「鉞〈まさかり〉を研ぐ子供」・1

ある村の近くの山で炭焼きを生業としている男があった。
だがこの男の暮らしは貧しく、食うや食わずの毎日で、既にもう何日も食べるものを口にしておらず、その日も朝から村へ炭を売りに行ったが、炭はいっこうに売れず手ぶらで帰るしかなかった。

そして激しい徒労感から男は家へ帰って眠りに就いたが、ふと目が覚めてあたりを見回すと、すっかり傾いた陽の光が戸口を明るく照らし、そこには男の子供がただ黙って鉞(まさかり)を研いでいる姿が見えた。

「おまえ、そんなところで何をしている」
男は子供に尋ねるが、それに振り向いた子供は今まで研いでいた鉞を持って男にこう言う。
「これで殺してけろ」

そして子供と幼い妹は近くにあった丸太を枕に、そこに横たわる。
漠然とその光景を眺める男、一瞬頭の中がクラクラと来たかと思うと、次の瞬間、男の手に握られていた鉞はこの兄妹の首めがて振り下ろされていた。

人間はその年齢にならなければ、その経験をしなければ決して学べないし、理解できない事と言うものがある。
少年の頃、いや今もそうかも知れないが、我が根幹を為したものは「柳田国男」と「和辻哲郎」の著書だった。

だがこの二人の中でも取り分け私に衝撃を与えたのは「柳田国男」が著したこの冒頭の話だった。

確かではないが、東北地方の昔の実話だったと記憶しているこの話を始めて読んだのは高校生くらいだったと思う。
だがその時は確かに悲惨なことでは有るが、それほど大きな思いが無く、この話が衝撃を持って自身に迫ってきたのは、結婚して5年目くらい、長男が4歳くらいのときだった。

妻の心臓病が見つかった時、入院生活になったことから、暫く自分と幼い長男、それに2歳くらいだっただろうか、長女の3人暮らしになった時期があり、ある日スーパーへ買い物に行った時の事だった。

菓子でも買ってやろうと思い、「何かほしいものはないか」と長男に尋ねたが、彼は珍しく「何も要らない」と答えた。

長男のこの言葉に何か不自然なものを感じ振り返った私は、そこに不安げに、そしてどこかで遠慮しているような長男の姿を見て、一瞬にして「柳田国男」のこの話を思い出した。

「あー、親とは、子供とはこうしたものだったのか・・・」と思ったものだ。
そして家へ帰り、子供達が寝静まった頃、夜遅くにもう一度「柳田国男」のこの話を読み返した私は号泣したことを憶えている。

貧しさは罪か、さにあらず。
しかし人間の世は幾ら努力してもどうにならない理不尽の上に立っていて、それは僅か船板一枚を挟んだその下は海の如くに広がっているものである。

追い詰められてその最後の瞬間に有っても、子はその生死の何たるかを知らずして既に親のことを思い、親もまたその子を思うとしても、眼前に広がる現実の前に幼き命はその先を絶たれる。

だが誰がどのようにしてこうした在り様を裁くことができようか。
およそ法と言うものには限界があり、その奥は言葉の無いものでしかそれを裁くことができない、いやそもそもこうした在り様に裁きなどが入り込める余地すらないように思えてしまう。

キリスト教の教義では幼き子供とその両親があった場合、究極の選択では両親が生き残ることを是としているが、その理由は若い両親ならまた子供が作れるからである。
が、そんな簡単な、そんな薄いもので人の命を、親子をはかることが出来ようはずも無い。

「鉞(まさかり)を研ぐ子供」・2に続く

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。