「空を飛ぶ蜘蛛」

今の季節とは相対するが冬が始まる頃の季節、毎年大きな雷と共にヒョウが降り始め、大嵐になるが、それが終わると1,2日はいい天気になる。

気象用語で言う3寒4温の裏返しみたいな天気だが、こうした嵐の後のいい天気にはよく見ると空中を細い蜘蛛の糸が何本も漂っている。
それが太陽の光でキラキラ光っていて、しかもあちこちで沢山漂っているのである。
昔からこれは多分、嵐で蜘蛛の糸がちぎれて飛ぶんだろうと思っていたが、昨年暮れ、これをカメラで撮ろうと思い、望遠レンズで追いかけたら意外なことが分かってきた。

何と細い蜘蛛の糸の先や真ん中に小さな子どもの蜘蛛が乗っているのである。
そうだ、地を這っている蜘蛛が空を旅していたのだった。
「ああ、凄いな・・・こんな小さな生き物、しかも通常なら空を飛ぶなんて考えもしない生き物が、こうして自由に空を飛んでいるんだな」と思うと、胸が熱くなってしまう。

かなり以前の事だが、少し離れた所に住んでいる友人から電話があって、ゴボウのケーキがとてもまずくて食べられなかったとしきりにぼやくので、よく話しを聞いて見ると、何でも地域興しで、大学生と地域住民が連携してゴボウをその地域の特産品にすることで行政から補助金を貰って、新商品を開発してたらしいが、その試作品はゴボウのケーキだったらしく、その試食会に招かれて参加していたら、隣に座った人が「あなたに半分あげます」と言って自分にそのケーキをくれた。
しかしそのケーキはとても食べられた物ではなく、友人は自分のケーキを半分またその人にお返ししたと言うものだ。

田舎ではありがちな話ではあるが、他にもいろいろある。
蜂蜜入りの醤油は刺身には使えないし、ニョクマムに似た魚醤(魚を発酵させて作った醤油)のクッキー、地元の人が絶対飲まないほどまずい地元産ワイン(新聞・テレビでは首都圏で好評と言うことだが・・)
いつも誰もいない交流センター、記念館、数え上げたら切りが無い。

でもどうしてこんなことが分からないのだろうか、野菜は野菜で食べた方が美味しいし、クッキーはやはり卵と小麦粉の方が美味しいに決まっている。
それに高齢化が進んで、年間1000人近く人口が減っている地域で、コミニュティーセンターと言っても誰が使うのかと言う感じだ。

これには何か大学に対する政府の助成制度に問題があるように思えてならない。
経営的に厳しい今の大学に対して産業界や地域と連携して事業を起した場合、政府が補助金を出して支援するため、各大学が無理やり田舎に入り込んで地域再開発を煽っているように思う。
そして基本的に田舎でこうした学生や先生の相手が出来るほど時間の余裕があるのは高齢者しかいない。

高齢者は若い人が来て話しを聞いてくれるのが嬉しくて全面的に賛成し、それで現実性の無いはかない夢と、親から学費を出してもらっている経済的責任のない学生の夢が一致、それで地域はイベントをしなければならなくなり、働いて税金を納めて、子どもを養っている一番忙しい時期の人達に地域興しと言う実際の負担が押し寄せてくるわけで、こうした回転が地域をさらに疲弊させていることを皆理解していない。

また、都会からこうした田舎へ移り住んでくる人と言うのは、取り合えず現役を引退した人か、若ければ都会生活に適合できなかった人が多く、それでも田舎では進んだ人と思われ地域興しのリーダー的存在に祀り上げられてしまうが、都会でしっかりビジネスとして、日々を戦っている人にかかれば到底勝ち目が無いことも理解しておくべきだと思う。

どこかで見たような映画のセットのような町並みに人通りは無く、ひどく場違いなカラー舗装、必死に都会への発信を唱える地域コンサルタントと言う何が仕事の人か分からない人の話は「・・・が重要な問題である」で終わり、長い時間公演を聞きながら最後はただの問題提起なのである。

人はなぜ滅ぶことを恐れるのだろう。
滅んでしまう、なくなってしまうと言うことがそんなに悲しいことだろうか。
田舎に人が住めなくなって滅んでいくことは私にはとても自然に思える。
だから無理して活性化してくれなくても何も影響はないし、いらなくなった物が棄てられていくのは森羅万象の理だと思う。
雨の日、腰をかがめて歩いているお年よりの脇を高級車で水を跳ねて走っていて、地域興しを語られても私の耳には届かない。

私は自分が住んでいるこの町が嫌いだ。でも近所のお婆ちゃんや、爺ちゃん、これらの人達によって曲がりなりにも何とか人にして貰ったから、また都会で何か大変なことが起こった時自分の親族が帰ってこれるための保険と思ってここで暮らしている。

かなり前になるがフランス人の自称数学者の友人が私にこんな話をしてくれた事があった。
それは恐竜の滅亡の話だったが、恐竜の滅亡によって哺乳類や他の生物の進化があった、確かに滅んでしまうと言うことは悲しいことだけども、それがその生物の究極の形でもある。
そしてそこからまた新しい生物が生まれ、生物はこれを繰り返し、一つの大きな流れになっている。
だから滅ぶことを恐れてはいけない、もし自身がその滅亡の瞬間に立ち会ったなら、それこそ、そんな瞬間など滅多に見られないことだから喜べ・・・だ。

この言葉は私にとって嬉しい言葉だった。
私もそう思っていた。
地上を謳歌している人間は滅ぶことを恐れてゴボウでケーキを作り、蜘蛛は晴れた日に青い空を旅している。 私は蜘蛛になりたい。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

6件のコメント

  1. 蜘蛛は昆虫じゃないけれど、昆虫小僧だったので、ムシは特には甲虫、比較的詳しいですが・・
    空飛ぶ蜘蛛、というテレビが有り、それで見に行ったら、田圃に隣接している野原や用水の近くにはやや風のある日、先端に小蜘蛛が止まっていて、糸を出して飛ぶのを何回も見ましたよ。新天地を求めたのでしょう。
    後、多分、禾本科の長い葉を、小さなチマキのように巻いて有るのを見付けると、「ご飯を炊いたか」だったか、呪文を唱えて、上下に引っぱると、それが解けて、卵だったり小蜘蛛だったり、空だったり、たわいもない事をよく遊んでいました。
    当時は、カエル・バッタその他生き物が、それこそ地に満ちていて、野山を歩き回るときは、いつも用心棒を持って居ました、勿論ニョロ用。今とは様相が違っていました。
    そんな話をしたら、親の世代は、戦前は秋になると、トンボが空を覆うように飛んでいたし、イナゴも今の比では無かった、と言っていました。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      蜘蛛が空を飛ぶ事を知ったのは、もう20年以上以前の事でしたが、以前から太陽光に時折輝く銀の細い糸が沢山空中を舞っていたのを不思議には思っていました。
      流石に望遠レンズでその糸に蜘蛛が乗っているのを見た時は衝撃でした。まるで龍に乗った子供のようでもあり、仙人のような姿に見えたものでした。
      人間はいつも自身が最上位の意識を持っていますが、その見えないほど小さな所では、人間が考えられないほど危うく、不安定なものを上手く使って生き物が暮らしています。その現実に対する努力と言うか、逞しさには敬服すべきものが有ります。

  2. 料理のぶっつけ本番(?)らしい取材で「不味い」というのは、聞いたことがないので、みんなそう言うのは美味しいのでしょう(笑い)、外房で体にも良い美味しいキクイモチップス、というものが試食に出ていて食べたら、さすがの自分も、ティッシュを出して人知れず処置しました~~♪
    蒼いバラが不可能を意味するという文脈なら、地場産品を使った想像も出来ない料理にしたもので美味しいものは無いという意味では、ゴボウケーキ、が使えそう~~♪
    そもそも、どう言うものか想像が出来ない。

    この20年ぐらい近辺に行って居ませんが、統合で廃校になった自分が通った中学校の跡地に、体育館やら運動場が出来て、数十年前に帰郷したときは、いつも予約なしで、バスケットボールやその他体育館の理用は自由で楽しかったですよ、傍に怪しい武道館を小さくしたような建物が有り、窓越しに覗いても、土間で直ぐには目的が分かりませんでしたが、ナナナナント、老人用の雨天ゲートボール場、自分は雨天にそこらに近づいた事は無いので、使われているのは一度も見たことが有りません。

    1. 当地でも夏から秋には赤とんぼが空にゴマを振ったように沢山飛んでいますし、夏には山の畑などに行くと、ここでもオニヤンマが空を覆いつくすほど、まるでそこだけ原始の地球になったような景色が広がっていて、ついでにそこへ私が入っていくと、誰が着たんだろうと言う感じで、オニヤンマが沢山見に来ます。
      で、人間の暮らしに戻ると、自然の摂理に逆らう事ばかりで、とても非合理的、大損な暮らしを送っているような気になります。
      ゴボウのケーキはゴボウをすりおろしてペースト状にしたものをケーキの生地に使ったもので、正直これは食べられない。でも地域の特産にしようと言う訳です。またとても不味くて呑めない能登のワインなども、首都圏では好評との事ですが、一体どんな味覚をしているのか、或いは私の味覚が狂っているのか(笑)
      そんな非効率的な事をしなくても、それぞれの地域で一番やり易い普通のものを作って、それを磨けば世界1になれる。

  3. 故鳩山邦○大臣が推進した地域興し協力隊の隊員は月15万円程度の給与で、地域のドレイとしてこき使われて、任期が過ぎれば半分ぐらいはその地を去って、多分脱走者(笑い)も結構居る気がしますが、残留する人も、その5年後を見ないと、解らないと思いますが、残留するとしても、隊員の時の仕事とは関係ない、元々持っていた資格で偶々、結婚することになった、看護師~薬剤師~保育士として働く事とかが多いと聞いたこともあります。

    エキベン大学も鉄道が廃線となり、運命を共にすべきなのに、一芸入学か願書を書けば(!?) か、若しくは奨学金を与えて外国人の導入、目的は教育から組織の存続や最後の人口減衰への抵抗に変更して、苦しみを長くしているようだし、バブルの時に建設した空港もお荷物になっている処が多いようですが、動乱や震災の時は、便利に使えるかも知れません。

    家を守って、保険、って尊敬しますね~~♪
    今もマルビには変わりませんが、今より色々酷いときに、未だ実家は空き家ではありませんでしたが、兄姉から、帰ってくれば、何とか生きては行けるから・・と言われたときは、それなりに嬉しかったです。でもまあ、本当のマルビになったら、都会の方が意味は兎も角、未だ生きて行ける気もします、歩いてスーパーに行けるだけで凄い、なんか矛盾っぽい気はしていますが~~♪

    1. 今の能登は虚業だらけで、飾りや宣伝ばかり、電飾やイベントにすがって生きているようなものかも知れません。
      そしてこれはどの地域も同じなのでしょうが、発展が良くて衰退が悪いと言う感覚はもう辞めた方が良い。それは状態なので有って、そこでどう生きるかと言う事に結びつけるから暗くなる訳で、結局衰退しようが発展しようが自分に取っては同じ事のような気がします。どんな状況にもチャンスや絶望はセットであり、そこでどうするかと言う事は本人の裁量に拠る。地域起こし協力隊など「余計なお世話」、「都会から来るものは口の上手い詐欺師」と、田舎者丸出しの私は思っている訳です(笑)

      コメント、有り難うございました。

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