「消費者」

新年、明けましておめでとうございます。

本年もどうぞ宜しく、お願い申し上げます。

 

「consumer」(コンシューマー)と言う言葉は確かに「消費者」と言う概念を包括するが、この中には結婚初夜とか、或いは「完成」などの、完全ではないが何かの到達点、目標到達の概念も含まれており、しかも人間の行動を生産と消費と言う極めて粗野な区分で表現したものだが、一人の人間が消費だけを行い一切の生産を行わない事は有り得ない。

従って、こうした区分そのものが成立するか否かは疑問な部分も存在し、そもそも人間が為す行動、或いは動物でも同じだが食べて生きていく、環境に対して自身を保護したり、生殖に関する社会的慣習や子育てに使われる財を、消えて費やされると表現されているその視点は、統治者やそれを管理する側の表現であり、良く考えてみればとても馬鹿にされた表現でもある。

しかし我々一般大衆は自身もこの少し小馬鹿にされた「消費者」を名乗り、その事に疑問すら抱かないのは、例えば会社員をしているなら、自身が生産者の側面も持っているからであり、この事は働いている者、子供を為してこれを育成している者、高齢者を介護している者など、あらゆる社会生活を営む者が生産者だからでも有る為で、こうした生産側の視点と消費側の視点が、自身の都合で自然に切り替えられて社会生活が営まれているからだ。

それゆえ失業率が低く、安定した経済環境ほど一般大衆の消費と生産に対する概念は生産側に向き易く、結果として消費と言う自身が為す事が無機質、無意味であるかの様な表現をされていても全く気付く事は無くなるが、確かに消費を無限連鎖的に喚起していく概念の経済は無機質、無意味な物と言う事が出来る。

また人の一生は「死」に拠ってあらゆるものが水泡に帰する事に鑑みるなら、我々が行っている事は全て「消費」なのかも知れない。しかし好きな人が出来て一緒に暮らしたいと思い新居を探す事、やがて子を為してそれを育てる事と、ハンバーグがどんどん消費され、太るからフィットネスクラブに通う事は同じでは無い。

好きな人が出来たり、子供を育てる事には強い能動性が有り、ハンバーグで太ってフィットネスクラブ通いは誘導性の行動である。

これらを一元的に「消費」と考える処から、経済学は現実の人間生活を壊す方向へと動いて来てしまった。

何が消費であり、何が生産なのかの区分が曖昧になってしまった訳であり、消費の中にも生産は存在し、生産の中にも消費は存在する。

これらは本来分離して考えられるべきものではなく、あくまでも統計上の仮想区分である事を認識しなければ、人間のあらゆる生産もまた無限連鎖的な消費にしかならない事になる。

我々が営む社会生活、日々の暮らしは全てが消費と言われればその通り、一方全てが生産と考える事もできるのであり、自身がそれをどう認識するかに拠って、先に見える経済は180度違って見えてくる。

自身が為している事を消費と思うか、或いは生産と思うかに拠って、先が未来になるか過去になるかの分岐点になる。

消費と言う言葉はこの意味からすれば自身の在り様を否定された言葉であり、少なくとも自身が胸を張って「私は消費者だ」と言うべき筋合いの言葉ではない。むしろ自己否定されたのだから、「無礼な事を言うな」と反証すべき言葉なのである。

ちなみに冒頭楽曲の「Mi mancherai」(ミ・マンケライ)は「あなたに会えなくて寂しかった」「あなたに会いたかった」と言う意味だが、この楽曲の歌詞では「amore mio」が続き、イタリア語のイントネーションではMi mancheraiの後に連続してamore mioが使われる場合、間に小さな「ェ」を意識すると発音はスムーズになり、通常ならこの後にti amoと言う言葉が続くだろう。

「ミ・マンケライ」「アモーレ・ミオ」は多分イタリア人の男なら最初は普通に、そして「アモーレ・ミオ」は少し大きな声にする可能性が高いが、日本の男が使うなら、最初は普通に、「アモーレ・ミオ」を更に小さな声で発音して、薔薇の花の1本も彼女に渡すと格好良いかも知れない。

そしてこの時彼女に手渡す薔薇の花を買う事を、私なら「消費」とは言われたくないと思う。

 

「神拝礼法」

古い時代の神道の考え方はその大まかなものは全て「禊」(みそぎ)へと通じている。
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即ちここには人の「悪」を「穢れ」(けがれ)によるものと考え、神はこの穢れこそを嫌い、人は穢れを祓うことによって正しきものとへ帰することができると考えられていた。
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それゆえ神社参拝に措ける最も基本的な部分は「禊」にあり、これはつまりその身を清める事にあり、例えば伊勢の五十鈴川(いすずがわ)などは、昔は橋が架かっておらず伊勢神宮を参拝する者は五十鈴川を歩いて渡る以外に方法がなく、ここに好むと好まざるに関わりなく参拝者は「禊」を通って神前に向かう事となっていた。
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流石に現代社会に措いてはこうして川を渡って禊を行う事はなくなったが、しかしその重要性を鑑みるに、近代の社寺はその参道に必ず「手水舎」(てみずしゃ)を設置し、ここでは清浄な水が流され、そこで禊が行えるようにしてある。
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「禊」とはその意味するところは「穢れ」を洗い流すことだが、それを形にするなら美しい水を体にかけて洗い流す事を指していて、従って神社に参拝する者はまず「手水舎」で両手に水をかけ次に口をすすぎ、世俗の穢れを清める事がその入口となる。
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禊とは「水注ぎ」、「霊削ぎ」と言う具合に基本的には「削り取る」意味が有り、この事から陰陽道ではまず「陰」となり、その意味するところは「削除」とされる右手から水をかけ穢れを削除し、同じく陰陽道での「陽」である左手に水をかけるが、ちなみに左手には「満つる」意味があり、このことから右手で穢れを削除し、左手で清浄なものを満たすと言う形がここには存在している。
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そして参道を歩くおりには道の中央を歩いてはならず、これはなぜかと言うと道の中央は神が歩く道として、敬意を払っておかねばならないからであり、神殿に向かう時は左右どちらのが側でも良いが、神殿から下るときはできれば左側を下ると良いかも知れない。
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またこれはよく誤解されている部分もあるかとは思うが、神社拝殿の軒先にかかる鈴や鐘をうち鳴らすとき、賽銭などを入れてから鈴などをうち鳴らす人がいるが、これは基本的には間違いであり、まず拝殿に到着したら一番先に鈴や鐘をうち鳴らし、それから賽銭を入れるのが正しい。
神社拝殿の軒先に掛かる鈴や鐘は神に挨拶したり、自分がここにいることを知らせる為のものではなく、これもその本質は「禊」なのであり、「音」による汚れの祓いなのである。
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ゆえ、神社拝殿の前では、必ず一番最初に鈴や鐘があったらそれをうち鳴らし、次に賽銭を入れて参拝すると良いが、賽銭は基本的に貢物であることから、必ずしも多くの金額を入れたからと言って、また縁起の良い数字の金額をいれたからと言って願いが聞き届けられるのではない。
その身分に応じた「気持ち」が大切になる。
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「二礼二拍手一礼」、これが神社参拝の最も一般的かつ基本的な神拝の仕方だが、「礼」は正しくは「拝」と呼ばれ、この儀礼の有り様は腰を折って上体が地面と平行になるまで身をかがめた状態を言い、これを二度繰り返し、それから拍手を二度行い、最後にもう一度最初に行なった「礼」を一度して神拝は終わるが、ここで注意したいのは拍手の仕方と、願い事をするおりの手を合わせる動作、「合掌」の形である。
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一般的に「合掌」と言えば両手を胸のところに合わせることだけと考えがちだが、実は神道の合掌と仏教の合掌には区別が有る。
仏法の合掌は両手を合わせたその指先が左右両手とも揃った状態を基本とするが、神道の合掌はその由来である陰陽道の考え方から、合掌したとき陰陽思想の陽の前面性があり、この事から合掌した手の指先は陰である右手を指の間接一つ分、左手から下げた状態が正しくなる。
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この事は拍手をする時もそうだが、最初に胸の高さで左右の指先がきちんと揃った状態で合わせられ、次に右手を指の間接一つ分左手から下げ、その状態から肩幅まで両手を開いて拍手し、これが二度繰り返されるのが拍手の正式な儀礼になり、ちなみに合掌した手が向かっている先も仏法では天、上を指しているが、神道では御神体の在る位置、即ち体と地面が90度の角度関係に有るなら、約45度の方向を指している状態が正しい有り様となる。
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また「二礼二拍手一礼」はあくまでも基本であり、何か特別に強く祈願する事がある場合は、二礼二拍手の後合掌して祈願し、再度二拍手二礼すると良いが、古い神社、例えば伊勢神宮などでは「八度拝」(はちどはい)と言って、「拝」を4回づつ2度行い、次いで柏手(かしわで)を8回うつ作法となっている他、出雲大社などでは四拍手が作法となっている。
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神社に参拝すると言うことの「参る」と言う意味は「目居る」に由来していて、基本作法である二拍手の内最初の拍手は自身が神前にお伺いしたことを知らせる為、そして2回目の拍手は神前にて畏れを表現していて、最初の「拝」、「礼」は神界に入る為の礼儀であり、最後の「拝」は神界と自身がその形をしてつり合った状態を指している。
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更にこれはやはり伊勢神宮を中心とした伊勢神道の流れでの話だが、伊勢神道では1回目の柏手を打つときには「天之御柱」(あめのみはしら)と唱え、2回目の柏手では「国之御柱」(くにのみはしら)と唱える口伝が伝承されているが、「天之御柱」とは「級長津彦」(しなつひこ)であり、「国之御柱」は「級長津姫」(しなつひめ)を指していて、これは両方とも「風神」の事である。
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「神界、仙界、仏界、いずれの界にても、そこに在る者の名を唱え、早馳風神(はやちふうじん)取り次ぎ給えと柏手を打ち、膳を備うれば、忽ち(たちまち)届くなり・・・」
古神道ではこのように願い事をいち早く神に伝えるなら、風神に膳を備えて頼めとしているが、なんとも日本らしい話である。
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最後になったが神社参拝と言えば、その祈願の中には「縁結び祈願」も多いかも知れないが、こうした言葉の発祥にはそのむかし、自身が思いを寄せる人の名を紙に書き、それを神社仏閣の格子や境内の樹木などに結びつけ、思いを寄せる人と一緒になる事を祈願した事から、人の思いではどうにもならない「縁」を神力に頼って行こうとする思いが存在していた。
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だが「縁」は結びたいと思いながらも自身ではどうにもならない部分が在るように、「縁」を切る事もまた「縁」を結ぶより遥かに困難なことでもある。
それゆえ「縁結び」はまた「縁切り」も同じことであり、「縁」、すなわち運命を変えたいと言う願いは、いつしか人々に縁結びの逆回し作法によって為されるようになったが、基本的に神道では作法の逆回しが反対の効果を呼ぶとは考えられておらず、ここでは正規の作法の上に願いを伝えることがより正しい祈願の在り様と言える。
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この1年間、有難うございました。
皆様方に取りまして、良い新年となります事を希望いたします。

「希望」

山が在って、それを超えたら何かが見えるような気がした。
確かに少しだけ何かが見えたかも知れない。
が、それは一瞬にして消え去った。
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そしてその先には更に高い山がそびえ、
もっと大きな何かが在るような気がして歩き続けるが、
行けども行けども在ったものが消え去り、
超えてきたはずの山はなだらかな丘にすら及ばないものだった。
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求める先には何も無ければ、得たものも何も無い。
我がものと思ったものは人のもので、
我が希望と思ったものは人の希望だった。
永遠と信じたものは夕日に浮かび、
力と信じたものは弱さだった。
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残した禍根は過ぎ去って尚消えず、
やがて大きく膨らみ眼前に立ち塞がり、
光輝いたものはいつしか愁思となった。
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愛も無ければ憎しみも、恨みも無い。
希望も絶望も、光も闇も無かった。
何も無かった・・・・。
存在(ある)は唯眼前のこの景色・・・・。
その景色すらも次の瞬間失われるやも知れない。
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嬉しきかな、有り難きかな・・・・。

「穢れを祓う」

突然では有るが、良く考えてみると今年も何一つ人の役に立てることができなかったような気がして、何となく心苦しいので、せめて僅かばかりの罪滅ぼし、「大祓い」の真似事でもやって、この記事を訪れてくれた人たちの安寧を願おうかと思う。

古来日本では、罪と言うものは本人に内在するものと言うより、「穢れ」と言うものがそれを起こさせると考えられ、しかもこの穢れはまた新たな罪をを呼び、国家に降りかかる様々な災害は、こうした穢れから来る神の怒りであると信じられてきた。
そして彼らはこうした穢れから身を遠ざけ、罪を犯さないようにと暮らしていたが、それでも、もしかしたら自分が知らない間に穢れを、罪を犯しているかも知れない、そう思いはじめ、穢れを清める神の存在を求めた。

平安時代にまとめられた「延喜式」と言う書物の中には、そうした穢れを祓うときに読まれた祝詞が記されているが、この頃の朝廷は年に2回、国じゅうの穢れを祓う、「大祓い」の儀式を行って穢れを祓おうとしていたようだ。

そしてその考え方はこうだ・・・。
全ての罪や穢れは、川の神から海の神に送られ、そこで海原を吹く風の神に吹き飛ばされる。
そして海の果ての「根の国」「底の国」の神がそれらを全て消してしまい、人間の国の穢れは清められる・・・。

日本神話には「速佐須良比時」(はやさすらひめ)と言う、日本神話以外の神が登場しているが、この神が「根の国」と日本神話の世界を自由に行き来していて、、その名が示すようにさすらいの女神と言うことになろうか、つまりさまよい歩いている神なのだが、彼女は人々の犯した多くの罪と穢れを持って、あてども無いさすらいの旅をしているのだ。

一つ一つの罪や穢れには、それを清める場所があり、それを総称して「根の国」と呼ぶのかも知れない、が、しかしそれはきっと人間の知恵では、はかり知ることができないものなのだろう、だから日本神話では「根の国」は名前だけしか出てきておらず、こうした国のことは一切書かれていない。
もしかしたら、人間が口にすることすらはばかられる世界なのかも知れない。

人は生きていく上で、何の穢れも無く存在し得ることが叶わない、いわばものを食べることを天上の神の仕事とするなら、では排泄はどうなるか、これを無視して人は生きられない。
従って「根の国」の神は、こうした人間達が生きていく上で、避けられない穢れの部分を清める役割を負っているのではないだろうか。

我々は神社へ行けば水で手を清め、滝に打たれて、あるいは冷水で禊(みそぎ)をするが、それで穢れは消えるのではない、穢れは水と共に川から海へと流れ、そして「根の国」に流れていく、いわんやこれは自然の摂理としても、地面にしみ込んだ水もまた、やがて地下水となって海に流れていくのと同じで、そして穢れたものは清められ、またもとの美しい水となるのである。
だから「速佐須良比時」のさすらいとはつまり、水の循環を指しているのかも知れない。

そして水はこうして穢れと、美しく純粋なものとを循環している、言うなら「根の国」とそれに関わる神の存在は「自然」そのものであり、森羅万象の理、そのものなのではないか、だからこそ、日本神話はその記述に関して、これを侵してはならない・・・としているのではないだろうか。

「罪という罪はあらじと、速川の瀬に坐す瀬織つひめという神、大海の原に持ち出でなん。かし持ち出で往なば、荒塩の八百道の、八百道の塩の八百会に坐す速開つひめという神、持ちかか呑みてむ。かく気吹き放ちては、根の国、底の国に坐すさすらひめという神、持ちさすらいて失ひてむ」

さて、これが「延喜式」に載る「大祓い」の祝詞だが、ちなみに最後に来てこうしたことを言うのは恐縮だが、私はこれまでにおみくじで3回も「凶」を引いている。
だからこの祝詞で不安な人はちゃんとした神社でお参りした方がいいだろう。

では方々、健康に気をつけて、良い新年をお迎えありますよう・・・。
1年間ありがとうございました。

「神の始まり」

古来より軍隊と女の相性は悪い。
厳しい軍の規律は女に拠って崩れ易い為であり、またそもそも女と言う「生」は決死で戦闘を行うものの気概や士気を迷わせ、それゆえ古くから軍の中に一般の女が存在する場合、その軍の評価は限りなく低いものとなる。
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だがその一方、一兵卒の立場であれば何とかして生きて帰りたい、家族もまた生きて帰って欲しいと言う「生」の執着にすがって、戦場の危機を調伏する方向が有り、これは女と言う情念を使って生き残ろうとする一兵卒の切なる祈りでもあり、女の陰毛をお守り代わりにするのは軍と言う生死を問わずの中で、その女の持つ軍とは真逆の「情念」を拠り所とする為である。
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そしてこうして戦場や軍では女を忌む中で敢えて女を使う場合、これは「神性」である。
つまりは山深い道で若い女に出会った時、そこにいるはずのない者が存在する訳で、そこには人間の範囲ではない正邪の区別の無い神性が出てくる。
普通ではない、何か得体の知れない者だと言う恐怖感は「神」の始まりである。
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こうした考え方の広義に「天意」もまた存在する。
すなわちこの戦いは神の戦いで有り、自分たちに抗する者は神に弓引くものだと言う威圧を擁する形式が有り、これは神社などで神のご加護を祈願する概念とは異なる。
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春秋時代の中国、日本では武田信玄などが採用したものだが、その軍の一番先に巫女や楽士を配し、ここで太鼓や音を打ち鳴らして進軍する場合、それは神の軍であると言う意思表示になる。
つまり、我々は「天意」だと言う訳であり、武田信玄などは敵が武田軍を待っていると、そこへエイヤー、イヤーっと言う子供の掛け声と笛の音、それに諏訪太鼓の音が近付いて来て、それらが道を開けると怒涛の如くの騎馬兵が押し寄せてくる訳である。
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この恐怖と、もしかしたら自分達は絶対勝てない戦をしているのかも知れないと言う不安感は戦闘に大きな影響を与える。
ちなみに、先に神の形を配した軍を攻める場合、楽士や女子供を殺してはならない。
何故なら元々神はどちらの味方をするかが決まっていない為であり、ここで敵とは言え先頭の神祓いを切るは、その時点で天のご加護を得られる見込みは無くなったと言うべきものなのである。
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フランスの「ジャンヌ・ダルク」もこうした背景を考えると、なぜうら若き乙女が国家を救う事になったかを漠然と理解できるかも知れない。

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神性とは「有り得ない者」からこそ始まるものと言えるのかも知れない。