春5月、暖かい陽射しの日だった。 車を出そうと車庫を開けた私の足元へ、転がりこむように走ってきたその白い塊は、勢い良く私の足にぶつかり、横になってコンクリートに頭をこすり付けるようにして嬉しそうにしていた。 白い猫・・・・。家は県道沿いでしかもこの田舎具合、猫を棄てるには持って来いの立地条件だが、その為これまでにも何度と無く棄てられた猫を飼っていたし、農家で大量の米を保管している事情もあって、幼い頃から取り合えず猫は大歓迎の家だったので、さっそく両手で抱いて顔を近づけた私は一瞬にして言葉を失った。 この猫には両目が無かったのである。 本当にかわいい猫だった。 そんなある日、家へ新興宗教の勧誘に来た一人の男性がいたが、ちょうどまだその頃元気だった祖母が相手をしていて、何か様子が変だったので行って見ると、祖母は大変な勢いで怒っていた。 この猫は目が見えないにも関わらず、呼べば障害物にぶつかる事もなく走ってきた、声の調子で人の心を理解し、そして何より誰か他の者を助けよう、その者の力になろうとする心があったように思う。 だが、別れは以外に早くやってきてしまった。 私は身近な者、親しい者が死んだとき「ありがとうございました」と言うことに決めているのだが、このときは彼の出生から始まっての苦難を思い、「よく頑張った」も付け加え、もしかしたら生き返ることが・・・・などと思って一日待ったが、そうはならなかったので、翌日家の近くの川沿いの田んぼ、その土手に穴を掘って埋め、少し大きめの石を乗せて墓碑にし、花を飾った。 数日後、すでに彼の特等席に置いてあった座布団も洗濯し片付けてしまった頃だが、午前中、仕事場で焦って仕事していた私は、入り口の戸が2回押されたような音がしたので「シロか・・・」と思って戸を開け、また仕事に戻ったが、しばらくして振り返ると特等席がガラーンとしているのを見て、彼がいなくなったことを思い出した。 あれからかなりの年月が過ぎ去って、祖母も死んでしまったし、私も年を重ねてしまった。 |
「表情の修正・Ⅱ」
「表情の修正・Ⅰ」
「卵コミュニケーション」
例えばボーイング社の747型機が10時間のフライト(飛行)を行う場合、この747型機の総重量の34%は燃料で占められる。
同じように渡り鳥である鶫(ツグミ)が10時間空を飛んだ場合、その鶫は体重の半分を失うが、この一方でアラスカからニュージーランドへと渡っていく「オオソリハシシギ」と言う渡り鳥は、8日間(190時間)連続で飛び続けて移動するが、この「オオソリハシシギ」の体重の半分は「脂肪」で構成されている。
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鳥の羽の構造は、その羽の軸に全体重がかかる仕組みとなっているが、ではこの羽軸の構造を航空力学的観点から表現するなら、それは「発泡サンドイッチ構造」と呼べるもので、つまりその中身はスポンジ状で、外皮が硬い構造となっていて、同じように鳥の骨も中身は空洞、若しくは空洞に支柱があって強度が補足されている。
これも航空力学で言う「ワーレントラス」と言う構造の事であり、同じような構造はスペースシャトルの翼にも応用されている。
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またこれは実験によって検証されたものだが、太平洋のほぼ中心に位置する島から運ばれた18匹の「アホウドリ」を、それぞれ数千キロメール離れた場所に、ばらばらに運んで放鳥した結果どうなったかと言うと、3週間後には全ての「アホウドリ」が元の島に帰って来たのである。
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更にこちらは「鳩」だが、鳩に麻酔をかけ、その上に回転するドラム缶の中に入れて、150キロメートル離れたところに運んで放鳥した場合も、鳩は上空を数回旋回しただけで、元来た方向に向けて正確に帰って行ったのであり、この実験では鳩の目に半透明の覆いをした状態でも同じ実験が為されたが、鳩はやはり何の躊躇もなく巣が存在している方向を目指した。
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そしてこれは鳥類ではないが、「オオカバマダラ」と言う蝶は、北米の広範囲な地域に生息し、やがてメキシコにある、特定の狭い地域に向かって全ての蝶が移動を始めるが、その移動距離は実に2000キロメールにも及び、一度も行った事がないメキシコの、しかも3世代前の祖先が止まった木と、同じ木に止まる蝶すら存在することが観測で確認されている。
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これら鳥や蝶のナビゲーションシステムについては、現代科学は何も分かっていないが、一つ言える事はこうした動物達のナビゲーションシステムには複数のシステムが存在していて、その中から状況に応じて、最もその場や時間に適したシステムが選択して使われていると言うことであり、ナビゲーションの概念は、人間の科学のシステムで言えば、地球上のどの位置に現在の自分が有るのかを認識しなければ、その方向が特定できないが、鳥や蝶のシステムでは、そうしたアルゴリズムにすら束縛されないシステムなのかも知れない
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また鳥の言語に付いてだが、鳥の種類は数千種にも及ぶが、この数千種の鳥はそれぞれに違った言語を持っていて、それゆえ鳴き声によって、メスが同種のオスの声を間違えることはなく、一般的に鳥は早朝や夕方に多く鳴く習性があるのは、その音の伝達効率に起因していると言われている。
つまり昼間より朝や夕方の方が風がなく騒音が少ない為に、鳥の声が伝わり易いことを鳥達は知っていると言うことであり、実際の計測でも、日によっては昼間より夕方や朝の方が、20倍近く鳥の鳴き声が伝わり易いと言うデータが得られている。
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それに鳥の鳴き声には平均で8種類以上の、異なる意味を持つ鳴き声があることが分かっていて、例えばツバメでも8種、スズメも8種、ズアオアトリに至っては9種類以上の言語を持ち、こうした言語が組み合わされて、鳥達はコミュニケーション伝達を行っていると考えられているが、ここでもう一つ、鳥達のコミュニケーションに付いて語るなら、「卵のコミュニケーション」が存在していることも特筆となるだろう。
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ウズラの産卵は通常1日に1個の割合で、それが6日から8日ほど連続して、最終的に6個から8個の卵が生まれるが、この場合卵の成長速度がもし変わらないものなら、ウズラの親は卵からヒナが孵化し始めたら、毎日1羽ずつ卵の殻を割ってくるヒナの世話をしながら、別の卵は温めなければならない状況が、6日から8日続くことになるが、実際はそうはならない。
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遅くても8時間以内に全ての卵が孵化し、元気なヒナが一度に出てくる事になるが、このシステムでは卵同士のコミュニケーションと言う現象が起こるのであり、すなわちウズラのヒナたちは、卵の中にありながら互いに何らかの合図を送りあっていて、それで孵化するタイミングを計り、一斉に生まれてくると考えられているのである。
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この卵のシステムは他の鳥類や、卵で生まれてくる動物に取って、意外にポピュラーな非言語コミュニケーションなのかも知れない。
それゆえこうしたことを考えるなら、妊娠中の胎児はどの段階から人で、どの段階までがそうではないとするかは、もしかしたら法律や、見識者の意見で決めて良いものではないのかも知れないことを、どこかで想起させるものがある。
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そして鳥の社会性と感情に付いて、アフリカに生息するカワセミの一種を観察していた研究者は、4羽のヒナを育てる夫婦のカワセミを観察していたところ、その途中でメスが死んでしまい、それから以降はオス1羽で1日に何十匹と言う魚をヒナ達に運ぶ姿を確認していたが、やがてそこへ子育てを終えた別のカワセミがやってきて、この可愛そうなオスを助け、それでヒナを一人前にする光景を目にする事になり、皆で姿が見えないように観察していたが、ヒナが無事飛び立った瞬間、思わず涙が流れたと記録している。
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またトルコのユーフラテス川近くを繁殖地とする「ホオアカトキ」と言う鳥は、とても夫婦仲の良い鳥で、その生涯をずっと同じ相手と共にしているが、もしその相手が死んでしまった時は本当に悲しそうな表情をし、残された鳥は高い崖から羽を広げず飛び降りて絶命する、若しくは何も食べずに最後は餓死してしまうと言われている。
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我々人類と自然の生物を分けるものは、「生きる為」と言う境界を越えたか否かにある。
つまり人間は「生きる為」を超えて多くのものを求めようとし、そこから「富」と言うものが発生してきた瞬間から、自然の生物とは袂を分かってしまった。
長じて現在に至ってこれに鑑みるなら、人類の生物としての理が見えなくなった・・・。
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「青い空は少し悲しくて」
「その企画では、だめだと思います」 「○○さん、それはどうして」 目が大きくクリッとしていて、少しきつい感じはするが、口元がきりっと結ばれているときの彼女の顔は、可愛いというよりは綺麗だったし、身長こそ低かったが輪郭のしっかりした姿勢は、ある種の精悍さも感じられ、社内では結構人気が高かった。しかしこの女、なぜか私には徹底的に楯突くと言うか、逆らうと言うか・・・の態度で、同じように地方出身だからと思い、親近感を持っていたにもかかわらず、私の企画には必ず反対し、他の社員にはにこやかなのになぜか私には「ふんっ」と言った感じで、振り向いて去っていくとき、後ろに結ばれた長い髪が私の眼前をよぎる瞬間、その速度にまで憎しみを感じるほどだった。勿論、私が彼女にセクハラでもしていたのなら、そうした態度もやむなしだが、そんなことは無く、何か気に障るようなことも言った記憶も無かったが、出向でこのデパートに来ていた期間を通して、結局彼女とはいつも対立と言う手段でしかコミニュケーションが取れなかった。 やがて私は生まれ故郷にある本社の経営が悪化してきたことから、北陸へ戻ることになり、それを機会に独立したが、東京から帰って1年半ほどのことだろうか・・・・、1本の電話がかかってくる。 彼女はこの地域の景色にはどこか溶け込んでいなくて、ベンチに座っていてもすぐに分かったが、下を向いている姿は昔よりは少し輪郭が弱くなっているように感じた。 ちょうど昼食をとっていなかったので、私は彼女を誘って馴染みのレストランに入って定食を頼み、彼女も同じものを頼んだが、こう言うところはやはり仲が悪かったとは言え、その職業人らしい「気の短さ」だ、食事のオーダーは同じものを頼めば早くなる・・・、時間の無い者の考え方だった。 彼女の話は衝撃的なものだった。 そして、彼女は私に「ごめんなさい」と一言、それに対して私は「なぜ」と答えたが、私が本当は彼女のことが好きだったと言うと、顔を上げた彼女の顔は一瞬でバラの花が咲いたようになり、自分もそうだった、でも私が長男でいつか帰ってしまうことを知ってから、そのことで物凄く腹が立ち、ずっと反発していた・・・と語った。 彼女らしい「かたのつけかた」だが、これから先、土建会社を仕切るのは大変なことになる、ましてや彼女は女だ、その道はとても険しく、失敗するかもしれない、でも彼女はそれに命を賭けるつもりなのだ。 こんなことがあって翌年、彼女が私に仕事を頼んできたので、それが仕上がったとき様子を見に行こうと思った私は連絡を取り、米沢の近くの駅で待ち合わせたが、そこへ迎えに来た彼女は何とグレーのベンツを運転していた。 彼女はその後ほど無く結婚し、子供が生まれたが、今度は婿殿を社長にし、自分は専務になってこれを支える形にしたようで、業績も順調だったらしく、それから年に1度くらいの割合で私のところへも仕事が来たが、以後は仕上がるとこちらから送ることにして、直接会うことはなかった。 そして今年のお盆、8月16日、突然彼女から10年ぶりくらいに電話がかかってきた。 私がまだ相変わらずの小規模超零細企業をやっていることを話すと、そんなの早く辞めて、どこかパートにでも出れば余計楽になる・・・などと言ってもいた。 男と女のこうした関係とはいいものだ・・・。 青い空は少し哀しい・・・、そして私はいつも辛いときは心の中に緑の草原をイメージする、風に吹かれて1人で立っている姿を思い浮かべる。 |