第一章「10年後に滅びるなら」

もっとも大きな利益は、もっとも大きなリスクの隣にある。

それゆえ戦争にまつわる物品を扱う者はもっとも大きな利益を得易いが、もう一つ、例えば10年後に滅亡するだろう時はどうするか。

「もうだめだ」と言って諦めるか・・・。

1984年、10年後に滅亡することが分ったとき、これに果敢に挑戦し、その10年で大きな利益を出してやろうと立ち上がった企業が存在した。

1975年にイーストマン・コダック社が世界初のデジタルカメラの開発に成功し、その後1981年には「ソニー」が「マビカ」の製品化に成功、この方式は現在のデジタルカメラとは少し概念が異なるものの、アナログFMを記録する電子カメラと言う事で、後に電子スチルカメラとも呼ばれたが、1984年、大手カメラメーカーのキャノンが2インチディスクフロッピーを記録媒体とする、デジタルカメラの商品化に着手したとの情報を入手した富士写真フィルム株式会社では、自社の今後の方針を決めるべく、商品開発会議が開かれた。

この会議で出された意見の大勢は、既にソニーやキャノンといったメーカーが、開発を始めているデジタルカメラの市場はやがて拡大し、そして恐らく10年後にはフィルムカメラの市場は壊滅するだろうと言う予測だった。

それゆえデジタルカメラの開発の必要性と、商品開発は急務とされたが、ここで一人の開発担当者が面白いことを言い始める。

うち(富士フィルム)が会議で、こうしてデジタルカメラの開発に移行すると言う意見で大勢を占めるのだから、他のメーカーも同じことを考えているはずで、そうした意味では確かに10年後にはフィルムカメラはなくなるかも知れませんが、今後10年間は試行錯誤で、完全な形のデジタルカメラは出ないと言うことではないでしょうか。

だとしたらフィルムカメラはこの10年間は間違いなく売れると言うことで、我々はフィルム会社ですから、他のメーカーが手を引いていく分野で、10年間は勝負ができると考えられるのですが、どうでしょうか。

「待ちたまえ、君は何を言っているんだ、10年後には市場がなくなるんだぞ」

端末の開発部社員の意見に販促部次長が早速反対意見を述べる。

だがしかし、こうした販促部の意見を制止したのは専務取締り役だった。

「売り逃げか・・・」

「なるほど売り逃げなぁ・・・」

専務の言葉に社長が思わず口元を緩める。

こうしてこの商品開発会議ではデジタルカメラの開発と共に、フィルムカメラの開発も承認されることになった。

そして富士フィルム商品開発部では更に凄まじいことが考えられていた。

「うちはフィルムメーカーだ、だからフィルムを売って利益を出すのが筋と言うものだ」、このコンセプトに徹底した商品開発の素案は、デジタルカメラの分野とは別に、「使い捨てカメラ」の開発計画を持っていたのである。

かくして1985年、ついに従来カメラを持っていなければ写真が写せなかったことから、どうしても写真が抜け出せなかった「特殊性」から、カメラを持っていなくても「フィルムを買えば写真が写せる」フィルム付きカメラ、いや正確には世界最初のカメラ付きフィルムが誕生したのであり、ここに写真はカメラを持っていなくても写せる「汎用性」をその手中に収めたのである。

そして開発されたフィルム付きカメラには、その当時流行していたア二メーションキャラクターである「忍者ハットリ君」をもじって、「ハッ撮り君」と言うネーミングしか思いつかなかった開発担当者、さしたるアイディアも思いつかないまま、完成品を上層部に見せに行ったおり、紙のボックスと言う外観から、販促部の役員の一人が「そんなもので本当に写真が写るのか」と発言したことから、とっさに名前は「写るんです」でどうでしょうかと言ってしまい、それは良いと言うことで、この場で「写ルンです」と言うネーミングが決まってしまう。

1986年から発売されたこのカメラ付きフィルム、その後この「写ルンです」が爆発的な売れ行きを記録したことは、今更説明する必要は無いだろう。

10年後に滅びるとしたら・・・、そこで諦めるか、挑戦するかでも未来は変わって行く。

自分が何者かを良く見極め、滅びるとしても、その滅びる間もチャンスは広がっていることを見逃さなかった富士フィルムの商品開発部、彼等は「写るんです」で得た膨大な資金を元に、同時並行になっていたデジタルカメラの開発を急ぎ、1988年、FMアナログ記録ではない完全デジタル記録のカメラ、つまり現在の概念と同じデジタルカメラである「FUJIX・DS1P」を発売、次いで1993年、記録媒体としてフラッシュメモリーを採用した「FUJIX・DS200F」を発売するが、いずれも世界最初の普及価格帯デジタルカメラ、世界最初の汎用性フラッシュメモリー方式だったのである。

「我々は10年後はフィルムカメラがなくなることを予測していました」

「そしてそれはフィルム市場がなくなることを意味していましたが、でもそれは逆に考えれば、10年間は売れることを意味していました・・・」

当時「写ルンです」の開発に携わっていた開発者の1人は、薄い水割りを一口飲み乾すと、少しだけ誇らしげに笑った・・・。

[本文は2011年1月26日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

第二章「ブルーオーシャン」に続く

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。