「日本は今どこにいるのか」・Ⅱ

60年以上も他国と戦争をせず、国民の暮らしは欧米以上に充実し、世界中行こうと思えばどこでも行ける。

食料は満ち溢れ、人々は車を所有し、道端に死体が転がっていると言うこともなければ、文字を書けないと言う人もいない。

世知辛くなったとは言え、それでも人に道を聞けば教えてくれる。

蛇口を開けばいつでも飲むことが可能な水が手に入り、どんな場所であっても公共のトイレは無料、政府を批判してもそれで身柄を拘束されることもなければ、酒も飲める。

現段階に措いて、一体こうした国家が世界にいくつあるだろうか、おそらく一つも存在していないだろう。

かのアメリカであっても日本の失業率の2倍、それに不安定な経済状況から都市部の治安は慢性的に悪化し、夜は歩けない地域が増加しているだけではなく、そもそもアメリカは未だに徴兵制度が存在している国家だ。

またヨーロッパもその経済は破綻し、それは今後拡大する恐れがあり、イタリアでは殆どの労働者がその労働意欲を無くし、フランスやドイツでも現在はストライキが毎日のように発生している。

経済大国のように君臨しているかのように見える中国でも、その現状は政治的未成熟さが、まるで溺れかけた者の如くの有り様でしかない。

すなわち戦争で混乱した国家を建て直すには「独裁」が最も効果的なのだが、ここで本来一時的なものであるべき「独裁官」の毛沢東(もうたくとう)が、絶対君主を目指したところから中国の悲劇が始まり、その後この絶対君主の交代制と言う曖昧な形から、合議制絶対君主と言う大変中途半端な政治体制になってしまった。

それゆえ中国は、今後必ず過去日本が太平洋戦争前後に通ってきた事実に近い、歴史的必然性を持った政治的混乱を迎える。

現在日本を席巻している「円高」に付いても、これは日本の実態経済を反映したものではなく、経済的主要国家であるアメリカ、ヨーロッパの資金が避難場所を求めて日本の「円」に避難しているに過ぎず、こうした各国の自国通貨安と言う状況はそう長く続けられるものでもなければ、また中国も自国通貨保護の目的から日本の国債を買っているが、このような欧米や中国の政策など、所詮大河に石を投げ入れ、流れをせき止めようとしている程に虚しいものでしかなく、その行く先は既に決まっている。

ゆえに日本及び日本企業は、何とか頑張ってこの円高でも事業を継続する力を身につけたなら、その先に待っているものは世界シェアに対する圧倒的な力となり、またこうした時期にこそ技術を獲得しておけば、それはやがて世界の如何なる政治的な圧力をも超える、日本の力となっていくはずである。

私が「滅亡」「破滅」と言った言葉を好むのは、生物や物質の究極の形がそれであるからでだけではなく、「滅亡」や「破滅」は何かの終わりであると同時に何かの始まりでも有るからであり、こうした意味では日本及び日本人は人類として、あるいは文明として最も世界に先んじた国となり、繁栄し、そして世界に先んじて道を示していく国家となったとも言えるのではないか・・・。

それゆえ日本はもう自身が手本とするものは何もなく、これから先は日本が手本となっていく、それはまことに厳しいものかも知れないが、いつの時代でも先を行く者は孤独であり、尚且つ「希望」は「絶望」の極みに最も光り輝くものではないか、そのように思う。

さあ、みんな少しは元気をだして、また歩き始めようではないか・・・。

 

※ 本文は2010年10月26日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

「日本は今どこにいるのか」・Ⅰ

人間は自分のことが一番良く分かっていないものだ。

鏡に映った自身の姿を見たとしても、その姿の何が良くて、何が悪いのかは分からず、それは悪い意味に置いても、良い意味に置いても評価ができないものであり、そもそうした意味では正しいと言う概念そのものの存在が既に危うい。

まして自身の有り様が困難な状況にあれば、自分が自分に下す評価は暗いものになり、その暗い視線で周囲や社会を鑑みることは、その周囲や社会に対する正当な評価とはならず、もし自身の感情がそうした暗い評価から端を発したものなら、自分が見ている価値観は自分が作り出した暗い幻影かも知れない。

段位のある勝負事で一番実力があるのは、三段から五段だと言われ、これは柔道、剣道、将棋の世界もそうかも知れないが、これ以上の段位と言うものは少しずつ名誉段位の意味合いが強くなるものらしい。

そしてこうしたことから、では三段、五段と言った地位の人に話を聞けば自信満々なのかと言えば、その勝負に対して一番怯え、恐れているのもまたこうした段位の者たちである。

それは何故か、勝負の世界でも仕事でも一番実力のある者とは、その世界のあらゆることに通じているからこそ、練習に練習を積んでも僅か紙一重のところでそれに追いつかない恐ろしさ、また偶然と言う魔物の存在を知っているからに他ならならない。

ゆえにその勝負事に対して恐れを知る者ほど謙虚な者となるが、しかしこれは一方で自分が最高位の実力を持つことを、自分自身が認識できないと言う側面を持つ。

本当に実力のある者とは、強くて謙虚であるがゆえに、自分の大きな実力には気が付かず、たった1人で自分自身と闘っているものだ。

そして僅か唯1人の人間でもこうした有り様である。

これが国家ともなれば、その国家の正確な評価は一体何をしてそれを量ることができようか。

日本は今かつて経験したことのないような「無気力」の中にあり、高齢化社会、少子化、経済の停滞、政府の無策ぶりに、緊迫するアジア中東情勢の中でアメリカ、中国と言う大国の狭間にあって、成す術もなくただ翻弄される木の葉のように見える。

しかしこれは本当の意味で日本の正当な評価だろうか、我々は実は自身を取り巻く環境の暗さから、その日本と言う国家に対して正当な評価ができていないのではないか、そんなことを思わずにはいられない。

日本と言う国家は明治の開国以来、欧米の文化、そしてその「力」に追いつこうと大変な努力をしてきたが、一度は届きかけたそうした夢は、太平洋戦争の敗北によってついえたかに見えた。

そしてアメリカの庇護の下、アメリカをイギリスをフランスを、いつもその目標としてきたが、その実あらゆる状況、これはよくも悪くもだが、そうしたものを「経験」と言う観点から考えるなら、少なくともバブル経済が崩壊した時点から、日本はどこかで世界の頂点となったのではないだろうか。

現代社会の価値観は「経済」や「軍事力」、またはどれだけ他国に対して支配的な影響を持つかで、その国家の国際的な地位が決まってくるかのように思えるかも知れないが、経済は留まることを知らず、常に動き安定しないものであり、これを止めて考える者は流れている川の水を写真に留めてそれを判断しているようなものであり、また軍事的な力、他国を支配的影響下に置くことができる状態も、100年と言う単位では不可能な事になる。

我々はもしかしたらこうした虚ろい易いものをして、国家と言うものを量ってきたのではないか、そしてこうした意味では30年前はアメリカで起こることは10年後に日本で起こるとされてきたが、バブル経済と言うものを考え、その崩壊から今日の日本を考えるなら、いつしか経済に措いては、常に日本が良くも悪くもその国際的な指標となるものを経験し続けているのではないだろうか。

日本は1990年初頭にバブル経済の崩壊を経験したが、アメリカが同じ経験をしたのは2年前、ヨーロッパでも同じようなものだが、こうした際に取られた政策は各国がそれに独自性を意識していたとしても、それは既に日本が過去、バブル経済崩壊に対して講じたあらゆる政策の中に含まれるものでしかなかった。

また民族が豊かになって平均寿命が延び、それに伴う高齢化社会の出現と言う点でも、これは裏を返せばそれだけ成熟した社会を形成できたと言うことであり、生物的、民族的、また文明社会と言うものを鑑みるなら、日本はアメリカやイギリス、フランスに追いつきたいと頑張ってきて、知らぬ間に本当は追い越してしまっていたのではないだろうか。

 

「日本は今どこにいるのか」・Ⅱに続く

※ 本文は2010年10月26日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

「中華人民共和国」・Ⅱ

共産主義と言う考え方は現状に即して生産や経済計画が組み立てられる。

それゆえ基本的には人口が増えることに対応するほど毎年の生産は増加しないが、これは原理的に一生懸命働いても、適当に働いても給料が同じなら、適当に働いた方が利益になる事を考えれば自明の理である。

すなわち共産主義の宿命は、基本的に時間経過とともにその生産は減少することにあり、その結果国家が貧しくなると生物の本能としても生存確率の確保傾向が高まり、このことから共産主義の行く末は生産の減少と、人口の増加と言う相反する命題に直面する。

この逆の現象で資本主義が膨らんだ上に、国家が経済的に豊かになると、こちらでは生物の生存確率の安定性から逆に人口が減少へ向かい、その割には生産は拡大を続ける原理で動こうとする矛盾が発生するが、共産主義は人口抑制、そして後者の資本主義では生産の抑制と言う、全く正反対の政策が急務課題となっていくのである。

1979年、国内の人口増加に計画生産経済が追いつかなくなった中華人民共和国政府は、ここに人口抑制策として「一人っ子政策」なる人口抑制策を打ち出したが、この政策は人口の94%を占める漢族に適用され、一組の夫婦がその生涯にもうけることができる子供の数を1人と定め、これに違反したものは年収の2倍から3倍と言う高額な罰金を課し、名前の公表や租税措置、社会保障などにも格差をもうけるなどした、大変厳しいものだった。

中国政府は現在ではこの政策を見直してしているが、過去、経済的に豊かになった者たちの間では高額な罰金を払っても第二子をもうける家庭も増え、これに対応して政府が課す罰金は毎年増加し、今では年収の10倍と言うケースも発生しているが、一方でこうした罰金収入は国家予算の中でもそれなりのウェートを占めるようになり、実情は子供をもうけるために民衆が国家に支払う、「子供取得税」としての様相も現れ始めていた。

またこの「一人っ子政策」は少数民族や例えば香港などでは適用されず、その為漢族は減少したが、逆に少数民族は人口を増やすことになり、1998年頃までの中国では比較的厳格にこの政策が守られた結果、秘密にして子供をもうける傾向も発生し、こうした子供は学校教育や福祉も受けられず、戸籍の無い闇の子供、「黒孩子」(へいはいず)と呼ばれ、こうした子供たちが実際には3億、4億くらい存在していたのではないかと言われている。

ゆえに中国の実際の人口は中国政府もつかめておらず、またこうした一人っ子政策は、「家制度」が一般的だった中国の一般家庭に措いては、跡継ぎとしての男子の出生を望み、女子の出生を避けたことから、母親が妊娠してその子供が女の子だと分かるとこれを堕胎し、男子だけを出生させる傾向となって行き、これが今日中国国内の女子人口の少なさに繋がり、尚且つ結婚適齢期の男性は結婚できないと言う実情の原因ともなっている。

その為現在中国では女性と女の子の誘拐や人身売買が後を絶たず、ひどい場合には医師や看護士までが絡んだ、婦女子の誘拐事件までも発生しているのであり、こうした一人っ子政策によって発生した弊害は何も中国国内だけに留まらず、現在日本に対して起こっている中国の若者の暴動も、実はその原因のいくばくかがこの一人っ子政策にあると言っても良い。

各家庭にその将来をになう子供が1人しかいないと言う状態は、精神的にも物質的にも子供1人に対して他の家族の意識一切が集中すると言うことであり、尚且つこうした家庭が周囲の社会にも広がっている訳である。

当然の如くその子供には親や祖父母の愛情が全て注がれ、その為こうした子供たちの在り様は、男の子なら「小皇帝」、女の子であれば「小公主」と呼ばれる程甘やかされて育てられる傾向があった。

だから極端なことを言えば、家事のできない青年や女性が出現してきたのであり、彼等は全く我慢すると言うことも無く、妥協や譲歩すら知らないのであり、この傾向に結婚できない男性の増加傾向が加わり、その反動で男尊女卑から一挙に女王さま並みに地位が向上してきた漢族女性は、男子以上に我侭な傾向が現れてきたのである。

そして民主化に揺れる中国の実情が有るが、国民が貧しい時代には武力で押さえ込むことが容易だったにも関わらず、鄧小平が推進した中国経済の自由化は民衆の意識も高め、そんな中で民主化に対する潜在的な願望はいたるところで噴出し始め、それが今日では経済の自由化によって広がった中国の格差問題へと繋がってきている。

それゆえ現在の中国の暴動は基本的には民主化要求ではなく、民族運動、思想言論の自由に関する要求、格差社会や共産党の腐敗に対する不満がその原因なのだが、しかし人民解放軍を後ろに持つ政府には逆らえない。

そこで若者は如何なる形であれ、暴動が起こせれば良いと言う傾向があり、これが日本に対する反日暴動となっているのだが、この背景にはやはり中国にも存在する西欧崇拝主義があり、このことから欧米にはどこかで面と向かって逆らえないが、ではどこがと言う事になれば、太平洋戦争後一貫して非難し続けてきた資本主義の象徴日本、そして日本憎しで国民を鼓舞し続けてきた中国政府の教育がここにきて生きてきた訳であり、中国政府も不満の対象が日本に向かうことを利用しながら今日に至ったのは、少なくとも暴動が政府に向かってこない都合の良さが有ったからである。

ゆえにこれから先も中国政府は各地で暴動が起きるたびに、その方向性を日本に持っていこうとするだろうし、必要となれば暴動を日本に対する圧力に使うだろうが、一方でインターネットで繋がった国際社会は実情や現実も中国国民にもたらし、そこで起こってくるものは「人権」と言うものに対する意識だろう。

「自由」と言うものを知り、それに対する我慢が分岐点に差し掛かったところで、中国人民は何れ共産党一党支配体制に立ち向かう日がやってくるに違いない。

暴動と言うものはその目的が集約されたもの、例えば「自由」や「平和」などと言ったものであれば力を発揮するが、「嫁がいない」、「何だか分からないけど腹が立つ」、「何であいつらだけが豊かで、俺たちは貧しいんだ」とか言うことが本質で集まっている暴動は、やがてその矛先を自国国家、政府に向けるものであり、既にその分岐点が視野に入ってきているように私は思える。

ちなみに中華人民共和国は国際連合常任理事国であるが、同時に中華人民共和国中央人民政府は、国際連合から「侵略者」としても定義されていることを最後に記しておこうか・・・。

※ 本文は2010年10月24日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

 

「中華人民共和国」・Ⅰ

一国の政府(government)がその国民をどう見るか、どう認識するかはその国家によってさまざまだが、一様に民衆を統括する立場の国家代表部にとって、民衆とは「愚かなもの」であり「厄介なもの」との認識が多くなる。

だがその中でも中華人民共和国の国民に対する認識は郡を抜いたものとなっていて、すなわち民衆とは「暴力」であるとされている。

人口の約94%を占める漢族他、大まかなものでも58の民族で国家を形成する中国では、民衆とは常に秩序を乱し、また社会を混乱させる火種でしかなく、ここでは政府の在り様としてこの暴力をどう管理していくかが重要な問題となっていくのである。

それゆえ暴力に対する最も効果的な対処方法は更に大きな暴力であり、この意味では中国の人民解放軍の存在意義は国際社会が現在持っている概念とは明確な区別がある。

中国政府にとっての民衆が「暴力」である以上、これを統治する存在が「共産党」政府にあるなら、人民解放軍は常に共産党の軍隊であって、民衆の軍隊ではない。

一般的に「軍隊」の権威、正当性はその国民の防衛にあるとされる事で権威が担保されるが、この意味に置いて国家が混乱の極みにあり、政府、民衆相互が対立したとき、軍隊は中立的な立場から、政府、民衆のどちらかに正当性を見つけ、その判断をするのが正しいあり方と言える。

しかし現在国際社会で主流を占める「シビリアン・コントロール」(civilian control)と言う概念は、「文官」や広義では「民衆」が軍隊を管理するあり方を理想としているため、例え国民から信任を得て成立している政府であっても、これを使って国内の民衆を強制的に支配することは容認されないが、一方で常に民衆が正義であるとは限らず、こうしたことから国家が混乱した場合、軍隊の権威は基本的に、「国益」と言う政治的なものへと移行していかざるを得ない。

この意味に措いて軍隊と言うもの、その指揮官は、では国民から信任を得ているかと言えばその信任は得られておらず、結局軍隊と言う存在は時の政府の判断に従わざるを得ないし、もし形骸でも立憲君主が存在しているなら、最後の権威として、この立憲君主の判断を仰ぐこととなっていくのである。

だからここでは軍隊に対して「シビリアン・コントロール」(文民統制)の概念がある国家ほど、それは政府や国家代表部の軍隊になりやすい。

ところが中国人民解放軍には始めからこのシビリアン・コントロールの概念がなく、表面上人民のための軍隊とはなっているものの、あくまでも共産党の軍隊であって、しかも万一国内政府に措いて、つまり中国共産党内部で抗争が有った場合、人民解放軍最高指揮官は独立してこれを判断できるのであり、こうしたことを考えるなら軍隊の正当性、権威がうつろいやすい欧米の概念と比較しても合理的な部分がある。

このことは中国の文化大革命終結時に起こった「第一天安門事件」と、その後ソビエト崩壊に伴う世界的な民主化風潮に影響された中国の民主化要求に象徴される、「第二天安門事件」を比較しても理解できると思うが、1976年4月5日、周恩来(しゅうおんらい)が死去したときに、鄧小平(とうしょうへい)等が天安門広場で行なった追悼式典を規制しようとした「4人組」等指導部に、人民解放軍は従わなかった。

だがこれに対して1989年4月15日、やはり国民や学生等から人気が有った「胡耀邦」(こようほう)が死去した際、同氏の追悼集会に端を発した学生たちの民主化要求運動の拡大を阻止しようとした「鄧小平」には人民解放軍が従い、多くの民衆を戦車で蹴散らす衝撃的な光景が繰り広げられたのである。

また人民解放軍は本来「自給自足」の精神を持っていて、その食料、装備は人民解放軍が自前で調達する姿勢から始まっている事もさることながら、1980年ごろには中国経済が悪化し、この中で時の共産党中央委員会は人民解放軍の予算を大幅に削減し、その代わりに人民解放軍独自の経済活動を認めたことから、以後20年に渡って人民解放軍は商業活動や経済活動にも独自参入して行った経緯を持ち、この形態は1998年、やはり共産党中央委員会で人民解放軍の商業活動が禁止される決定が成されるまで続いたのである。

そして現代の人民解放軍は、アメリカが行ったイラク戦争での結果を踏まえ、「力こそ正義なり」の方針にあり、これは中国政府の姿勢でもある。

つまりは東西冷戦終結後、世界はその価値観や経済的な指針を全てアメリカに求めてきたが、そのアメリカが経済的に落ち込んできた今日、中国こそが「世界」となる、文字通り中華思想を目指してきているのであり、この中で人民解放軍もその装備を近代化し、例えば地上戦の戦力で言えば、恐らくアメリカやロシアよりも充実しているだろうし、また南シナ海での制海権も現在は恐らく中国が握っていると言っても過言ではない。

更に中国が公表している2009年度の国防予算は、日本円に換算して6兆9000億円だが、これは公表額であり実際はこの2倍、少なくとも13兆円以上の予算が投入されている可能性は高く、中国国内でも多種な技術力向上が著しい今日、軍事装備の自国生産割合も大幅に向上していることを鑑みれば、例えば同じ軍事装備を作っても、日本で作る場合の15分の1の予算で同じものを作る事が可能であるとするなら、中国の実質国防予算は公表されている予算の、10倍の効力を持っている可能性すら否定できない。

だがその一方で中国人民解放軍には全く問題がないかと言えば、これがそうでもない。

これまでは何とか生活ができれば・・・、と言う国民意識で人民解放軍へ入る人材も多かったが、国内の著しい経済成長に伴い、共産党員ほどの権力的利益もなく賃金も低い軍人は、若い世代の就業先としての魅力を失ってきていて、従って近年は軍人になろうとする希望者が極端に減少し始めているのであり、こうしたことに配慮して人民解放軍では、映画チケットやバス運賃などを無料にするなどの優遇措置を行っているが、全くと言って良いほど効果は見られていない。

それに人民解放軍は一枚岩かと言えばこれもそうではなく、実は人民解放軍内部でも守旧派と革新派が存在し、これは旧来からの共産党支配堅持派、つまりはイデオロギーをその巻頭に掲げる勢力と、それに対して経済に主眼を置く勢力の対立と言う形で現れている。

この背景には人民解放軍の独立性と言うものに対する考え方が旧来から2つ存在していたと言うことであり、これは冒頭の軍隊の権威のあり方を巡る考え方の相違、そしてもともと人民解放軍は独自で経済活動を行ってきた経緯があることから、この部分でも共産主義の考え方と資本主義の考え方の、双方が内部に潜在していることを示している。

またこれは中国中央軍事委員会の調査資料によるものだが、2003年から2005年の間に軍事装備の近代化に伴い、廃棄予定になり施設に保管されていた人民解放軍の軍装備のうち、T-48、T50戦車1811両、野戦用ベッド210000床、テントなどの装備品230000セット、小銃約300000丁、燃料用の軽油7061バレル、それにこんなものを思うがミグ15戦闘機に至っても362機が何と盗難に遭っていて、このほか医薬品や包帯なども膨大な量がやはり盗難に遭って紛失している。

さすが中国人民解放軍、その規模も世界最大なら、盗まれたものもやはり桁違いの迫力と言うものだ・・・。

そしてこれだけのものが盗難に遭っていながら、誰1人として処分を受けている者がいない。

やはり大国は一味違ったスケールと言うべきか・・・。

 

中華人民共和国・Ⅱに続く

※ 本文は2010年10月24日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

 

「それでも地球は回っている」

夜空にまるで果てしなく続く抒情詩でも描かれたかのように煌く星座、この星座の起源は古代バビロニアにその端を発していると言われているが、5000年前、チグリス・ユーフラテス川流域に生きた古代都市の人々もまた、星に何を願ったのだろうか・・・。

明るい星どうしを線で結び、自分たちが使う道具や動物などの姿に星を当てはめ星座とするこの有り様は、その初期段階に措いて農耕や遊牧、魚漁、航海など、生活上の必要性から発生したものと言われているが、時の流れ、季節の移り変わりを知る上で、これ以上正確な「暦」はなく、それは現代社会に至っても何ら変わることはない。

そしてこうした星座は、やがてギリシャに伝わり、ギリシャ神話と結びつくことにより飛躍的な発展を見せ、このことがギリシャに措ける天文学の発展に大きな影響を与えたのであり、これらの研究成果はプトレマイオス(2世紀)が編纂させた「アルマゲスト」に集大成され、ここには48の星座が記載されている。

以後千数百年、このプトレマイオスの星座は確固たる地位を保ち続けるのだが、やがて大航海時代を迎える頃になると、それまではその必要がなかったことから、空白となっていた南天の星についても星座の必要性が発生してくる。

その為いろんな者たちによって、新しい星座が数多く考え出されたが、こうした経緯はまた、一方で誰のどの星座を採用するかを巡って大混乱を発生させる事ともなって行った。

現在我々が使っている星座は「国際天文学連合」(IAU)が1922年に設置した専門家委員会によって、8年の歳月を要し検討した結果取り決められたもので、全天88星座と星座境界線がこれによって確定したのである。

1930年のことだった。

また16世紀、コペルニクスが提唱し、ヨハネス・ケプラーとガリレオ・ガリレイが支持した「地動説」だが、実際に始めて地動説が提唱されたのはギリシャ時代まで遡る必要がある。

ピタゴラス学派(紀元前570年ー紀元前497年)のフィロラオス(紀元前5世紀中頃)は地球が「中心火」の周囲を運動していることを唱え、ヒケタス(紀元前4世紀)やエクファントス(紀元前4世紀)はフィロラオスの「中心火」を「太陽」と概念し、ここに太陽中心説が提唱され、地動説の芽が顔を出した。

そしてこうした理論を元に実証的な理論を展開したのは、ピタゴラス学派ではなかったが、アリスタルコス(紀元前310年ー紀元前230年)であり、彼は太陽と月、地球の大きさと距離の測定を行い、その結果地球は太陽の周りを自転しながら公転していることを提唱したのだが、いかんせんこれらの説は、偉大な科学者アリストテレス(紀元前384年ー紀元前322年)によって提唱された「地球中心説」、いわゆる「天動説」によって埋没させられてしまったのである。

それから次に「地動説」が日の目を見るのは、ギリシャ時代から1800年近く経過した中世ヨーロッパであり、レオナルド・ダ・ヴィンチが天動説に疑問を持ち、アリスタルコスの説に影響を受けていたコペルニクス(1473年ー1543年)が、これに観測的な実証と幾何学的な理論を展開し「地動説」を説いた。

更に当初、このコペルニクスの「地動説」を反証しようと火星観測を始めたティコ・ブラーヘ(1546年ー1601年)の20年にも及ぶ記録は、いみじくも彼の意思に反し、ケプラーの法則やニュートンの万有引力の法則へとつながり、これによって「地動説」は理論的に確立されることとなったのだった。

「それでも地球は回っている・・・」は実に1800年の長きに渡って叫ばれてきた地球の本当の姿だった訳である。

またこれはもしかしたら余談になるかも知れないが、こうした星や月、惑星を観測するための望遠鏡に付いてだが、望遠鏡が発明されたのは1608年、オランダの眼鏡商リッペルハイによって、偶然がきっかけとなって作られたものだった。

この話を聞いたガリレオ・ガリレイ(1564年ー1642年)は何と望遠鏡を自作し、1609年、彼はこれで天体観測を行って多くの発見をして行ったのである。

だがガリレオのこの望遠鏡は接眼鏡に凹レンズを使用していたため、その視野は極めて狭いもので、1611年にはケプラー(1571年ー1630年)によって接眼鏡に凸レンズを使った改良型が作られ、これ以後「屈折型望遠鏡」はこの形式が続いていったが、屈折式望遠鏡の欠点である色収差を改良しようとしたニュートンは、1668年、対物レンズに代えて凹面鏡を使った「反射式望遠鏡を」を発明した。

そして初期の反射式望遠鏡は金属鏡が使われ、イギリスのハーシェルなどが大型の望遠鏡を製作したが、現在我々が使っているような反射望遠鏡の元となったものは、フーコー(1819年ー1869年)が作ったものであり、ガラス鏡にメッキを施し、鏡面テスト法もこの時開発されたものである。

ウィルソン山天文台の2・5m反射式、パロマ天文台の5m反射式望遠鏡、現代はこうした大型望遠鏡の時代を経て、地球の大気圏外では人工衛星に搭載された宇宙望遠鏡が高精度の観測を行い、地上ではその口径が8m、10mと言った超大型望遠鏡によって、この宇宙の謎に迫ろうと観測が続けられ、近年に至ってはX線や素粒子、または電波望遠鏡など、その姿無きものを観測することによって、宇宙の姿を捉えようと言うところまで技術は進展してきている。

だが、星を眺めてどこかで自分が素直な気持ちに戻れるような思いがするのは、5000年前、いやもっと以前からきっと変わることのない、人の事実なのだろう・・・。