「坂道を上って行く車」

ヨハネスブルグで溶接業を営むA・カリルは、ある日、ヨハネスブルグからベリーニングに続く主要道に沿って、約10kmばかり続いている1つの丘のふもとへ入る道に自動車を止めた。
客と約束した刻限までにはまだ時間がある、天気も良いことだし、道端に腰かけて外の空気を吸い、ついでに煙草も一服したかったので、ポケットから煙草を出して、火をつけたが、そのさい何気なくさっき止めた自分の車に目が行った・・・。

その瞬間、カリルの顔色はハッと変わり、持っていた煙草を放りだした。
何と自動車がジリジリとひとりでに動き出していたのだ・・・・、しかもその自動車は坂道を少しずつ登っていたのである。
誰か悪戯でもしているに違いないと思ったカリルは、慌てて自動車に戻り、ドアを開け周囲を見回した・・・、だが誰もいない。
そしてその間も車は少しずつ坂道を登って行く、驚いたカリルはそのまましばらく考えたが、今度は自動車をUターンさせ、もう1度ブレーキを外して見た。

すると自動車は後ろ向きのまま、またもや丘の頂上に向かって登り始めた・・・、この状況に、カリルはなんだか急におかしくなってしまい、1人でゲラゲラ笑い出してしまった。
後日この話を聞きつけた南アフリカ連邦の「ザ・フレンド」紙の記者がカリルを訪ね、もう1度一緒に試してみることになった。
その丘は見たところ普通の丘で、他の丘と何か変わったところもなければ、周囲の様子も変わったことはなかった・・・、あまり急な坂と言うわけではなかったが、坂の両側には丈の高い草と、ところどころにトゲのある木が生えているくらいのものである。

「どちらの道からテストしますか・・・」
「この辺からでいいでしょう」カリルの問いに記者が答え、カリルは自動車のエンジンを切って、ブレーキを外した。
自動車はまたもや、しずしずと丘を登って行く、そこで自動車を止め、降りて丘を調べた2人はやはり何も見つけられず、結局自動車の周りを何度ぐるぐる回ってみても、どうしても謎が解けず、顔を見合せて大笑いするしかなかった。

このニュースは当時世界的なニュースになったが、そうこうしているとフレンド紙へ、スコットランドから抗議の手紙が舞い込んできた。
スコットランドの西海岸カルジーカルスの近くに、全く同じ不思議な丘があり、そこの坂道も同じように自動車が坂を登って行くことから、こちらの方が世界最初の不思議な坂だ…と言うのである。

またその坂は付近の人たちから「電気坂」と呼ばれ親しまれてはいるが、何か不思議な力が働いているわけではなく、全くの錯覚に過ぎない・・・、つまり丘の周囲を取り巻く田園風景と見比べたとき、その位置の変化で登っているように思い違えるだけだ、だからそもそも不思議でもなんでもないのだ…と、ご丁寧な解説まで付いていた。

これに対して「ザ・フレンド」紙の記者は反対の意見をスコットランドに送り、くだんの坂道は凄いでこぼこ道で、普通の坂ならブレーキなしでも十分自動車を停止させておける状態であり、またバケツに水を張った実験でも、その坂道は間違いなく見た目の方向に登って行く坂道であり、断じて錯覚ではないと主張した・・・が、スコットランドからは特段確認にも来ない割には、やはり「錯覚だ」と言う主張が繰り返され、その後もこのヨハネスブルグの坂道の不思議は、決着がつかないままになっている。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 「坂道を上って行く車」

    日本の国際関係みたいなものでしょう~~♪

    キリスト教的白人世界や東アジア的儒教擬き世界から、色んな意味合いに於いて、非難されている。国家の指導者の大部分や知識人も、実は高々150年程度の、やや頻繁に諸外国との付き合いしかないのに、そちらの見方から日本を観察・判断している。
    良し悪しは別にして、アメリカのハンティントン教授だったか、誰だったか、日本は世界7大文明の一つで、長期間一国だけで形成されている~~♪これも外部からの日本への解釈で、自己撞着のような気分でない事も無いが・・
    他の文明、とくには白人キリスト教的史観・哲学観から評価判断して、自己評点は比較的低いけれど、それだったら、弱小国で貧乏国で世界的発明・産業の勃興は無いはずであるが、実は逆のような気もする。
    唯我独尊であっても良くはないが、或る機序で動いている秩序を、別の機序で動いている秩序・社会から評価判断しても、結果がそれほど間違って居なければ、正しい、と言うわけでは無い、大抵の事は連関性を以て動いている訳であるから。
    例えば、アゲハ蝶のサナギの色を決定しているのは、幼虫が蛹化する場所の色だと長い間信じられていたし、大部分はその範囲内に入っていたが、例外がやや多すぎて、自然界の出来事は、条件を全く同一にすることはかなり困難で、物理法則とは違うが、疑問を持った研究者が居て、結局は蛹化する場所の硬度に関係したことがほぼ最近では定説化して居る様だ、つまりは柔らかい水分に富んだ緑の葉っぱの上だと緑っぽくなるし、硬い乾燥した薄茶色の茎の上とでそれぞれの色に同化と思われたが、色ではなくそこの硬度そのものだったらしい。勿論進化途中で、硬度に反応を集中したのかも知れないが、それは化石も無いし、多分今の知見ではそこまでDNAによって分析も出来そうにない。
    こういう事は多いが、疑問・再実験になる事は、多くは無い。実験成績が添付されていれば、鵜吞みし易い~~♪

    あと一つだけ言えば、出生率を上げるには、男女共同参画社会を実現すれば良い、とか言って、平等性を上げようとしているが、バ〇にしか見えない。どんな理屈が成立するというのだろうか、きっと遣っている連中も薄々気づいているだろうに。男も女も弓矢を持って狩りに行って、子供を育てられないだろう。
    男が肉を時々持ち帰れば、女は、近くで採集をするだけで、後は人の営みでもっとも面白く且つ高い投資価値を持つと言われる、子育てをもっとしたい人は、沢山居るだろうに(笑い)~~♪
    分業と平等の混乱~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      この話は「不思議な話」として、こんな話が過去に有った事を記録しておく意味が有ったのですが、今ではこの話は私のサイトでしか出てこないでしょうし、それを検索する者もいないかも知れません。
      しかし、過去海に浮かぶ綿飴みたいなものの記録は、現実に数年前にも発生しました。
      実に60年ぶりだったのかも知れませんが、2例目が記録された時に、第一回目の記録が重要になってきます。
      この話は深読みするれば何にでも繋がりますが、上り坂に見える下り坂ではなかったのではないかと思います。
      現実世界では上り坂に見える下り坂は山ほど有りますが、この話に出てくる坂は本当に上り坂だったような気がします。
      大きく広く物事を考える事は大切ですが、それをやっているとあらゆる事が教訓になって行ってしまって、その事象が現している正直な現実を見失う時も出てきます。
      見た目の事象を信じてやる勇気、たとえその本質が見た目とは全く違うものだったとしても、それを信じていく形の中には、虚を虚にさせず実に持っていく術と言うものが有るかも知れません。
      誰も憎まず、憎ませず、本音と実際の気持ちに相違があっても、それを一致させるように動かす度量、こうしたものを以って初めて本質が何かが見えてくるかも知れません。

      コメント、有り難うございました。

  2. 「漆の顔を見る」

    昔から現実の作製や飼育・生育をしたことが無いのに、論理・自己の観念、もっと分かり易く言えば机上の空論・妄想に支配されている者の方が、権力が大きい事が多くて、現場の者は、説明する語彙に欠けて、もっと辛辣に言えば、自閉症的で、外部との意思疎通の能力が低い傾向にあるようだ~~♪
    爬虫類やそれから進化したらしい鳥類も、独自に進化した昆虫も人が見ている三原色+紫外線の四原色で見ていて、それに、色は色素+構造で千変万化するので、人が見ているように、人以外の動物が見ているわけでは無いし、哺乳類は夜行性の時代が長く、特に猫は暗い所で良く見えるように進化して、二原色らしく且つ、動きその他には人の何倍も敏感であるが、近くにある、簡単に言えたば、本の文字のようなものに対しては解像力が低く、字としては見えず、白地の紙に黒文字だったら、ぼんやりした灰色に見えるらしい。因って、どんなに頭の良い猫でも、字を教えることはほぼ出来ない(笑い)。

    それは、某かぐや姫が、難関有名大学を出て、銀行の調査部で、華々しい活躍をして、その経歴を以て、父親の会社の後継となったが、忽ち内部留保を使い果たして、本社ビルに「売家」と唐様で書いた~~♪のと似たような事は、頻発するが、大抵は行き着くところまで行かないと避けられない事が多いようだ。
    某カネ〇ウも最初、好意的な医師から、そこの化粧品を使って、肌に異変が有ったと通知が有ったのに、内部の権威に押し切られて・・当方よりお詳しいでしょうが・・

    製作者と評価者は、違っても良いし、その方が良い事も頻出するが、どちらも、貝になって仕舞わない事が良い事が多いようには思う、説明責任も大切だが、説明できない事も多い、密教みたいなものだ。

    アメリカでも日本でも、ヒトに対してもチンパンジーに対しても、実験が行われて、おおざっぱに言えば、極幼児期には、栄養がやや劣っても、母親乃至はそれの代替となるような愛情・安らぎが有った方が、脳も体も発育が良いらしいけれど、実験は何回も追試がされているにも拘らず、未だに、自分の子供を養豚場じゃなかった保育園に入れて、依怙贔屓的な愛情抜きの餌を与えるのが流行っていて、「余った」時間で小金を稼いで、子供を飾り付けているバ〇は多いようだ~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      「漆の顔を見る」の記事は、チベット仏教の曼荼羅を文書解説しているような事をやっているので、この文章だけでは全てを理解する事は出来ないかも知れません。
      禅の中に「一にして全」と言う考え方が出てきますが、「一」の全ては「全」を理解しなければ実は解らない。それゆえ禅の修業ではまず上に逆らう事を禁じていますが、同じ事は徒弟制度にも当てはまる部分が在り、いまだ判断するに至る材料が揃っていない状態で他を判断してはならない。
      ましてや事の善悪など以っての他と言う事になります。しかし現実には指導者や上に立つ者も未だ「全」も「一」も見えていないし、それが見えていると言う者は一番何も見えていない。
      それゆえ下にいる者の心情を理解してやらねばならない。逆らう者ほどより深い理解を得たいと思うからそうなる。その事を察して対応して行かねば上に立つものは、上に立つ根拠の見せ掛けさへ失う。いわんやこれは決まりだと一喝して教えだと思う者は禅の師ではない。門前の事務職にすらにも至っていない。そしてそうした者が上に立っているから神仏の本質は見えず、悪戯に心地よい言葉で世の中は乱れていく。
      この図式は普遍的かも知れません。

      コメント、有り難うございました。

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