「言い訳」

大体こうした事と言うのは、今日だけは勘弁してくれ・・・と思うような忙しい時に起こるのだが、その日も納期に追われ時間がなく、頭から蒸気を吐く思いのところへ1本の電話がかかってきて、それは始まった。
電話の相手は久しぶりに聞く同じ村の伯母からだったが、同じ村と言ってもこの村は総延長で7キロメートルにも及ぶ長さと、それを2乗した面積があり、仕事場から伯母の家までは、おおよそ1キロほど離れていたが、その伯母が家の近所に住む婆ちゃんが、下の道を歩いて行ったと言う報告をしてきてくれたのだった。

この婆ちゃんは家のすぐ近く、30メートルほど離れたところに住んでいるのだが、認知症で1人暮らし、息子夫婦は100キロ離れたところで暮らしていて、放っておくと行方不明になる可能性が高いため、村の皆が少し離れたところで姿を見かけると、家へ電話してきて、それで私が迎えに行くことになっていた。

この村には70軒の家があり、それが15軒ほどのまた小さな地区に分かれているのだが、この15軒ほどの地区にはそれぞれ2人から3人の認知症の人がいて、こうした人は放って置くと行方が分からなくなってしまうので、誰が決める訳でもなく、その地区で昼間車を運転できる人がこうした高齢者の救護に当たっていて、一番端の地区は、行政には非常に非協力的な私がその役割をしている。

勿論民生委員などもいるのだが、こうした狭い田舎の民生委員と言うものは権威職みたいなもので、大方が自己顕示欲の塊のような人が多くて、ひどい場合には煩くなったら暴言を吐いて脅してしまうような者までいることから、おいそれと頼んでも、そこまでは面倒見てくれないのが実情だ。

またこうした認知症の高齢者は施設へ入れて・・・と言う話もできないことはないが、国民年金しか貰っていない高齢者が、月々10万円以上かかる施設へ入れないし、こうした費用が払えるほど、離れたところに住む子息が優雅ではない場合は、やはり近所の人が何とかするしかないのである、
本当は親の面倒は子供が見るのが正しいだろう・・・だが遠く離れたところに住む息子夫婦には子供がいて、そこを離れると仕事がなくて生活ができない。

たまにそうした経緯から、家へその息子・・・、と言っても私よりはるかに年上だが、彼とその妻が来て「いつもお世話になっています・・・」と深く頭を下げる姿を見るに付け、何も言えないのである。

そしてまあ、こんな村にも若い・・・と言っても全員が50代以上だが、それがいない訳ではないが、みんな昼間は働きに出かけていっていて、残っているのは高齢者だけになり、それで昼間も自宅で仕事をし、農業もやっている私のところへは、あらゆる問題がが舞い込むのだ。

だが、こうした高齢者たちは自分が小さい頃には、菓子をくれ、イタズラすれば怒ってくれた人達だ・・・言うならば私が私で有り得たのはこう言う人達のお陰でもある・・・、私は生きている間、何とかなる間はこうして頑張りたいと思っている。

「婆ちゃん、帰るよ・・・」車で迎えに行った私は婆ちゃんを車に乗せ、自宅まで送り、それから今は隠居している私の母に暫く相手をしてやってくれるように頼み、落ち着かせるのだが、こうした年齢になると皆同じことを言うものだ・・・生まれた家に帰る・・母や父に会いたい・・・と。
私はこうした言葉を聞くと胸が熱くなる。

一生懸命働いて、子供を育て、必死で生きてきて最後は1人暮らし・・・どうしてこんな社会なのかな・・・と思う。
そしてこうした仕組みも、もうそう長くは続かない、私が老いて認知症になった場合は誰もたすけに来てはくれないだろうし、よしんば一人暮らしで死んでも発見されないかも知れない・・・。
でも自分の目の黒い内は、そう言う思いをさせないし、ここから見える田んぼは毎年必ず、秋に小金色の稲穂で満たしてみせる。

月に1度はこうして緊急な出動があり、年に1度は山での行方不明者の捜索、そして数年に1度は火事を消しに行っている私は、仕事の納期がどうしても間に合わないことが出てきて、クライアントに必死で謝っている事があるのだが、いつもは言い訳ができないから、今夜はブログで言い訳をした・・・。

この記事は今から10年前に書かれたものだが、今では田畑はイノシシに追われ自身の母も世を去り、高齢者と言われる人の姿すら、めったに見かけないようになってしまった。

この静けさが何故か恐ろしく感じる。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 偶には、全く言い訳もしたくなる~~♪
    頓に近年は自己愛者~自分の都合優先のみの人が増えている。物事に遊びが無くなって来ている。言えるからと言って出来るものじゃない~ハイと言ったって、色々事故はある~~♪
    ギリシア当たりに語源が有りそうだけれど、grace 優雅でもあるし、寛恕でもあるし、猶予でもあるし、恩寵でもあるし・・円借款では大抵、最初の10年ぐらいは grace period と言う事で、支払いが発生しない、支払期間が来ても精々利払いで、その内支払い停止、予定通り?最後は瞬間的に無償供与して、それで借金返済という形にして、お終い~結果徳政と言う事ですが、形式上は返済~~♪
    ま、日本の様に一度も焦げ付かせなくて、全額海外債務を払う国には有り得ないが、近年大抵は、浪費性向の人が信用破綻するような感じで、大抵そう言う国は、それからも駄目だけれど~~♪

    個人の寿命は伸びたが、最後の10年は不健康状態の方も多い。1970年代から人口構成が今の姿に成るのは解っていたけれど、期待通り戦争も起きなかったし、40~50年後の各種問題を回避するための政策では近代の民主主義選挙では当選できないので(笑い)、直近の政策にバラマキで当選、将来の事は「オラ知らん」~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      こうしてみるとギリシャのポリスと言うシステムは結構面白い気がします。
      地方のように人口が減少してきたら、それを集めてインフラを統一して行くと経費もかからずとても効率が良い。こうした国家軍が連邦制を持って国家となる形がこれからの日本には必要になって行くかも知れません。
      この原理は簡単な事で、貧しくなったら一つ前の社会に戻れば良いのであり、人口が減ってきたら減ってきた状態にあわせて社会をくみ上げれば良いと言う事なのだろうと思います。
      しかし現在の社会や現状を基準に物事を考えるなら、これが難しくなる。
      平城京の頃の日本は家族と言うより「戸」と言う氏族、親族が一つの単位で生計を維持していましたから、ポリスのミニサイズだったような気がします。
      何によらず人がいないのは一番辛いところですから、家族と言う概念で人が維持できなければ氏族、親族と言う形で人を確保する道も有るだろうと思います。

  2. パキスタンのカイバル・パクトンクワ州に部族地域が拡がっていて、昔風のしきたり、生活が未だ色濃く残っているようだ。中を実際には見たことはないが、望見すれば、縦横100~200m程度の、高い塀に囲まれて、一族が住んで居るらしい邸宅が幾つもあった。数十人は普通で百人以上住んでいることもあるようだ。子供も沢山いるだろうし、勿論年寄りも沢山居るのだろう、外部からはその実態を知るのは中々困難なようだ、だからオサマ・ビン・ラディン(ラディンの息子のオサマ~日本の報道では、ビンラディンを苗字の様な扱いであったが)とかが、匿われていたりするようだ。
    そこでは多分、実働は若い者だろうけれど、家族の中心には老人が、長老となって居るらしい。医学的環境は余り良くないから、病気になれば比較的早く死ぬとは思うが・・
    因みに、我が友人は、その父が比較的若い頃、部族地域を出て、ペシャワールに出て、近代的教育を子供たちに授けたらしい。その方には会ったことはないが、その親世代からの話によると、そもそも誰か家にいたのだろうけれど、出掛けるときにカギを掛けると言う習慣は無かったようだし、犯罪はごく稀であったが、起きれば地域の部族内で長老が話し合って処置を決めたらしいが、いくら昔のこととは言え、懐かしそうに話して居たらしい~~♪

    1. ただこの国の為政者は既に破綻していて秦朝末期の様相ですから、これらは民間が主導して現実に対する形を作っていかねばならないだろうと思います。
      地方分権が責任転嫁になり、政府主導経済が破綻してきている中、古来ではこうした中でも民間が現実に対して動いて行って貿易をして来た形が在ります。
      個人尊重が行き過ぎて国家が破綻しかかっているのですが、なってしまった結果に対して誰かを責めても意味が無く、現状は打破できない。
      後ろを振り返らず目の前の現実に従った道をただ黙々と歩く以外に方法は無いのではないか、そう思います。

      コメント、有り難うございました。

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