「おんな株式会社」

余り世に知られた人ではないが、今夜は生涯に渡って決算で言えば黒字、何をしても利益に繋げていった抜群の経済センスの持ち主、高階(たかしな)栄子の話だ・・・。

時は源氏、平家がそのしのぎを削る時代、国の守(くにのかみ)・・・、つまり今で言えば知事のような立場だが、そうした家柄の高階家に1人の女の子が生まれる。
国の守と言うのは徴税請負人と言う性質のものだったが、今の知事のような半端なものでは無く、一定の年貢は中央に納めなければならないが税の取立てや方法については何も決まりが無い、その手腕に全て任されていた為、どれだけ搾り取ろうが罪にはならず、一度こうした地位に就くと生涯安泰どころか現在の金額に換算して数十億と言う単位の蓄財が可能な地位で、こうした階級を受領階級と言って、当時の人が目の色を変えてなりたがった地位だった。

こうした受領階級の高階の家に生まれた栄子、その祖父は受領の中でも抜群のセンスを持っていて、彼は国の守より更に格上の太宰大弐(だざいのだいに)と言う役職にまで登りつめ、これを利用して相当な蓄財をしたようで、「欲の大弐」と言うあだ名まで付けられていたが、太宰大弐と言えば九州長官代行と言ったところだろうか、しかも中国との貿易を管理できる政府系貿易会社総裁の立場でもあることから、収入は国司風情が追いつくようなものではなかった。

栄子はこの高階から相当な財産を貰っていて、彼女の夫である平業房(たいらのなりふさ)もこうした受領職だったが、彼の出世は栄子や、栄子の実家である高階の財力によるものだったようだ。
業房は当事の実力者「後白河法皇」の側近で、こうした時代、天皇の地位などたかが知れているが、法皇が事実上の権力を持つ院政と言うものを認識し、それにうまく立ち回っていたのだろう、業房はもとより妻の栄子も揃って、後白河法皇に並々ならぬ奉公をしているのである。

彼等は都の外れにある浄土寺の山荘に後白河法皇を招待しているが、この山荘は高階家から栄子が貰ったものだった・・・、そして接待が効を奏してか、まもなく夫の業房は相模守(さがみのかみ)に出世している。
実に鮮やかなものだと感心するが、このとき栄子は業房との間に2男3女の子供があり、この段階までは良き妻、良き母の範囲と言うべきだろうか。
だがこの後、栄子の周囲は一変する。
夫の業房が後白河法皇の密命により、平清盛を打倒する計画を立てたと言う疑いをかけられ、死罪になってしまうのである。

この際激怒した平清盛は、後白河法皇も鳥羽の離宮へ幽閉してしまうのだが、なんと後白河法皇の身の回りの世話を許されたのは、夫が死罪に処せられた栄子だった。
このとき彼女は恐らく悲嘆に暮れたと思う・・・がしかし女は強いというか、栄子が恐らく祖父より受け継いだであろう経済的センスがここで花開く・・・、いつしか栄子は後白河法皇の愛人になっているのである。
受領の未亡人から一躍、彼女は法皇の寵愛を得る天上人になっていった。
まもなく平清盛と法皇が和解、栄子は「丹後局」を名乗り、後白河法皇側近中の側近となり、やがて後白河法皇の子供を生むが、このとき栄子は恐らく40近くにはなっていただろう・・・、この時代の40と言えば大年増もいいところだが、このとき生まれた女の子は後に内親王になる。

また都合の良いことには平家がこの頃を境に次第に落ち目になっていき、やがて源氏に滅ぼされるが、後白河はこの間隙を縫って権力を回復、鎌倉を動かなかった源頼朝のおかげで、少なくとも平安時代よりは大きな権力を手に入れるのであり、こうした状況で後白河の側近中最も発言力があったのが、他ならぬ高階栄子だったのである。
「頼むのだったら、丹後局様・・」
後白河の他の側近が推挙した人間と、栄子が推挙する人間が同じ官職を争っても、必ず栄子が推挙する方が勝った。

当事栄子に対しては大臣と言えども頭が上がらない状況だっただろうし、日ごろは陰で丹後憎し・・・と言っていても何か問題があると、金品や贈り物を持って丹後詣でが行われたに違いない。
時の帝、安徳帝を連れて福原落ちした平家、都では帝がいなくなり、後継の天皇を立てる必要があったのだが、このときも平家を追放した木曽義仲の意見具申を抑えて、丹後局の推挙した皇子が皇位についた・・・、後の後鳥羽上皇である。

お金持ちとは言えども所詮卑しき身の上だったところから、天皇の推挙に発言できるまでになっていった高階栄子、私は彼女に強く「女」を感じるし、女の魅力と自身の力だけで人生を切り開いてきた、そのありようにまるで1つの巨大企業が醸成していく過程を見る思いがする。

栄子はその後、後白河法皇が死ぬと2人の間に生まれた内親王にしっかり財産を貰い、自分も莫大な財産を手にするが、「欲の大弐」の面目躍如と言ったところで、いつの時代も変わり無く、権力を支えるものは「お金」であることを見抜いていたのだろう。
そしてこの栄子と言う女性を見ていると、自分が選んだ男をどこまで行っても見捨てない強さ、男と言うひどく不確定な者に対する投資意欲のようなものまで感じるのである。

ある放送作家の奥さんだったと思うが、若い頃貧乏な作家だった夫を銀行員をしながら支え、新婚だと言うのに風呂も無い倉庫のような建物の2階の新居で暮らしながらも平然としていた。
そうした妻に済まない・・・と思った若い夫はこの妻に尋ねる、「こんな惨めな暮らししかさせてやれない自分に、どうして我慢しながら付いてきてくれるのか・・・」・・・、それに対して妻は「先行投資、今にあなたはきっと素晴らしい作家になる、絶対なる」と答えたらしい。
そして数十年後、夫は有名放送作家になった、妻は嬉しそうに「儲かった、儲かった・・・」と笑うのである。

「日本の食糧自給政策」

2008年に起った石油高騰、穀物市場の異常な拡大は、それまで全く気にも留めなかった日本の食糧事情に一種の恐慌を起こしたが、日本の食糧自給率の低さは先進7カ国中で最も低い、いや世界的に見てもこれほど自給率が低い国は珍しいくらいだが、穀物相場の異常な値上がりは、嫌が上にも国民の食料自給意識を高め、米の偽装問題とあいまって政府、農林水産省への食料政策に対する批判は日増しに強まっていった。

こうした背景から遅まきながら農林水産省が打ち出した政策と言うのがまた、なかなかに味わい深いというか、いかにもお役所らしいことになっていて、大きな声では言えないが2008年末、漁業関係では新しく特産品を開発している婦人団体などに、それぞれ1団体6億から8億近くの金が拠出されることになり、各漁協や団体などではその金の使い道に苦慮した挙句、使いもしない冷凍倉庫や加工場、大掛かりなアイスクリーム製造機まで作って、利用方法は現在もまだ検討中・・・と言う地域があったり、こうした金目当てに行政が無理やり漁業関係の特産品開発団体を作るよう、漁協婦人部に持ちかけたり・・・と言うことが発生していた。

いきなり大金が舞い込んでくると言っても、その使い道などきまっていない小規模な婦人団体では、「一体こんな金、どうして使ったら良いものか・・・」と悩んでいたが、どうもこの背景には2008年度中に総選挙を想定した麻生政権の、選挙対策のためのバラマキでは・・・と言う噂さが流れていた。

また食料自給率を何が何でも向上させたい麻生政権と農林水産省は、更に曖昧な政策を打ち出していく・・・、一方で米作り農地の減反を進めながら、その一方で休耕田の復元政策を打ち出したのである。
そしてこの「休耕田の復元」の為の予算はほぼ「無制限」に近く、各行政区はこの甘い汁を吸おうと必死になっていき、こうした行政に建設会社がなどがまた群がる、懐かしくも愚かな日本の仕組みが「復元」してくるのだった。

県や市などでは国から文句なしに金が出るこの休耕田復元の為の予算獲得のため、何とかして休耕田の復元ができないものかと考え、昨年以降増えていた都会での失業者や、若手の農業希望者の獲得に必死になっていたが、こうした行政の動きに対して若手の農業希望者はよりよい条件を求め、一番条件の良い地域へ移り住み、そこで各種の補助を受けながら補助金が切れたらまた別の場所で・・・と言うぐあいの「渡り鳥農業者」となっていく傾向が現れてきた。

しかし耕作地整備でも巨額の資金が落ちるこの制度の予算は何が何でも欲しい・・・、ここは多少のことは目をつむって・・・、と言うことになるが、地域おこしプランナーなどにこうした人選を頼み、そして他府県から若手の農業希望者を迎えるが、大体地域起こしプランナーなどが連れてくる人材には一定の傾向があり、それはしっかり根を張って農業・・・と言うよりは「生活を楽しむ」ことに生きることの重点をおいた者が多くなる・・・、つまり農業をスタイルと考えているものが多くなるのだが、こうした姿勢は、与えられる物がより多い方向へと移動していくもので、定着の可能性は少なくなる。

行政や土建業者はこうしたことが分かっていても、復元農地の整備の仕事が欲しくて、「来てくれれば誰でも」になるが、例えば1・5ヘクタールの農地整備に要する費用は2500万円、しかもこうして農地を復元すれば中央のご機嫌も取れるし、仕事や金も入る、政府は「食料自給率向上の為の政策をやってますよ」と声高に国民にアピールできるのである。

その結果がどうなるかと言えば、他府県から来た農業者は全ておんぶに抱っこで農業経営を始め、機械の調達から、ひどい場合は田を耕したり、苗を植える作業までも地元ボランティアに任せて当然の形態になっていくが、やっと引っ張ってきた若手農業経営者だから、行政は村や区などの既存組織を使ってでもボランティアを集め、彼等が自分たちの農作業を休んで、こうしたボランティアにかり出されている場合すら発生する。

そしてやがてこうした農業経営者は補助金が切れると生活できなくなるので、別の府県のまた条件の良い地域へと移動していく、せっかくマスコミも応援し、地域がボランティアまでして支えても、3年後には復元した農地は、また荒地に戻る可能性が高くなっているのである。

こうした政策で使われるお金は、農地整備費用が1・5ヘクタールで2500万円、その補助金は3年でおおよそ250万円、その他各市町村の補助金が200万円、ボランティアも賃料に換算すると、こうして3年間休耕田を復元した費用は大体4000万円を超えていくだろうが、もし私や他の既存農業従事者が4000万円あれば、耕作面積で6倍以上の10ヘクタール、雇用で言えば高齢者などに無理の無い程度で仕事を依頼し、10人の雇用を10年間は維持できるだろう。

だがどうしたことか、既存農業従事者にはこうした話が来ないのは、地域おこしプランナーと言う存在が、常に外の世界への発信しか見ていないためで、本当は地域のことを一番知らない者がその任に当たっているからであり、簡単に言えば「こんな田舎から出たことも無いやつ等には、新しい農業など理解できまい・・・」と言う感覚があるからだと思う。
そして行政がどうしてこうした地域プランナーなる者に依存するかと言えば、根底にある都会に対するコンプレックスではないかと思うが、もっと重要なことはこうした食料自給政策の予算が「国民の税金」であると言う点だろう・・・。

最後に一言、勿論若手農業従事者の全てがこうしたことだと言うわけではなく、全力で夢を追い求めている人もいるだろう・・・、私のところへも来てくれている人の中にも夢を持って農業に転身した人もいる。
この記事はそうした諸氏を指しているものではない。
基本的に補助金を貰って維持する仕事は続かない、そして農業は・・・いや全ての職業は、遊びではない。

「余震に備える」・2

大きな地震、余震の場合は2階にいるなら、慌てて窓から飛び降りてはならない。

出来るだけ小さい部屋へ移動するか、或いは家の中心に向かうようにする事が肝要で、

1階でもこうした電線が張り巡らされている状態で、家が接近している地域ではむやみに外へ出ようとすると、落下物で被災する確率が高くなる。

トイレや風呂場など狭い部屋へ移動する事が肝要になるが、木造の古い家の場合、背後に崖がある場合などは、家から出る方が大きな被災に遭遇しない可能性が高くなる。

更に余震に備える対策としては、家に在宅の場合は必ず部屋の戸を開けておくことで、これは大きな余震が発生すると瞬間的に戸が開かなくなる為、既に大きな地震に被災している家屋では、倒壊の確率も高く、玄関まで全て戸を開けて置くのが理想的である。

集合住宅の場合、これもやはり広い面積の部屋は天上落下の可能性が高い為、姿勢を低くして通路などに出るしか方法が無く、外壁に近いところへは避難してはならない。

また本震動が終わったら速やかに外に出て広場などに避難することが大切であり、これは長周期震動で崩壊する可能性が出てくるからである。

また大地震の場合は、殆どのケースで停電とガスや水の供給が止り、カードの決済も不能になる可能性が高い。

従って貴重品や防災グッズの中には余裕が有れば、100ドルくらいの外貨、数万円の現金なども入れておくと良く、新聞紙などは常にストックを持っておく事が望まれる。

そして地震は暖かい時だけに来るとは限らず、寒冷期、12月から3月に発生し、支援などが間に合わない時は、倒壊した木造家屋などを燃やして火を起こし、そこで集団で避難することが望まれ、これは上空からの目標としても有効であり、寒冷期であればと言う条件付だが、万一火災になってもそれに拠る死者は凍死者総計よりは間違いなく少なくなるからである。

ちなみに北海道胆振地方の地震では大規模な山崩れが発生し、これは直近の豪雨や地質の影響とする専門家も多いが、そのような地質なら豪雨の時に何らかの兆候は出ているはずで、因果関係を問うのは本来筋違いである。

むしろ陸地地震、内陸地震での震源付近は地質がどうこう、雨がどうこうに関係なく山崩れは発生するものと考えるのが適切であり、こうした細かい諸因まで原因に入れると、あらゆる事が「想定外」になってしまう。

更に液状化現象だが、大きな地震の場合は全ての平地で発生すると考えるべきで、液状化現象が発生しない箇所など存在しないと考えておくべきだろうと思う。

地下水脈、地下水は移動性のもので、どこかで少なくなれば高いところから低いところへ移動する。

為に地下水が多い場所はいつもそうだとは限らず、少ないところもそれが常在安定しているものではない事を忘れてはならない。

それを全て人間が予測できるほど自然の摂理は甘いものではない。

また此度近畿地方の台風被害、北海道の地震被災を通して日本人は電気の供給が絶対ではない事を認識する事になり、結果として携帯やスマートフォンの電源、金銭預け払い機(ATM)の電源などに付いて、家庭用の小形発電機の必要性を認識したのではないか・・・。

以後は家電メーカー等の動きとして、こうした国民生活上の必需品の道が見えているのではないかと思えるし、その先には自力発電自動車などの概念が横たわれば、災害で死んで行った人たちの死もまた無駄にはならなかった事になりはしないか・・・。

それと科学的地震予知が不可能となった今、宏観に拠る前兆現象予知にもう少し力を入れるべきでは無いかと思う。

これでも今の確率で言えば大きな地震の3回に1回は的中させられる可能性が有ると思う。

無論、失われる物質的被害は食い止める事はできない、が、少なくとも地震で命を失う人の3人に1人でも救うことが出来る。

専門家も占い師ももはや同一レベルであり、共に予知などできていない。

広い範囲を1ヶ月以内、しかも震度4クラスの地震でも当たったと騒ぐようでは、現状の日本の地震発生率からすれば、外すほうが難しいと言えるような予知であり、北海道で地震があればその付近を考えるが、では熊本が2年連続で大きな地震に遭遇したか、大阪が翌年も大きな震災を被ったか・・・。

先の東日本大地震で残った断層が動いたと言う専門家が、次に指摘しているのが北関東だが、現実に起こってくる微震は和歌山、瀬戸内海、能登半島だ・・・。

専門家と言われる者たちは、どうして従来の力学的地勢学的な法則が壊れてしまっている事が理解できないのか、それが不思議だ。

理論では無く、もっと目の前の現実を見ろ。

尊い命、かけがえの無い命を失った者たちの無念を、また暫くして忘れてしまって同じ事を繰り返しては彼らに申し訳が無い。

例え災害で有っても、そこから次に何かを繋げる努力をする事でしか、我々日本人は彼らの死に報いる事が出来ないのではないか、そう思う。

「余震に備える」・1

地震が発生すると、大方の報道や一般大衆の口からは「充分お気を付けください」と言う言葉が出てくる事になるが、では一体どう気を付けたら良いのかと言う具体策は出て来ない。

まずP波の説明から始めるが、これは本震動波より1・7倍早く伝わってくる為、実際に揺れるより早くに「音」や「雰囲気」で伝わってくる事になり、大方の能動生物、昆虫から犬、猫、大型生物の象に至るまで確実に捉えることが出来ている。

カエルやカジカは一挙に鳴くのを辞め、猫やネズミはP波を捉えると家から出ようと大騒ぎを始め、犬は突然吠え始めるか、遠吠えをを始め、鳥の類もバタバタと騒ぎ始める。

蛾などではいっせいにむやみやたらと飛び始める事があり、金魚なども動きが激しくなるか、或いは水槽から飛び出る事もあり、非能動種が大勢を占める植物でも蘭(らん)やススキなどは不自然な動きをする場合がある。

では人間はどうなのかと言うと、約13%の人がP波を捉えられるとされているが、この場合は遠くで多くの木の葉がザワザワ揺れている音、若しくはやはり遠くで大勢の人が騒いでいるような音として感じていて、これ以外は風が吹いてくる音か飛行機が飛んでいるような音として感じている。

だがこれが就寝中の場合はどうなるかと言うと、90%以上の人がP波を捉えていると言われていて、体調が万全なら4秒以内に目が醒める事になる。

が、この時何故目が醒めたかのか、そもそも目が醒めている事を自覚すまでに2秒かかり、震源に近い場合はP波到着直後に本震動S波が始まる為に間に合わないのである。

この点は気象庁の緊急地震速報と原理は全く同じだが、他の動物が瞬間的に目を醒ます能力と同じものが人間にも備わっていて、この場合は「音」で目を醒ます事が知られている。

早朝に発生した阪神淡路大震災の記録には「雉の鳴き声」「犬の鳴き声」「猫の鳴き声」「カラスの鳴き声」で目を醒ました人が多く、この鳴き声の直後に地震が発生してくる。

しかも、この時の鳴き声がとてつもなく大きな鳴き声で、それでびっくりして目を醒ましているのである。

これは音響レンズ効果(私見用語)と言い、脳が緊急時に音を大きく感じさせる効果によるものと推察され、こうした事に注意していても大きな余震を事前察知して少しでも安全な部屋に避難できる確率が高くなる。

また大きな地震の場合、その地震のP波を感じることが出来る人は全体の13%だが、ここでも異常に大きなP波に拠って脳が忘れていた感覚を覚醒させる効果が発生するものと思われ、大きな地震が発生した地域の人は、以後全て正確にP波を捉えられるようになる。

ただし、震度1くらいの地震から聞こえるようになる為、P波のゴーと言う音が聞こえたからと言って大きな余震が来るとは決まっていない。

むしろ本震後のP波の音はそれが聞こえても確実に本震以下の震れと言える。

大きな地震が発生して以降、余震の度に事前に「ゴー」と言う音が聞こえるようになるのはその為で有り、これと就寝中に働く危機回避本能に拠る覚醒効果が相まって、大きな地震直後からずっと眠れなくなると言う状態が発生して来る。

音響レンズ効果はP波の音を増幅させ、寝ている時ほどその音は現実より大きく聞こえるのである。

そしてこうしたP波の音と、実際に大きな地震が発生する前の「地鳴り音」との差異だが、決定的なのはP波は移動音と言う事である。

遠くから自身に向かって近づいて来るか、或いは右から左など、その音が移動しているように聞こえるのがP波であり、「地鳴り音」は定点定置音である。

しかも「地鳴り」は大きな地震を経験した事が無い人でも、その場に立てば全員が聞こえるのが特徴であり、この音は実に多様性があり、江戸時代の記録と、平成に入って静岡県の人の報告によれば鼓を打ったような「ポンッ」と言う音から、風のような音、ゴジラが地底で吠えているような音、花火のような音、拍子木を打ったような「カシーン」と言う音まで存在するものの、基本はその場に行かなければ聞くことが出来ない音と言う事になる。

「北海道胆振地方地震に付いて」・2

北海道胆振地方地震で震源付近の厚真町(あつまちょう)で発生した広範囲、大規模な土砂崩れに関して、役に立つかどうかは解らないが、今後の参考までに地震に拠って引き起こされる奇妙な現象に付いて、幾つか事例を上げておく。

昭和51年(1976年)6月16日に発生した山梨県東部を震源とする地震では、三島、河口湖、東京で震度4を観測したものの、この地震に拠る被害は皆無に思われた。

しかし神奈川県津久井町青根と言うところで2軒の民家の屋根瓦が全て落ちてしまう現象が発生し、ここでは住民が大したゆれを感じなかったにも関わらず、屋根瓦が全て落ちてしまったのである。

だが、この2軒の家の隣の家では僅かにふすまが揺れた程度で、被害が起こっておらず、この村に通じる道では一定方向の雑木が根から抜けたようになって倒れていた。

ちなみにこの地震の2ヶ月前、4月6日頃から10日以上、神奈川県丹沢の奥地では毎晩キーン、キーンと言う音が定期的に2時間、5秒間隔で続き、その音源の発生源がどこなのかすら、特定できなかった。

専門家はトラツグミの鳴き声と評したが、現実に録音された音は金属的な音であり、朝日テレビのアフタヌーンショーでも取り上げられたこの現象音を聴く限り、トラツグミでは済まされないものが有った。(日本地震予知クラブ記録資料より参照)

また昭和53年(1978年)1月14日に発生した伊豆大島近海地震はM7・0の大地震だが、ここでも各地で山崩れが発生し、河津町見高入谷(かわずちょう・みたかいりや)では高さ200m、幅80mに渡って山が崩落し、反対側の山へ土砂が10mの高さまで乗り上げていたが、不思議な事に、この山の手前には小川が流れていながら、その小川には土砂が入っていなかったのである。

同様の事例は明治24年に発生した濃尾地震(M8・4)の記録資料にも残っており、愛知県西春井郡西枇杷町下小田井と言うところでは幅20m、高さ40mほどの竹薮が、向かって右側を流れている川を飛び越えて、ごっそりと30m近く横に飛ばされていたのである。(市原信治著・濃尾地震と根尾谷断層より参照)

このように海域地震ではない内陸地震や陸地地震では震動が伝わる過程で方向性が有り、その方向に並列する場合と、直角に対面する場合では、同じ地域でも被害に大きな差が出てくる事が知られていて、此度の北海道南部地震でも、厚真町の山崩れには一定の方向が大きく崩れているようにも見える。

内陸地震では相対する両方向からの圧力である場合が多い為、震動の方向性は一定方向のみとは限らない。

直後に反対側からの震動が伝わった場合、家屋などの比較的面積の狭い状態は「点」となるが、山脈や山などは「面」としての性質も持つ事から、意外な震動を受けるケースが考えられる。

山肌をむしり取って、向かいの山に貼り付けるような力の加わり方も記録されているのだから、同じ方向の土砂が大規模に崩れる事も充分有り得る。

決して不思議な事ではなく、過去にも事例が有りながら、忘れられているだけと言う可能性がある。

またエネルギーの一元化は経済的効率には望ましいが、統一的一元化エネルギーはその統一こそが一瞬にして全てを崩壊させる原因となる。

この事はエコキュートなるものが出現して来た当初から警告されてきた事だが、電気のみに頼るエネルギーの一元化政策よりも、エネルギーも多様性を持っていた方が、危機に関しては有効となる。

今後の再建には是非ともこうした考え方も取り入れて貰いたいと切望する。

北海道と近畿で電気が来ない地域の方々の不安と不都合は察するに余りあるものがあり、どうか暗闇では一人にならないように、家族、近所、仲間たちと一緒に過ごして、朝を迎えるようにして頂きたいと、それを心から願う・・・。