「コンドラチェフ波倍数周期」

第一次世界大戦が終わってからの世界経済は、それまでの戦時需要から一転、景気の後退局面を迎え、そこで発生してきたのが「経済循環論」と言う考え方だった。

この理論は過去の歴史的傾向から、おおよその経済変動傾向を考えたもので、現在の経済論からすると古典的なものだが、それだけに基本的、大局的な部分が在り、どちらかと言えば「心得」「基礎的な知識」として頭の片隅に入れておくのは、悪い事ではないと思う。

日本でこの循環論が見直されたのは1995年前後、しかもそれ程注目された訳ではないが、この時期の日本人は暗い話から逃げる方向に在って、こうした一種運命論的な理論、現状分析が悲観的な部分に向いてしまう考え方を、避ける傾向に有った。

景気と言うものを考えるとき、2面で考えるか、4面で考えるかと言う2種のフレームが有るが、2面は景気の良い部分の頂点を結んで一巡とし、4面は悪い部分の谷底を含める考え方であり、一般的には2面で考えられるが、ここでは4面で解説する。

市場に登場した製品が人気を得て拡大して行くと、やがて製品が行きわたり、この時期と生産体制は一致しない。

必ず生産体制が需要を追い越してしまう局面を迎え、ここで残った製品は「在庫」と言う形になり、その以前ほど爆発的な需要は無いものの、安定した需要と供給の関係に至るまでのタイムラグが発生する。

この期間がおおよそ3年から4年と考えられ、事実1990年代までの日本の景気は3年好景気、4年不況と言う形が多かったが、この指数は主に製造業の循環と考えるのが妥当かも知れない。

1923年、アメリカの経済学者「ジョセフ・A・キチン」が提唱した事から、この景気の波をキチン循環と言い、約4年周期の景気変動を指す。

次に、キチン循環より長くて大きな変動が「ジュグラー波」と言う事になるが、この理論は1860年「クレマー・ジュグラー」が提唱したものだが、現在の感覚で言うなら「設備投資」に関する循環と考えるのが良いだろう。

設備は需要の変化や機械の耐用年数の問題から、約10年周期の変化を示す。

これに拠って設備投資が盛んな時期と、そうでは無い時期が多くの企業で一致してしまう事から、この景気変動を約10年とし、提唱者の名前を取って「ジュグラー波」と言う。

更に住宅や建築物の耐用年数、人口や平均寿命とも関連が深いのが「クズネッツ波」であり、1930年、アメリカの「サイモン・クズネッツ」が提唱したものだが、住宅や商業施設などは、おおよそ20年から25年で建て替えが始まる事、また例えば日本では一代を25年と考えた事からも理解できるかと思うが、世代交代が25年くらいの周期だと言う事でも有る。

この周期は20年とされるが、5年の重複期間が在って20年と考えた方が良い。

また現代日本社会では「家制度」が崩壊している事から「一代」の数は増えているが、その一代の消費は高齢化一代の増加に拠って減少している。

そして重要なのは一番大きな波である「コンドラチェフ波」である。

この波は範囲も期間もマクロ的なので、1つの国家の衰亡を現していくような側面を持つ。

1925年、ロシアの経済学者「ニコライ・コンドラチェフ」が提唱したものだが、周期は50年であり、大体この期間に事の大小はともかく、1つの国家が繁栄から衰退を迎え、そしてまた繁栄と向かっていくと言う循環だが、こうした観念的な理論の割には、極めて現実経済に則した恐ろしさが有る。

戦争、革命、人口減少、災害などに拠る影響は数年や数十年では解消されて行かない。

それゆえこうした基礎的な要因で繰り返される周期と言うものは、経済を好景気か不景気化だけで見るなら50年だが、実際にはその中でも折り返しが有り、不景気のピークを中心とする折り返しと、好景気のピークを中心とする折り返しを考えるなら、4面が出てくる。

更にこうした「波」に拠って経済の動きを考えるなら、例えばキチン波の3年好景気、4年不況と言う具合に、その前の周期状態とは反対方向へと向かい、そして大きくなってまた小さくなると言う形の倍数周期が見えてくる訳であり、ここからは私の予測なってしまうが、「キチン波」4年、「ジュグラー波」10年、「クズネッツ波」25年、「コンドラチェフ波」50年とするなら、このそれぞれが次の周期と弱い上り坂、下り坂の関係に有るような気がする。

つまり「キチン波」8年、「ジュグラー波」20年、「クズネッツ波」50年、「コンドラチェフ波」100年をセットとして観て行く事ができる可能性が有る。

「キチン波」を例に取るなら4年の中に上下が有り、その上下は8年の緩やかな上下の中に在ると言う事になる。

その上で今の日本を考えるなら、間違いなく「コンドラチェフ波」の衰退を迎えている。

江戸後期の各種改革で疲弊した経済は「コンドラチェフ波」50年の終焉と「コンドラチェフ波」100年の緩やかな下り坂が一致して幕府崩壊と言う大混乱を迎え、その後50年は昇り調子になるが、この50年の中でも折り返しが有って衰退している所へ第一次世界大戦の好景気が発生する。

そしてこれが終わると不景気になって行き、震災や世界情勢から太平洋戦争へと突入する。

終戦を迎えたのは1945年だから、日本にとっては1853年、ペリーが浦賀沖に現れてからおおよそ90年だった。

途中の45年ぐらいの時、一時的に転換期を迎え、そこからは回復するが、前半の45年は明確に上り調子、そして後半の一時期には好景気を迎えるが、それが元で収縮できなくなり、1945年の完全破綻となる。

「コンドラチェフ波」は50年ほどの周期だが、こうしてみると前の50年の衰退と後の50年の衰退は何かが違う。

日本は1945年から次の「コンドラチェフ波」50年を迎え、そのピークが終わった1995年バブル経済の崩壊を迎えたが、敗戦と言う現実よりは程度は軽い。

もし「コンドラチェフ波倍数周期」が存在するなら、江戸末期から太平洋戦争終結までおおよそ100年、そこから100年後は2045年となる。

2045年から2050年にかけて、「コンドラチェフ波50年周期」と「コンドラチェフ波100年周期」が一致してやってくる事になり、その後は繁栄に向かう。

ただし、ここで見て来たようにコンドラチェフ波周期」末期は、敗戦やバブル経済経済崩壊と言った混乱が、短期間にやってくる事になる。

しかも100年周期を想定するなら、次の「コンドラチェフ波」終焉時期には、バブル経済崩壊くらいでは済まない混乱を迎える事になる。

日本が今受けている「コンドラチェフ波」の衰退原因はおそらく人口だと考えられる。

人口がどのくらい減少するかは解らないが、たぶん2045年頃には人口減少がピークを迎え、今度は増加に転じる事になるのだろうが、既にバブルが崩壊して25年、後25年は上下を繰り返しながら緩やかに衰退して行く事になるが、その最後には破壊的な何かがやってくるかも知れない事を、想定した方が良いのかも知れない。

それは自国が起こさなくても戦争、革命、人口変動、災害など、或る意味一般民衆はもとより、政府ですらコントロールできない所からやってくるのかも知れない・・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。