいる、有様のようです。言語は文化であり伝統の中で発達してきているのに、便宜的に、日本語も分からない小学生に一対一対応ぐらいで置き換えの英語を教えて、馬○を大量生産して、アメリカの奴隷として、早期に働けるように仕込んでいる気もします~~♪
    ローマ人は偉大なローマを愛したのではなく、ローマを愛したからローマが偉大になったように、今は日本人が日本人を愛して、祖国を愛して、矜持をもって人生を生きて行くための教育を2~3世代に渡って実施して行く事が良かろうと、考えております。
    財布の重さや、預金残高のみで(笑い)人の価値を決めていては、アメリカと同じ、馬○で野蛮な国になるでしょう~~♪

    七五四段重、って小さな箪笥みたいなものでしょうか~~?

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      仰る通りでしょうね・・・。
      言葉はより細かくなると表現を狭く限定してしまいますが、現実の事象は多くの事が絡み合って成り立っている。一言が一つの意味しか為さない言葉は、大局的な理解と言う点では最も理解から遠い事になるような気がします。
      輪島の桜も散り始めていますが、やはり例年よりは少し寒い気がします。この意味では「ぼんぼろ風」も遅くなって行くでしょうが、これを決まった日時で縛ると現実とは乖離する。現実から導かれる許容性の有る言葉が失われるのは辛い気がします。そして観光用の「あえの風」は残り、輪島塗職人の「ぼんぼろ風」は滅びて行く。これもまた現実の世界を良く反映しているのだろうと言う気がします(笑)
      「七五四段重」は「お重」(おじゅう)の事でして、そうあの料理や饅頭を入れて配るときに遣っていた「おじゅう」の事でした。
      「お重」の寸法は六五、七五、八寸、大名重と言う規格がありますが、これらは皆「寸」の単位でして、例えば七五は七寸五分の事になります。現在では「お重」は真四角ですが、昔は正方形には「魔」が差すと言われていた為、例えば七寸角のお重では、片方の寸法が七寸に対してもう一方は七寸五分でした。つまり厳密には長方形になっていました。同様に六五は六寸に六寸五分、八寸も八寸と八寸五分か八寸三分でした。しかしこれも昭和50年以降、七五と表現されながら、実は七寸角の正方形と言う形になってきています。その為今のお重は七五とは言わずに七寸重と表現される訳です。
      同じ「お重」でも、こうしてその呼び名を見るだけで年代がわかって来る。言葉とはある種の歴史、それもかなり正確な歴史と言え、同様の価値は中国の人名から時代を考証出来る在り様に同じかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

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