「地震予知」

最大余震の発生は本震発生の一ヶ月以内が最も多いが、その地震エネルギーの質、例えば震源が深い場合など、最大余震は2年後に発生する確率も高くなっていて、余震と見られた地震の方が規模が大きくなる場合すら有り得る。

東日本地震(ここでは以後日本海溝地震と表記する)の発生に付いては、それ以前の阪神淡路大震災までに関連を付ける事はできないが、100年から150年の周期を持つスマトラ島近海プレート地震からの流れを見ることができるかも知れない。

直接の関係を科学的根拠に問う事はできないが、かなり以前からスマトラ島近海での地震激化と、日本の地震活動には何らかの因果関係があるのではないかと言う推測も為されてきた部分が有る。

しかし日本もスマトラ島近海も基本的には地震エネルギーの集積地で有り、ここで因果関係を見ることは容易いが、プレート相互が隣接して微弱に共鳴する力学的関係以上の因果関係は認められない。

つまり2004年12月26日に発生したM9・1の「バンダ・アチェ」南南東沖地震と、2011年3月11日、日本で発生した日本海溝地震との間に因果関係を見るなら、これは全地球的規模でのプレート共鳴現象、或いはプレート力学上の運動源であるマントル対流の微弱な変化が発生している可能性が出てくるからで有り、この点を考えるなら、2004年以降世界的に火山活動や地震活動が激化した来た事をして、その事態を想定する必要は有るが、今のところ現在の地球上の地震活動が通常の範囲か異常なのかの明確な判断を人類が下すことはできない。

ただそうした可能性が有り得ると言うことだけは事実だろう。

また地震発生予測に措ける「宏観予知法」、つまり身の回りで起こる現象変化から地震を予知する方法としての「流れ星」や「流星」と地震の因果関係に付いて、こちらも明確に因果関係を問う事はできないが、日本の文献でも中国の文献でも、またヨーロッパやイラン、イラクでも「流星の多い年は大きな地震がくる」と言う記述は数多く残されている。

近いところで言うなら1995年1月17日に発生した「阪神淡路大震災」の前年、1994年は日本各地で昼間でも白い尾を引く流星が観測されたり、夜には緑や赤い光を発する「火球」が連日観測されるなどの現象が多く確認され、この時は空気振動音なども多数聞かれた事が記録されていて、この空気振動音をして地震発生を予測した者も多かったが、これは厳密には大気圏に隕石が突入した時に発生する振動音だった。

つまり宏観地震予知法では、別に原因が有る現象を誤認した事になるが、結果として地震予知に繋がったと言うことで、ここで結果が全てで有るなら、流星の多い年は大きな地震が来ると言う言い伝えは成立したことになるのかも知れない。

そして2013年2月のロシアでの隕石落下現象だが、実はこの隕石落下現象の前日、日本でも正体不明の空気振動が発生していた事が報告されていて、一般的に飛行機の加速振動や雷以外での空気振動は火山活動活発化に伴う現象のケースが多い事から、この空気振動を日本の火山活動活発化現象に因果付けるか、それとも単純に隕石が大気圏に突入した際発生する空気振動かの判断は、前述の1994年の流星と阪神淡路大震災の関係と同じくらいあざといものと言う感じがする。

銀河はゆっくりと宇宙空間を回転している。

その銀河の端に太陽系が有り、太陽のまわりを公転する地球は宇宙塵をも含めて、全ての物質と周期の関係に有る。

つまり流星や彗星も大まかに言えば周期なのであり、ここに物質のフラクタル性「自己相似性」を鑑みるなら、地球の活動である地震の周期と物質の周期、彗星などの回転周期の関係には一定の相似性を見ることも可能だが、フラクタル性は「相似性」で有り、これは一方で完全一致の否定でも有る。

フラクタルは拡大するに従って滑らかになって行く事から、周辺に行くに従って核となる形と離れていく。

簡単に言うなら時間軸の経過や研究資料が揃うに従って、はじめの統計やモデルケースは漠然化し、ランダムに近くなっていくと言う事になるが、この事は宏観地震予知法でも科学的解析でも同じ事が出てくる。

地震発生前に海から魚が上がってくる異常現象でも、その深海魚はいつも同じ深海魚とは限らず、打ち上がる魚も関東大震災の時はイワシだったが、これが日本海中部地震の時はタコやカワハギになり、北海道南西沖地震の時はヒラメで、阪神淡路大震災の時はボラになり、日本海溝地震の時は2年も前から反対側の日本海側であらゆる異常が続いた。

また文明の発展や人間の生活の向上は自然界に少しずつ変化をもたらし、その為に発生する異常の原因も地震との関連確率を下げる、他の原因を多発させることから、益々異常現象が漠然化してきている。

従って結果を言うなら地震予知は1週間以上前の予知は無理か、或いは相当に不確定になり、可能性としては1日前くらいしでしか予知はできない可能性が高く、しかも宏観地震予知では複数の異常現象が重なるか、相当な異常で無ければ予知はできないと言う事かも知れない。

私見だが、私は地震が発生してからの科学的解析は余り意味がないように思うし、震度4以下の地震を当てた外したと言う議論にも意味が見い出せない。
如何に素晴らしい科学的解析でも地震が予知できなければ、それは怪しげな占い師の予言、近所のおばちゃんの勘にも劣る。

結果として地震が予知できればそれが例えまぐれだとしても、誤認解釈だったとしてもそちらを参考にするし、或いは信じる事になる。

地震予知は基本的に目の前で女子供が津波に呑まれ、助けを求めながら流されていく場面、年老いた親が瓦礫の下になりながら自分だけでも逃げろと叫ぶ、そうした姿を忘れた者には意味がない。

当てた外したなどどうでも良い、どれだけの人が助かったか、それに尽きる。

地震はゲームや勉強ではないと言う事を進言させて頂こうと思う・・・。

(本文を「回答書簡・9」に充当する)

[本文は2013年3月1日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。