「税制と災害」

毎日熱心にコメントを入れ続けてくれたEastさん、中々時間ができずにお答えするのが遅れてしまいましたが、長くなるので本日記事にしてお答え致します。
まず私は神ではないので、先の事は解らない。

 

前の記事の末文は具体的に広島の豪雨を予見したものではなく、天気図を見ていて漠然とそう感じただけに過ぎない。
決して特殊な能力が有る訳ではなく、この程度の予測なら誰でも出来る。

 

日本の気象予測と災害の関係は年々悪化している。

 

衛星観測によってあらゆる気象情報が得られ、観測機材も格段に発展し、防災土木技術も世界トップレベルにまで進化しながら、日本の災害は年々大きくなっている気がするのは何故か、それは気象予測の精度と災害を防ぐと言う事が比例関係にならないと言うことかも知れない。

 

日本の今年の気象傾向は「寒気」がキーワードになっている。

 

例年だと夏に近付くに連れ太平洋高気圧が勢力を増して日本を覆うが、この太平洋高気圧が今年は弱く、シベリアの寒気も小さくちぎれた状態になり易く、それが日本上空に入るために気象が激化、局所化している。

 

イメージとして地球温暖化の影響で北極海の氷が崩落し、海に流出している現象を思い浮かべると解り易いかも知れないが、日本の入ってくる寒気はこの崩落して海に流出している北極海の氷にフラクタル性(相似性)を持ち、豪雨が狭い地域で集中し点在する姿は、民主化によって権力の構図が崩れ、権力が分散した結果発生する暴動、混乱、解り易く言えばウクライナ情勢やイラクを始めとする中東情勢などとのフラクタル性が有る。

 

我々は人間と気象のシステムを全く別次元のものと考えるが、人間が構成する社会も基本的には気象を始めとする地球物理学理論と構造を同じくしている為、政治的な傾向と気象傾向や熱力学、株価の変動や人間の思想は大体同じような傾向を示しながらエントロピー(非可塑性変化)に向かう。

 

日本の気象観測技術はアメリカに次ぐ世界トップレベルに有り、これを基に最新鋭のコンピューターシステムで気象予測が為されているが、このシステムでは端末の僅かな情報によって予測そのものが大きく変化する、所謂ローレンツアトラクタ傾向が発生し、それによって気象予測は数時間単位で猫の目のようにくるくる激変していく。

 

勿論こうしたアトラクタに対応する為に、予測を漠然化するシステムが加えられているものの、日本の気象予測は観測精度が高い分、先に行って混沌を迎え易い傾向に有り、その結果気象図が6時間もすればひっくり返っていくような予報になってしまう。

 

加えて寒気と太平洋の温暖な湿度風がもたらす気象傾向は、統制が取れていない分解した軍隊と同じ動きをする。

 

制御が効いていないために暴動となり、その動きは首謀者の恣意によって決まるような、僅かな要因によって左右される傾向が現れ、尚且つ制御は力の均一性だが暴動は力の不均衡であり、この不均衡が集中豪雨なのである。

 

このような状態でどうして先の気象を予測するか、個人々々がどうやって先の天気を予測するかと言えば、その解決方法は「非理論性」「更なる漠然化」であり、つまりディテールを見ると言う事である。

 

南米ナスカの地上絵は、地上に立って狭い範囲を見ていてもそれが何かを認識できないが、大空から見れば鳥や人の形で有ることが認識できるように、寒冷前線が途中で途切れていても、そこには仮想の前線を繋ぎ、北の高気圧の端が膨らんでいれば、それがちぎれて来るかも知れない、そんな漠然とした不確定要素を加えて精度を出すのである。

 

また災害は経済の衰退に比例して大きくなっていく。
固定資産税や都市計画税などの税制対策は既存の平地に存在する土地高騰を招き、それ故に一般庶民は価格の安価な、新たに開発される山間隣接造成開発地域に土地を求め、本来機能が充実していた街中が空洞化と言う現象を起こしている。

 

増税や新設税制で財源を確保しなければ国家や行政が成り立って行かない財政、このどうにもならない貧困の悪循環が人々を安全な土地から危険な地勢へと追いやって、その結果が大きな悲惨な災害を生み、それを復旧し整備しなおす為に更なる借金をくり返しながら、被災者の生活や経済を奪っている現実を見なければならない。

 

税制で国民をがんじがらめにして衰退させ、それを救う為と称して更に増税繰り返し、ひたすら貧困の道を突き進む日本の災害は、気象観測の充実に反比例して年々大きなものとなって行くだろう。

 

広島県安佐と言う地には過去、私が大切に思っていた人が住んでいたところだった。
40人もの人が亡くなり、未だに40人以上の人が行方不明と言う現実の厳しさに、言葉も出て来ない。

 

土砂に埋まった経験の有る人は少ないかも知れないが、真っ暗になって呼吸をしようにも口に水や泥が入ってきて呼吸が出来ず、しかも苦しさでもがく事も出来ずに死んで行く、その苦しさと怖さ、どうにもならない焦りと絶望を、増税を推進する政府関係者や高級料亭でおもてなしを受けている大臣様達にも、時には味わって貰いたいものだ。

 

災害は天の采配に拠る。
しかしそれを大きくするか小さくするかは人間の責任となり、国が貧しければ災害は大きくなり、国が豊かならばその災害は小さい。
災害はその意識の高まりや行政、国家の規制では防げない。
固定資産税の一律低減改革、都市計画税の撤廃に拠る災害損失低下効果は、既存のどの防災政策にも勝る効果を発揮すると、私は考えている。
[本文は2014年8月24日、Yahooブログに掲載した記事を再掲載しています]

 

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。