「化学合成生態系」

古くは生物の種、質、量の80%は水深200mから上の浅海、陸地、空間に存在すると考えられていたが、地球上で一番高い山はエベレストの8848m、一方海の一番深い地点はマリアナ海溝チャレンジャー海淵の10920mである事から、地球表面の起伏はこの高さと深さの合計、ほぼ20kmしかないと言う事になり、陸地の平均高度は840m、しかも海洋と陸地の表面積対比は70対30である。

平均840mの陸地を削って海を埋め立てると、地球は水深3000mの海の惑星になる事に鑑みるなら、生物の種や質、量の80%が水深200mから上の場に存在すると考える事が如何に傲慢な事かが理解できる。

また生物は一般的に、太陽光に拠る光合成を行う生物を第一次捕獲生物とする食物連鎖生態系を成立させているが、これを光合成生態系と言い、人類もこの光合成生態系の一部である。

しかし1980年以降、太陽光が届かない2000m以上の深海で、この光合成以外のエネルギーによって第一次捕食生物が成立し、ここに生態系が発生している現象が世界の海で発見されるようになり、例えばメタンや硫化水素などから、化学反応によってエネルギーを得るバクテリアを第一次とする生態系の存在が認知されるようになり、こうした生態系を「化学合成生態系」と呼ぶ。

大まかには3種の化学合成生物群が存在するが、水深2500m、2700mと言う海嶺などのプレート拡大軸に沿った地点では、地底からの金属イオン含有熱水噴射口が存在し、この付近は300度を超える熱水が地底から噴出しているが、ここでメタンを主とする化学合成生物群が発見されていて、これらの生物群を熱水噴射孔生物群と言い、最終捕食者は二枚貝や巻貝、イソギンチャクなどである。

一方こうした状況の反対側、つまりプレートの沈み込み部分には有機物の堆積層が存在し、これらが分解していく中でメタンや硫化水素が発生する部分が出てくる。

この中でメタンや硫化水素をエネルギー源とする第一次捕食生物の発生、連鎖が形成される状態を「冷水湧出帯生物群」と呼び、これも化学合成生態系の一つだが、日本海溝では水深7300mの地点で「ハナシガイ」の存在が認められていて、現在知られている範囲では、これが世界で最も深い海に成立している化学合成生物群である。

そして一番興味深い「化学合成生物群」なのが「鯨骨生物群集」であり、深海に沈んだ鯨の骨の周囲に形成される食物連鎖である。

鯨の骨の中に含まれる脂肪酸が、深海と言う分解酵素不足の状態で発生させたメタンをエネルギー源とする、バクテリアの発生によって成立した生物群であり、世界中でサンタカタリナ海盆の水深1740mの地点、日本の鳥島海山の頂上付近、水深4000mの地点の2箇所しか今のところ確認事例が無い。

さてさて中々厄介な問題である。
彼等は何故存在しているのだろうか・・・。
熱水の噴射口など数万年、長くても数百万年の内には変化が生じる。
冷水の噴射口も同じであり、鯨の骨など数万年しか持たない。

尚且つ化学合成生態系はメタンや硫化水素などの共通点は有るものの、環境に対する普遍性が無い。

地上であればアラスカでも赤道付近でも人間は生きることが出来るが、化学合成生態系はその環境ごとの独立性が有り、メタンをエネルギー源にしていても、冷水域の生態系は300度の高温域に生息する能力を有せず、これはその逆も同じで、鯨の骨の生態系などは完全に独立生態系である。

ではもし鯨の骨がメタンを出さなくなったら彼等はどうするのだろうか。
広い深海を生態系そのものがエネルギー源も無く彷徨い、次の鯨の骨に行き着く確率は皆無ではないだろうか・・・。

熱水の噴射口が移動してしまい、環境が変わってしまった生態系が、どうして次に噴射口となる環境まで移動できるのだろうか。
化学合成生態系はこのように未知なる重要な意味を持っているのである。

そして彼等がこの地球に存在している事が生態系の環境に対する従来概念の否定、もっと言えば生物の進化速度の既存概念の破壊、有機化合物から生物進化過程の、既存理論の崩壊を表している可能性が出てくるのである。

鯨の骨がそうゴロゴロ海底に転がっているはずも無く、一番近いところでも数キロメートルは離れていたとして、食物連鎖の大系がエネルギー放出の限界を感じ取って、そっくり移動することなど有り得るのだろうか・・・。

だとしたら我々が数億年はかかると考えている進化の過程は、環境によって意外に短い可能性が考えられ、事に鯨骨の生態系を考えるなら、有機化合物から生物進化の過程が数百年、数千年で終了し、バクテリアから貝類までの進化も数千年で終了するとした方が、まだ説明がし易い。

それにこうした極端に差の有る環境を考えるなら、原子に中間子が有るように、有機化合物と初期原始生命の間にも「中間生化合物」が存在し、基本は同じでも環境に応じてどんな形にでもなって行く半生物、半化合物がどこにでも存在している可能性、つまりは物質や我々の細胞にはもっと別の役割も存在してる可能性がでてくるのではないだろうか・・・。

数学でも一番超越的な部分が1と0である。
実は生物の本質は我々が考えるより恐ろしく簡単な原理に従っているのかも知れない。
そしてそれが簡単で有るが故に無限に続く世界が広がっているのかも知れない・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。