「空から恐怖の大王が・・・」

今日の夕方、6時を少し過ぎた頃、長女を迎えに行った帰り、道路は東側へ向っていたのだが、目の前を緑色の大きな星が上から下へ落ちていった。

一番最初に考えたのが、北朝鮮からのミサイルだったが、それにしては形や色が緑色と言うのはおかしい、それで次に考えたのが流星だったが、大きさが半端ではない、この間まで綺麗に大きく見えていた、金星の10倍はあろうかと言う明るさで、流星にしては落下スピードが遅すぎる。
それに曇り空だった。
飛行機のライトかとも思ったが、飛行機のライトでこの距離なら音がしているはずで、しかもああ言う角度で落ちていたら間違いなく墜落だ、ついでに飛行機の点滅灯で緑はないし、第一点滅していなかった。

同じものを車の中から見ていた長女は「UFO」だと騒ぎ、家へ帰りつくと家族みんなにUFOだ、UFOだと言って歩いたが、醒めた顔で長男が「火球」では・・・と言い始め、、それも考えられるな、とも思ったが、それにしては球形ではなかったこと、始めから終わりまで光の強さが同じで、突然消えてしまったことなどから、やはり正体不明ということは変わらなかった。
火球とは流れ星と基本的には同じだが、大きくて燃え尽きなかった宇宙の塵が、地球の大気で燃えて、それが球形に見えることを言い、その塵の成分によって緑色のものと赤いものがあるが、私と長女が見た光は形状が5角形で、火球よりはるかに明るかった。

相当大きい流星ということも考えたが、もしあの大きさで流星なら、大気圏突入時に大きな「どーん」と言う音がしているはずである。それに大きな流星なら尾を引いているが、とても大きな星がパラっと落ちていくような感じだった。
では長女の言うように、UFOかと言うと、これはこれで疑問だった。
動きが、貼ってあった星の飾りがぽろっと落ちたような動きで、それはUFOのような物理的に理不尽な動きとも言い難いのだ。

早速気象庁へ電話して他に同じ目撃例がなかったか確認したが、同じ目撃例はなく、家族には「どーん」と言う突入音が無かったか聞いたが、誰もこうした音を聞いたものはいなかった。
近くの天文台にも確認したが、こちらは閉館時間後で、留守電になっていた。

「んー・・・気になる」
そう言えば昔私がまだ小学生の頃、中学生のお兄さんやお姉さんが「あんた達私達より若くして死ぬんだよ、かわいそうにね」などと言って、五島勉の「ノストラダムスの大予言」の話をしてくれたが、それによると「1999年、空から恐怖の大王が降ってきて・・・」人類は滅亡するとか言う話だったが、せいぜい4、5年しか違わない割には随分同情されたもの言いで、今に至っても死んでいないところ見ると、こうした予言は外れたらしいが、ああ言う本を書いた著者は今ごろどうしているのだろう。

しこたま稼いで、タヒチとかの白い砂浜、褐色の肌のお姉さんからトロピカルドリンクなど渡されているのだろうか。
だとしたら随分な話だが、この正体不明の光を見て、もしかしたら天変地異の兆しか、少し遅れて大予言が来るのか・・・などと一瞬考えてしまった。
それにしても子どもの頃は自分も素直だったのだなと思う。

こうした話を信じて、子どもながらに何歳で結婚して、何歳で社長になって・・・とかそれなりの人生設計を考えていたことを思い出したが、この頃の設計図通りにはならなかったものの、30代で滅亡の憂き目にも会わずに済んだようだ。
勿論明日はわからないが・・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 最後にハレー彗星が地球の近辺を通ったのは30年ぐらい前だったと思いますが、極大日とか言う日の未明、やや曇っていましたが、全天が開けている近所の公園に、8倍ぐらいの双眼鏡を持って見に行きました。何人か居ました。何やらボンヤリした彗星らしきものが見えて、止まっているようにしか見えませんでしたが、「見えた」事にしました(笑い)、次は今からなら約40年後、その頃になるとどんな感じで迎えられるのか知りませんが、20世紀初頭の時は、地球の空気が一瞬無くなるとか、その他、色んな流言飛語が有ったらしいけれど、2000年以上前から観測記録があるのに、まだそれ程記録も集合されていなくて、心配だった人も多かったのでしょう。勿論今の知見で、当時を批判するのは、レースが終わってから、万馬券を当てるようなものですので不公正ですが、翻って、今真剣に遣っていることが実は、たった数ヶ月後~何十年後の違いは有るでしょうが、どんなに、好意的に見ても、大不正解を気が振れたとしか思えない勢いで、愚手を連発しているかも知れない、という畏れを以て、偶には自省するのが良いかも知れません、勿論他人が(笑い)。

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      日本と言う国が現代を歩いてきた軌跡は、映画「ゴジラ」を観てみると、ある種漠然と、どう思想的に動いてきたのかが解るかも知れません。
      初期は水爆実験に対する批判、次は高度経済成長時代の副作用「公害」、そして神秘的な部分、自然災害に対する考え方、政治的な動き、自衛隊に対する考え方など、「ゴジラ」は非常に当時の政治的な部分が描かれています。
      1970年代後半、なぜか世界は「絶望」と言うキーワードに向かっていきますが、この背景には東西冷戦の激化と核兵器開発の拡大が存在し、これに対して世界の民衆が絶望感を持ったような気がします。
      予言や天変地異のお告げが流行し、そうした関係の本が飛ぶように売れました。また「ソイレント・グリーン」「赤ちゃんよ永遠に」「猿の惑星」など、絶望をテーマとした映画が数多く作られましたが、こうしたものを少年期に取り込んだ私などは、どこかで常に破滅思想が存在し、多分その影響で団塊世代のバイタリティとは逆方向の消極性を持っているのではないか、そんな事を思います。
      基本的には何も信じられない訳です(笑)

  2. 今の少年は、小さな子供の頃から、近所の里山や広場などで、年の違う子供と遊んだ経験が少なく、小さな危険、池に落ちる~土手から転げ落ちる、ヘビ~スズメバチが出る、枝が折れて、各種木から落ちる、落ちそうになるなど、後人事的な感情とか、性格の違う子の行動様式とか、家庭の経済状況で、色々大変な事が有るとかの、経験~知識が少なく、生命に関わる危険に鈍感だったり、物言いが独善的であったりすることが、多いらしく、竹馬の友というものを余り理解していないようだし、長じてからも、信頼に足る人を見分ける知識経験が不足していて、簡単に詐欺に引っ掛かったり、主義や論理が付き合い方に大きく影響したりしていて、別の場所にいると、それぞれ考えて、目的に向かって、統一的な行動が取れないらしい。それでもゲームやら、或る種の好きな勉強はかなりできるらしい~~♪
    ルンガ沖夜戦では後日田中少将は、「私は突撃命令を出しただけで、後は全て部下の功績」と語っている~~♪

    少年を、全く悲しいことだが、かなりの数の政治家に読み変えても、同じで、結構、目の前の事はしっかり見えるらしいが、その意味するところは全く見えないらしい、よって未来を切り開く政策は全く提案できない、結構大きな災厄かも~~♪

    1. 現代の若者や子供に対する高齢世代の評価は一様に厳しいものが出て来ますが、いつの時代も若者は未熟で親の言う事は聞かないものであり、現代の若者も良い部分はあります。全学連の延長線上で社会を乗り切ってきた世代の主張よりは、私は醒めて極めて現実的な現代の若者の考え方の方が好きですし、妙な夢は見ないと言う部分でも共感は多い。特に公平である事や正義で有ればその先は問わないような考え方から比べると、人間的成熟と言える部分も有るだろうと思います。
      発展していく時は発展を加速するような考え方、下り坂には下り坂に比した考え方が必要であり、この意味では現代の若者の無感情、無機質ぶりはある種の時代に対する忠実性を感じます。
      それに国会のあの野党と安倍総理の答弁ですから、これで希望を持てと言われても、それは無理と言うものではないか、そう思います(笑)

      コメント、有り難うございました。

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