「船がダンスを踊る」

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2003年3月31日 Tadashi  Asada 撮影

1956年12月19日、実に8万トンを超える豪華客船「クィーン・メリー」号は一路ロンドンへ向かって静かな航行を続けていたが、ちょうどイギリスの南端コーンウォール半島の沖合いを通過した頃だろうか、貴賓室で新聞記者と話をしていた「ハーバード・モリスン」イギリス労働党議員は、座っていた安楽椅子が心なしか下に沈んだような感覚を覚えたが、その直後彼の体は椅子もろとも、1mも深く落下したような感覚に襲われた。

「何だ、この感覚は・・・、まさか沈没」

「いや、そんなことは有るまい、この不沈豪華客船が、まさかそんな簡単な事で・・・」

モリスン氏は椅子から立ち上がることもでき無い状況の中、とっさにそんな事を考えていたが、次の瞬間今度はさっきの反対で、下から突き上げられるような感じがしたかと思うと、いきなり空中に放り出されるような衝撃を感じた。

そしてそれが終わると今度はまた深い奈落のそこへ沈んでいくような・・・。

「地震だ!」誰かが大声で叫ぶ。

だがこんなことは信じられない事だが、それからこの豪華客船は船体を大きく傾斜させ、その後はぶるぶると不気味に震え始めたのである。

テーブルからはグラスが下に落ちて割れ、またあちこちで皿やガラス、調度品が下に落ちて壊れる音が聞こえる。

「キャー、助けて」

船内はたちまち物が砕け散る音と、人々の悲鳴で大パニックとなって行った。

そしてその後この客船は、どう言う訳かまるで軽快なリズムを刻むように揺れ始め、それはまるで豪華客船がダンスをしているような感じになった事から、船内のあちこちで急激な船酔い状態の者が続出し、そこらじゅうで紳士や婦人達が嘔吐している、まことに見るに耐えない状態となった。

「おい!、救命ボートはどこだ」

「助けて、キャー・・」

豪華客船の乗客たちは先を争って甲板に向かって走り出し、それに対して船員が「大丈夫です、安心してください」と声を限りに叫んでいても誰も言うことを聞かない。

みんな制止する船員を殴ってでも、力ずくで救命艇を降ろそうとし、また我先に救命艇に乗り込もうと怒号が飛び交い、甲板は騒然となった。

どれくらいの時間が経過しただろうか、やがて少し冷静になった乗客たちは、眼前に広がる穏やかな海と、そして辺りには氷山らしき物陰も無く、また船から煙も出ていない状況に気づき始め、いつしか豪華客船の異常な揺れも収まっていたことから、今度は「今のは何だったんだ」と言う感じになって行った。

それから船員達があちこち点検を始めたが、船体にはどこにも異常はなく、機関も正常、やがて「ビショップス、ロック」の灯台が見え始めた頃には「この船には故障はありません。予定通りロンドンに入港します」と言う船内放送が流れ、これでホッとした乗客たちは、やっと落ち着きを取り戻したのだった。

ロンドンに入港した「クィーン・メリー」号、この豪華客船はそれから船体をくまなく点検されたが、どこにも異常は無く、何の損傷も無かった。

また当時豪華客船の操舵室には5名の船員がいて、彼等は何れも大きな波や氷山などを確認していない。

「ただ穏やかな海だった」と証言している。

さて話は変わって、場所は石川県能登町小木港(いしかわけん・のとちょう・おぎこう)、ここではこの4、5年海が穏やかな状態の「なぎ」と呼ばれる日に、何故か船が上下50cmから60cm、水平方向には2m程も揺さぶられる現象が多発している。

小木港は日本屈指のイカ釣り船団の港だが、ここに入ってくる150トンから200トン級のイカ釣り船でも大きく揺さぶられ、漁師でも立っているのがやっとの状態になる。

風も無く、波も無い穏やかな日、突然激しく揺さぶられた船の係留ロープはちぎれ、荷揚げ用に港へコンベヤーを渡している状態なら、このベルトコンベヤーを破損するケースも現れており、同港では少なくとも2007年前後から19件の報告が石川県漁業協同組合小木支所に寄せられているが、何れも潮位の上昇も波も無い状態で発生するこの現象は、漁業関係者の間では「こみ」と呼ばれ、「こみ」とは潮の異常な海域を指している。

そしてこのような場合は「内部波」と言って、海底で起こる異常な潮の流れによって発生した表面上に変化を表さない波が、影響していると言われているが、波に振動が無くそこで浮いているものに対してのみ振動が伝わる言う観点から、こうした波の発生原因も、またなぜ振動が起こるのかも今だ物理学的説明がつけられていない。

小木港では1981年から新港整備事業が始まっており、この事業に関連して2003年には、それまで繋がっていなかった港の防波堤が全部繋がり、こうした時期から異常振動が始まったのではないかとする意見も有るが、2003年では7年前からこうした現象が現れているはずで、ここ4、5年と言うことで有れば、誤差の範囲かも知れないが、タイムラグが有るように考えられる。

むしろ2007年前後と言うことであれば、「能登半島地震」によって起こった海底の異常と言う考え方の方が、可能性として高いようにも思われ、また事実石川県と富山県の一部では、2007年ごろから謎の「空気振動」現象が頻発している事実がある。

この空気振動は地面が揺れるのではなく、空気の振動によって家屋などが揺れる現象で、ジェット機の加速振動、隕石の大気圏突入時の振動、雷の振動の可能性を排除した状態で起こる「ドーン」と言った衝撃音を伴う、最大震度4程度の振動のことで、こうしたことを鑑みるなら、空気を伝わる振動も存在することを、これらの現象は示しているように思うが、気象庁、及び大学の理学部などは原因不明としながら、「空気振動」と地殻変動の関連性を否定している。

船がまるでダンスをするように踊りだす・・・。

さてその原因は見えない海の波か、それとも大きな空気振動か、いずれにしても目に見えないだけに人間には不思議に思えるこの現象、54年前も「謎の事件」だったが、現在でもやはり「謎の事件」のままである。

※ 本文は2010年11月28日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

「グリーン車に乗る」

横綱と言えば、大相撲力士の中で最高位に君臨している者を指すが、この地位は本来地位ではなく、大関の中で最強の者に対して使うことを許される「尊称」だった。

江戸時代に編纂された伝書にはこう書かれている。

城や屋敷を建てるおり地鎮祭に大関二人を招き、お払いの地踏みの儀式を免許することを「横綱乃伝」を許すると言った・・・。

つまりは横綱の称号は、このような「地鎮祭」などの儀式を、興行の土俵に持って来たことが始まりのようであり、大相撲は神道の儀式からそれが発祥し、またこの儀式が規範となっている。

1789年(寛政元年)11月、大関「谷風」と「小野川」に横綱伝授の儀式披露があり、両大関はしめ縄を腰にまとって土俵入りをしたが、これが当代新しいもの好みだった江戸庶民には大受けし、この江戸興行は大成功を収めた。

このことから「谷風」「小野川」以降も「横綱」の伝授儀式は、大相撲興行に取り入れられていくことになるが、それでも依然「横綱」は地位ではなく、横綱として土俵入りできると言う「名誉称号」の範囲を出ることは無かった。

「横綱」と言う文字が始めて大相撲の番付に登場したのは1890年(明治23年)のことであり、このとき「横綱」の下には「西の海」と言う力士の名前が記されていた。

現在のように「横綱」が最高位の力士と明文化されたのは1908年(明治41年)の事であり、相撲協会によって定められたが、当時の相撲協会は大きなもので言えば関東の団体と関西の団体が存在し、これが統合されて「大日本相撲協会」が発足したのは1927年、当時協会の会長は陸軍大将が務めた。

そして「大日本相撲協会」が「財団法人日本相撲協会」と改称されたのは1958年のことであり、これが現在の「日本相撲協会」のことになるが、太平洋戦争敗戦以降の相撲協会トップは歴代、元力士が務めるようになった。

また「横綱」と言うものに関して、ここにその発祥時に措いて深く携わった存在として熊本の「吉田司家」(よしだつかさ・け)が有り、同家の言い伝えによれば11世紀末、当時の後鳥羽天皇から「相撲行司官」として「追風」の称号を与えられたことにより、「吉田司家」は以後相撲に関するあらゆる意味での権威者となったとされている。

それゆえ「吉田司家」は江戸時代には徳川将軍の上覧相撲に携わり、「谷風」(第4代横綱)や「小野川」(第5代横綱)に横綱の免許を与えたのも「吉田司家」であり、これ以降同家は横綱誕生には必ず関わっていくことになるが、同じように「吉田司家」は行司の最高位「立行司」(たてぎょうじ)の免許伝授も行っていて、こうした意味から同家に措いては江戸時代から「相撲の家元」と言う位置付けがあった。

「吉田司家」はもともと故実や伝統、行儀作法、しきたりなどを代々司る志賀家の流れを後継した家だが、こうして江戸時代から明治、大正、昭和と相撲界の権威者として君臨した「吉田司家」、しかし太平洋戦争終結後、同家は内紛を起こし、多額の借金によって破産状態となったことから、1950年ごろから同家と相撲協会の関係は悪化し、1951年ついに相撲協会は「吉田司家」と断絶した。

第41代横綱「千代の山」からは、横綱の授与式には立ち会うが「吉田司家」は横綱の決定権を失い、ここに横綱の決定権、及び「立行司」の決定権も全てが「日本相撲協会」へ移譲されたのである。

ただこうした歴史的背景から、依然伝統的な権威者としての「吉田司家」には、その後も横綱昇進報告と言う形での挨拶は続けられていたが、これも1986年、第60代横綱「双羽黒」からは廃止され、それまで挨拶に伺えば故実(古い言い伝えや教訓となる言葉)を手向けられ、激励を受けていた、そうした最後の慣習まで消滅して行った。

また前述の「吉田司家」の話でも出てきたが、こうした大相撲の組織は力士達の他、例えば「行司」(ぎょうじ)の世界でも力士達と同じような縦の統制が有り、「行司」の最高位は「木村庄之助」であり、この名称が力士で言うところの「横綱」に相当し、第2位が「式守伊之助」の称号で、こちらはさしずめ力士で言うなら大関となろうか・・・。

「木村庄之助」や「式守伊之助」は共に「立行司」(たてぎょうじ)と言い、行司の中では最高位の格式を有し、腰に短刀を差すことが許されているが、これは相撲の軍配を差し違えた場合などには切腹する、つまりは命がけで勝敗を判断していることを示すためのものだ。

もともと行司の家系には「岩井」「木瀬」なども存在したが、木村、式守以外の家は全て断絶してしまい、従って現在行司と言えば木村、式守以外を名乗るものは存在しない。

そして木村家と式守家の違いはその軍配の持ち方にあり、木村家は軍配に対して握りこぶしが上になるように持ち、式守家は軍配に対して指が上になるように持つ、と言う違いが有るが、しかし両家は全く別のものかと言えば、この両家は別々に生活を営んでいる訳ではなく、例えば「式守伊之助」が出世して「木村庄之助」を襲名するなど、土俵の呼び名以外はそれほど明確な区別があるわけではなく、相撲場所によっては「立行司」が存在しない場合もある。

1993年九州場所で65歳だった第28代「木村庄之助」が定年退職したおり、「木村庄之助」も「式守伊之助」も、共にこれを襲名する立場にまで達していた者がおらず、1994年夏場所で三役格だった「式守錦太夫」が第28代「式守伊之助」に昇格するまで二場所の間、実は大相撲には「立行司」が不在だったことがある。

更に「呼び出し」の世界、ここでも行司と同じように「立呼び出し」が最高位になり、「三役格」「幕内格」「幕下格」と行った格付けがあり、「立呼び出し」「副呼び出し」がそれぞれ1名ずつ、「三役格」が3人、「幕内」「十両格」がそれぞれ5人ずつとなっているが、行司は全て番付に載るものの、「呼び出し」は十両格より下の格付けの者は記載されない。

「行司」や「呼び出し」の世界と言うと、軍配を持ったり、呼び出しをしたりだけが仕事かと思うかも知れないが、その実土俵以外の仕事も多く、「行司」は事務的な仕事、「呼び出し」は土俵作りなどの肉体労働もしなければならず、ちなみに大相撲巡業の移動などでグリーン車が使えるのは、「呼び出し」の「三役格」以上と言う事になっている。

また大相撲の基本となるべき「番付」だが、これは実は「行司」が書いていて、用紙は和紙で縦が57・5cm、幅が43・8cmで、5段に分かれているが、上段にいくほど地位は高く、下段になるに従ってその地位は低くなり、幕下以下では俗に「虫眼鏡」と言って、虫眼鏡で見なければ分からないほど小さな字で書かれている。

「番付」の文字書体は独特であり、こうした書体のことを「根岸流」と言い、通常は「幕内格」クラスの「行司」が主導してこれを書いているが、近年私の知るところでは1990年中ごろに活躍した「木村容堂」などが印象に残っているが、現在は2007年から「番付」を担当している幕内格行司、「木村恵之助」の手によって番付表が書かれていると聞いている・・・。

※ 本文は2010年11月27日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

「国防の現実」・Ⅱ

1960年の日米安全保障条約改定時、当時の内閣総理大臣「岸信介」と、「ハーター」アメリカ国務長官との間で交わされた公文書には、陸軍1個師団以上のアメリカ兵の配備変更、中長距離ミサイルの持ち込み、日本から行われる戦闘作戦行動の場合は、日本とアメリカの事前協議が行われる事をアメリカは了解したとなっているが、これまでに同事案でアメリカから事前協議があったことは一度もなく、従ってアメリカ軍の装備、兵員数、作戦展開などは一切日本が把握できない状態となっている。

その上で、アメリカ軍内部には機密漏洩の恐れから、日本への事前通知が制限されていて、この場合は日本が有事の際ほど、日本にアメリカ軍の作戦要綱などは通知されない仕組みになっている。

特に民主党政権になってから、この政府に対する危機管理能力の有無にはアメリカが強い警戒感を示していて、万一作戦が日本側に漏れた場合、早速それが国民にまで報告され、マスコミがミサイル迎撃システムの配備地域まで公開してしまうようでは、作戦に支障が出るからである。

従って今回、2010年11月23日に起こった北朝鮮による韓国領に対する攻撃事件にしても、事前に佐世保ではアメリカ軍が動いていて、実際に警戒をしていたが、自衛隊は何もできなかった。

その原因は2つある。

一つは日本の防衛省にある「情報本部」の規模の小ささであり、1997年から戦略情報本部が防衛省の前身である防衛庁に設置されたが、その人数は1600人、内、実際に情報収集活動をしている者は1300人だが、この情報収集活動が全国6ヶ所で電波を観測しているに過ぎず、また別の80人は情報収集衛星の画像解析に要員として派遣されているが、未だにその活動はアメリカの商業衛星「イノコス」などの画像解析に留まっている。

つまりは情報の部分でもアメリカの統制下にある情報しか、日本は手にすることができない状況なのであり、これに2つ目の原因である伝統的な日本政府の危機管理能力の欠如が重なっている。

菅総理が韓国に対する北朝鮮の攻撃事実を「報道で知りました」と言う言葉は、日本の国防の実情を如実に物語っていると言えるだろう。

これは2006年の内閣府による調査だが、「日本が戦争に巻き込まれる危険性があると思いますか」と言う世論調査をした結果、回答者の45%が「その危険性ありと回答し、「危険がないとは言えない」とする回答も32・6%あった。

実に全回答者の78%が日本には戦争の危機があると答えたのであり、「戦争の心配はない」と答えた人は16・5%、「分からない」とした人は5・9%だった。

ちなみにこの調査は、2006年7月に頻発した北朝鮮のミサイル連続発射事件以前の調査結果であり、同じように2003年1月、つまりはイラク戦争勃発以前の同じ調査でも、戦争の危険があると答えた人は43・2%、その可能性がないとは言えないと答えた人は38・8%で、その合計は80%、戦争の恐れはないとした人は11・1%しかいなかった。

またベトナム戦争時の1969年には、日本が戦争に巻き込まれる危険性ありと回答した人が25・1%、その可能性は否定できないとした人は26・9%で、その恐れはないとした人が23・1%、1981年、強硬なレーガン政権が発足した時期だが、この時の調査でも「戦争の危険がある」とした人が28%、「その可能性は否定できない」とする人が32・2%、「危険はない」とする人が21・3%になっている。

そしてソビエトが崩壊し、東西冷戦が終結する直前の1988年の同じ調査、ここでは戦争の危険がありと答えた人は21・5%、その可能性は否定できないが32・1%、戦争の恐れはないとする人は31・3%だった。

つまり日本人が戦争に巻き込まれるのではないかと言う危機感は、ソビエトとアメリカが一発触発状態だった東西冷戦時代より、現代に近くなるほど増加しているのであり、

その要因の第一は「北朝鮮」の軍事力の膨張と、その不安定化、そして中国に対する相対的なアメリカの影響力の低下が上げられるだろうが、最後に決定的な原因は日本政府の危機管理能力の欠如、いや現在に至っては政権担当責任者の「不在」状態と言うべきか、このことが日本国民の不安を現実以上にかき立てているのではないだろうか。

日本の政府、国会議員は既に日本と言う国家の統治能力を失って久しく、これはまさに幕府崩壊の江戸末期の様相ではないか、どこかで民衆の「ええじゃないか」と言う声が聞こえてくる気がする・・・。

眼前に広がる事実は、既に北朝鮮が日本を攻撃する確率を否定できなくなって来ている事を、示しているように見える・・・。

※ 本文は2010年11月24日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

「国防の現実」・Ⅰ

国防(national defense)と言う概念は、その国家の国民の生命、財産、領土、主権を外部の脅威から擁護することを主な目的としているが、第二次世界大戦以降の国際社会は、こうした防衛と言う一種受動的、若しくは「静的」な有り様から、能動的かつ「動的」な防衛概念へと移り変わってきている。

つまりもともと「攻撃」を意味する(offense)の概念を払拭する為に用いられた防衛(defense)の概念は、既に防衛の為の「攻撃」や「作戦」と言う概念に移り変わっているのだが、こうした考え方を国家安全保障(national security)と言い、ここから現状で安定している国際情勢の動きを、更に継続させようとする考え方が国際安全保障(international security)と言う概念であり、現在はこれから更に「人間の安全保障」(human security)、つまりは個々の人間の尊厳を重視する考え方まで提唱され始めている。

しかし日本の防衛省、アメリカの国防省を見ても分かるとおり、一つの行政機構と言う視点から、国家のどの分野を所轄するかを明確にするならば、その任は依然として「国防」の概念こそが基本とならざるを得ない。

こうしたことから日本の「防衛」と言うもの、その実質をを鑑みるなら、防衛省のうち、長官、副長官、政務官2名、及び「防衛施設庁労務部職員」、つまりは一般職事務官だが、これらを除く他の全ては「自衛隊の隊員」と言う事になり、この自衛隊員が日本の国防の任に当たっていることになる。

その内訳は「陸上自衛隊」が定員15万6122人で、実際の隊員数は14万8302人、定員充足率95%、「海上自衛隊」が定員4万5806人に対して実際の隊員数が4万4528人、定員充足率は97・2%、「航空自衛隊」は定員4万7332人に対して隊員実数が4万5913人、定員充足率97%となっている。

またこの他に「統合幕僚監部」の定員が2322人に対して、実際の定員数は2069人、定員充足率は89・1%となっているが、これらを合計すると自衛隊全体の定員数は25万1582人となり、その実際の隊員数は24万812人、定員充足率は95・7%となっていて、この自衛隊員は全て国家公務員の身分が保障がされ、彼等に支給される報酬は全国家公務員報酬の40%に相当する。(いずれも2007年現在)

そして日本に展開するアメリカ軍だが、こちらは少し古くて申し訳ないが、2005年度の段階で陸軍1790人、海軍4802人、海兵隊1万5533人、空軍1万4240人の、合計3万6365人が日本に駐留していて、海兵隊第3海兵遠征軍はアメリカに4軍存在する「海兵遠征軍」の内、唯一有事即応態勢にあり、沖縄の第3海兵師団、第1海兵航空団(基地は山口県岩国と沖縄普天間、司令部は沖縄)、及び第3海兵役務支援組織から編成されているが、これ等の兵員数はアメリカ軍の日本への申告であり、正確なアメリカ軍の人数は、その作戦移動等によって安定していないことから、日本政府は把握できない。

在日米軍の司令官は第5空軍司令官が兼務し、その司令部は東京都、横田基地にあり、この他に広義の日本防衛にはアメリカ第7艦隊も関与しているが、その兵員数はおよそ2万人、主要戦闘艦艇50隻、海兵隊機を含む艦隊搭載戦闘機200機以上を備える世界最強と言われる艦隊が、このアメリカ第7艦隊である。

実に地球の半分をカバーすると言われるこの第7艦隊、その根拠地はグアム以外は全て日本を定係港、つまりは母港としている。

旗艦「ブルーリッジ」と空母「キティホーク」の機動部隊11隻が横須賀を母港とし、これは2009年キティホークが現役を引退し、ジョージワシントンが後継艦となっても継続され、強襲揚陸艦「エセックス」等6隻は佐世保を母港とし、また沖縄ホワイトビーチなども第7艦隊の寄港地となっている。

更に佐世保の揚陸艦部隊にはトマホーク搭載のイージス艦や、遠征攻撃郡「ESG」なども編成され、こうした背景を考えると世界最強のアメリカ軍は確かに日米同盟に基き、日本防衛の役割も果たしてるが、その実日本防衛に関する直接的な貢献度に関して、アメリカ軍の7%が日本に対する防衛の貢献度であり、残りの93%は日本がアメリカ軍に基地提供で、貢献していると言うべきものであるかも知れない。

だがこうした実情でも、アメリカ軍の防衛能力はイコール日本の防衛の全てと言うべきもので、実際に日本が戦争に巻き込まれた場合は、日本防衛の全指揮権は恐らく在日米軍司令官、若しくは第7艦隊司令官がその任に相当することになるだろう。

「国防の現実」・Ⅱに続く

※ 本文は2010年11月24日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。

 

「とてもパニックな約束」・Ⅱ

1994年4月、モロッコのマラケシュで締結された第8回「GATT」の会議では「GATT」を機構として昇格させる、つまり「WTO」はこここで誕生した訳だが、この中では「WTO」の設立と共に、それまで世界各国でなかなか関税の調節が取れなかった、農業分野と繊維分野についても新たに関税の値下げが提案された。

だがこうした農業分野と言う、各国にとっては安全保障上にも重大な影響を持つ案件は、簡単に協定が成立することは不可能であり、ここでは先に目覚しい発展を見せる電気通信、金融、運輸などの各国統一政策を規定した、「サービス貿易に関する一般協定」「GATS」(General Agreement on Trade in Services )の方が先に効力を発揮することになるが、ここで求められたものは「最恵国待遇」の義務とそれに関わる「透明性」である。

なかなか趣き深いことではあるが、その発足の当初は「無条件MFN」を国際社会に求めた思想の成れの果てが、そこに同じ「最恵国待遇」を義務とし、また透明性と言う余りにも漠然とした実現不可能な条件を付帯して、その流れである「WTO」の基礎的な下部組織である「GATS」にこれが受け継がれたのであり、ここで世界貿易は自由を求めるためにより深い不自由を招く、今日の世界的な民主主義の思想傾向と同じ矛盾を抱えていった。

またこうした経緯から「WTO」に昇格しても一向に埒の明かない農業交渉は、基本的に世界的な自由貿易を目指そうとする国際経済の前に立ち塞がり、このような現実を前に各国は、その交渉国数規模を少しずつ落としながら、より狭い範囲での交渉妥結を目指す、「GATT」の初期段階と同じ方向へと向かって行き、日本で言えば世界的規模が「WTO」で有るなら、それよりワンランク下の交渉が「APEC」(アジア太平洋経済協力会議)であり、ここでは世界人口の41・4%、GDP(国内総生産)の合計は57・8%、世界貿易の47%に相当する国々が参加しているが、この会議は「非公式フォーラム」であって何の拘束力も持っていない。

いわゆる自由参加の「お茶会」でしかないが、こうした会議の性格は国際的に経済が停滞すると各国が自国のみを守ろうとする、保護主義的な傾向になることを抑止し、ブロック経済対立とならないようにと言う意図が有るが、その背景には第二次世界大戦では、経済的に追い込まれた国家が世界的な保護主義とブロック経済によって更に追い込まれ、それが引き金になって戦争が勃発したことを潜在的に警戒する欧米の意図があるためである。

それゆえ「APEC」で決議されることは毎回決まっているのであり、それは「自由貿易」の推進と、「世界経済の発展」の2つだ。

そしてこうしたいくつもの事情が違う、しかも経済大国を含んだ集まりでは、そうした大国の目をかすめて、いかにして自国が発展すれば良いかと考える諸国からすれば、全く効力のない集まりでもあることから、シンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイの4カ国で設立した経済協力機構がTPP、「環太平洋連携協定」である。

従って「TPP」は「WTO」の中の「APEC」、「APEC」の中の「TPP」と言う位置づけになるが、「TPP]の凄さはその内容にある。

「連携国による関税の完全撤廃」を主眼するこの協定は欧州連合「EU」にも匹敵するものだが、こうした場合事実上この4カ国にあっては国家は存在しても、経済的な国境がなくなることを意味していて、勿論これによって工業などの輸出は促進されるが、逆に農産物などは国内の農業が他の協定国の安い農産物によって駆逐される恐れも発生してくる、言わば経済発展を第一に考えた「覚悟」が必要な政策協定でもある。

またその国家規模や、経済規模に措いても突出した国家がないことにより、協定内の公平性を保った発展が望まれるが、この動きにはペルー、マレーシア、オーストラリア、ベトナムなどが新たに参加を希望していて、この辺まではおおよそ妥当な感じがするが、これにアメリカが参加し、日本が参加するとなると少し話は違ってくる。

これは明確な「TPP」協定の有名無実化である。

冒頭でも述べたようにこうした「最恵国待遇」と言うものはその規模が少数の国家同士の方が協定しやすく、またそれによって経済大国に対抗できるメリットが生じるのであり、そこに大国が参加し、また加盟国が増加すると、そもそも始めに目指した目的が達せられないばかりか、そこではまた何も決まらない状態が発生してくる。

戦略とは経済大国に向けられた言葉であり、提携とは経済規模の小さな国家同士のこと以外に有り得ず、そこへ経済大国が加盟した時点でこうした協定は意味を失う。

その上で日本が現状で同国内の農業政策を引っ張りながら「TPP」に参加するなら、間違いなくほかの諸国の足を引っ張るだろうし、日本国内の農業は壊滅するだろう。

更にアメリカの意図は経済がブロック化してくることに対する防衛策として、「TPP」の参加を考えているのであり、この根底にはこうした小さなブロック経済地域が増加すると、そうしたブロックごとの対立が発生し、そこで国際紛争が発生してくることの危機感があるからだ。

中国と言う大国の台頭で国際情勢は予断を許さないものとなって来ている上に、これ以上の紛争の勃発はアメリカと言えども手が出せない状態ともなりかねない、そんな恐れからアメリカは自国の参加により「TPP」を有名無実化しようと言う方向が何となく垣間見えるし、また人気急落のオバマ大統領にとっては、少しばかりの点数稼ぎの側面も有るのかも知れない。

「WTO」ドーハ・ラウンド以降アメリカとヨーロッパ、それに日本は農業問題で対立、更には後進国と先進国間では鉱工業生産品に関する対立と、何れも関税に関しての対立が続いている現状、そして戦後一貫して続けられた農業政策によって、世界で最も脆弱となった農業を抱え、輸出産業で国内経済の生計を立てている日本は、ここに来て自国の輸出では自由貿易が不可欠な反面、米に関しては保護主義しか道のない状態、つまりはその発足から「WTO」が抱えている問題を、そっくりそのまま抱え込んだ状態に陥っているのである。

アジアの仲間外れになりたくない、農業問題の解決が付かず、その初期段階から「TPP」への参加が危ぶまれていた日本は、ぐずぐずした奴は置いて行くぞと言うアメリカの態度に恐れをなし、手の平を返したように「菅直人内閣」に措いて「TPP」参加を表明したが、この内閣には何のビジョンもなく、遠からぬ将来、日本の「TPP」参加は事実上の見送りを余儀なくされるだろう。

残念だが国際社会も、アジア諸国もこうした面では同じ見かたをしているように私は思う。

友人同士の約束を町内会の全員に適応することは無理だ・・・。

しかし世界は何故か政治でも経済でも、そして法でも軍事力でも、やはり同じ考え方を持ってきた。

それゆえ現代国際社会は理想と現実の狭間で喘ぐこととなっている。

何故このことに気が付かないのか、私はそのことが不思議でならない・・・。

 

※ 本文は2010年10月20日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています。