「政府と言う概念」・Ⅱ

そしてこれはロンドンの研究機関の非公式見解だが、ベルギーの状況と日本の政治状況は実質同じであり、この2国の今後の推移を見ることで、これからの国際社会は、今までの秩序の修正を検討すべきかも知れないとしている。

日本に措ける民主党政権は、事実上「小沢」と「反小沢」の2つに割れ、そして抗争を繰り返し、その期間既に1年以上、日本は事実上の無政府状態だが、ではその国民の殆どが難民状態になっているだろうか。

経済が崩壊しただろうか。

これまでの西洋史観、政治学からすれば、現状のベルギーや日本は既に国家として成立していないはずだが、しかし現実を鑑みるなら、政府や議会が崩壊しても国家は崩壊しないと言うことなのではないのだろうか。

つまり政府が存在して、議会が無ければ国民が生活できない、民主主義が守れないと言うこれまでの定義は幻想、神話となったのではないかと私は思う。

その上で更に言うなら、こうしたベルギーや日本などの国は、これから世界に先んじて、今までの概念を打ち壊した新しい秩序を構築するに、最も近いところにある国なのではないかと言うことである。

ベルギーの無政府状態を救っているものは、地方への権限委譲と、政治的にはEUと言う機構であり、日本の無政府状態を救っているものは「官僚機構」や「地方行政システム」であって、政治的にはアメリカを始めとする欧米のシステムである。

このことから、もし日本やベルギーが新しい秩序を構築するなら、基本的には地方分権を進め、そのブロックごとの独立採算制を高めることであり、そうして中央政府は防衛と外交のみを担当する機関へと後退させ、国会は廃止しても何ら影響は無いだろう。

その代わり地方議会の都道府県議会は残し、端末の市町村議会も廃止した上で、県単位の権限を強化し、例えば沖縄など基地問題を抱えている県は、その県とアメリカなどの国家が直接交渉し、他の県がこれを支援していく形式でも良いのではないだろうか。

また赤字国債を国民や金融機関に押し付けた上で、その償還が難しくなると増税と言う現在の政府の概念は一般市民、一般企業であれば出資法違反に問われることは間違いが無く、現在の日本経済、政治的な空白状態が企業であればどう言った罪になるかと言えば、確実に「特別背任罪」である。

現在まで日本政府は、「政府や税制が破綻すれば日本の破綻ですよ」と言って日本国民を運命共同体の中に引き入れてきたが、この1年間、政府が全く機能していなくても日本国は崩壊もしなければ、経済的な破綻もしなかった。

つまり政府や国会など無くても影響がないと言う事なのであり、その無くてもどうでも良い政府がする借金は、政府の借金であり、国債を買っている日本国民は政府に対する債権者である。

その債権者の債権を何とかしようとして、債権者に増税を課すなどと言う事が、あっても無くてもどうでも良い政府によって行われることは許されない。

国民は万一のときは、国会議事堂や霞ヶ関、議員宿舎などを裁判所に申し出て、「仮差押え」の申請対象とすべきくらいの意識を持つべきだろう。

ベルギーも日本もその政治的混乱、虚無感、出口の見えない状況は同じだ。

しかしこうして政治的な混乱の極みになれば、そこから新しい道もおぼろげながら見えてくる。

闇はまた光であり、希望は絶望の中でもっとも光り輝く。

やはり破壊は創造なのだろうと思う・・・。

[本文は2011年1月8日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。