「あきさめよー」

「何だよ、酒ばっかり飲んで・・・見てるだけで腹が立つんだよ」その小柄な男は大柄で、どっちかと言うとごっつい感じの男にそう咬みついた。
「うるさい、お前に何が分かる」ごっつい感じの男は普段は温和で、穏やかな男だったが、このときばかりは虫の居所が悪かったらしく、そう言うが早いか、小柄な男を突き飛ばした。
「くそー・・・お前なんか死ねばいいんだ・・・」口を切ったのか、少し唇に血が滲んできた小柄な男は、そう言うと台所へ走り、戸棚から出刃包丁を持ち出すと、大柄な男に向かってそれを構えた・・・。

「殺すのか・・殺してくれ・・・」大柄な男は逃げるどころか、そのまま小柄な男に近づいていった・・・「バカ野郎・・・何をやってんだ・・・もう一人の少し長身の男は、やっと事態が緊迫してきたことがわかったのか、慌てて2人の間に入ったが、時既に遅し・・・小柄な男は大柄な男めがけて突進していた・・。
だが運が良いのか悪いのか、小柄な男は畳の縁につまずき転倒・・・その足が部屋を仕切っているガラス戸に当たり、そのガラスは砕け散ったが、出刃包丁は大柄な男性の手前で空を切ったのだった。

1980年代・・・この頃既に派遣社員と言う労働形態は確立していたのだが、現代の派遣社員、派遣会社から見ればひどいもので、イメージからすれば江戸時代の「両替商」や「口利き」と言った感じとでも言うべきか・・・、とにかく社長は刺青が入っていないと言うだけ、殆どヤクザで、労働者たちを仕切る派遣会社の社員も素性の知れない人が多く、このような会社を頼ってくる人もまた、何がしかの事情を抱えた人が殆どだった。

また大手自動車会社や電気メーカー、繊維メーカーなどは派遣社員の他に東北、九州、沖縄などから期間社員を募集し、冬の間仕事の無い地方の人達は職業安定所、現在のハローワークだが、そこの斡旋でこうした大手企業の期間社員として働く人が多かった。
だがこのように大手の期間社員はまだいい方だった・・・雇用形態は社員に順ずるものだったし、3人から4人で住まなければならなかったが、それでも1人1部屋が確保できる寮へも入ることができたし、雇用保険や労災保険も完備されていて、誕生日には小さいが、ケーキが支給されるところまで社員並みだった。

悲惨なのはこうした期間社員以外の派遣会社から派遣される労働者たちである。
こちらもやはり地方から集められた人が多かったが、寮と言っても会社が借りたアパートや一軒家、そこに10人ほどで住まわされ、保険や年金もなく、労災ですら入っていなかったが、給料は日給、それの半分ほど会社がピンはねし、文句を言えばクビ、労働条件も社員では到底許されない勤務状態になっていた。

冒頭の話は実際にこの時代の派遣会社に暫く勤務していた人が遭遇した1場面である。
彼は東北の出身だったが、この小柄な男と、大柄な男は沖縄出身で、一部屋に3人で住んでいたが、沖縄出身の大柄な男は酒で会社を潰し、逃げるようにこの派遣会社にもぐりこんでいたし、小柄な男もまた女性問題で故郷にいられなくなってこの会社にもぐりこんでいた。
だが大柄な男はこうした状況にもかかわらず、酒を飲んで働こうとせず、同じ部屋に住む2人からしょっちゅう金を借りて、返すこともなかった・・・そこで小柄な音が注意した結果が、この惨事だったのである。

大柄な男はアルコール中毒だった・・・やがてこうしたことは会社の知れるところとなって追い出され、その後の消息は不明、それからも次々新しい社員が入ってくるのだが、大方が社会に適合できない人、親から見捨てられた放蕩息子、詐欺師、暴力団関係者、破産した人、前科がある人と言った具合で、みんな派遣された企業で問題を起こすか、盗みを働くかで、3日と続く者はごく1部しかいなかった。

こうした派遣会社のシステムは無一文で住所不定、前科があってもその日から食事にありつけ、作業服も貰えるし、とり合えず仕事さえしていれば、やがて小遣いぐらいは何とかなる・・・上手くいけば貯金もできるようになってはいるのだが、いかんせん殆どが社会的落伍者ばかりで、3度食べれたら大方はまた行方不明になるものが多かった。

この東北出身の男性の話は続く・・・労働者たちを車に乗せて企業に連れて行く役・・・つまり派遣会社のスタッフでも、「俺は一週間前に刑務所から出てきたんだが、金が無い・・・誰か車で撥ねてくれんかな・・・足一本ぐらいなら構わないんだがな・・・」とつぶやいているのを聞き、またある日には、一言も喋らない若い男性が入ってきたが、会社が契約していて「付け」で食事ができる大手電機メーカーの近くの食堂・・・、その新入社員はうなぎ定食を3人前食べて、会社の「付け」にし、翌日はもう行方不明になっていた・・・など応募してくるほうも結構なものだったらしい。

そして労働条件はきびしかった・・・。
3交替勤務で、交替なし勤務が週1回義務付けになっていたり、社員からのいじめ、期間社員ですら彼ら派遣社員を見ると差別した・・・一番危険な仕事や、部品洗浄、つまり揮発性物質を扱う場所での作業などは、歴代ずっと派遣社員向けの仕事になっていた。

この男性は3年近く同じ派遣会社で勤務したが、その間に移動した派遣先企業は9社にもおよび、この期間に入社した人は憶えているだけで200名近く、その全てが1年以内に辞めて行ったか、警察に捕まったか、行方不明だと言う。
スナックの女と2人で行方不明になった同郷のヤクザもいた、彼は車を置いて忽然と姿を消したが、「心根の良い男でした・・・」と懐かしそうに語っていた。

勿論この時代の派遣会社の全てがこのような状況だった訳ではないが、どうだろうか今の派遣会社とは一味も二味も違う深いものがあるのではないだろうか・・・。

ちなみに「あきさめよー」は、男性が沖縄出身の男性2人と住んでいた頃に習った、沖縄言葉だということだ・・・。
その意味は「あーあ」とか「どうしようもないな・・・」と言う意味らしい・・・。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

4件のコメント

  1. 江戸時代の「口入れ屋」の話は落語、何種類か有る、でしか知らないので実態とは違うでしょうが、そう言う人も居たであろうし、それが長く続いたと言う事は、それなりの意味があったと言う事でもあろうけど。
    田舎から江戸に出て来て、多分上方にも有ったとは思うが、商家に奉公して、生きて行く者が有った、数が多いのは、色んな縁を頼って奉公したのだろうけれど、それは例えば、昭和における東京の銭湯では新潟県出身の方が多かった様に、北陸も多かった?話に寄ると、コンニャク製造では、産地の群馬では無く、山形の人が多かったとも聞いている。
    商家にも奉公人にも需要があったし、中には旗本とか大名の江戸屋敷にも需要は有ったようだ。どちらにも利益が有ったのだろう。口入れ屋も或る意味、奉公人が良く働けば、仕事も増えて、良かったのだろうと思う。
    現代のハローワークはその官立版だろうけれど、紹介が無料であるし、或る種の宣伝にも使われるし、零細な事業所で、大いに助かっていると思われる。各種補助金の橋渡しも有るようだし、その存在意義をもっと大きくして、今でも遣っているが、職業教育の範囲を広げたほうが良い、やや社会主義に偏り過ぎると言う人もあるだろうけれど、現在の仁義なき弱肉強食は宜しく無いかも知れない。
    民間の人材周旋業者も存在意義は勿論あるだろうけれど、大企業の責任回避機構としても働くし、2次~3次となって無責任機構も発現するようだ。ま、良い面も勿論あるが、現代版奴隷斡旋業の一面も有るように思う。
    自分は、保険と年金の支払い・徴集の遣り方を根本的に変えないと、人材周旋業は企業に隷属して、その業種は利益を貪るが、労働者にとっては、短期的には兎も角、長期的には貧困を生む培地になるのでは無いかと危惧している。短時間労働でも、その割合で保険を必須にするとか必要と思われるし、外国人労働者の受け入れ、競争力など、難しい問題は有るが、努力はしたらいい。
    財務大臣だった竹中某の人材周旋業~紹介業の親玉になったが、元々利権漁り的性向があったのだろうけれど、教育~公職を離れて今ややり放題。
    「ナンクルナイサァ」と済ます問題じゃない~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      1980年代の人材派遣と言うのは、大概が何かしら丸暴との関連性が有ったか、若しくは丸暴そのものが運営しているケースが多かったのかも知れません。そしてそこに集まってくる人材も、一般的には遣えない人が多かったのでしょうが、こうした事を綺麗にしすぎると、ここに来ていた人たちは全く社会との接点をなくし、そこから犯罪の増加や一般社会への復帰の道が途絶えてしまう事になっただろうと思います。
      人間の世の中で白か黒かはっきりした生き方の出来るものは少なく、この中で底辺近くでもグレーの領域を生きている者たちは、制度が綺麗になりすぎると黒に落ちてしまう。
      法が細かくなると言う事は法本体が既に間に合わなくなってきている事を意味し、そこで綺麗に区割りする法を追加すれば、グレーの領域は少なくなり、社会的不適合ばかりを増大させてしまう。
      多少怪しくてもその怪しい部分が残っていないと、現実の社会は息切れしてくる事になります。
      そして自分が悪くならないように、責任を回避し言葉で言い逃れる事が横行する。

  2. ここに働いた人たちの、かなりの割合が、勿論ここに来る前から、問題を抱えていたのでしょう。
    代表的なのは、子供の時から、困窮家庭の中で暮らしていて、教育を満足に受けていない。親もそれを特段のことと思っても居ない。自分も周囲も余り気付いて居ないが、知能障害がある。その他アスペルガー症候群、学習障害、自閉症スペクトラム、難聴でそれに相応しい教育を受けていない、など当時としても福祉から遠く離れたところに居て、その存在も知らなかったし、福祉の手も届いていなかった。今でもかなりの人々が、そう言う状態にあると思われるが、累犯で服役する人々の、障害者割合は、娑婆で思うよりずっと高いらしいし、懲役服役者に使う同じ金額の税金が、福祉側から使われていたら、社会復帰の機会も格段に増えるし、出所後に身元引受人が無くて、放浪したり、窃盗などをしたりして生きて行く者も減るだろう。安心して居られる場所として刑務所を選ぶために、自棄になって成って、通り魔的犯罪被害者に成る人も減少すると思われる。
    時々被害者の遺族が、何故○○が△△の被害者に成ったのか理由が知りたい、と言う事で残された者も生涯苦悩することも多いらしいが、もうざっくり言えば、税金の使い方の社会安定性の向上という観点からではなく、その場の問題の減少、つまりは重箱の隅を綺麗にするために、使われるだけで、それ程、有効に使われていないと言う事あろうと思われる。
    或る意味、累犯知的障害者は社会の難民、それも政治の難民なのかも知れない。「あきさめよー」~~♪

    1. 昔から混乱した時は刑罰を簡単にし、税を下げる事が基本でしたが、今の日本はそれに逆行している。まさに混乱を深める方向に動いている訳で、早晩あらゆる物事の崩壊がやってくるだろうと思います。
      そしてこの刑罰の簡略化とはグレーの部分を増やす事に有り、これに拠って民衆は自己判断の部分を増やし、この流れの先にモラルとか道徳が形成される。
      先に綺麗なモラルや道徳が叫ばれる社会は怪しい。その本質は道徳屋モラルの逆に在るから、形而上の道徳やモラルが叫ばれ、それはもっぱら他者に対して厳しく、自分には優しい。
      怒りを抑制できず、欲望に打ち勝てない社会が出現してくる事になります。
      何となく哀しい話でしたが、どこかでこうした夏の日の晴天に似合うような気がしないでもないから不思議です。

      コメント、有り難うございました。

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