「有効活用」

手塚治虫原作「火の鳥」にこんな話がある。

宇宙船が故障して不時着したある星で、一人の乗組員がその星の人達に助けられる。
その星の人は、姿かたちは人間とおなじだったが、ただ足が鳥の足だった。
傷を負った彼をその星の人達は献身的に看病し世話をするが、そんな彼らの中でも1人の女性が彼に好意を持ち、身の回りの世話をするようになり、やがて2人は一緒に暮らし始める。

そんなある日、地球への通信機が修理できて交信可能となった・・・が、その通信機に近づいた彼女を、通信機を壊そうとしたと誤解した彼は銃で射殺、足が鳥だから食べれば美味いのではと考え、食べてしまう。
その肉は鳥の肉で「これは美味い・・」と言いながら食べてしまい、その星のほかの人達をも「俺はこの足が大嫌いだったんだ、鳥の分際で・・・」と次から次殺していく。
そしてこの乗組員に科せられた「罰」はここから以降年を取らず若返り、誕生からこの年齢までを永遠に何度も繰り返すことだった。

1980年代、私たちはテレビの画面に釘付けになった・・・。
ピンク色で笑ったような顔、可愛い手足でテレビコマーシャルに登場したウーパールーパーは、瞬く間にお茶の間の人気をさらい、水族館は連日この可愛い両生類を一目見ようと大勢の人で賑わっていた。
またペットしての人気も高まり、金に糸目はつけない、とにかく欲しいと言うことで子供連れの親たちがペットショップを訪れ、このウーパールーパーは信じられないほどの値段で取引されたものだった。

あれから30年・・・。
8年前、富山市にある水生生物を養殖する日本生物教材研究センターは、ペット向けの需要が激減しているこのウーパールーパー(メキシコトラフサンショウウオ)を食用として中国向けに販売すると発表した。
同センターは協力者もあって、今年2月初旬までにウーパールーパーを乾燥し食品にすることに成功、ドライフードとしてそのまま食べることもできるが、水で戻して空揚げや天ぷらにすると香りがよく、食感も良いとしている。
試食した近隣住民は、始めはどうか・・・と思ったが、これはなかなか美味しいと好評だった。

確かに原産地メキシコではかつてこのウーパールーパーは食べられていたことは事実だが、新聞の「むかしのアイドル、現在は食用・・」の見出しは、少しつらいものがあり、「用途を変えてブームの再燃を目指す」は、そんな・・・と言う感じである。

自由主義の社会、経済が最優先の社会だから、こうした企業の取り組みに意見をすることはできないが、そこまで無理して食べなければいけないものなのか、またかつて子供たちに人気があった、こうした生き物をドライフードにしてまで「活用」しなければならないのか・・・と言う素朴な疑問が残る。
また少し前の鯨の記事ではないが、牛や豚は食用だけど鯨は友達と言う、西洋の価値観の反対のことが言えるような気もするが・・・例えば金魚、それまでペットとして飼っていたものが、余ってきたから食用にしようと言う急激な価値観の転換ができるだろうか。

まあこうしたことも配慮してか、この企業は販売先を中国にしているところなど、なかなかのものではあるが、何か今の日本、何でもいい・・・と言う感じがするし、新聞も記事になるなら多少情緒が欠落しても・・・と言う恐ろしさを感じてしまうのは私だけだろうか・・・。

それにしてもウーパールーパー・・・あんなに可愛かったのに、ドライフードとは・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 今は特別扱いの(笑い)手塚治虫のマンガ、中立的だったのですが、アラビアンナイトを見てから、実は嫌いになりました~~♪
    翻訳の方は残酷な話や呆れる話も、何となく軽く受け流したり、諧謔があったりして贔屓にしていたのですが、教訓という訳でもないですが、牽強付会な気がして、シンドバッドが憎けりゃ、ブラックジャックもアトムも憎い~~♪
    高校生ぐらいまで、時々小型のサンショウウオを飼っていましたが、横溝正史の「悪魔の手鞠歌」でオオサンショウウオを食べるために捕まえていた、と言うのが有り、「イモリの黒焼き、○○薬」だそうだし、鳴き声で本当に牛だと思い込んでいたウシガエルは食用に輸入したのが始まりと言うし。
    近所にちょっと高い、海ザリガニ(笑い)を食べさせるレストランが有って、ワニのフライも有り、食べたこと有りますが、あの値段なら、鶏の唐揚げ~カツの方が良い。
    アメリカ人はクジラの皮の脂だけ採って後は海に捨てて、ワニのベルト~カバンを作っている連中は、肉も利用、こちらの方が未だマシの気もする~~♪
    日本の川には何処にも鯉が居て、公園には何処にもハトが居て、昔の支○人留学生は捕って食べたらしい、実際我が友人は、知り合いの支○人が、ハトを捕まえたのを現認した(笑い)~~♪
    街路樹のカリンが熟すと採ってリキュール~ジャムにしたくなる~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      私も実は手塚治虫には若干の違和感が有ります。それは闇に関する部分が余り良くないのではないかと思いますが、何かが汚いか醜い、或いは美しくない。もしかしたら善を引き立てる為に持つ闇の部分が悪いのかも知れない、子供の持つ残虐性が僅かに残ったまま大人になってしまったのかも知れません。
      そしてそれを崇拝するように高尚なものと考える一般社会の薄さもそこから透けて見える。
      どこからどこかまでが自分で、どこからが他か、自分はどこまでやって自分を保全するのが許されるか、と言う事を考えるなら人はともかく、私なら親から貰った部品以外の部品を他者から取って生き長らえようとは思わないし、それが自身の子で有っても同じだろうと思います。
      他者からパーツを取って生き長らえようとする考え方は古代ギリシャのレリーフに既に記録が残っています。奴隷の足を切り取り、負傷した将軍の足にすべく術式が行われている場面が刻まれているのですが、自分や子供が生きる為なら何をしても良い、どんな手を使ってかまわないと思うのは、いささか傲慢に見える。ある意味死体の肉をむさぼり食う以上のおぞましさを感じます。

  2. 衝突事故を起こして、お釈迦になった、オートバイからエンジンを抜いたり、キャブレターを貰ったりするのは、勝手にやればいいが、生き物の方から、脳味噌が壊れて、且つ拒否の宣誓が無いからと言って、腎臓やら角膜、生きの良い心臓を抜くのは反対~~♪
    最近は死ぬ権利も放棄させられかねない感じで、後天的なら、事前に宣誓すれば、回避の可能性も残るが、意思表示の不可なものも、よく世話をすれば、心地がよいと言う「意志」を身体から発するそうですが、自分だったら、南米のヤノマミの母の様に、返して貰った方がよい。
    善意溢れる声明を出してくれる方は多いが、実際に身を以て行動する人は少ない。
     こう言う事に対して、知識が蓄積されて、或る程度の理解が広まるには数百年が掛かるような気もする。
    最近は社会のほんの一部分でのみ生きている人が多いだろうに、その狭い知識経験が、社会全体と誤解している人の、物に怖じない発言が多いにも拘わらず、受け手もそうなので、それが罷り通っている。

    減税して、福祉を充実させて、教育を無料にして、世界と誠意をもって交渉し平和を達成する~~♪
    オラはその逆なら、可能と思って居るっぺ(笑い)

    1. またそこまで無理して何でも食べなくては成らないのかと言う疑問は常に付きまとう。今まで食べていたわけでは無いものを、しかもそれを食べなければ死んでしまうわけではないものまで、何で食用にするのか意味が解らない気がします。孔子の中庸、老子の調和を考えるなら、この地球に在るものは全て宿敵にして竹馬の友、自身が生き長らえる故に必要な最小限を得れば良く、それ以上を貪るは過ぎたる事になり、ましてや予め食べる必要の無いものまで、不必要に食べようと考えるは「餓鬼」の道そのものと言えるだろうと思います。
      片方で環境保全を謳い、自然との共存を唱えながら、裏では食べられてしまうウーパールーパーの事を考えるなら、如何にも理不尽な気がします。
      オオサンショウウオは隣家の大祖母が目の薬として大きな瓶に、大きなサンショウウオを飼っていた事を思い出しますが、今でもその事を思い出すと、何かが恐い・・・。
      見てはいけないものを見てしまった、聞いてはいけない事を聞いてしまった、そんな事を感じる次第です(笑)

      コメント、有り難うございました。

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