「鎌鼬」(かまいたち)

見た目派手な割りには本人がそれほど自覚できない裂傷、ケガがある。
その名は「カマイタチ」これは基本的には裂傷だが、ひどい時には直径5cmに渡って肉がえぐれて骨が見えることや、まぶたなどではまぶたが取れてしまったように見えることもある。

だが、不思議なのはこのような凄いダメージの割には本人がそれほど痛がらないこと、傷の大きさに比べて出血が極めて少ないことなのだ。
中にはひざの肉がえぐれて骨が見えているのに本人が気づかず、友達に指摘されて始めて気づいたという例まであるほどだ。

カマイタチは転倒したときや、自転車で転んだとき、なにかに接触したときに起きる裂傷だが、医学的には通常の裂傷として扱われるため、経験のない医師だと、どうしてこんな大変な傷なのに本人が痛がらないのかと首をかしげることも多い。

この症状は古くから知られていた症状で、発生原因については不明だったため、妖怪のカマイタチがカマで切るからこうした傷ができるのだと思われてきたが、その姿は大イタチがカマを持っている姿や、手がカマになっているイタチの姿などで現されてきた。

その背景にはイタチが地面走るとき目にも止まらぬ速さで走るからで、こうした機敏なイタチの動きと、瞬間に大きな裂傷になるこの症状をつなぎ合わせたのだろうが、昔の人のイマジネーションにはほとほと敬服させられる。
カマイタチがなぜ起こるのかは現在も解明されていない。

しかし、転倒したとき一時的に接触面が真空状態になり肉が裂けるのだろうと言う仮説があるが、これも医学的に検証されたことはなく、医学界ではカマイタチという呼び名そのものが否定された状態になっている。
また出血が少ないこと、本人が痛がらないことなどについてはまったくその原因が分かっていない。

このような傷を負った場合、一般の裂傷のように痛がらないし、出血も殆どないので慌てずにそのまま病院へ行き(足以外の場合)消毒してもらって縫合手術を受けると良いが、傷は残るので例えばまぶたなどでは後に整形手術が必要な場合も発生する。

ちなみにイタチは余り縁起の良い生き物として伝承されておらず、ひどい話ではその姿を見ただけでその日は「悪いことがある」とされる場合や、前を横切られると「ケガをする」とされていたりする。
また右から左へ横切られると「何かしら悪いことが起こる」という言い伝えでは、その日の内にもう一度今度は左から右へイタチに横切られるとその「悪いこと」は回避されるとなっている。

イタチはネズミ捕りの名手であり、その頭が通れる大きさがあればどこでも入れるといわれている。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 少年の頃、読んでいたマンガ雑誌にも紹介されていました。

    郷里で少年の頃の話。里山に近いところに、家を建てて、自家用の鶏小屋を作って、実家から親鳥や雛を貰って飼っている内に、夜中に小動物~イタチに襲われて、起き出して見ると、血だらけの惨劇・・
    下側の壁に使っている金網を地面から20センチほど埋め込んでおくか、ブロックを埋めて、地下から侵入されないようにして、被害は激減する。バス通りなど比較的繁華な所では、もっと簡易でも被害は殆ど無く、動物の領域も或る程度理解されていたが、以前は全くなかったのに、イノシシやクマまで出没するらしい、庭のカキが熟すとエテコウが遣ってきて、食べて、下から見上げると、邪魔すんなとぶつける奴まで居る(笑い)

    隊を組んで里山を練り歩いて居た頃、沢水が流れ出る辺りに、竹筒を加工した、イタチ捕りの罠が仕掛けて有るところを発見したことが有ります。当時は未だ、少数ですが、多分何かの衣類か道具のための毛皮を取るための人が居たのだろうと思われます。
    誰かは知りませんでしたが、鞣しをする人も比較的近所に居たらしいのですが、噂でしたが、その人は、多分、当時の中年頃に亡くなったようで、近所にはそう言うことをしてくれる人は居なくなったようですが、時代も移り、需要も無くなり、廃れた技術の1つだろうと思われます。
    漁村の感覚は殆ど分かりませんが、農村では、それ一本で生計を立てている方は少なかったと思われますが、色んな兼業が在り、色んな技術が村内に有ったようです、昭和30年代を境として、戦後は終了し現代化して、裕福にもなったし、教育も昔より受けやすくは成りましたが、失ったものは多い。農村が滅べば、そこにあった技術も一緒に滅ぶ。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます

      不思議なものですね、私が子供の頃は「カマイタチ」は比較的あちこちで聞かれた怪我だったのですが、今はこうした言葉が全く聞かれなくなりました。同じ裂傷や怪我でも明確に感覚の違うものでしたが、これが同じになってしまったのでしょうか。竹を切っていて鋸がすべり、手を切ってしまった時は明確に痛いですが、カマイタチだとそれがカマイタチと知らなくても、さほど痛くなかった。それが同じ裂傷や怪我と社会的概念の合意が出来れば痛くなってしまい、同じになって行くのでしょうか。だとしたら人間が感じる「痛み」も社会的概念の変化に拠って変わって行く事になりますが、これが実証されると痛みなどの概念は社会が本能に加えるプログラムに拠って変化、つまり時代に拠って変化して行く事になります。考えてみれば武家社会では首を斬った、斬られたが日常ですから、もしかしたら現代と痛みの感覚は違っていた可能性が有りますね。それでこうしたカマイタチのように、その時代は痛みで区別されていた事柄が、次の時代には変化して統合されると、今度は区別無く痛くなってしまうシステムなのかも知れません。それまで痛みに拠って区別されていたものが同じになると言う事は痛みに対する耐性を一つ失って行く事になります。社会の中で言語が一つ失われると、その失われた分人間の耐性も失われるとしたら、これはこれで危ないですが、興味深い事になりますね。

      コメント、有り難うございました。

  2. 鎌鼬ではなく、1ヶ月程前、筋肉痛のようなそうでもないような痛みが、左太股から腰の辺りにかけて発生。2~3日前に軽い農作業(笑い)をしたので、ちょっと遅いが、その筋肉痛だと勝手に思っていたら、3~4日と経つ内に、症状が酷くなり、筋肉痛らしくない。椅子に座っても、寝ても、寝方によっては、益々、歩いても、痛く、最も困ったのは、歯を磨いたり、顔を洗ったりの姿勢~狭い湯船に入る姿勢は、痛くて続けられなくて、シャワーにしましたが、これも歯磨きの体勢と似ていて痛くて、本物の(?)のそう言う痛みがある人のようで、全く弱りました。困ったなぁ、と思っていても、整形外科や鍼灸に、マッサージで益々悪くなるのも嫌だし・・きっと肉離れでも起こして、炎症が進んだのだろうと、湿布薬を貼って凌いでいたが、寝返りをして痛くて目が覚める(笑い)、歯を磨くときには、椅子に座って、シャワーは工夫の余地もなく、捩れながら・・3週間経って、やや日常動作には不自由を感じなくなり、4週間目のここ数日は、殆ど気に成らなくなり、ちょっとしびれが有るだけ、後数日で全快でしょう~~♪
    時々こんな酷い目に遭うが、7~8年ぐらい前に、脚立から落ちて、股裂き状態になった時も酷かった。

    これなんかも失って有り難さが分かる典型でしょう。人工関節とか、脊椎菅狭窄とか、長期間の方の苦労の何十分の一かを経験しました。昨年秋と昨年末~2ヶ月ぐらい続いた、ジンマシンはその後発生していませんが、これは多分、洗剤か柔軟剤じゃなかろうかと。
    幸福の種は、殆ど落ちていませんが、それだと思ったものは、その逆の始まり、って事が多いみたいだし、不幸の種はそこかしこに、ゴロゴロしている。平和とそうじゃない状態が長いのと似た関係かも知れません(笑い)
    南北朝鮮の首脳会談~トランプも平和の始まりではなく、終わりの始まりかも~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます

      若い頃、腰痛で重いものが持てないと言っている年長者を見ていると、嘘付け、唯怠惰なだけだろうと思っていましたが、自身がこうした年齢になってみると、当時の年長者と同じ事を自分が呟き、そして若い人たちから若い頃の自分と同じ視線で見られてしまう。この感覚はやはりそうした年齢に達してみないと解らないものだった事を思います。
      それにしてもゴールデンウィークが近づいて来たせいか、家の前の県道を暴走する車やバイクが多くなりましたが、その大半は結構な年齢のジジイとババアで、青春を再びは結構な事ですが、若い者が一生懸命働いているのに、どう言う感覚なのかと思います。比べてみると昔の高齢者は偉大だったなと思います。ずっと働き詰めで、死の直前まで家や家族の為にと言う事を考えてくれていたような気がします。「俺が好きでやっている、何が悪い」「私がそうしたからやっているのよ」は確かにそうですが、青春は若さの事を言い、ジジイとババアには青春は無い、それは唯の傲慢と言うものではないか、と私などは思ってしまう。
      ま、しかしそれもゴールデンウィークはいつも仕事か田んぼかと言う私の僻みも少しは、いや大いに入っているから、そう感じるのだろうと思います(笑)

      コメント、有り難うございました。

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