「天変地異」

日本の元号、つまり平成とか昭和とか言うあの呼び方だが、これが切り替わる基準の一つは天皇の崩御(亡くなること)だが、これ以外にも江戸時代では徳川将軍の死去、そしてもう一つ、大きな災害でも元号は切り替えられている。

この考えのもとは、日本独特の「穢れ」(けがれ)と言う思想から派生しているもので、即ち、大きな罪を犯した者でもその者自体の罪は、例えば悪いもの「魔」に憑依されたから起したのであって、その「魔」をお祓いすれば良いという考え方だ。
こうした考え方が政治に結び付くと、古来日本では大きな災害、天変地異は時の政治家の悪政によって天罰が下ったと考えられていたことから、払拭するため為政者は大規模なお祓いを行い、元号を変えて再スタートを切ることで「穢れ」を祓ったとしたのである。

今朝はこうした天変地異の中から地震と国家に付いて考えてみようか・・・。

古くは大雷(おおかみなり)と呼ばれていたことから、地震と雷は同じものと考えられていたようで、太平記に出てくる楠正成(くすのき・まさしげ)の通機図解(つうきずかい)と言う書物の中でも一つの雲の形で、それが出たら大雷か地震が起こると書かれている。

そしてどうも昔からこの地震を当ててやろうと言う試みも多く為されたようで、戦いに次ぐ戦いに勝利するため日食の時期、天候、そして地震を読む、と言った試みはかなり重要な戦略上の研究課題になっていたようである。
国が乱れれば地震が起こると言う話はまことしやかに歴史の中で生き続けるのであるが、もともと地震が起こる度に政治が悪いからだと考えていたのであり、どちらが原でどちらが因かは微妙なものが有る。

1703年、元禄地震(M8.2)、1707宝永地震(M8.4)が起こり、その2年後1709年には「生類憐れみの令」で有名な徳川綱吉が死去している。
1751年、一晩で漁村が海底に沈んだ「越後高田の地震」が起こったこの年、暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗が死去、その後天保の大飢饉がピークを迎える1828年には「越後三条地震」が起こる。

1846年、アメリカ東インド艦隊司令官ビッドルが浦賀に入港、開国を迫った翌年「善光寺地震」が起こり、ペリー提督が国書を持って浦賀入りした翌年1854年には安政東海地震、安政南海地震が1日違いで発生、翌年には安政江戸地震まで起こっている。
また日本初の経済恐慌が起こった1891年(明治24年)には死者7273名を出した濃尾地震が起こり、株式相場が大暴落をし、米の値段が5ヶ月で3倍に跳ね上がった大不況の中で1923年、関東大震災が起こるのである。

さらには第2次世界大戦前後には1943年鳥取大震災、1944年東南海大震災、1945年三河大震災、1946南海大震災、1948年福井大地震と地震の集中攻撃にさらされた。
そして戦後最長の不景気が底を打った、つまり不況がもっとも深刻な1983年、日本海中部地震が起こり、104名が亡くなった。

バブル経済が行き詰まった1993年、第40回総選挙で自民党が敗北、細川連立内閣が誕生した年には釧路地震、北海道南西沖地震が起こり、珍しく自民、社会の連立内閣となった村山内閣発足の翌年1月、阪神淡路大震災が起こっている。

また2007年、年金問題と閣僚の不適切発言、事務所経費の不正計上で国民の不信を買って四面楚歌となっていた安倍政権を能登半島地震が襲い、さらに農林水産大臣の自殺や防衛大臣の不祥事、バンソウコウ大臣の出現に至って、もはや国内の混乱と不信がピークに達したとき新潟中越沖地震が起こるのである。

その後福田政権へ移って石油高騰、物価の値上がり、サブプライムローン問題と混乱は更に拡大し、それに合わせるかのように2008年6月から7月、岩手や宮城で大きな地震が頻発、それまでにも千葉や北関東でも中規模地震が頻発していたのだが、極めつけは民主党政権が混迷の極みに達した2011年、菅直人政権下で発生した東日本大震災と言えるだろう・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 本邦最初の元号は、「大化」っぽいが、記録がないようであるが、それ以前から大陸との交流は長いので、もしかしたら、何か使われていたかも知れない。
    「大化」以降数個使用された様だが、一旦断絶して、多分ここに、別の歴史の諸問題もありそうだが、701年に金が献上されて(ちょっと怪しい、召し上げた?乃至は資金源にして中央に入り込んだ?)「大宝」が制定されてからは、連綿と千数百年使われてきた。
    近所に爺~婆が経営して爺~婆が集う、小さな居酒屋~カラオケが有るが、ナナナッント、商号が「大宝」、命名理由は知らないけれど、出身県の神社と関係が有るかも知れない。

    政権の交代や大事件で元号を変えたが、多分文章博士とか、考えたのだろう。
    支那帝国のように、王朝内で世代交代が起きる度に内部抗争で、秘密警察が、朝廷やら地方政権も含めて大虐殺を繰り返して、名家の一族郎党が抹殺されたり、連座で大粛清されたりと言うことは本邦には無く、関ヶ原で敗戦しても、領地が狭くなるだけで、血は残り真田のように東西に別れて主に尽くす、と言う事もあり、継続性は保たれた。

    それとは次元も理由も違うが、現代は有力政治家が急逝したり引退したりすると、歌舞伎やテレビタレントのようで、集票マシンと利権温存のために、その卑属が議員を世襲するかのように、議会に議席を得て、思いつきや世情の好みに流されて、深い洞察のない政局政治を行う様になって、政治の厳しさを忘れ八方美人でもないが、中学校の学級運営のような事になってきているようだ~~♪
    選挙制度にも疲労が溜まっていそうだ、来ないで欲しいが、その内大地震が、連続して起きているところへ、半島の方から難民が押し寄せて来たりしそうで、憂鬱だ~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      元号が変わる時、その以前は若干否定気味になり、そして以前よりは違った方向性に向かう為、価値観や希望が違ってくる事がまず考えられますが、これとは別に天皇の崩御に拠って元号が変わる時は、その以前の天皇治世が良ければ、それを踏襲した名称が用いられる事になったかと思います。
      ただし、律令国家体制では豪族の権力闘争が絶えず、例えば蘇我氏などに関連すれば物部氏に連座して皇族が何人も殺され、平安後期にはやはり天皇家、上皇家の抗争が絶えず、とても不安定でした。日本は古くから立憲君主に近いシステム動いて来ました。貴族君主、武家君主、そして封建君主から明治に入って立憲君主になり、基本的には今もそれば継続している事になります。そして日本は地震が多い。この為に何か政変が有ると、近々に発生した地震に関連付けて考えると、どこかで何がしかの罰を逃れた雰囲気を感じる事が出来たのかも知れません。ただ、そうは言っても現実に符号する場合も多く、特に近い時代では東北の地震が発生する民主党政権では、もはや政治的絶望感が広がっていた時期に大地震が発生します。流石に言いようの無い畏れを感じたものでした。
      今の政権もひどいですが、ちなみに安倍総理は何となく地震と縁が深いような気がします。そしてそれは彼がまた追い詰められて虚ろな目をして病気を理由に引きこもりになった時期に発生するだろうと言うがします。

      コメント、有り難うございました。

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