動物、例えば身近な例を取れば、猫は死期が近づくと家から出て行くという話が多い。
これは自分の死骸を人目に晒さないためだと言われているが、カラスなどもこうした傾向にあって、滅多にその死骸が目撃されない、また野生の象はやはり死期が近づくと群れから離れ、その墓場となっている場所へ向うと言われている。
ツバメは雛が孵(かえ)った瞬間から育たない雛を巣から落としてしまう。
それ以後どれだけ人為的に巣に戻してもやはり巣から追い出してしまうのだが、ではこのだめだと判断する親鳥は何を見て判断しているかと言うと、全く分からないのだ。
こうした生物がその死期を悟った時、それは体の衰えを脳が判断するのか、脳がそう決めたのかはわかっていない。
またツバメの親鳥が見ているものはもしかしたら「勘」である可能性があり、始原生殖細胞の周期が短い鳥類のそれは、人間よりももっと身近なところに存在している可能性がある。
動物もそうだが人間が死んだ直後と直前、つまり呼吸が止まる少し前と、呼吸が止まって五分後の体重を計ると、死後の方が360グラムから480グラムほど体重が増えると言われている。
この記録はもっと細かい数値を出している場合もあるが、詳細な記録を拾うと少しこうした幅があるようで、ここでは幅を持った表示をしたが、これはその重さこそ違うが犬や猫、少し微妙だが鳥類にも見られるとされている。
もし人に魂なるものがあり、それが死後抜けていくとしたら普通軽くなるようにも思うが、これに関して人間を構成する物質の中には「反物質」の存在があるのでは無いかと言う見方がある。
反物質とはその物質特性の反対の性質を持つ物質、つまり体重で言えば、50キログラムの体重の人に500グラムの質量を持つ反物質が混じると、その人の体重は49,5キログラムになってしまうと言う物質(ダイエット中の人にはとても興味深いかも知れない・・・)が人間には含まれて生まれて来るのでは・・・と言う考えかただ。
この考え方でいくと、人も動物も魂があり、それは「反物質」で出来ていることになる。
ではこの反物質の正体は・・・と言うことになるが、これの存在は確定性未来、つまり運命が肯定される事から、時間軸に措ける瞬間の中の世界観、他者にはその瞬間で終わった形に見えるが、本人はその瞬間の中で存在してしまう可能性が出てくる。
人が死ぬ時、周囲では苦しそうに呼吸するその姿を見て、ああ、さぞや苦しいのだろうなと思うかも知れない。
しかし、生物の脳は一定以上の苦痛には遮断機能を持っていて、これは「夢の不思議」でも出てきたと思うが、この時当事者は違う安らかな景色を見ているのだと思う。
それはその人が一生の間に見てきた全ての光景、そしてそれを全て認めることが出来た瞬間に違いない。
どんな生き方をしても人は過去を拭い去ることは出来ない。
だから死ぬ瞬間、脳はその全てを「これで良かったんだよ」と思わせてくれるに違いない。
そしてそれは紛れも無く自分自身であり、この地球に生命が誕生して37億年、幾多の絶望的な試練をくぐり抜けて今日に至った生物と言う大きな流れの中で、自身の存在がちゃんと意味を持っていたこともきっと教えてくれるはずだ・・・。