「死者が負ぶさる」

毎朝時間が無いのは前日の夜更かしと朝寝坊のせいだが、こうした場合でなくてもパジャマやTシャツなどは慌てると時々裏返しに着ていて気づかないことがある。
そのまま外出してもこれだけ多様なファッションが流行している現代ではそれほど気にならないかも知れないが、実はこれがとんでもないことになる地域がある。

昔から着物を裏返しに着ると「亡者が背中に負ぶさる」と言う言い伝えの地域があり、こうした言い伝えは全国にぽつぽつと存在しているのだ。
それゆえそうした地域では洋服を裏返しに着ていると「亡者が負ぶさるぞ」と注意されるのである。

これは勿論着衣を裏返しで着ていることのだらしなさを戒める意味もあるが、それ以上に逆回転はあってはならないという仏教的絶対思想が根底に大きく横たわっているように思う。
すなわち森羅万象あまねくこの世の理はたとえ神であってもそれを犯すべからざるものだという意味がある。
着物を裏返しに着ることはこの森羅万象の理を逆から入ろうとするもので、それは死者が蘇えることを指すが、これはあってはならない。

だから死者と生きる者を区別する方法として片方は自然の理にかなった表、その裏はこの世ではないものを指しているのであり、死者に着せる「かたびら」は裏返しになっている地域があるのもそのためだ。
仏陀はその教えでこう説いている。
昔子供を失った母親が嘆き悲しみ、仏陀に何とかわが子を蘇えらせて欲しいと頼むが、これに仏陀は「いいだろう」と答える。

だがその代わり、「今までに1度も死者を出したことの無い家を探せ」とも言う。
母親は必死で死者を1度も出したことの無い家を探すが、そんなものなどあろうはずも無い。
やがてそれに気づいた母親は仏陀の弟子になる。

 

ただ、現代物理学は反物質から推定した運命論を認める方向に有り、この点で言うなら未来は確定性を持っていて、時間の流れは当面確定方向だが、絶対的な安定性ではない。

この意味から言えば過去から未来の流れは確定ではなく、場合に拠っては未来から過去へ流れる可能性も否定できない事になる。

つまり、死者から始まって誕生で終わる人の一生も有り得ると言う事である。

 

ちなみに神社で神輿が社を回る方向は決まっていて、これも逆周りは禁止されているが、このことが逆効果や逆の結果をもたらすとは定義されていない。

良縁を祈願する作法の逆の作法を行えば離婚が成就するのではなく、どちらにしても正規の作法を行い、その上で願い事を上奏するのが正しい。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 我が郷里では、大人の話は知りませんが、子供の頃、寝間着を表裏逆に着れば、恋しい人の夢を見ることが出来ると、都市伝説ならぬ「田舎伝説」が有ったように思います。
    長じて、東南アジアで寝間着を表裏逆に着れば、恋しい人云々と似たような、若しくは何か普段と違う事が起きる、必ずしも不吉とばかりという意味合いでもなかったように感じていましたが、言語の理解度の問題もあり、定かでは有りません。
    もしかしたら、仏教の経典か何かに起源するものかも知れません。
    今は自由というか、気持ちが有ればと言うか、余り良くない感じで寛大と言うよりいい加減なことが多くなりましたが、形式の重要性を顧みることなく、多分それが出来た頃の心が失われているからだと思いますが、神社などで参拝するときも、作法が全く理解されていなくても、教える人も学ぶ機会もなく、「合格祈願」やら「家内安全」やらの絵馬は大氾濫。
    参拝に「家族同然」の犬を連れて、参道の真ん中を悠然と歩いていって、賽銭をそれも全くの僅少を投げ入れて、大胆不敵な祈願をする人も多いようです~~♪
    産土神は寛大で、笑ってお済ませのようですが。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      輪廻転生やこうした逆周りの思想と言うのは、やはり数学上のマイナス概念が無いと難しいかも知れないですね。
      15世紀くらいまでマイナスの概念が無いヨーロッパの宗教では「体絶対主義」でしたし、キリスト教なども火葬を禁じていたのは「0」が終わりと言う概念に基ずいているように思います。しかしインドを通じて早くからマイナス側の概念が存在した中国儒教、仏教では初めからマイナス概念が存在する為に「0」は中間地点になった。ここから逆周りをすれば逆の効果が得られると言うのは明らかにマイナス概念のおかげのように思います。しかし日本の古い信仰から始まる神道はマイナス概念が薄い。
      為に神社では逆作法をやっても反対側の効果は認められていない。効力の失効に留まる訳で、マイナス側の願いもプラス側の願いの時の作法と同じ手続きを踏まねばならない。つまりマイナスプラスの区別が無いと言う事になります。
      こうして見ると仏教の輪廻転生、魂、地獄極楽は全て数学的な正と負の思想から組み立てられているように感じます。しかもとても俗的ですね・・・(笑)

      コメント、有り難うございました。

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