「魚と米」

イギリスに端を発した産業革命は効率、利益、資本と言う具合に、その後の世界経済に一定の法則をもたらしたかに見えたが、今日の株式相場、世界経済を見るに、全ての経済理論は唯「雰囲気」を元にしたものに過ぎなかったようでもある。
つまり「何となく先が明るそうだ、何か買おう」と「何となく先は暗そうだ、買うのはよそう」いろいろな経済学者、評論家が難しい理論を展開したが、経済はこの2つだけだったのではないかと思うようになった。

少し前だが、昔の知り合いで、今もデパートに勤務している男から電話があり、その中で彼はデパートの地位も随分下がってきたとぼやいていたが、何でもあるメーカーが試作して作った企画商品を、デパートでさらに利益を出そうとして、そのメーカーとは別のメーカーで安く作ってもらい、売り出したら、もとのメーカーから訴えると言われたらしい。

道義的にもっともな話で、これで文句を言うデパートもどうかとは思うが、昔だったらこのパターンでは多分メーカーは文句を言えなかった事は間違いない。
下手に文句を言って、取引を打ち切られたらそれこそ大変だったからだが、それはこのデパートがある程度の売上を出していたからだ。現在のように余り売れない割に、人の企画を横取りした場合、それは間違いなくクレームがつけられる。
それだけデパートの力は衰退してきているのだ。

バブルがはじけた直後、それまで商品流通の中でメーカーと小売店のクッション役になっていた「問屋」と言うものが、流通コストになるとして、どんどん排斥されていったが、今度はインターネットと通販事業、宅急便などの普及によって、消費者とメーカーに直接のルートができ、デパートなど小売店事業が販売で侵食を受けてきているのだ。
また家電大型専門店などの進出も大きいだろう。

昔のデパートはひどいものだった。
出入りの業者に毎晩のように酒をたかる外商部員、愛人との旅行代金を仕入れ先から出させている仕入れ担当、旅行の企画をすれば、売れ残ったチケットは全て出入り業者に買わせていたケースもあった。
業者はなけなしの金でも付き合わねばならず、ヨーロッパ10日間150万円なりのツアーを、銀行で融資して貰って何とかしていた人もいた。
また着物の企画では着物をつき合わされ、宝石でも同じ、つまらぬ陶器や漆器などもあったが、絵画、家具など売れ残りは必ず業者に付き合わせるのが、デパートのやり方ではあった。

だがそれでも業者は文句を言わなかったのは、それ以上に自社の商品を買ってくれていて、それに対する決済、支払いが安定していたからだ。

また一般には余り知られていないかも知れないが、物の価格には上代(じょうだい)と下代(げだい)がある。
上代とはデパートで売られている値段、下代とは業者がデパートに売り渡す価格だが、昔「問屋」と言う、メーカーとデパートを繋ぐ流通経路があった時は、その価格は「4つ折」つまりメーカー納入価格の4倍が普通だった。

1万円のものは2500円で納入されていて、しかもメーカーはこの2500円の中で利益を出しているから、多分実際の製造価格は1万円の物で1200円くらいではないだろうか、そしてこれはまだいい方で、大きな問屋と小さい問屋が2つ絡んでいた場合は「いち・ごー」つまり1万円のものは1500円で納入されていたケースもあった。

その上で、デパートは仕入れ業者が他に直接販売する場合でも、デパート価格、上代で販売するよう縛りをかけていた。
これはつまりデパートが価格競争に負けないよう、メーカーに価格統制を強いていたのだが、もっと簡単に言えば、自分が作っている物だとしても、それを独自の客に販売する場合でも「デパートで買え」と言うことで、「これだけ売ってやっているんだ、それくらい協力しろ」と言うことだった。
そしてバブルがはじけて「問屋」がなくなってもデパートはその分の利益をメーカーと折半したかと言えばそうではなく、利益は全てデパート側に落ちていったのである。

また先生稼業、「○○家」と言われる人、例えば画家、陶芸家、染色家などの品は全て作品展をした場合、大手デパートでは25%が製作者、残りはデパートの収益になっているし、これが良い条件でも35%が製作者に支払われる金額で、残り65%はデパートの収益となっている。
つまり私達消費者は殆どデパートの売り場経費、人件費を払って作品を買っているのだ。
これがギャラリーでは、良い条件だと製作者60%、ギャラリー40%、悪くても製作者50%を切る事はないが、その代わり下手をすればデパートの上代価格より高い価格設定がされていて、製作者がにこやかに出迎えてくれる、その笑顔までが価格に含まれていたりする。

昔、仕事で独立した時、よく先輩から「人は物を買うんじゃない、お前を買っているんだ」と言われたが、私はこの言葉が大嫌いだったし、今も嫌いだ。
自分は技術で勝負したい、だから自分などどうでもいいし、何と思われても構わないが、「この技術がいい」と言って貰えたらと思っている。

また私は兼業農家でもある。
だから秋はコンバインで稲刈りなんかもやっているが、当然これは家の仕事なので、会社スタッフには手伝って貰うことは出来ず、忙しければ昼食を自宅まで食べに行けないので、近くで湧き出る水を飲み、おにぎりを食べて少し休む時がある。
これもかなり以前の話だが、こうして昼休みをしていた私は、疲れが出て、秋の良い天気に田んぼの土手で眠ってしまったことがあった。

それを具合が悪くて倒れているのかと思った通りがかりのトラック運転手が「おい、大丈夫か、トンビにやられるぞ」と起してくれたことがあり、この運転手と喋っていたら、彼も漁師で、トラック運転との兼業だと言うことがわかった。
確かに危ないところだった。
トンビは例え人間でも、倒れて動けないと知ったらその肉をついばもうとし、そうした場合真っ先にやられるのは一番柔らかい部分、まぶたと目なのだ。

それから道で何度か出会うたびにお互い手を上げて挨拶したり、クラクションを鳴らしたりして合図するようになったが、この男はとても寡黙で、無愛想なのだが、いつも通る道路沿いにある私の家も知っていて、たまにアジやカレイをくれたりするので、私もナスやキュウリ、芋や米などをお礼に持たせるようになり、今も続いている。

妙なものだが、漁師と農家は何となく同じ匂いがする。
そして経済、流通でもし自分が理想とするところがあるとしたら、この男とのやり取りでありたいと思う。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. デパートの販売戦力も、帝国主義時代の植民地経済も、基本構造は、同じように思います(笑い)

    デパートはその販売力で、メーカー・納入業者を管理して、帝国主義は、その軍事力で、販売力を行使した。大英帝国が大清帝国にアヘン戦争を仕掛けたのと全く同じ。眠れる獅子だったはずだったけれど、単なる寝豚だった、清朝はもうとっくに盛期を過ぎていて、押し返す力もなかったし、内政も乱れていて、外交なんて、単なる国内の勢力争いの道具立て。デパートも近年は地盤沈下・・自分はナフタリンの臭いと値段で撃沈されるので、もう何年も近寄ったことが無い。

    不公正な貿易形態は長続きしないとか、怪しからんとか言っても、未だにコーヒー・紅茶は、消費地から支配されているし、カカオ生産地の(奴隷モドキ)労働者は、カカオが何に使われているか知らないで、その日の糧を得て、学校にも行けないでいる。

    平均すれば、農産品の農家の受け取り金額は、市場価格の40%位が上限で、軒先販売~直売方式で売ることが出来る、地の利の有るところは良いが、そうじゃない処は、特には途上国では、流通業者に支配されている。漁業品は、それが25%位であるらしく、日本はアフリカまで行って、アジまで獲っている、熱海の干物はアフリカ産のアジの解凍品を開いて干したもの~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      世の中に物が溢れると流通はメーカーや販売組織側の負担を大きくし、物が少ないと消費者側に負担は傾く。
      太平洋戦争後暫く、物が無い時代に物資を手に入れるための労力は消費者側に大きな負担を強いていましたが、現在のように物資が豊富に溢れる時代ではAmazonのように、玄関先まで商品が届く事になります。
      私は大正時代に発生した百貨店と言う販売形態がそろそろ役割を終えているように思うのですが、どうでしょうか。
      コンビになどは小規模百貨店の様相に近づいていますし、ネット販売は既に百貨店どころか、世界市場が目の前に来ているようなもので、こうした時代の風潮の中で慇懃な詐欺的手法の販売は手遅れになってきているように思います。
      ものを売るのは基本的には夢を売る事だろうと思います。それが手に入って何がしかの喜びが有って成立するとしたら、もうデパートで物を買って夢を手に入れる事は少なくなってきているように見えます。

  2. カレイとアジには少し思い出があって・・
    或る年の春の連休で、帰郷して、近所の港に出掛けて、カレイが沢山釣れて、唐揚げ、煮付けその他で食べて、当時食が細くなっていた父が「美味い」を連発して沢山食べた、その夏に、入院して亡くなった。

    新鮮な小アジで押し寿司を作って、隣人のお爺さんに数回差し入れして、いつも普段より沢山食べて、喜んで貰った。それから、入院して食べて貰うこともなかったけれど、どちらもその魚を見ると思い出す~~♪

    1. おかしなもので海の者と山の者なのですが、天候を相手に仕事をしているせいでしょうか、漁師と農家は同じ雰囲気があり、どこかではその職業同士で無ければ分かり合えない部分が有るのかも知れません。
      言葉ばかりが多くて何も無い者より、寡黙で実質しか相手にしないような人間が私は好きですし、自分もそう言う人間で有りたいと思います。
      私が子供の頃は魚の行商に来る人から魚を買って、その支払いは米と言う形態がまだ残っていました。
      とてもダイレクトで、お互いの価値が認め合える良い形態だったと思います。
      スーパーで並んでいる魚より、どこか違う味わいが有ったように思います。

      コメント、有り難うございました。

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