「石鹸をください」

「おーい・・・、石鹸はどこだ」洗面所で顔を洗おうとしていた吉田喜平さん(仮名)は妻のふみさん(仮名)を呼ぶが、ふみさんもやはり首をかしげるばかりだった。

「どうしてこうも毎回石鹸が無くなるんだ」
喜平さんは釈然としないまま、また新しい石鹸を出したが、吉田家ではここ1年ほどこうしてたびたび石鹸が無くなっていて、まあ石鹸ぐらいのことだから大騒ぎして近所に迷惑がかかるのも・・・と思い、黙ってはいたものの何となく気にかかる毎日を送っていたのだった。この日も前日喜平さんが自分で新しい石鹸を出したのに、もう無くなっていたのでこうして騒いでいたのだが・・・、「おかしいとは思わんか・・・」そうした2人の会話を聞いていた喜平さんの母親がポツリとこぼした。

「何となくいつも2の付く日に石鹸が無くなっているんじゃないか・・・」と言うのだ・・・、言われてみれば確かに今日は11月12日、「加代子はもうこの世におらんのかも知れんな・・・」喜平さんの母親はうつむいて呟いた。喜平さんには加代子(仮名)と言う娘がいたが、どちらかと言えば外交的で派手好みの加代子さんと喜平さんの母親、つまり加代子さんにとっては祖母になるが、2人は普段から折り合いが悪く、加代子さんは行儀作法にうるさい祖母に対し、とても反抗的だった。

当事加代子さんは高校1年生だったが、よからぬ男との付き合いが始まり、学校から指導は受けるは、夜遊びで帰宅時間が遅いはで、ある日ついに朝帰りした加代子さんに激怒した祖母は「あんたのような子は家の恥だ・・」とまで言ってしまう。

翌日加代子さんは家出・・・、八王子の伊藤と言う家でお手伝いとして住み込みで働くことになったのだが、ここまではこの伊藤家の人が気遣ってくれて喜平さんたちに居場所を連絡してくれていて、気が変わったらまた高校へ復帰できるように・・・と言ってもくれていた。
しかしここでも彼女は余り素行の良くない男と知り合い、毎晩のようにその男とバーへ遊びに行き、ろくに仕事もしないばかりか頻繁に朝帰りを繰り返し、伊藤家へ来て3ヶ月目ぐらいだろうか・・・、未成年と言うのに酒に酔って朝帰りをした加代子さんを、伊藤しずえさん(仮名)がたしなめたが、それを根に持ったのか翌日になると、加代子さんは実家へ帰ると言ったまま行方不明になってしまったのである。

そしてここから先は、捜索願に基づいて捜査した刑事が調べた加代子さんの足取りになるが、その後加代子さんは男と遊びに行っていたバーでホステスとして働いていたが、この店で働いていたのは7ヶ月、結局加代子さんはこの店の支配人と関係ができてしまい、この支配人の内縁の妻が同じ店でホステスをしていたことから、関係がばれて店を追い出されてしまったらしかった。

それからの加代子さんの行動は随分華々しいものだが、立川の繁華街にあるバーでまたホステスとして働いていて、ここでは約3ヶ月しかいなかった割には人気があったと言うことだった。
「彼女はどんな客にも恋人になったふりをするのがうまかった・・・、男出入りも相当なものだったんじゃない」と話すのは当時彼女と一緒に働いていたホステスの談だ。

その後、新宿花園町にあるアパートを借りた加代子さんは、新宿のバーでホステスとして勤務し始めるが、「彼女は若かったけれど、彼女に付いている客は多かったですね・・・、日野、八王子、立川方面からきたと言う客が多かった・・・」と店のバーテンやホステスが語っている。
「どういう関係だったんですかね・・・、彼女の客同士が店でカチ合わせになって、酒が入っているもんだから、喧嘩になったこともありましたね」と言う話もあった。

そしてその年の12月12日のことだが、加代子さんは午後3時過ぎ、銭湯に出かけ、4時には帰ってきていたが、それから身支度を整えると、4時30分にはアパートを出て少し早いがいったんバーに顔を出した。
だが外から男の声で電話が入り、「ちょっと出かけてくる」と言って店を出た。
これが彼女の最後の姿となった・・・、加代子さんはそれから消息が分からなくなり、持ち物から身元が分かって家族に連絡されたが、昨年の夏休みに家出してからここまで1年4ヶ月・・・、これが加代子さんの足取りだった。

それから1年後の12月12日、ちょうど喜平さんの母親が「2の付く日に・・・」と言っていた日から1ヵ月後のことだったが、朝食を終えて畑仕事に出た喜平さんは近くの丘陵地で土地の造成作業が始まったことを知り、同じように畑仕事に来ている近所の男性と話をしていたが、その作業現場で何か起ったらしく、急に騒がしくなったことに気づいた。
「何かあったのかのう・・・喜平さん、騒いでいるのはなんでやろ」近所の男性が声をかけてきた・・・、2人はクワを置いてその造成地へ向かって歩き出した。

野良犬が盛んに吠え立て、あたりは騒然となっていたが、喜平さんたちはその中でヘルメットをかぶった作業員に声をかけた。「何の騒ぎですかの」そう問いかけると、「死体が出てきたんだよ、それも若い女の死体が・・・」その作業員は警察に連絡するんだと言って、息を弾ませながら駆け出していった。
何となく胸騒ぎがした喜平さん・・・、急ぎ足でその現場へ行ってみると、なるほど人間の形をした塊がそこには転がっていたが、死体とは言ってもミイラみたなもので、泥ではっきりしなかったが、確かに顔は若い女だった・・・、しかもそれは加代子さんだったのである。

警察ではこの死体を鑑識に回したが、水で表面の泥をを除いた検証医は腰を抜かした。
なんとその死体は石鹸状になった若い女の「死ろう」・・・、つまり人間の形そのままで表面から中までロウソクのロウで固められた状態の死体・・・、これがロウの代わりに石鹸で成されていたのである。
いかに検証医と言えどもこんな死体を見たことはこれまでに1度もなかった・・・、第一「死ロウ」現象自体が、土葬死体や犯罪によって土中に埋められた死体全てのうちで、何百万件に1件有るか無いかの珍しい現象で、それがロウの代わりに石鹸ともなれば、こんな完璧な状態の死体など、どんな文献でも知られていなかったのである。

この死体は加代子さんに間違いはなかった。
そして他殺らしいことは推測できるが、犯人は不明・・・。
加代子さんはどうしてこんな実家に近いところで埋められていたのだろう・・・。
また喜平さんの家から石鹸が無くなっていたのは、加代子さんが石鹸を欲しがったからだろうか・・・。

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T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 最初、石鹸が無くなる・・カラスに盗られているのかなぁ、と思っていたら、ちょっと違った展開でした。
    加代子さんはどうして仕舞ったんでしょうか。お気の毒なことでした。
    日野、八王子、立川方面と言えば、今は準地元なので、里の方は分かりませんが、リアリティを以て想像されます。
    今の昭和記念公園およびその周辺は40数年前まで米軍の立川基地でしたから、20年ぐらい前までは、その残骸が沢山有ったようでした。自衛隊の短い滑走路の飛行場もあります。
    今は横田基地に移転して拡大しておりますが、通常は輸送部隊が居るようですが、偶に多分第七艦隊の艦載機が飛行訓練をしています。
    立川に今でもその名残の飲食街が残っていますが、横田の傍は、今でも基地の街、という感じです。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この話は昭和30年代の話なのですが、この時代若い女の扱いは随分雑なもので、戦争で男性が失われ、女性が多くてしかも貧しい、それゆえ女の価値が低かった事を感じます。しかしそれからはや60年、日本の女性の地位はこうした時代から比べると格段に上昇し、今や男性よりも高い価値を築いているだろうと言う気がしますが、その割には毎日女が殺されない日は無く、その動機も非常に軽薄です。思うに始まりと終わりは大体同じような傾向に有るような気がして、そしてこうした女の扱いを見ていていても、何となくこの国の終わりが近付いているような気がしてしまいます。

      お住いの近くでしたか・・・。
      この話は多分近親者か、彼女の身近な者に拠る殺人事件だっただろうと思いますが、こうした犯罪に中にも人間模様が有り、そこはかとない風情を感じられ、その分現在発生する犯罪の底の浅さ、人間の浅さを思う訳です。元々私はどこからどこまでが本当で、どこからが虚なのか分からない話が大好きだったので、また時々怪しい話の大家を目指してみようかと思います(笑)

      コメント、有り難うございました。

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