「黄色い猫と黒い猫」・1

1978年、日本を訪問した鄧小平は昭和天皇に謁見する。 そしてその際昭和天皇は鄧小平に対して「あなたの国に迷惑をかけてしまいました。申し訳なかった」と謝罪の言葉をかけたが、この言葉を聞いた鄧小平は姿勢を正し、直立不動とな...

多重基準正義・2

                              2010 2 24 撮影 イランにも北朝鮮にも核を保有して欲しくはなかったら、まずアメリカが核を廃絶すべきだろう。 それも言葉だけではなく、率先してアメリカが自...

多重基準正義・1

                              1989 5 3 撮影 原子核の質量はそれを構成している陽子と中性子の質量の合計より常に軽い。 そのため軽くなった質量は「質量欠損」と呼ばれ、相対性理論に従って...

「世界最初の司法判断」

1945年8月10日、長崎に原子爆弾が投下された翌日のことだが、この時まだポツダム宣言を受け入れていなかった日本政府は、アメリカの原子爆弾投下に際して次のような抗議声明を出している。 「新奇にしてかつ従来のいかなる兵器、...

「失格の時代」

1994年6月、この年混迷を深めた細川内閣以来の流れに、決定的な政治的終止符を打ったのは、社会党の村山富市内閣総理大臣だった。 日米安全保障条約、原子力発電計画、日の丸の掲揚、そして君が代、自衛隊に関する解釈など、従来社...