「しつづめ」

もしかしたら輪島塗の世界だけに限らなかったのかも知れないが、輪島塗の修行に入って最初に習得しなければならない作業の一つに「しつづめ」と言うものが有り、これは荷造り作業の事を指していた。

江戸時代の漆器納入方法は製作者本人よる陸送、若しくは北前舟(きたまえせん)などの沿岸航路海運によって為されていたが、これが明治から徐々に整備されてきた鉄道によって、漆器の搬送方法も鉄道輸送が主体となり、この輸送形態は1970年前後まで残っていたものの、その後はトラック輸送に変化して行った。

そしてこうした輸送形態の変化に伴って、輪島塗を顧客の所まで届ける際に必要な「梱包作業」も大きく変化したが、その変化が最も大きかったのは1975年前後である。

江戸時代から1970年前後までの梱包方法は、基本的に木の板を木釘や金釘で打ちつけ、この中に紙で包んだ漆器を入れ、その周囲の緩衝材には「藁」が用いられ、これを「荒縄」(藁で編んだ太い縄)で縛る方式だった。

雑な輸送作業に対応したものだったのだが、これが激変したのは日本の輸送形態が鉄度からトラック輸送へ、そして宅配輸送へと変化して行った為であり、その上に廃棄物に対する規制や国民意識が深く関係していた。

特筆すべきは太平洋戦争後の一般家庭や事業所の衛生環境の向上であり、ここで中身の漆器は必要としても、木の板や藁などから出るクズが嫌われる事になり、次第に藁を入れたりすることが出来なくなった。

同じように処分に苦慮する藁縄も敬遠されてきた為、箱はダンボール、緩衝材は新聞紙、縄はビニールなどの石油加工縄に移り変わって行った。

そして今日の梱包発送形態の繊細さは目を見張るものが有るが、中身の漆器は同じ製法なら同じ強度であるにも拘らず、何故こうも繊細になったかに鑑みるなら、そこに需要と供給の関係に措ける輪島塗の劣勢を感じざるを得ない。

人々が必要なものなら、特に格段のサービスが無くてもそれは売れるが、元々売れないものはサービスが重要視されると言う事なのだろう。

「しつづめ」は辛い作業だった。

縄の結び方がどうしても憶えられず、職人さんに聞きながら、そして藁の埃で頭から真っ白になって荷造りをしても間に合わず、運送会社のトラック運転手に待っていてもらった事もあったが、そうして荷物を送り終えると、「風呂にでも入って来い」と親方が500円をくれ、それで夕方市内の銭湯につかってコーヒー牛乳を飲むのが、何とも言えず幸せなものだった。

また昔、輪島塗の職人は腕時計や指輪をしない事が慣例になっていたが、その理由は腕時計が漆器に当たって傷が行かないように配慮したからだ。

しかし現在の梱包作業を見ると、確かに昔よりは遥かに丁寧で綺麗になったが、その手首に腕時計が云々、袖口のボタンに指輪、長い爪などは余り気にされなくなったようだ。

僅か梱包一つの事だが、輪島塗もこの国同様、何か小さな事ばかりを気にかけ、大切な事が忘れられているような、そんな気がしてならない。

T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 梱包には苦労されたのでしょうが、その代わり、銭湯代貰って風呂上がりには腰に手を当てコーヒー牛乳(笑い)
    自分が開梱した最初の内の木箱の緩衝材は、乾し草だったり藁だったり(笑い)その内発泡スチロールかカマキリのタマゴの巨大な感じのスポンジになりました。最も大きく変わったのは、海上輸送の似姿で、木箱から鉄製のコンテナになりました。ベトナム戦争から急激に発達し、瞬く間に世界中に広まったようです、世界中同じ規格で40’と20’の違いがあるだけ、それを運ぶ機能がないところ様に、コンテナの中に木箱も詰めますが、通常はコンテナのママ、現場まで、工場でも便利ですが、戦地でも便利(笑い)

    大きな問題は空気の様で、見えにくいですが、小さな事は、よく見える。1万個に饅頭に1個プラスチックの破片が何だって言うの(笑い)
    煎餅なんか一枚割れていても、どうせ割って食うのに、凄い箱に入っている。
    年金制度をどうするか、って誰も議論しないが、1%支給率が下がったって大騒ぎ(笑い)

    1. ハシビロコウ様、有難うございます。

      確かにコンテナは便利になりましたね・・・。
      何分初めから終わりまで入れ替えがない、大型輸送にはぴったりの仕組みだと思います。もしかしたら大量の女も運べたりして・・・(恐)
      しかし、どう見ても包装や送料が品物の価格を超える現代の傾向、或いはレストランでも同じオムレツが、どこからか星が飛んで来れば3倍の値段になったりする、あれは非常に阿保らしい気がします。気分などどうでも良い、食えれば文句はない。などと戦前の軍隊のような基準で生きている者としては、第三次産業が中々理解に苦しく、第四次産業に至っては殆ど詐欺にしか見えない。
      年金問題なども本当に水平線効果で、結局破たんするまでズルズル苦しい思いをして終わるのかも知れないですね。
      夏王朝、周王朝、前漢の時代から国家の繁栄は「人の数」、民衆が苦しい時は役人の数を減らし、税を下げるのが鉄則なのですが、安部政権は全くその反対の動きをして経済は「賭博」、江戸末期ではないですが、民衆はもうどうでも「ええじゃないか」になってしまいますね。

      コメント、有難うございました。

現在コメントは受け付けていません。