「ナメクジのテレポテーション」

ナメクジ・・・と言えば大概みな顔をしかめるだろう。
だが公式記録ではないが、ドイツのある学者が残した研究レポートにナメクジに関するとても興味深い話が残っている。
秋になって間もないある天気の良い日、午後4時、何気なく風に揺れる茅(カヤ)を眺めていた博士はその茅の葉に1匹のナメクジがへばりついているのを目にする。

通常ナメクジが茅の葉のこんなへさきに登って来ることは少なく、第一そんな葉の先端に行ったところでその先は小さな川、向こう岸までは3mもあるのだ。
不思議に思った博士はそのナメクジを静観していたが、夕方の風にゆらゆら揺れる茅の葉とその上に乗ったナメクジも揺れ、川向こうの茅も揺れていた。

そのとき、博士は何となくナメクジの色が薄くなったように見えたので、目を凝らすとナメクジは更に色が薄くなり、ついには半透明になっていったのだ。
「いやこれは・・・」博士はナメクジをもっと良く見ようと茅の葉に近づいた。
そしてその延長線上にある川向かいの茅に目が行く、なんとそこには同じような高さにある茅の葉に半透明のナメクジの姿があるではないか。

博士は両方の茅の葉上のナメクジを観察し続けたが、不思議なことにこちら側のナメクジはどんどん透明になり、川向こうのナメクジが逆に色が濃くなり、ついには30分ほどでこちら側のナメクジが消えて川向こうの茅でナメクジの姿が確定したのである。
博士はこれを機会にナメクジで実験し、同じ現象を2回確認したとレポートに記述し、ナメクジは移動手段が限られていることから、こうしたテレポテーションの能力が備わっているのではないかと推察している。
またこの現象で重大な要素は、風とそれで揺れる茅の葉のスピード、その速度に共鳴している別の茅の葉の存在が必要だとも、瞬間移動はタイミングだとも記している。

にわかには信じがたい話だが、物理学的には理に適っている部分もある。
それは原子核の構成原理が同じように不確定であるが故に、1個しかなくてもどこでも存在する可能性が出てきて雲のように確率として存在するのと似ているし、もし物質の瞬間移動を考えるならば、やはり一度物質としては壊れて素粒子単位になり、別の場所で再構成される原理が一番考えやすいからだが、こうした考えで言えば、理論上ブラックホールの考え方とそう変わらないのだ。

ナメクジが宇宙最大のミステリー、天地創造の大原理と同じ原理で瞬間移動とは大したものだとは思わないだろうか。ちなみにこのレポートはかなり古いもので、文章中茅と訳されている箇所もおそらくアシだろうし、その信憑性について多くの学者は否定的、と言うより門前払いの扱いをしている。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 少し違う、多分、視点から、と言う事で・・

    少年の頃、流しの水は、一旦溜め桝に入ってからドブ方面へ、遠くまで行って田圃の用水と合流して、いずれは河川へ。偶に浚渫して、藁の堆肥とも混ぜる方が居たように思う。そのドブには、ボウフラが沢山居て、飼っている水槽の小魚に与えたことも有ったが、村の奉仕作業の殺虫剤や、偶に窒息させる為に台所の油も流した気がする。
    小学生ぐらいまでは、その川で普通に泳げたから、浄化と汚染は或る程度は均衡していたのかも知れないが、川が汚染し始めたのは、その直後で、人口増加も有ったけれど、新田開発その他で、河川の水を揚水して、流量が減った事も大きいのじゃないかと記憶する。今は人口減少~耕作地減少、下水は都市部と違って格段の進歩が有ったようには思えないが、郷里の河川の水は、比較的綺麗そうに見える。
    そんな最初の出口の当たりの木樋近辺にはナメクジが居て、偶に戸内侵入、水飲みようの柄杓に付いているのを、知らないで掴んだりすれば、直ぐ塩塗しの刑~~♪
    同じ移動でも、こっちはこの世からあの世へ~~♪

    塩は、通常使いは甕に入っていたが、元は大きな紙袋に入っていたように思うが、時間が経てば、にがりが水を吸って、湿っていた。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      これは昔師匠から聞いた話ですが、大正から昭和初期、家の排水溝にナメクジがいる家は裕福な家だったようです。お金のある家は米の研ぎを何度も行うので、そこにナメクジが集まるが、通常の家は研ぎ汁ですら流さないからナメクジがいなかったとも・・・。
      この話はにわかには信じ難い話で、どこか人を食った感じがするのですが、それでもなぜかそそられるものがあり、もしかしたらと思わせてくれるものが有る。
      古代エジプトやメソポタミアには重力に関する記述が有り、ここでは重力は特定の音階で制御できるとも記されたものがあり、インドのヴェーダでもやはり似た話が出てくる。
      我々現代人はどうも科学と言うものに縛られて現実を見失い、そこから何かを見えなくしているかも知れません。同様の話はカタツムリでも出てくるのですが、これによると印をつけたカタツムリが400mはなれたところで確認されているのですが、この話は出来すぎていて記事にしませんでした。それに風に揺れる茅のタイミングと言うのが、何となく現実味がある様な気がして・・・(笑)

  2. 昔のアパートの庭にイチジクの木もあり、収穫は独り占めできたが、その木にも、鉢の裏などにもナメクジは沢山いて、気が向けばビールを少し入れた空き缶で水攻めの刑~~♪
    ほろ酔いで、多分、気持ちが良いまま溺死というか昇天~~♪
    蝸牛も居たし、バッタ、ガマガエル、ヤモリ、鳩ノ巣、ヘビまで出たが、今はそんな自由なアパートも絶滅し果てて、小綺麗になり、動物たちは何処へ行ったか知らないが、環境が良くなったとはとても思えない。適応能力が大らしい、カラスやムクドリ、ヒヨドリは何とか身辺に居るが、今は蚊も蠅も住戸に侵入してこない、精々来るのは、政党~宗教~新聞の勧誘だけ、時に三つが一緒だったりする~~♪

    1. ナメクジに限らず田舎の家と言うのは、まず私の家ではツバメ、次にキイロスズメバチ、それに蜘蛛や、これからの季節ではムカデ、蚊、ハエ、時にはトンボやセミ、フクロウにネズミにヘビ、コウモリ、秋になれば信じられないくらい大声で鳴く虫など、一体この家は誰の物なのかと言うくらい生物多様性に満ちています。
      この辺からも自分が何かを所有する事の概念には田舎と都会では違いが出るのかも知れませんね。
      これから暖かくなってくると、それはそれで嬉しいのですが、こうしたほかの生物たちとの競合も始まってくる事になり、力を失えば簡単に他の生物たちの餌食になる。
      例えば動けなくなるとネズミに人間が食われる。天気の良い日に外で寝ていると、油断していればトンビやカラスに一番柔らかいところ、つまり目をつつかれると言う危険すら有る訳です。
      田舎を味わうツアーなどでは味わえない田舎の醍醐味なのですが・・・。

      コメント、有り難うございました。

現在コメントは受け付けていません。