「冤罪はかくて作られる」・Ⅱ

この裁判、恐らく上村勉被告人の証言がぐらつき始めていることを考えると、検察側は控訴できないだろう。

唯一の証拠である上村被告の供述調書が信頼を失った現在、作られた罪は元の「無」に戻ったのであり、事実上これで村木厚子氏の無罪は確定になると考えられるが、こうした現実の一方で今回の裁判が社会にもたらす意味は大変大きなものがある。

言うなれば少なくともここ30年から50年、場合によってはもっと長きに渡って、これから司法のあり方が変化していく、その分岐点ともなった裁判であることを、私たちは認識しておかなければならない。

本来裁判のありようとして、特に刑事訴訟法では、罪はその公判によって浮き彫りにされるのが正しいありようと言うものであり、検察の供述調書などいわばその他多くの証拠の1つ、場合によっては参考にする程度のものでしかないことが法的にも定められているが、これまでの裁判ではいかにこの供述調書が偏重されてきたことだろう。

事実上裁判所は供述調書、自白調書を決定的な証拠としてこれまで裁判を行ってきたが、これは現実には裁判の独立を放棄し、またその義務に対して怠惰であったことの証明でもある。

裁判の実態は、捜査のプロである検察が調べたものはまず間違いが無いだろう、では判決は・・・、と言うケースが殆どだった訳で、この意味から言えばこれまでの裁判は検察で大まかな判決が出て、裁判所がそれを追認すると言う形でしかなかった。

刑事訴追を受けた被告の裁判では、第一審がほぼ100%有罪になるが、これでは審理を尽くしているとは到底言いがたいものだった。

だが今回の判決で、裁判長は検察当局の供述調書を完全に否定し、同じ事情を知る立場にある、つまり関係者の一人が供述した調書には証拠能力が無いことを明言したのであり、かつ検察のシナリオを供述者に押し付け、そこから半ば脅迫や騙しで得られた調書には証拠能力が無いことを示したのである。

これは当然といえば当然のことだったが、長らく慣例化したこれまでの司法制度の中では、こんな当たり前のことすらも動かすことが出来なかった。

しかし今回の判決を見る限り、国民が裁判員制度で裁判に参加すると言うことが、従来からの裁判の有り様に少なからず影響を与えたのは事実だろう。

慣習化し馴れ合いになっていた検察と裁判所の関係の中で、少なくとも常識的な民間の感覚が、歪んだままになっていた裁判所に、「これではいけない、司法の中心が検察では無く裁判所に有るのだ」と言うことを自覚させるものとなった結果が、今回の判決であるように思える。

またこうした事からこれまでの裁判、検察、民衆のあり方を考えると、一つの流れとして1976年、田中角栄元総理が逮捕されたロッキード事件に端を発した国家権力や、強大な経済力に対する不信感と言うものは、その後1990年代初頭に始まったバブル崩壊で、完全に反転したものが正当化される風潮を生んでいったように思える。

即ち解決の付かない経済の落ち込みに対して具体的解決策が無いことから、政治家は離れたディテールをして自己主張するしかなくなって行った。

誠実であること、優しい事、クリーンであることは決して政治家の要諦ではないが、強権、金権に対して政治家はその身なり素性の潔白なことをして自己の価値とし、また民衆もこうした政治家のありようを求めたが、一方でこの状況は1789年に始まったフランス革命後の恐怖政治の様相、1976年に終結した中国の「文化大革命」時の民衆の有り方に酷似している面があった。

つまり社会が魔女狩り的に大きな資本や、強大な権力を悪とする風潮にあって、これが1993年、この年の12月16日には奇しくもロッキード事件の田中角栄元総理が亡くなっているが、ここから更に細部の権力に対してまで、民衆が目を光らす傾向になって行った。

つまりは落ち込み疲弊する経済の中で、民衆の中から「平等」と言うものに対する価値観の偏重が生まれ、事実上僻みでしかないものが、正当化される社会となっていく。

そしてこうした社会の変化の中で、微妙に影響を受けた検察庁と言うもののあり方としても、民衆世論を意識し始め、これに迎合するかのように「利益を出している者」「大きな権力を持つ者」に対する疑惑観念が芽生えてきていた。

その流れの今日的な一つの結果が、民主党小沢一郎代議士の政治資金疑惑だったが、どうにも小沢氏は責めることが出来ない。

そこで同じ権力ならと言う思いが、今回の村木厚子氏に対する事件捏造に繋がった思いがするのである。

だからこれはある種今の民衆が望むことに対して、社会の風潮と言うものに対して、微妙に影響を受けてしまった検察の勇み足だったと言う側面も持っているように感じるし、またこうした経緯から裁判所が裁判員と言う新制度を意識したがゆえに、これまでの検察捜査のありようを否定すると言う、つまりは国家に対して相対的に力を増し始めてきた民衆の功罪が、一度に噴出したものでもある様に感じるのである。

その上で裁判所は「権力の座にある者は全て悪とは限らない」と言う判決を出したのであり、このことは少なくとも私の思いとしては、これまで支配的だった民衆の平等意識や、ロッキード事件以降続いてきた「大きな者に対する悪視感」が変遷して来ているようにも見えるのである。

村木厚子氏に対しては「長妻昭」厚生労働大臣が、検察の控訴がなければ、しかるべきポストでの復帰を約束しているが、同氏が失ったものは限りなく大きく深いことだろう。

一刻も早い復帰を希望するとともに、私はこの裁判を大きな節目として、生涯この村木厚子と言う女性の有り様を忘れないし、また大阪地裁のことも忘れないだろう・・・。

※ 本文は2010年9月12日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

 

 

 

「冤罪はかくて作られる」・Ⅰ

「被告人は無罪とする」

2010年9月10日、大阪地方裁判所第201号法廷、この法廷は大阪地裁で一番大きな法廷だが、ここで厚生労働省「村木厚子」元局長に対する判決が言い渡された瞬間、村木厚子氏はまったく表情を変えることなく静かに頭を下げ、それに対して傍聴席からは、夫の厚生労働省総括審議官「村木太郎」氏と25歳の長女、19歳の次女が何度も頷きながら拍手を送っていた。

この事件は旧郵政公社の障害者向け郵便物の割引制度を悪用し、全国からダイレクトメール発送代行を請負い、そこから利益を得ていた「凛の会」会長「河野克史」被告が元厚生労働省係長の「上村勉」被告から、厚生労働省が発行する「障害者福祉」団体であることを証明する書面の交付を受けていたことに端を発するが、まったく障害者向けの刊行物など飾りだけの実態しかなかった「凛の会」は、郵政公社の承認制度を悪用し、通常の郵便代金より安い料金で全国からダイレクトメール代行業務を請負い、そこで利益を得たとされるものだ。

そしてここで証明書発行を実際に行ったのは「上村勉」被告だが、事実上この書面は偽造されたもので、検察庁はこの事件について上村被告の上司である村木厚子局長の関与がなかったか、また組織ぐるみの構造だったのでは、はたまた「石井一」(いしい・はじめ」民主党参議院議員の口添えが有ったのではないかと言う、社会世論の憶測に影響を受け、村木局長の関与を疑い始める。

だがここで自分は文書偽造に関わっていた上村被告は、警察や検察の厳しい取調べの中で、検察が書いたシナリオに屈してしまったようだ。

「何もお前一人が罪を被ることはないんだぞ」

「しっかり証言してくれれば、こちらとしてもそれなりの温情も有れば、第一村木局長の指示なら、お前は仕方なくやっただけなんじゃないか、悪いようにはしない、この供述調書に判を押せ・・・」

連日続く検察の厳しい追及、その中で上村被告はついに検察の調書を認めてしまうが、その際上村被告はこうも調書メモに書き留めている。

「世に言う冤罪とはこうして作られるものなのか・・・」

かくてこの供述調書に基き、この事件は「石井一」参議院議員の口添えに配慮した厚生労働省が組織ぐるみに関与し、もしかしたらそこから見返りまで受けていたのではないと言う、極めて月並みな展開となって行ったのである。

だがこれに対して村木厚子氏は終始自分の潔白を主張し、これは一貫して変化がなかった。

私はこの村木氏を公判中も関心を持って見ていたが、彼女は立派だった。

今の日本人が一番恐れ、そして一番人を弱くするものに対して毅然と闘っている姿は、女性と言うものの強さなのかも知れないとまで思っていた。

この事件はこうして検察によって、一つの「悪」の構造の流れが出てきたが、しかし問題は大きく、村木氏が問われている罪を担保しているものは部下の上村被告の供述調書だけであり、ここでまず参議院議員の石井氏が「私はどこにも口添えなどしていない」と公言したことで、検察はあわてて村木氏の自白を得ようとしただろうが、こうした状況にも村木氏は屈しなかった。

経済用語にもある「囚人のジレンマ」とはこのようなときに出てくることだが、被疑者Aと共犯の被疑者B、この2人は完全に黙秘すれば無罪になるが、取調官によって、「自白すれば罪を軽くする、だが黙秘して被疑者A、B、のどちらかが自白した場合は、黙秘を続けたほうの罪を重くする」とした場合、Aが黙秘を続けたくてもBが自白してしまえばAの罪は重くなり、Bが黙秘を続けたくてもAが自白してしまえばBの罪は重くなることから、それぞれが恐れを抱き、この恐れに対するリスク回避の為にAもBも自白してしまうケースがあり、この場合2人とも黙秘すれば罪が問えずに無罪になるものを、所詮罪を犯している事実から、2人とも相手を信じられなくなり、相互が自白してしまうと言うことがある。

そして人間とは弱いもので、このパターンでは殆どの者が自白していくことになるが、ここでも例えば2人が共犯で、2人しか知りえない情報や事実が有ったとしても、片方が「自分はやっていない」と言えば物証が無い限り厳密には罪に問うことは難しくなる。

だからもし村木氏がこうした検察の取調べの中で、上村被告と同じ事を検察から言われても、絶対従わなかったとすれば、完全に潔白だった、若しくは自分がそれを信じて疑わないだけの根拠があると言うことなのである。

またこの場合国会議員と村木氏に絶対的な信頼関係が有り、そこで相互が口を割らないと言うことも考えられるが、厚生労働省で局長にまで登りつめている人物である、「囚人のジレンマ」に一番弱いのは国会議員であることは既に熟知していただろう事を考えても、村木氏がその信条に措いて罪を意識してないことは明白なことだった。

この点では、上司の村木氏に罪を押し付ければ、自分が罪が軽くなると説得されてしまった上村被告の人間的な弱さと、検察当局の焦り、功名心が罪無きところに罪を作り、その事件を大きくしたとも言えるのである。

この裁判は3ヶ月ほど前、既に同じ法廷に措いて事実上の無罪判決の決定が出されている。

すなわち検察が提出した上村被告の供述調書に措ける信用性は、全く無いことが決定されていたのであり、前出の「冤罪とはこうして作られるものなのか」と言う上村被告のメモの方が逆に証拠採用されていた。だから9月10日の同地裁判決はその仕上げのようなものだった。

201号法廷で「横田信之」裁判長は静かにまた響く声で、当初読み上げ時間は3時間としたその最後、9月10日午後2時、村木厚子氏に無罪を言い渡したのである。

そしてこの判決にグレーのスーツに身を包んだ村木氏は、全く表情を変えずに頭を下げたが、判決後の記者会見では笑顔の中にわずかに涙を滲ませているように見えた。

彼女の意思の強さと、そしてこれまでの戦いの厳しさがそこからは感じられた。

「冤罪はかくて作られる」Ⅱに続く

 

※ 本文は2010年9月12日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

 

「頂き物の処遇」(保勘平流行儀作法)

行儀作法は伝統的な様式がある程度決まっているが、これはその時代毎に失われ、発生する思想を最も合理的、かつ調和を以て解釈しながら変遷していく経過を持つ。

それゆえ、その作法を支える基本的な思想や現実が失われた場合、伝統的作法が逆に一時的に非合理的、調和を持たない時期を生じせしめる。

既に日本の封建制度文化が否定されて70年以上経過した事から、各所で行儀作法も変遷してきているが、この変遷の部分は家元や宗主などが持つ知識的広がりを超えず、言わば権威を持った個人的解釈を元に、現代行儀作法が構成されている。

厳しい言い方をすれば宗主、家元の流れを汲む行儀作法が不作法になっている気がするので、以後私の居住地名を借り、これを冠した現時点での行儀作法の合理性、時代調和の在り様を考えてみたいと考え、「保勘平流行儀作法」(ほうかんひらりゅう・ぎょうぎさほう)を記録して行く事にさせて頂いた。

第一回は「頂き物の処遇」です。

基本的に相手の手に在る物は、相手がその全権利を有している為、扱いは着衣やその他バッグ、名刺などと同じ扱いをする必要があり、ジロジロ眺めたり物欲しそうな態度は厳禁だが、例えば名刺などは提示された時点での所有権は決まっていない。

「名刺は頂いても良いですか」と了解を取って、それが許諾された時点で所有権が移行する。

相手が以後の付き合いをしたくない場合、或いは証拠を残したくない場合、名刺は提示されても、最後に回収される可能性が残っているものだと考えるのが正しい。

同様に訪問してきた相手が手に持っている菓子箱は、その時点では自分が貰えるものだとは決まっていない事から、これに関心を持ってはならず、例え目の前に置かれてもこの段階では所有権の移行が為されていない。

慌てて礼を言って、それに手を出してはならない。

また人に物を贈呈する場合、人間的感情の交流を建前としなければならない事から、これが何らかの等価交換条件の為である事を伺わせる行動は交渉、個人的付き合いのどちらに際しても不利になり、状況に拠っては相手に失礼になる。

「物を持ってこなければ家に入れない、そんな狭了な人間と見られているのか」と、言う事にも為り兼ねない。

従って人に物を贈呈する時は相手の家や部屋に入り、時候の挨拶と訪問目的を告げた後手渡すのが最も合理的になる。

玄関などで手渡すと、相手は自分の案内と頂き物の処遇を同時にこなさなければならなくなる事を考えても、慌てて手渡すのは理に適っていない。

尤も、自分が持っている菓子箱に関して相手に気を遣わせない為、早めに手渡すと言う考え方も有るが、これはこれでその相手と言うのは来客が持っている菓子箱1つで心が揺れる事を前提としている為、大変失礼な考え方と言える。

贈答品を風呂敷などに包んできた場合は、必ず自分で風呂敷を開いて手渡し、風呂敷はバッグにしまうか、或いは右側後方に置くのが良い。

これは何故か、日本人は右利きが多いので、右側に置けば忘れてしまわないからである。

一般的に利き手反対側に対する人間の注意力は薄い。

さて、こうして所有権が移転する菓子箱だが頂く際、「このようなお気遣いは以後なさらないでください」くらいの形式謙譲表現は必要であり、贈る側も「つまらないものですが」と言う謙譲は必要である。

ひと昔前「つまらない物を私にくれるのか」と言う考え方、どうせ形式的な事なら謙譲の言葉は無意味と考え、素直に「どうぞ」「有り難うございます」が正しいと言う者も存在したが、この考え方は20年前の価値観である。

現在60歳以上の年代はバブル経済を経験している事、更には色んな経験を積んでいる事、残された寿命の関係から「途中経過」を面倒に考える傾向が有るが、こうした多くの者が先の見えない時代では、逆に形式上謙譲は一定のクッションとなり、強硬なイメージや独善的なイメージを払拭する効果を持つ。

現代社会の労働従事者年代、若者の感性は空白の30年の最中に生まれた者、この30年の世界の中で暮らしてきた者が多い事から、強硬さや力強さを敬遠する。

自信が無い事を普通にし、常に上手く行かない経験しかない者が圧倒的に多い。

現在60歳以上の年代、主に団塊の世代とこうした実労働者年代の基本思想は全く逆の関係にある為、謙譲表現は少し過ぎた部分のマイナスと、大きく足りないマイナスを比較した時、マイナス部分が少なくなると言う意味での消極的肯定となる。

そして頂いた菓子箱などは、どこに置くかだが、できるだけ頂いた人から離れた所で、その部屋の中で一番格式が有る所にもっていく。

この事で所有権の移転が間違いなく行われた実感が出るのであり、いつまでも目の前に置いていたのでは所有権の移転が曖昧になり、これでは「私の贈ったものは必要ないのか・・・」と言う事になる。

またこれも団塊の世代以上に多いが、頂き物を仏壇にお供えする者をたまに見かける。

気持ちは分かるが、今や田舎でも家制度が崩壊した日本では、家制度の最高峰は権威にならない。

仏壇は既に死者を弔う際に関係するものの範囲を出ず、従って現代社会では物を贈って、それが仏壇にお供えされた事をして、最大限の感謝表現とはならない。

むしろ、「私の贈った物を縁起でもない」と考える傾向が出始めているのであり、神棚にお供えするのは現在でも最高峰の感謝意思表現になるかも知れないが、仏壇に供える事は既に不作法の領域に入っている。

自身の先祖、その供養は自分にとって最も重要な精神的部分だが、それはあくまで自分に取ってであり、他者は本質的に関係が無い。

自分の先祖が他者に取って尊敬に値するか否かは他者の自由であり、ここで頂いた物を仏壇に供えれば「価値観の強要」となる。

ではなぜ神棚は良いのかと言えば、神の概念は特定の先祖などに限定されない「公」の要素を持つからであり、仏壇と神棚では「個」のフレーム、「公共」のフレームと言う共通概念の理解、「フレーム」の大きさに大きな違いが有る。

ただし、贈り物を頂いた人が帰ってから、自分がそれを仏壇に供える価値観は失ってはならないところであり、これを本当の意味で謙譲と言うかも知れない。

「つまらない物ならいらない」だの一度は遠慮する形式謙譲に「虚」を見るより、形の感謝を見せようとして自身を拡大してしまう愚かさと不遜を慎むべきである。

最後に「結婚してください」と言われ、それに返事をして指輪を貰った場合、もし気が変わって他の男性と付き合う事にしたらどうなるかと言えば、指輪は婚約の条件に拠って拘束を受けるので、1度でも婚姻が成立しないと所有権の完全移転とはならない。

婚約が破棄された時、求められれば指輪は返却しなければならないが、同じ指輪でも誕生日のお祝い、何かの記念日に際して頂いたものは、その期限に措いて契約が成立している為、所有権の移転が完了している。

婚約指輪とは違って後に返却する義務が無い。

人に物を贈るとは、どう考えたら良いかと言えば、饅頭を人にあげた結果を原則にすべきで、贈った時点で消費されてしまう饅頭は後戻りが利かない。

婚約に饅頭を贈る人はいないかも知れないが、婚約の印として饅頭が贈られたとして、それを食べてしまってから、婚約破棄になったら饅頭は返す事が出来ない。

消費されてしまった饅頭は返せなくても可で、たまさか物として形が残っている指輪は返せるから、返せと言うのもおかしな話であり、人に物を贈る、贈られるとはこう言う事で矛盾を生じさせない覚悟を貞観とする。

 

 

 

 

 

「暖冬と深海魚」

確認が取れているもので残っている最古の記録は元禄時代だが、1923年の関東大震災を易で予言した小玉呑象(こだま・どんしょう)も言っていた「大地震の前は温暖なものなり」と言う伝承は、2019年12月から2020年1月までを見る限り、能登半島のこれから先に重くのしかかってきているように感じる。

能登半島は昨年11月から全く気温が下がらず、大寒に入った2020年1月20日を過ぎても昼間の気温は10度を超える小春日和となっている。

1月23日には20時から気温が上昇し始め、24日2時には夜中にも関わらず気温は13度を超えた。

さすがにここまで来ると異様に感じた人も多く、夜中に目が覚め、地震が来るのではないかと警戒した、そう話してくれる人もいた。

能登半島地震は2007年3月25日に発生しているが、この年も本来なら氷点下になる1月の気温は10度を上回り、穏やかな小春日和が続いていた。

1995年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)は1月17日に発生しているが、この年の1月11日前後、神戸では1月としては異例の17度の気温を観測している。

またリュウグウウノツカイ、ミズウオなどの深海魚が打ち上げられる現象と大地震の関係も古くから言い伝えられてきたが、こうした深海魚の打ち上りが顕著になってくるのは2005年の暮れからであり、以後毎年全国で深海魚が打ち上げられ、2007年以降、日本は毎年震度6以上の大地震に見舞われてきている。

そしてこうして毎年深海魚が打ち上る事から、大地震と深海魚の打ち上りの関係を否定する意見が出てきているが、毎年深海魚が打ち上り、毎年大きな地震被害を受けている日本の実情を考えるなら、むしろ深海魚の打ち上りと、大地震の因果関係は深まっていると考えた方が良いのかも知れない。

2020年1月4日福井県、同1月5日富山県にそれぞれリュウグウノツカイが海岸に打ち上り、1月18日には石川県輪島市でも複数の深海魚がちぎれた状態で発見されている事が報告されている。

2007年の能登半島地震発生前の状況にとても似てきているのであり、同様の警戒は北海道南西部にも言えるかも知れない。

2020年1月22日、本来この地域では捕獲されることのない「マメイカ」が大漁となり、岩ノリも大量になっているのである。

1993年に発生した北海道南西沖地震は7月12日に発生しているが、この1か月前から同地域ではヒラメが時季外れの大漁となっていて、漁師が首を傾げていたことが知られている。

同時に発生する確率は低いが、2月後半から3月にかけて、比較的近い時期に能登半島では震度6、北海道南西沖では震度7クラスの地震発生が危惧されるのではないかと思う。

今のところ確率でしかないが、大地震前の材料、前兆が揃い始めて来ている気がする。

何もなければそれに越した事はないが、能登半島と中越、それに北海道南西部地域の人は、少しずつ震災に備えた準備を始めた方が良いかも知れない・・・。

「アイスクリームの差し入れ」

「供給はそれ自らの需要を創造する」

これは「セイ法則」と言う考え方だが、この考え方で行くと、全ての市場に供給された「物」は、「価格調整」によって全てが需要される、つまりは値段の上下で調節すれば、何らかの形で「物」は消費され、また在庫としての投資がなされ、結果として経済全体を考えるなら総供給と総需要は一致する事になる。

また需要と供給は生産と言う面から見れば、雇用も同じ事が言え、ここではもし大きな不況社会となり、社会が大量の失業者で溢れた時は、これも労働市場の価格を下げる、すなわち労働者の賃金を下げれば、全ての失業者は雇用にありつける事になるが、実際はどうだろう。

これに対して「 J.M.Keynes ,1883-1946 」(ケインズ)は総供給量が総需要を上回るときは、価格ではなく生産量が減少すると言う「数量調整」が働くとして、総供給が総需要を決定するのではなく、総需要が総供給を決定するのであり、公共投資などによって需要を増大させれば供給も増大し、失業も減少すると言う理論を展開し、総需要と総供給が一致する時の需要の状態を「有効需要」と呼び、この有効需要が生産や雇用を決定すると言う「有効需要の原理」を世に知らしめた。

そして1920年代から始まってきた世界的な不況、決定的だったニューヨーク発の世界恐慌の克服策として、それまで「セイ法則」が支配的だったアメリカ経済界の考え方を改め、ケインズの理論を取り入れたのが1933年に合衆国大統領に就任した「フランクリン・ルーズベルト」であり、彼の「ニューディール政策」はまさにこのケインズが言う公共投資による経済、雇用の拡大を狙ったものだった。

しかし現実にはどうだったかと言うと、結局アメリカは1930年代には雇用状況を改善するに至らず、また経済もその生産は落ち込む一方だったが、それを事実上救ったのは第二次世界大戦だった。

世界的な緊張状態によって発生してきた軍事産業が大幅な需要を引き起こし、これによってアメリカの経済はかつて無い繁栄を誇って行った。

またケインズの理論、ルーズベルトの「ニューディール政策」は、もう一方の側面として完全自由市場だったアメリカ市場経済に初めて政府が介入した、すなわち自由主義経済に社会主義経済的干渉を行ったと言う事実が発生し、これ以降どうなるかと言うと経済的な落ち込みが発生すると、民衆や経済界は政府に何らかの対策を求めるようになって行くのである。

つまり、今日世界的な傾向ともなっている経済の社会主義化は実はこのときから始まったものであり、こうした経緯からケインズのマクロ経済学を考えるとき、彼の経済学は計画経済型、社会主義的経済観、もっと言えば運命逆算型経済論だったと言えるのではないだろうか。

だが実際の需要と供給の関係は、現在どう推移しているかと言えば、限界までは「セイ法則」、つまり価格調整が働き、そこから先はケインズの理論、「数量調整」が働くと言う二重底の様相を呈してきている。

それゆえ現在の世界経済は限界の下の限界を迎えているようなものであり、これを救済すべく各政府が全力を上げて公共投資を増やせば、更に経済は社会主義化し、民衆や経済界の動きは益々縛られ、その事がまた経済的な停滞を生むと言う、経済降下スパイラルに陥っている。

ケインズの経済理論は素晴らしいものだった。

だが彼は大切なことを忘れていたようだ。

確かに人間の社会が常に健全なものであれば、また景気の後退が単純なものであれば、彼の理論は成立しただろう。

しかし実際の社会、経済には「人間の不健全性」と言う数値を加味しなければ求められない数値が存在し、それが政府の財政出動と相乗効果的に経済的失速を発生させることを想定していなかったが、彼は責められるべきではないだろう。

経済の失速はこの「人間の不健全性」に加速をつけ、更に政府が行う景気対策としての財政出動がこれに追い討ちをかけて社会を共産主義化していくなど、結果として現れなければ到底想像もできないことだった。

ただ原理としては簡単な事であり、例えばやさしい経営者がいて、少ない従業員を大切にしていたとする。

今年のような暑い気候が続くと、経営者として額に汗して働いている従業員を見るにつけ可愛そうに思い、ある日従業員全員にアイスクリームを差し入れたとしようか。

当然のことながら暑い日に差し入れられたアイスクリームに従業員は大いに喜び、経営者に感謝するが、こうした有り様にきわめて健全な従業員との関係に感激した経営者は、次の日もまたアイスクリームを差し入れ、そのまた次の日も差し入れると言うことになって行き、一定の期間それが継続して行ったとする。

そしてある日、風邪でこの経営者が寝込み、その日はアイスクリームの差し入れができなかったとき、従業員はどう思うだろうか。

「どうして今日はアイスクリームが届かないんだ」

「何だ、今日はアイスクリームはどうした?」

と、このような声になってくるが、これが「人間の不健全性」と言うものであり、当初まったくの善意で始まった差し入れは、何回か繰り返される間にどこかで当然の事になり、それがあたかも権利のように錯誤されるようになる。

皮肉な結果だが、可愛そうだ、良かれと思って始めた差し入れは、最後には従業員の人間的不健全性を招く結果となるのである。

そしてこれはまだ経営者の善意だから、そこまで大事ではないが、これが国家と国民、国家と経営者の関係であり、なおかつ暑さが大不況だったらどうなるかを考えると、現在の世界経済の有り方が良く理解できるのではないだろうか。

「大恐慌」と言う暑さに、初めて公共投資と言うアイスクリームを差し入れたルーズベルト、その後世界各国政府は不況と言う暑さが訪れるたび、民衆に公共投資や財政出動と言ったアイスクリームを与え続け、このことはやがては本来自分で頑張って経営していかなければならない会社経営者や、自分が働いて何とか生活を維持しなければならない一般大衆に、緩やかな擬似権利を錯誤させた。

すなわち不況は政府のせいだ、政府が何とかしなければならない、国民を食べさせるのは政府の義務だ・・・、と言うような形が現れ、これは既に考え方として社会主義なのだが、形式上民主主義を標榜している国際社会では、殆どの経済的先進国が主権在民を建前としているため、こうした擬似権利を、権利と錯誤した民衆の代表、つまり代議士などが選挙で選出されやすい社会となっていき、国民に媚びへつらう政府は益々財政出動を増加させ、そのことが更に国民が持っている擬似権利感をより権利に近づけたような錯誤を加速させる。

そしてここまで来ると、もはや自助努力ではどうにもならない経済界や民衆は、更なる経済対策を求めるが、もはや財政的に破綻寸前になった政府は、前出の小さな会社の経営者の話に戻すと、従業員から金を借りて、それでアイスクリームを差し入れるしか方法が無くなる。

これが日本経済と、政治の現状である。

※ 本文は2010年9月8日、yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。