「もう一人でも大丈夫さ・・・」

春5月、暖かい陽射しの日だった。
車を出そうと車庫を開けた私の足元へ、転がりこむように走ってきたその白い塊は、勢い良く私の足にぶつかり、横になってコンクリートに頭をこすり付けるようにして嬉しそうにしていた。
白い猫・・・・。家は県道沿いでしかもこの田舎具合、猫を棄てるには持って来いの立地条件だが、その為これまでにも何度と無く棄てられた猫を飼っていたし、農家で大量の米を保管している事情もあって、幼い頃から取り合えず猫は大歓迎の家だったので、さっそく両手で抱いて顔を近づけた私は一瞬にして言葉を失った。

この猫には両目が無かったのである。
まるでくり抜いたように眼球そのものが無く、まぶたを開いても肉壁しか無いのだった。
恐らく棄てた人もこうしたことから棄てていったのだろうが、こうなるとがぜん燃えてしまう私はなにが何でもこの猫を飼うことに決め、家族も可愛そうだと言うことでこの猫は家族の一員に加わった。

本当にかわいい猫だった。
人を疑うことを知らず、呼べば全力で走ってきてぶつかって止まり、えさの時間が遅いときは背中にコンコンと2度ほど頭をぶつけて知らせ、極端に心霊現象を恐がる私が夜一人で仕事していると、必ずやってきてストーブの前で横になり、時々私の仕事振りを聞き耳を立てて聞いていた。
私はこの猫のお陰で夜遅くなっても安心して仕事ができたのだった。
ただ、やはり両目のことは来る人みんな「これはどうしたんだ」と言い、かわいそうだと言う人と気味が悪いと言う人に分かれたが、この猫が本当に優しい奴だと分かってきていた私にとっては、もはや目が有ろうが無かろうが関係の無いことだった。

そんなある日、家へ新興宗教の勧誘に来た一人の男性がいたが、ちょうどまだその頃元気だった祖母が相手をしていて、何か様子が変だったので行って見ると、祖母は大変な勢いで怒っていた。
男性が話していると、そこへ猫が顔を出したらしく、猫の目が無いことから「これは呪いの猫だ、家に災いをもたらす」・・・・そう祖母に告げたらしい。
祖母は明治の女で、私とは違って?とても気性が荒く、特にこの手の話には烈火の如く反応することを知らなかったこの男性には気の毒なことになった。
「たかが猫一匹で傾く家なら、始めからそんなものは見込みがなかったんだ、この猫で家が傾くならそれで本望だ」と言うような事を言っていた。
祖母の余りの勢いに、たじたじになった振興宗教の男性は悪態をついて出て行ったが、私はやはりこの人の孫で良かったな・・・と思ったものだ。

この猫は目が見えないにも関わらず、呼べば障害物にぶつかる事もなく走ってきた、声の調子で人の心を理解し、そして何より誰か他の者を助けよう、その者の力になろうとする心があったように思う。
いつも人に頭をこすり付けてゴロゴロと喉を鳴らしていたが、そうした行動の中から私はこの猫に「心」を見ていた。

だが、別れは以外に早くやってきてしまった。
家へ来て2年経った頃、この猫は突然体が弱ってきて、餌も余り食べなくなってしまったので、獣医さんに診てもらいに行ったら、「よく2年も生きられたな」と言われたのだった。
もともと白い猫は奇形や障害が起こり易くて、この猫もそうした理由で始めから目が無い状態で生まれてきたのだろう、そしてこうした障害の場合は生まれて数ヶ月しか生きられないのが普通だが、良くぞここまで・・・・と言う話だった。
これは助けられない、ある意味この猫の寿命と言うべきものだ・・・・と言われた。
私は猫を抱いて車に乗せ家へ連れて帰り、いつも彼が寝転んでいた仕事場の指定席で寝かせ、時々綿棒に水を浸して飲ませながら仕事をしていたが、朝方何となくいつも動いている耳が動かなくなったので、水をやろうとして近づいても顔を上げない、なみだ目になりながら頭を撫でたがすでに彼は死んでいた。

私は身近な者、親しい者が死んだとき「ありがとうございました」と言うことに決めているのだが、このときは彼の出生から始まっての苦難を思い、「よく頑張った」も付け加え、もしかしたら生き返ることが・・・・などと思って一日待ったが、そうはならなかったので、翌日家の近くの川沿いの田んぼ、その土手に穴を掘って埋め、少し大きめの石を乗せて墓碑にし、花を飾った。

数日後、すでに彼の特等席に置いてあった座布団も洗濯し片付けてしまった頃だが、午前中、仕事場で焦って仕事していた私は、入り口の戸が2回押されたような音がしたので「シロか・・・」と思って戸を開け、また仕事に戻ったが、しばらくして振り返ると特等席がガラーンとしているのを見て、彼がいなくなったことを思い出した。
猫はいつもここへ来ると2回、頭で戸を押して私に知らせていた、いつもニャーンとは鳴かなかったのである。
もしかしたら風の音だったかも知れないが、何となく猫が心配して様子を見に来たのかな・・・多分夜に来ると恐がるので午前中にきたんだなと思ってしまった。
「もう、一人でも大丈夫さ、恐がったりしない・・・だからお前はお前自身のことを考えるんだ・・・」

あれからかなりの年月が過ぎ去って、祖母も死んでしまったし、私も年を重ねてしまった。
でも今でも仕事場の戸が風で押された音がすると、一瞬戸を開けようとして振り返る私がいる。

「表情の修正・Ⅱ」

さて話を元に戻すと、プンプン怒ってエレベーターを出て行った女はその後、他の乗客からどう思われるかと言えば、皆気分は悪くなりながらも、共通の「怒り」の感情を感じるのであり、ここで言える事は、こうした場面で怒りを感じることが、他の乗客たちも共通して持っている「理解可能な感情」だと言うこと、女が怒るのは認知された行動になると言うことで、皆気分は悪くなるが、心の中では40%ほどが女に理解を示す。
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「そうだ、そうだ」と思っていることが多くなるのであり、この場合怒りの対象は存在しない、怒りだけが独立した感情となるが、このケースでも「怒り」と言う、薄い共有化されたコミュニケーションが形成される。
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そしてこれが日本人には一番多いが「加減法」(modulation )と言う感情表現コントロールがあり、エレベーターで言えば、女性が少しだけ首を傾げて、そして出て行く場合である。
本当は心の中で「えーっ、何で・・・」と思っているのだが、そうした感情を見られまいとして、少しだけ不思議、不満そうな表情をする。
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表情コントロールは、ある種のコミュニケーション的「変装」とも言えるもので、一般社会と言う環境では自分の本心を晒す事が危険、若しくは不利な状況を生むことが、どこかでは無意識の内に社会全体に認知されていることから、特に意識しなくても、多くの人間は特定の場面では同じようなリアクションをするようになり、そのリアクションがあることで、相互の感覚的共有感が発生するが、人間の注意と言うものは大きなものは見逃し、微妙な誤差を拾い易い。
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それゆえ「変装」でも全く周囲と同じような格好をするか、それで無ければ相当周囲とは浮いた格好をした方がバレにくい。
プンプン怒る女、「偽装法」はいわゆる派手な変装であり、「修正法」の女性は周囲に同化、理解を求めようとすることで、「格好の悪い状況」を変装させた。
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また最後の女性のパターン、ここではエレベーターの他の乗客に対し、少しだけ本来の自分の感情から、何かを差し引いたような感情表現をすることで、「消極的」な雰囲気的共有を求めている。
格好の悪い状況を「消極性」によって緩和しようとしているのであり、「加減法」は常に一般的であることを価値感とする日本に有っては、無意識のうちに使われる最もポピュラーな感情コントロールと言える。
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人間はコミュニケーションの多くを言語に頼っているように感じるかも知れないが、その実「言語」と言うものは最も信頼性の薄いものであり、そこに感情表現が加わって、言語に価値を生じさせている。
その中でも表情コントロールのような「無意識」の表現は一番信頼性があり、それゆえに初対面の多くの者に対し、一瞬で共有された感情を伝えることができるが、これは一方で「影響力が少ない」からでもある。
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言語は感情表現でもあるが、「契約」でもある。
つまり「言語」は未来を持っているが、表情コントロールはその瞬間の表現であり、瞬間に完結したものとなるがゆえに、無意識の内に相互信用が発生するが、言語の持つ契約の部分では、常に未来は不確定であることから、このような瞬間的な相互信用、感情や意識の共有は生まれない。
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おかしなものだ・・・。
人間は自分の意思を伝える為に言語を持つに至ったが、その実言語では人に確かなことが伝わらず、言葉ではない表情や動作、そして無意識のうちに現れる「変装」の方が一瞬にして理解されるとは・・・。
そのむかし「言葉」は「言霊」(ことだま)と呼ばれ、人間の魂を現すものだったと私は記憶しているが、もしかしたら現代の我々が使っている言語とは、「言葉」ではないのかも知れない・・・・。

「表情の修正・Ⅰ」

 例えばエレベーターで、必死の思いでもうすぐ閉じようとしていたエレベータに追いつき、さて自分が乗った瞬間、総重量オーバーのブザーが鳴った場合、このときは例え体重45kgの女性で有っても、どこかでは深く傷つくことになるが、もっと気まずいのは周囲に対するリアクションである。
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本当のところはエレベーターに乗っている人が何を考えているかと言えば、早くその最後の一人が出て行って、エレベーターが動くことを考えているのだが、こうした場面は状況が違えば誰にでも同じことが有り得る状況から、その最後の一人が行うリアクションまでセットになって、他の乗客は少し先の未来展開を予想している。
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そしてその予想される未来展開の第一は、「笑い」であり、ここで最後の乗客、この場合は若い女性だったとしようか、彼女が苦笑いして「最近太ったのかな」と誰に言うでもなく言ってエレベーターを出れば、既に先に乗っていた客と女性の間には、ある種の共通した感覚上での相互理解が発生し、「運が悪かった」と皆が納得する事になるのである。
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元々エレベーターで総重量制限のブザーが鳴ったことに対して誰に罪が有るのでも無く、また最後の乗客にも非があるわけではないのだが、この若い女性がここでリアクションを間違えれば、本当は他人がそこまで思わないようなところにまで、自分で想像的に追い込んでしまい、傷を広げることになる。
人間はこうしたことが良く分かっているからこそ、そこに「体裁」と言うものが発生し、その「体裁」とは一見他人に対して為されているように見えながら、現実には自分のために為されている。
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それゆえエレベーターで総重量制限のブザーが鳴ったとしても、黙って出て行っても笑って出て行っても、それは現実に何の変化ももたらさないが、日本人がここで苦笑いする民族的行動本能の根底には「自己保身」が生きているのであり、こうした笑いによる表情のコントロールを「修正法」(modification )と言い、同じ民族で同じ状況下に措いて、同じリアクションが為されることによって、そこに発生したある種の感情的起伏は緩和され、また言葉にはない薄いコミュニケーション、「安心感」が発生するのである。
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そして予想される未来展開第二、「修正法」をリアクションした女性は大変素直で性格も優しく、他人に対する配慮も、自己顕示欲の度合いも程ほどに良い女性だが、これが少しプライドが高い女性になると、どうなるか。
「何よ、このエレベーター故障してるんじゃない」
顔を少し険しくしたスーツ姿の女は、プンプン怒りながらエレベーターを出て行くことになるが、これを「偽装法」(falsification )と言う。
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本当はエレベータでブザーが鳴ったくらいでそこまで頭にくることはないのだが、やはりここでも「体裁」が付かないため、感じた以上の表情を作ることで、本来の感情を人に悟れまいとするのである。
第一の「修正法」は少し腹立たしい気持ちの上に、「笑い」を乗せることで自分の感情を保護したが、今度は少し腹立たしい感情に、より大きな「怒り」の感情を乗せることで、もともとの小さな腹ただしい気持ちをカバーしようと言うものだ。
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同じことは例えば葬儀に措いてでも、本当はそれほど悲しい訳でもないのに、極端に悲しい顔をし、また時には自己暗示から涙を流す場合もこれと同じことが言え、こうした傾向が強まっていった場合、若しくは職業的に妥協を許されない状況のとき、人間は「無表情」になっていくものでもある。
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前出の例で言えば、エレベーターのブザーを鳴らしたのが、極端に自己顕示欲の強い人間の場合は、「無かったこと」のようにして黙って行ってしまうのであり、同じようにこれがデパート女性店員の場合だと、軽く会釈をして、黙ってエレベーターから降りるのが正しくなる。
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このように極端な自己顕示欲と、全く自己顕示欲の無い職業的リアクションには、ある種の共通的な傾向があり、こうしたことから考えられることは、極端に具合の悪い人間の行動と、洗練され、研究された人間の行動は、前者がその具合の悪さから来る不安感によって、後者はその職業的正直さによって、同じような行動になる場合があると言う事だ。
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「表情の修正」・Ⅱに続く

「卵コミュニケーション」

例えばボーイング社の747型機が10時間のフライト(飛行)を行う場合、この747型機の総重量の34%は燃料で占められる。
同じように渡り鳥である鶫(ツグミ)が10時間空を飛んだ場合、その鶫は体重の半分を失うが、この一方でアラスカからニュージーランドへと渡っていく「オオソリハシシギ」と言う渡り鳥は、8日間(190時間)連続で飛び続けて移動するが、この「オオソリハシシギ」の体重の半分は「脂肪」で構成されている。
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鳥の羽の構造は、その羽の軸に全体重がかかる仕組みとなっているが、ではこの羽軸の構造を航空力学的観点から表現するなら、それは「発泡サンドイッチ構造」と呼べるもので、つまりその中身はスポンジ状で、外皮が硬い構造となっていて、同じように鳥の骨も中身は空洞、若しくは空洞に支柱があって強度が補足されている。
これも航空力学で言う「ワーレントラス」と言う構造の事であり、同じような構造はスペースシャトルの翼にも応用されている。
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またこれは実験によって検証されたものだが、太平洋のほぼ中心に位置する島から運ばれた18匹の「アホウドリ」を、それぞれ数千キロメール離れた場所に、ばらばらに運んで放鳥した結果どうなったかと言うと、3週間後には全ての「アホウドリ」が元の島に帰って来たのである。
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更にこちらは「鳩」だが、鳩に麻酔をかけ、その上に回転するドラム缶の中に入れて、150キロメートル離れたところに運んで放鳥した場合も、鳩は上空を数回旋回しただけで、元来た方向に向けて正確に帰って行ったのであり、この実験では鳩の目に半透明の覆いをした状態でも同じ実験が為されたが、鳩はやはり何の躊躇もなく巣が存在している方向を目指した。
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そしてこれは鳥類ではないが、「オオカバマダラ」と言う蝶は、北米の広範囲な地域に生息し、やがてメキシコにある、特定の狭い地域に向かって全ての蝶が移動を始めるが、その移動距離は実に2000キロメールにも及び、一度も行った事がないメキシコの、しかも3世代前の祖先が止まった木と、同じ木に止まる蝶すら存在することが観測で確認されている。
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これら鳥や蝶のナビゲーションシステムについては、現代科学は何も分かっていないが、一つ言える事はこうした動物達のナビゲーションシステムには複数のシステムが存在していて、その中から状況に応じて、最もその場や時間に適したシステムが選択して使われていると言うことであり、ナビゲーションの概念は、人間の科学のシステムで言えば、地球上のどの位置に現在の自分が有るのかを認識しなければ、その方向が特定できないが、鳥や蝶のシステムでは、そうしたアルゴリズムにすら束縛されないシステムなのかも知れない
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また鳥の言語に付いてだが、鳥の種類は数千種にも及ぶが、この数千種の鳥はそれぞれに違った言語を持っていて、それゆえ鳴き声によって、メスが同種のオスの声を間違えることはなく、一般的に鳥は早朝や夕方に多く鳴く習性があるのは、その音の伝達効率に起因していると言われている。
つまり昼間より朝や夕方の方が風がなく騒音が少ない為に、鳥の声が伝わり易いことを鳥達は知っていると言うことであり、実際の計測でも、日によっては昼間より夕方や朝の方が、20倍近く鳥の鳴き声が伝わり易いと言うデータが得られている。
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それに鳥の鳴き声には平均で8種類以上の、異なる意味を持つ鳴き声があることが分かっていて、例えばツバメでも8種、スズメも8種、ズアオアトリに至っては9種類以上の言語を持ち、こうした言語が組み合わされて、鳥達はコミュニケーション伝達を行っていると考えられているが、ここでもう一つ、鳥達のコミュニケーションに付いて語るなら、「卵のコミュニケーション」が存在していることも特筆となるだろう。
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ウズラの産卵は通常1日に1個の割合で、それが6日から8日ほど連続して、最終的に6個から8個の卵が生まれるが、この場合卵の成長速度がもし変わらないものなら、ウズラの親は卵からヒナが孵化し始めたら、毎日1羽ずつ卵の殻を割ってくるヒナの世話をしながら、別の卵は温めなければならない状況が、6日から8日続くことになるが、実際はそうはならない。
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遅くても8時間以内に全ての卵が孵化し、元気なヒナが一度に出てくる事になるが、このシステムでは卵同士のコミュニケーションと言う現象が起こるのであり、すなわちウズラのヒナたちは、卵の中にありながら互いに何らかの合図を送りあっていて、それで孵化するタイミングを計り、一斉に生まれてくると考えられているのである。
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この卵のシステムは他の鳥類や、卵で生まれてくる動物に取って、意外にポピュラーな非言語コミュニケーションなのかも知れない。
それゆえこうしたことを考えるなら、妊娠中の胎児はどの段階から人で、どの段階までがそうではないとするかは、もしかしたら法律や、見識者の意見で決めて良いものではないのかも知れないことを、どこかで想起させるものがある。
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そして鳥の社会性と感情に付いて、アフリカに生息するカワセミの一種を観察していた研究者は、4羽のヒナを育てる夫婦のカワセミを観察していたところ、その途中でメスが死んでしまい、それから以降はオス1羽で1日に何十匹と言う魚をヒナ達に運ぶ姿を確認していたが、やがてそこへ子育てを終えた別のカワセミがやってきて、この可愛そうなオスを助け、それでヒナを一人前にする光景を目にする事になり、皆で姿が見えないように観察していたが、ヒナが無事飛び立った瞬間、思わず涙が流れたと記録している。
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またトルコのユーフラテス川近くを繁殖地とする「ホオアカトキ」と言う鳥は、とても夫婦仲の良い鳥で、その生涯をずっと同じ相手と共にしているが、もしその相手が死んでしまった時は本当に悲しそうな表情をし、残された鳥は高い崖から羽を広げず飛び降りて絶命する、若しくは何も食べずに最後は餓死してしまうと言われている。
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我々人類と自然の生物を分けるものは、「生きる為」と言う境界を越えたか否かにある。
つまり人間は「生きる為」を超えて多くのものを求めようとし、そこから「富」と言うものが発生してきた瞬間から、自然の生物とは袂を分かってしまった。
長じて現在に至ってこれに鑑みるなら、人類の生物としての理が見えなくなった・・・。

「青い空は少し悲しくて」

「その企画では、だめだと思います」
「○○さん、それはどうして」
目が大きくクリッとしていて、少しきつい感じはするが、口元がきりっと結ばれているときの彼女の顔は、可愛いというよりは綺麗だったし、身長こそ低かったが輪郭のしっかりした姿勢は、ある種の精悍さも感じられ、社内では結構人気が高かった。しかしこの女、なぜか私には徹底的に楯突くと言うか、逆らうと言うか・・・の態度で、同じように地方出身だからと思い、親近感を持っていたにもかかわらず、私の企画には必ず反対し、他の社員にはにこやかなのになぜか私には「ふんっ」と言った感じで、振り向いて去っていくとき、後ろに結ばれた長い髪が私の眼前をよぎる瞬間、その速度にまで憎しみを感じるほどだった。勿論、私が彼女にセクハラでもしていたのなら、そうした態度もやむなしだが、そんなことは無く、何か気に障るようなことも言った記憶も無かったが、出向でこのデパートに来ていた期間を通して、結局彼女とはいつも対立と言う手段でしかコミニュケーションが取れなかった。

やがて私は生まれ故郷にある本社の経営が悪化してきたことから、北陸へ戻ることになり、それを機会に独立したが、東京から帰って1年半ほどのことだろうか・・・・、1本の電話がかかってくる。
そしてそれは懐かしくも苦々しい、くだんの徹底抗戦の女からだった。
「会えないかな・・・」、彼女はどう言う風の吹き回しか、少しばかり元気が無い声でそう話したが、思わず「会えない」と言おうとした私は、少し大人気ない気もして「いいよ」と答えると、彼女が待っている近くの駅まで車を走らせた。

彼女はこの地域の景色にはどこか溶け込んでいなくて、ベンチに座っていてもすぐに分かったが、下を向いている姿は昔よりは少し輪郭が弱くなっているように感じた。
「久しぶりだな・・・」
声をかけると、驚いたように私を見上げた彼女の顔は昔とまったく変わっていなかったが、わずかに憔悴した感じがした。

ちょうど昼食をとっていなかったので、私は彼女を誘って馴染みのレストランに入って定食を頼み、彼女も同じものを頼んだが、こう言うところはやはり仲が悪かったとは言え、その職業人らしい「気の短さ」だ、食事のオーダーは同じものを頼めば早くなる・・・、時間の無い者の考え方だった。

彼女の話は衝撃的なものだった。
彼女は米沢の近くの出身だったが、父親が土建会社をやっていて、その父親が亡くなったので、今度自分が後を継ぐことになったと言うのだ・・・、子供は自分1人しかいないし、母親はずっと体が弱く寝たり起きたり、他に選択の余地は無く、10日前に葬儀を終えて、東京まで荷物の整理に行った帰り、遠回りをして北陸にまで来たとのことだった。

そして、彼女は私に「ごめんなさい」と一言、それに対して私は「なぜ」と答えたが、私が本当は彼女のことが好きだったと言うと、顔を上げた彼女の顔は一瞬でバラの花が咲いたようになり、自分もそうだった、でも私が長男でいつか帰ってしまうことを知ってから、そのことで物凄く腹が立ち、ずっと反発していた・・・と語った。
彼女はそれを言いにわざわざ北陸まで遠回りしてきたのだった、そしてここでこんな話をすると言うことは、彼女は私にお別れを言いに来たのだ。

彼女らしい「かたのつけかた」だが、これから先、土建会社を仕切るのは大変なことになる、ましてや彼女は女だ、その道はとても険しく、失敗するかもしれない、でも彼女はそれに命を賭けるつもりなのだ。
だから昔の自分と決別するために、心に引っかかっていた私に本当のことを告げ、心おきなく先に向かおうとしていたのだった。
そしてこの場面で私に自分と付き合ってくれとは言わないのは、自分が土建会社を継がねばならないことからも分かるだろう、自分ができないことを人に求める女ではないし、それより何よりも彼女は同情されたくなかったに違いない。
だからせっかく過去の因縁が氷解したとしても、これは素晴らしい「別れ」の場面だったのである。

こんなことがあって翌年、彼女が私に仕事を頼んできたので、それが仕上がったとき様子を見に行こうと思った私は連絡を取り、米沢の近くの駅で待ち合わせたが、そこへ迎えに来た彼女は何とグレーのベンツを運転していた。
「さすがに土建会社の社長は違うな・・・」などと言い、ベンツの助手席に乗り込んだ私は、何気なく後部座席に目をやったが、そこには白いヘルメットと長靴が下に置かれていて、座席は図面や地図などが散乱していた。
また彼女は紺色のワンピース姿だったが、もともと色白だった昔の面影は無く、健康的な小麦色の腕で狭い道路をベンツですり抜けていくのだった。

彼女はその後ほど無く結婚し、子供が生まれたが、今度は婿殿を社長にし、自分は専務になってこれを支える形にしたようで、業績も順調だったらしく、それから年に1度くらいの割合で私のところへも仕事が来たが、以後は仕上がるとこちらから送ることにして、直接会うことはなかった。
だがそれも今から10年ほど前からは、まったく仕事が来ることも無く、年賀状や暑中見舞いのやり取りしかなくなっていたが、5年ほど前に年賀欠礼があり、旦那が亡くなったことは薄々感じてはいた。

そして今年のお盆、8月16日、突然彼女から10年ぶりくらいに電話がかかってきた。
彼女の電話はいつも衝撃的だが、今度は何かと言うと、なんと「倒産」だった。
仕事が無く、旦那も亡くなってしまったし、これ以上続けていても借金が増える一方・・・、この際家や財産のすべてを失って何とかなるならと思って、土建会社を倒産させた・・・と言うのである。
子供もすでに大きくなったし、後は母親の面倒を診ながらアパート暮らしだけど、スーパーのパートも始めていて、これはこれで「金」を工面する心配も無く、なかなか良い・・・と話す彼女の声は、どこかすっきりしたと言う感じの声だった。

私がまだ相変わらずの小規模超零細企業をやっていることを話すと、そんなの早く辞めて、どこかパートにでも出れば余計楽になる・・・などと言ってもいた。

男と女のこうした関係とはいいものだ・・・。
肉体関係などたかが知れている。
若いころはどうしても男は女を女と見るし、女は男を男と見てしまう・・・、がしかし、その前にともに働き、頑張った来た同志、仲間であり、それがこうした年齢になると自然に男女を越えたものになっていく。

青い空は少し哀しい・・・、そして私はいつも辛いときは心の中に緑の草原をイメージする、風に吹かれて1人で立っている姿を思い浮かべる。
何も無い、そして孤独・・・、だがすべてはこれからだ、これから始まるのだと思っていつも頑張ってきた。
そして電話で彼女の声を聞いていると、何となくこいつは自分と同じなんだな・・・、いつも1つのことが終わったら、そのときが何かの始まりのやつなんだな・・・と思い、いつかまた、何かの機会で一緒に仕事がしたいものだな、いつかきっと・・・・そう思った。