「強度の危弱性」

 

「砥の粉」の産地で歴史が有るのは京都山科だが、元々砥の粉はこれを水で溶いて木材などの表面を拭くと、木材が白く見える、或いはその表面のきめが細かく見える事から建築などに利用される部分が多かった。

それゆえ大きな木造建築物が集まる周辺には砥の粉の産地が隣接していた経緯があり、また砥の粉は比較的日本各地に点在している資源でも有る。

この事から漆器生産に砥の粉が導入されて行ったのはごく自然な成り行きとも言え、漆器発生段階の早い時期から砥の粉はその下地材料として利用されてきた。

一般に漆器の強度はその塗膜の厚みと反比例の状態に有る。

つまり素地で有る木地から塗装膜外部表面までの距離が長くなればなるほど剥離確率が高くなるのであり、本体、躯体が木製で有れば基本的にこの表面硬度を越える強度や硬さは漆の完全乾燥と共に、常に温度や湿度によって微妙に動いている素地に引っ張られ、ここから亀裂が発生する可能性を増大させる。

この事から砥の粉が多く含まれる漆下地を用いる技法は剥離、若しくは角の欠損に対して強度が無い。

しかし砥の粉を多用した下地の利点はその研磨成形の容易さであり、シャープで鋭利な形状の角や繊細な装飾造形には適しており、この点で予めそれが使用者に理解され、強度よりも繊細さや美しさに重点が置かれた京都漆器の発展は、利用者が高貴な身分で有った事、民衆に美しさに対する理解が有った事が重要な背景と言える。

そして漆器と言えば塗る事だけを重要に考えるが、成形と言う観点から言えば「研磨成形」の重要性と、塗ることの重要性は車輪の両輪の関係にも等しく、それは日本刀などの刀を鍛える場合でも鍛治が刀を鍛えただけでは刀にならない、そこに研ぎ師がいて初めて日本刀となるのに同じである。

ゆえ、刀の研ぎ師を名乗った「本阿弥光悦」(ほんあみ・こうえつ)では無いが、漆器で究極を目指すなら、研ぎ研磨を征してもその半分を征する事になるのであり、漆器は多くの技術が集まった総合的なものである。

何か一つの技術が秀でていても、それは結局他の技術の支障にしかならないかも知れない。

漆は一点技術ではなく複合技術で有り、ここに木製の椀が有ってこれに強度を欲する時、一番最初に強度の強い生漆原液を塗ると良いように思うかも知れないが、生漆を何度も塗り重ね、その上から上塗りをする、つまり下から上まで全て液体の漆で仕上げる場合はこれでも良いが、途中の下地で砥の粉成分、或いはこれの加工下地粉末を混ぜたものを使用した場合は、密度の不均衡から剥離確率が高くなってしまう。

つまり生漆目止め加工は万能に強度を保障するものではなく、使い方を誤るとその事が漆器の強度全体を低下させる場合も出てくるのであり、堅牢さに気を取られ闇雲に力を求める事は、強靭な体を鍛えても心が脆ければ、その人間がやはり脆く弱い事にしかならないのに同じである。

「夏の器」

塗師屋(ぬしや)と言う組織には「筆頭職」(ひっとうしょく)と言う立場が有って、これは通常ならその塗師屋の一番弟子で、修行期間である年季明けが終わった者が、他の塗師屋でも働いて経験を積み年齢を得て、もとの塗師屋で指導的立場に有る、商家で言えば「番頭」の立場に有る者を言う。

だがもしその塗師屋が創業間も無い時は、暫定的にその家の一番弟子の年季明けが終わった時点で、事実上の筆頭職になる場合が有り、筆頭職は親方の次に権威を持っているが、高齢の筆頭だと時には若い親方の指導も兼務している重要職となる。

春3月、まだあちこちで雪が残り、細かく冷たい雨が降っている日だった。

年季明けが終わって間もない私は一番弟子だった事も有って、暫定筆頭職になっていたが、そこへ一人の、30代半ばくらいだろうか、ジャンパー姿の男性が訪ねてきた。

だがおそらくその男性は言語に障害が有ったのだろう、言葉は途切れ々々でしかも発音もしっかりしない。

そこで私は紙とマジックを持ってきて、それで筆談する事にしたのだが、彼は輪島塗の下地職人で、今現在解雇されて仕事が無くて困っている事、障害者である事を紙に書き、つたない発音で「何でもします、どうかここで雇ってください」と何度も何度も自分より年若い私に頭を下げるのだった。

オイルショックか何かでとても景気の悪い時だったやも知れぬが、さすがに人を雇う事に関しては親方の範囲である事から、彼を事務所に待たせて親方に相談に行ったところ、親方は自分が直々対応すると言って事務所まで来ると、「済まない、家も景気が悪くて今は人を雇えない、本当に済まない」と、その職人に頭を下げた。

藁にもすがらんばかりの職人は更に悲しそうな顔になり、そして来た時と同じようにつたない口調で「分かりました、ありがとうございました」と言い、また冷たい雨の中を去って行った。

現在漆芸技術研修所に入所する者の中には美術工芸大学を卒業後入所している者、又は漆器が好きで頑張っている者が多い。

そして若い人や、それを支援している塗師屋も頑張っている事や、やる気が有る人が評価されているのは、それはそれで悪い事では無い。

だが「夏の器を作りました・・・・」と言うお洒落なダイレクトメールなどが送られてくると、私は何故かあの冷たい雨が降る日の男性の事を思い出してしまう。

私は今もガックリ肩を落として去って行く、あの男性の後姿を見送りながら、親方と2人で「済まない」と謝り続けているのかも知れない・・・・。

 

 

「視覚認識数」

「Harvard University 」或いは日本で言うなら東京大学 でも良いが、その国家の最高学府の単位を取得した者が常に優秀であるとは限らない。国家の最高学府は一つの篩い(ふるい)に過ぎず、人間社会の一つの定規による個人の評価である。

一般生物の記憶形成に措ける仕組みでは、パーソナルコンピューターに例えるならアプリケーションが誕生時に形成されているものの、その後は周囲の社会環境を加味して誕生後急速に形成され、人間を始めとする生物は社会文明と言う仮想システムと、地球や自然と言った現実、それに宇宙が持つ自己相似性と、それが分布する逆べき分布の中に有って、従ってマクロ的には個人差は確かに存在するものの、基本的には同じ原理の中に有る。

輪島塗職人になる為の資格はかろうじてでも良いが名前を書ける事、そして数が何とか50まで読めれば、それで事は足りた。

これは徒弟制度の原初、事業者である「塗師屋」(ぬしや・漆器製造販売元)代表の親方が、雇用する個人の教育を含めて責任を持つからだったが、日本が昭和と言われる時代に持っていた「終身雇用」の概念はこれを背景とし、尚且つこの就寝雇用の精神基盤は武家制度が持つ「封建思想」に支えられていたものと言う事ができる。

すなわち輪島塗りのみならず、日本の徒弟制度はある種日本の雇用制度の精神的指針だった訳で、ここでは事業主体者である「親方」には封建制度の指導者に必要とされる「帝王学」と同じものが必要だった。

彼には人の指針となる素養が必要だった事になるが、こうした素養は大学などの学府で学べるものではなく、人間関係の実践に置いてしか身に付かない。

10代前半で名前すら書けない子供に文字を教え、人として生きていく術を教えていくと言う点では、これは古い時代の大工の棟梁も同じ事だが、「親方」は小規模な「学府」機能も持っていたと言う事になる。

数を認識する概念は数字によるものが最も一般的だが、輪島塗の世界では「容量測」と言う仕組みが存在した。

これは10代前半でしかも数が読めない子供が弟子として入門してくる事から、凡その数を容量で認識する方法であり、極めて位相幾何学的な部分を持っている。

特定の大きさの竹篭や木製の箱に入る椀などの数は、大体しっかり詰めれば同じような数しか入れることが出来ないが、弟子を指導する職人はこの籠に一杯椀が入っていれば、その椀は100個有る、この木の箱だと80個と言う具合に数字を名詞として、或いはラベルのような概念で教えていく。

そして数の読めない弟子は箱一杯の椀を80個と言う名詞に近い概念で認識し、やがてそれが数の概念の入り口になり、最終的には数が読めるようになって行ったが、そうして弟子に数を教えている職人もまた、「親方」から同じ方式で数を教えて貰っていたのである。

同様に椀や皿などを塗って乗せる「手板・ていた)と言う細長い板、これでも例えば煮物椀などの大きな椀なら4個、吸い物椀などの通常直径の椀なら5個と言う具合に、乗せられる数が決まっていて、この手板に乗せられる数が凡そ決まっているなら、それが乾燥用の「塗師ふろ」に満載で入れられた時の数は、椀の種類とどのくらい入っているかの目測に拠って数量認識が可能だった。

ちなみに手板(ていた)の寸法は昭和40年(1965年)以前の寸法より、それ以降の寸法は幅で20mm程、長さで40mm程大きくなっている。

これは主に木材価格の下落が起因しているが、塗り師の道具に措いても必要最低限から少しばかりの「心の余裕」が出てきたと言えるのかも知れない。

そしてこうした容量測の有効な面は視覚に拠る感覚的判断、つまり「勘」を鍛える点に有り、数学の計算などでも式を立てて計算して答えを出す方法が一般的だが、世の中には数字の配列を見て視覚から答えが浮かんでくる者も存在する。

或いは原初の人類は視覚から感覚的に数を概念していたのかも知れず、こうした事を考えるなら、容量測と言う一般的には曖昧な数字の概念も大変奥深いものを感じるのである。

 

「紙と漆の関係」

紙の躯体で漆器を作る場合、漆を塗る者としてはどうしても完全に水の浸入を防ぎ、そしていつまでもそれが漆器で有り続ける事を考えてしまうが、この世界で永遠に存在し続ける物など有り得ず、木製の漆器でもその使用頻度によっては1年とその形を維持できない場合も有り得る。

人間の防御とか防衛の考え方は、それが水で有るならどこかでダムや堤防などを築いて完全にこれをくい止める事を考えるが、有史以来これまで世界で洪水が出なかった年は無く、そもそも人体ですらその成分の60%が水である。

つまり人間は自分より歴史の有るもの、より莫大な力を持つものを制御しようと考えているのであり、この場合に訪れるものは力の集約と言う事になるが、この力の集約に頼っているとその事が更なる大きな危機を招く事になる。

完全に防御しようと言う思想は、小さな危機を溜め込み、いつしか大きな危機にそれが成長している事を忘れさせ、そこへ大きな危機が訪れる事になる。

その良い例が戦争であり、石つぶてや槍で戦っている間はまだ人類全体の危機にはならないが、これが根拠の無い恐怖心から発展し、やがて弾薬、ミサイル、核兵器、水爆などとなって行ったとしても、ではこれで恐怖心が無くなったかと言えば、更なる恐怖心に見舞われるのである。

小さな危機に対して完全防御を考える事は可能だ。

だがその小さな危機の防御は未来を不確定にする要因になり、次にはその危機が既存の防御システムでは対応できなくなる。

この連鎖を繰り返す事の恐ろしさはウィルスに対する人間の在り様にも等しい。また防御は力の集約で有る事から、そこで一番力の有るものが他の特性を抑制してしまう事になる。

冒頭の紙の躯体に漆を塗る場合でも、漆で完全な耐水性を得ようとするなら、そこに躯体が紙で有ることの必要性を失わせ、地球上にあまねく存在する水分子を敵に回してしまう事になるのである。

自分が地球でどんな位置にいるのか、また紙の特性と水の特性は何か、その中で自分をどう活かせるか、つまり己が紙の中で、水の中で何が出来るかを考えるなら、そこに防御の虚しさ、無意味さを知る事になるだろう。

紙で有るがゆえに、それが木製の躯体で出来ているもの以上に水を恐れ、それを何とか食い止めようとする。

しかし物が崩壊していく事は自然の摂理であり、水を恐るあまりこんな自然の摂理すら忘れて血眼になって耐水性を考える必要はない。

水で紙が崩壊していく事は紙と水の特性であり、では漆がこれに何が出来るかと言えば、少しばかり壊れにくくなる程度と言う事になろうか・・・。

これが自身の生活を維持する為、利益に追われている製作者によって歪められると、「絶対壊れない紙の漆器」と言う無意味なものを作らせてしまうのである。

「非合理性の造形力」

物には例えば同じ物、同じ道具でも重さの違いが有り、この重さとは重量では無く見た目の重さを言い、その因するところは「非合理性」の含み具合いと言うことになろうか・・・。

狭義の基本的な酒器を指した場合、それが伝統的な形式を鑑みて作られた物で有っても、明治時代に作られた物と平成の時代に作られた物では、同じ形で有っても相違が出るが、この原因はひとえに「人の数」の差である。

つまり、その時代その環境に何人の人がいたか、どれだけの家族が平均の家族数だったかによって物は見た目の重さを違え、これはあらゆる伝統工芸、工業製品を問わず同じ傾向を持つ。

7人が住む家族で使う一般什器(雑貨器)と2人家族で使う一般什器は、基本的に市販品で有れば同じものを使う。

7人家族だったとしても茶碗の大きさが倍になっている事は無く、大変な富豪で有ったとしてもそれは変わらない。

しかし同じものを2年後に比較してみれば、7人家族の家で使用されていた茶碗は少し重く感じ、2人家族が使っていた茶碗は僅かに軽く感じる。

面白いものだが、物の持つ重厚さとはある種の傷み具合で有ったり、汚れ具合であると言う事になり、これを能面などの製作過程で言うなら、美しく白く磨きあげた面(おもて)にわざと煤けた感じの汚れを拭く、(時代がけ)の作業に見ることができる。

また冒頭に出てきた「非合理」だが、これもまた汚れ具合と同じものであり、明治時代の生活環境では今の時代なら電気や機械、あらゆる家電製品が行なっている作業を人が行なっている訳であり、ここでただ廊下を歩くに付いても、その廊下がその美しさに保たれている事に要する人的労力は平成時代より明治時代の方が遥かに大きい。

従ってそこで使われる器物は多くの人間の労力が携わる事が前提、或いは多くの人間が携わる事が一般的な社会で作られることになり、ここで同じ様式の同じ伝統的な形であったとしても、僅かに曲面が変わったり、絵柄が変化してきたりと言う事が出てくる事から、その事が物の見た目の重さに影響してくるのである。

そして多くの人間が携わると言う事は、その人間が生きている事に付いて必要とされるあらゆる物や人が背後に控えていると言う事で有り、それは姿なくとも物の形に重さを加えている諸因と言え、ここ平成に至り明治時代には人的労力だったものが機械や電気に変換された現実は、かつての人的労力を「非合理」、或いは「無駄」と言う形にしてしまい、これが失われた分だけ平成時代の物は軽く見える。

一般的に「合理性」とは何かに対する比較状態で有り、ここに絶対性は無い。

それゆえ「合理性」の本質は時間やその時間を金銭に換算した場合の事を指すので有って、一方では何かを失った状態とも言え、実は人間の感情はこうして失ったものを求めてさまよっている部分が有る。

誠意、心、気持ちとは何だろうかと考えるとき、人々は皆で「合理性」を唱えながら、その根拠を合理性の対極にある「誠意」や「心」、「気持ち」と言った「非合理性」に求めているのであり、これらは冒頭の明治時代の人的労力など、形無きものによってしか、尚且つそれをそれと実感できないものの中にしか存在し得ないものである。

にも拘らず人間はそれを形として求める為、現代社会は本来形無きものを言葉で表そうとして、より巧みな言葉をして物の重さを、或いは権威をして物の重さにしようとしているが、基本的に物の本質的重みは言葉や説明では担保されない。

また太平洋戦争後の世界は物の重みを映像によって表現しようとしたが、映像の表現はその映像が存在するだけに言葉より更に多くのものを合理化してしまった。
映像は言葉よりも物の重みを軽くしてしまったのである。

「物」はその時代を映す鏡のようなものであり、ある種その時代の象徴とも言え、これはあらゆる芸術作品、工業生産品、食品や著作物も同じである。

社会が混乱し意味ある言葉が全て失われた今日、物の形もまた不安定な状態になって行きつつある。

世の中にそれほど多くの優れた形は存在していない。

造形や芸術は常に人間の意識と同じように比較と相対、従属の循環に有って、このサイクルの中で長く留まる物の形こそ良い形と言えるが、社会が不安定になり、目まぐるしく変化していると、芸術や物の形も変化が激しく、そこに存在するものは比較上の映像的な変化にしか過ぎなくなり、殆どの物が実情の生活の中では必要のない物となっていく。

デフレーションの原因、その最大の原因は金融政策に有るが、その一方でものが売れない事を「必要が無い物を作っている」ところに求める者は少なく、これを伝統や文化、或いは付加価値と考える事は怠惰である。

またこれまでの時代は「時間」を価値と考えられてきたが、その時間の為に人間は更に時間に追われ、今や家族が語り合ったり、夫婦がときには2人だけの場を持つことすらままなら無くなってしまった。

飯を炊くのにかまどで火を起こし、水を汲みに行っていた時間を

無駄だったと思うか・・・。

客の対応、苦情処理、または打ち合わせに会議、それらは生産だろうか・・・。

まだ少し先の未来かも知れないが、世界は時間の概念を少し考え直さなければならない時期、或いは釜戸で飯を炊く事が現在やっている仕事より大きな価値観になっていくような、資本主義の次に来る概念の扉の前に立っているのではないだろうか。