「プロフェッショナル」

この会社へは年に1回程しか来ないのだが、それでも仕事を始めてからずっと付き合いが続いていて、社長や事務の女性、従業員に至るまで殆ど顔見知りになっていた。

「家はな、零細企業だからそんなに高いものは買えんぞ」と言いながら、いつも何か1つは注文をくれる社長はもう還暦を越えてしまったが、相変わらず工場で従業員達に煙たがられながら一緒に仕事をしている人だった。
この会社の事務の女性は自分より少し年上で、彼女も若い頃からずっとこの会社の事務を勤め、確か初めてこの会社を訪れた時、「新婚さんなんだぞ」と社長から紹介された記憶があり、それから起算しても年齢は○○歳にはなっているはずなのだが、どこか年齢不詳な部分もあった。

その日「社長はもうすぐ来ますから、暫く待ってて下さいね」
そう言ってコーヒーと「サラダおかき」をテーブルに置き、事務所を出て行こうとするその事務員女性に「今日は少しお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか」と私は呼び止めた。
勿論こうした事はこれまでで初めてのことで、私自身もかなりの勇気を振り絞っての行動だったが、事務員女性にとっても意外だったらしく、少し驚いたように私に目を向けた。

通常であれば彼女はコーヒーを出したら事務所の外で社長を待って、社長を中に入れたらまた事務所の外で待機し、社長が用事で呼んだときだけ事務所に入ってくる為、この期を逃すと私は長年の疑問を彼女に聞く機会がなかったからだが、その長年の疑問とは彼女が出してくれるコーヒーにあった。

私のコーヒーに対する嗜好はとても田舎臭いもので、甘味の少ないカフェオレのような味が好みだったのだが、いつの時期からか分らない、こうして社長が来る間に出されるコーヒーがまさにその味になっていて、ついでに猫舌にあわせて余り熱くない状態にまでなっていたのだ。
おまけにどうしてか分らないが、年に1度しか来ないのに、大体私が好むサラダ系カキヤマが出されるに至っては、常にクエスチョンマークが付きまとっていたのである。

私はその日相当な覚悟でこのことを彼女に質問した。
彼女は暫く困ったように考えていたが、「社長には内緒ですよ」と言うと奥の給湯室に入っていき、やがて分厚いB5番のノートを抱えて出てきて、そのノートは遠くから見えたときは1冊に見えたのだが、近くから見ると何冊ものノートが紐でつなぎ合わされて辞書並の厚みになっているものだった。
そしてそのノートから私は驚愕の事実を知ることになるのである。

何と私は始めて彼女と会ったときからずっと記録されていて、お茶やコーヒーをどの味でどの温度で出したらどれだけ残していったか、どう言うリアクションだったかが書き込まれ、知りえる範囲の趣味や家族構成、誕生日から洋服の傾向まで書きとめられていて、この20年間、何月何日の何時から何時まで来ていたかも記録がとられていたのである。
さらにこのノートにはインデックスがつけられていたことから、おそらくこうした記録は私だけでなく、社長や従業員、出入りする業者から私のような物売りに至るまで、もしかしたら宅急便の運転手まで記録にとられているのかも知れない代物だったのだ。

少しニコッと笑った彼女に、私はソファーを降りて「お見それ致しました」と土下座したい気持ちになった。
そしてこれから後がまた凄いのだが、彼女は若い頃読んだ本にこうしたことが書かれていて、当時何も分らなかったからこれだけは続けようと思って今日に至ったというその無理のなさに、私は泪目になった。
この時ほど社長のことを羨ましく思った事はなかった。

おそらく彼女はこの会社でどの営業よりも大きな営業活動をしているのと等しく、しかも仕事という範囲で考えると、人との距離感が抜群で、近すぎずに身分をわきまえた身のこなしがある。
待っている間もだべったり、座ったりして待っているのではなく、事務所の前で立って待っているのであり、社長が来ると「○○様がおこしです」と中へ案内して自分はまた部屋の外で待っているのである。
冷たい風が吹いている冬でも、暖房の効いていない部屋の外で待っていて、そうした状況に社長が気を遣って中へ入るよう言っても、入ってくる事は1度もなかった。

彼女は間違いなくプロフェッショナルだ。会社やその代表者は従業員を見ればわかる。
どれだけ立派なことを言っていても、社会貢献や環境、福祉のイベントに参加しても会社内部が荒れていたり、従業員をただの道具だとしか考えない会社はトップもさることながら、従業員がまずそれを露呈してしまう。

それは日常の運転マナーだったり、取引先に対する態度、受付や電話応対に至るまで微妙に影響を及ぼす。アンの少ないタイヤキみたいなもので、形は同じながら片方でしっかり尻尾までアンの詰まったタイヤキがあると、アンの少ないタイヤキからは少しずつ人が離れていく。
この事務員女性は社長には絶対話さないで欲しいとの事だったので、社長には話さなかったが、社長の株はこの日さらに急上昇したのだった。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

6件のコメント

  1. 統帥権独立を盾に、文官・国会の決定には一切頓着せず、天皇の権威を借りて、兵員の補給は1戦5厘と嘯き、好戦的で前近代的で、支那事変から暴走を始め、太平洋戦争に突っ込んでいった、帝国陸海軍の侵略的、帝国主義的な東條英機首相は、悪の権化~~♪
    東條英機の苦悩は、全く理解できない。天皇に対しても国民に対しても、部下に対してもどの様な態度で有ったかは、知識の片鱗もない。
    酷いのになると、日本人は残虐で好色で、南京大虐殺ぐらいは、遣ったかも知れないと言う国民観で父祖を見ている者が、ノーベル文学賞の候補を自認していて、その取り巻きの数も尋常じゃない、という次第の様です。
    民主主義的な平和愛好国家、アメリカによって、日本は世界に復帰できた、みたいな、自分で全く考えない、二流所の教科書でも書いていない事を信じて居る、人が未だに相当多いらしく、博物館には収まりそうもない~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      第二次世界大戦の根本的な原因は「帝国主義」に陥った世界情勢だったと言えるでしょう。植民地争奪戦となった世界がぶつかり合う事は目に見えた話で、この中で思想と現実にずれは在るものの、アジアの独立自決を促した日本の功績は小さくは無い。戦争には功罪があり、もし仮に当時の日本がアメリカに全面譲歩して戦争を回避したとしたら、多分良くてカナダかオーストラリア、或いはフィリピンくらいにしかなっていない。悪くすればハワイのように一つの州になっていた可能性すら在り得る。そして戦争が終わってみれば属州、植民地から収奪する経済は終わりを告げ、「金」が世の中を動かす社会がやってくる。この現実に一番早くから直面していたのがイギリスであり、かの国の傾向を見ていれば植民地収奪経済の終わりは見えていたはず。つまり第二次世界大戦の意義は初めから幻想だった。第二世界大戦の功は新しい世界秩序の始まりと、新しい経済の始まりだった。日本やドイツはその始まりの為に、幕引き役が回って来ていたに過ぎない。戦争と言う争いは憎んでも人を憎む事は肯定されない。また日本は常にアメリカに従ってきただけではなく、オイルショックのときも時の総理大臣田中角栄はパレスチナを見捨てず、為にオイルショックになったのであり、日本は是々非々でやってきていた。今日の繁栄は敗戦に拠ってもたらさせたものではなく、厳しい世界情勢の中で戦争を挟んで闘ってきた日本の父祖達のおかげだった。

  2. 100円回転寿司は面白い~~♪
    これが寿司たり得るか~こんな物が寿司屋のメニューに必要かという問題も面白いですが・・
    行くなら、多少混んでいても、小学生が休みの日の昼が宜しいかとご推薦します。30~40代の夫婦に、子供が二人位というのが何組も居て、2~3組が見える範囲にいると特に面白いです、親は取り繕っている様ですが子供は親の鏡です。後、老夫婦も2~3組傍にいるとこれ又面白い、ああ言う風に成りたい、というのは激少で、ああ言う風に成って居るんだなぁ、と目眩がすること請け合いです。それからどう言う関係か、軽く推定できる、比較的年齢が近い同好会的数人組も近所に居ると楽しめます。透明になって、空を飛びながら、その日の特段面白い組を暫く観察したい誘惑かられます。後店の予約形態と通りすがりなどの関係で、待合い場所で観察するのも、日本的伝統の根本が溶解~喪失していることも実感出来ます。
    人の気持ちが社会のあり方を変え、道具や流通などを変え、それらが思わぬ方向から、人や社会そのものを変えて行く、多分良いようじゃない方に変える実験場の様です~~♪
    今風に言えば、そうでもないか、たかが100円寿司屋、されど100円寿司屋~~♪

    1. すし屋はおろか、回転寿司ですらもう何十年も行っていないのが現実で、やはりこうした背景は農業をやっているからかも知れません。自分の家に置いてある米を食べれば気分的には只ですが、どこかで新たに金を出して自家米を消費せず、余らしてしまってはならないと言う考え方があるのかも知れません。
      また人間観察に措いては、自分も含めて行動の綺麗な人と言うのは少ないもので、特に食事の時はこれが顕著に出る。それゆえ一緒に酒を飲む、或いは食事をする時は親しい者と一緒が一番楽しい。しかし原則食事は一人と言うのが私の考えです。
      時間をかけずに、遠慮する事もなく、人に気を使う事もないと言うのがその理由ですが、多分私に取って食事は楽しむものではなく、義務に近いのかも知れません。更に出来れば人がいないところの方が良く、ついでに何も語らずに済む場面が理想、つまり引きこもりか・・・(笑)

  3. 「悪銭身につかず」と思って、名前は忘れたが、地域振興券みたいなバラマキフクシの現金が、もしかしたら「定額給付金」と言ったかも知れない、配布されたときに2回ばかり全額寄付した、「国境無き医師団」のメルマガが本日配信されて、幾つか記事が在り、コンゴ~南スーダン~中央アフリカの民族紛争+中央アフリカの内戦の状況でした。
    こんな国にしたのは、旧宗主国~国連の各種組織が対応を誤った事もあるだろうし、人間社会の根本的欠陥+そこの社会性にそぐわない文明の利器など色々あるだろうけれど、白人社会は、アリンコだのその他社会性ムシが、争っているぐらいの認識しか無いにもかかわらず、武装解除をするどころか、資源と交換に儲けるだけ儲けている感じ、全く当面はどうしようもない気もするが、20年以上前のツチ~フツのルワンダ虐殺のような事件が発生しそうで、気が重い、その事件の2~3年前に釣り友で年長の同僚が、ブルンジに2~3ヶ月ほど出張していた。

    ~~~
    こんな女性の様な人に巡り会っても、感覚のない人は、少なくとも半分程度の努力がないと通り過ぎてしまう~~♪

    1. 生物は基本的に他者に干渉できない。
      自分以外の生き物、これは人間を含めて彼の一生全てに措いて責任が取れない。だからたとえ僅かでも干渉してしまうと、それが良かれと思ってやった事でも未来にはどうなるかは解らない。ユダヤが滅びなかったのはいつの時代のどこでも迫害が在ったからで、日本も戦争があったから日本人と言うもの、国家と言うもの、日本と言うものを知ることが出来た。しかし争いや不幸の無い世界とはこうした事を失う、あらゆるそれまでの秩序が尽く蔑ろになって溶けて行くように、沈黙のまま溶融していく日本の方が、たとえ痛みが少なくても、私はアフリカより哀れに見える。自身が豊かだと思いながら、皆心は空洞化し、争いは起こらないが自身は逃げていながら、片方で正義や平和を騒ぐ。戦争や紛争が在ると言う事は、例えそれが間違いで在ったとしても自身の主張や意思が在ると言う事であり、これを不幸ばかりと考えてはならないかも知れません。そしてそこから発生する現実には対処しなければならない。両手を切断された子供たち、性器裂傷の少女たち、これらを救う為に日本人でも闘う人は闘っている。これは国家や皮膚の色の問題ではなく、直面する現実との闘いであり、個人の命題と言えるでしょう。
      そして美しいものは、それを美しいと知っているものでなければ見えないのかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

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