「国家再生の覚悟」

権威とはそれを振りかす者の上には存在できず、権威を振りかざす者はその権威を貶める者となる。

 

従って権威とは一方向の流れしか持たず、その流れとは権威を持たぬ者から、或いは権威によって被る事の有る者から、権威を持つ者への流れで有り、これを逆流させる権威者はその権威を否定、若しくは著しく卑しめる者である。

 

僅か2、3社のコンビニチェーンが年間給与増額を決定した事を受けて、2013年3月5日、他のまだ賃上げを決定していないコンビニチェーンを名指しで「賃上げ要請」する行為は、経済再生担当大臣として極めて異例と言う生易しいものでは無く、「職権濫用」である。

 

元々「甘利明」経済再生担当大臣はソニーからの転身であり、代議士になってからも商工部門との関連が大きく、為に今般安倍晋三内閣が打ち出した経済拡大政策(バラマキ政策)の信奉者で、この甘利明大臣の意向を汲み、期待値から一見デフレ脱却の成果に見える賃上げを決定した大手コンビニ数社は親甘利派と言う事である。

 

早くても2年、遅ければ5年かかる経済政策の結果が僅か2ヶ月で見えてくるはずがなく、ここで既に結果が見え始めてきたような話は、その現実が相当厳しいか危うい事を示していて、マスコミにも国民の期待にも同じ事が言える。

 

電気料金の値上げ、保険料の値上げ、小麦粉の値上げ、ガソリンなどは1日で1円ずつ上がっていく中、上がらぬものは給与や所得で有り、大手コンビニ数社の給与増額の隣りには、大手外食チェーン店の価格競争激化と言う中吊り広告が並んでいながら、「これで少し日本も明るい兆しが見えて来るかも知れません」と微笑む経済評論家、キャスターの姿にはどこか不気味なものすら感じる。

 

数字や目標、傾向だけを追っていて、その先に有る人間の姿や生活のイメージが無い。

 

賃上げを決定したコンビニチェーンの経営を考えてみると良い。

 

政府の覚えもめでたくなるとして賃上げを決定したものの、円安から海外調達材料は高騰し国民生活は悪くなる一方の中で、これから先の経営は厳しく、こうした状況の中で当面経費の削減は社員の給与か仕入れ価格でしかなく、その内社員給与を値上げした場合、しわ寄せは「仕入れ」に行く事なる。

 

つまりコンビニチェーン店が取引する製造メーカにしわ寄せが走り、ここではコンビニチェーンの10倍、20倍の人口が製造に携わっていて、材料調達価格が上昇し、更に取引先であるコンビニチェーンから価格の値下げを要請される場合すら有り得るとしたら、大手コンビニチェーン店では給与価格が上昇し、一件デフレが改善傾向に見えても、その数十倍の人口が今より更に厳しい価格競争に巻き込まれる事になるのであり、事実そうした傾向は既に始まっている。

 

政府や甘利明大臣達がデフレ脱却に成功にしているように見せかける為に、表面に出ない多くの国民が更なるデフレーションと、生活経費の増大に喘いでいるのであり、ここで言える事は大手のデフレーションがそれより下部の民衆に分散され、それを民衆が負担することによって大手のデフレーションと言う看板が外れると言う、まさしく貧困国家の鏡のような事態になっていると言う事である。
また国債と言うものは政府が事業者でない限り将来の増税でしか賄えないが、これを日本銀行が買い取った場合、そこに発生する行為は基本的には「詐欺」で有る。

 

借金をしてそれを政府も国民も払わずに済まそうと言う手立ては初めから成立するはずもなく、こうした方式が成り立つのは国際的な経済状況に措ける一定の条件が揃っている事と、これから日本と言う国家の人口が増えていく状況に限られる。

 

しかし現実の国際的経済状況はもはや経済的混乱の勃発前夜で有り、日本の人口は減少していく上に国民負担が急激に増大する事は確実な状況で、事実上の詐欺を行えばどうなるか、答えは簡単な事である。

 

借金まみれになって、ついには犯罪を犯すしか手立てが無くなった者に同じで有る。

 

現日本政府の有り様は、これを一生懸命誤魔化しているようにしか見えず、衰退して経済力を失ったマスコミが藁にもすがるように政府権威を信じ、政府の覚えめでたい報道しかできない、そんな情けない国家、もはや努力する情熱を失い、匿名なら言いたいことは言うが自分が政府から支給される金が減らされる、或いは無くなる事を恐れ、現状を黙認する高齢化社会の末期的な姿にしか見えない。

 

高橋是清の経済政策はそのどれもが彼が望んだ通りには実現しなかった。
現在の状況を昭和初期の状況に重ね合わせる者も多いが、その昭和初期には何が有ったか良く思い出すがいい・・・。

 

日本は結局経済的困窮から逃れられず、国際的なブロック経済政策に巻き込まれ、太平洋戦争と言う「破綻」でしか、これを解決できなかった。

 

加えて昭和初期の日本では意味の分からない目的税で税収が賄われ、経済は財閥事情中心に動いていき、民衆の暮らしは極貧状態を迎えていきながら、政府は「アメリカ何する者ぞ」と日本の繁栄を宣伝していた。

 

高橋是清は財政出動のおり、こうした事を言っている。
「今日の危機を乗り切る為には、国民の更なる勤労努力が不可欠なのであり、これなくして国家の再生は成し得ないのであります・・・・」

 

名蔵相は借金をしてそれを誰も払わなくて良いとは言っていないのであり、彼が愛されたのはその覚悟に有る。

 

最後は2・2・6事件によって青年将校たちに殺されてしまう事からも分かるように、高橋の凄さはその命懸けの覚悟に有り、この覚悟が世の中や世界を動かしたのである。
一民間企業に賃上げを強要するかの如く、浅ましく覚悟の無い者が経済再生など為し得ようが有ろうか、どんな素晴らしい政策もそれを動かすのは人である。

 

その人に「信」が無ければ、如何なる政策も人を動かす事はできず、この事を「権威」と言うのであり、額に汗することなく日々刹那的な享楽に溺れ、子孫たちの苦しみを酒や料理、女で誤魔化して見て見ぬ振りをする「今さえ良ければと言う高齢化社会」では、これから先の日本の混乱は必定、いやむしろ混乱や崩壊こそこの国を救う唯一の道と言うべきかも知れない・・・・。
[本文は2013年3月13日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。