「コンビニ袋と男」

夕方・・・、と言っても既に日はとっぷり暮れて、商店街の灯りも少しずつまばらになっていく頃、人通りもすっかり少なくなった道路をコンビニ袋を提げて歩く男の姿は、老いも若きも皆、少し肩をすぼめて歩いているようで、これで小雨でも降っていれば、その哀愁は見ている者にもそこはかとない切なさとなって伝わってくる。

ところが最近、男に深い哀愁を加えるこのコンビニ袋を出してくれないスーパーが増えてきたので、仕方なく私も「風呂敷」を購入したが、少し前まではエコバッグなる厚手の布製のバッグを使っていたものの、どうもかさばって仕方ない、ここは伝統的な「風呂敷」で・・・と思ったのがきっかけだったが、ちょうどあの泥棒が背中に担いでいるような「唐草模様」の、しかもやはりオーソドックスに緑色で、と言うことにしたおかげで、スーパーへ行く度に少しだけ人気者になってしまった。

大体が品物を包んでいると、子どもが珍しそうに寄ってきて、ついでに母親や父親らしき人たちが隣でどことなくニヤニヤした感じになるし、この間は一見ヤンママ風の女性から「それはどこで売っているのか・・・」と聞かれたことまであって、こんな時代だからおそらく通販でも売っているはずだ・・・と答えておいたが、あの勢いだと、もしかしたらピンクの唐草模様を買っているかもしれない。

しかし不思議な話だ・・・。
コンビニ袋を使わないとCO2が削減されると言うが、ではエコバッグや風呂敷を作るときにはCO2は出ないのだろうか・・・、そんなことはあるまい。
またエコバッグや風呂敷は洗濯すれば何回でも使えると言うが、ではそれを洗濯するときに使っている洗濯機の動力である「電気」は、CO2を出さずに作られているのだろうか。

この頃たまに電話を取ると、「エコキュート」はどうですか・・・と言うセールスがあり、私は風呂は薪で、暖房は囲炉裏、エアコンは無い・・・と答えることにしているのだが、エコキュートにしても確かにCO2を出さずに風呂を沸かすことができるのかも知れないが、その機械を製造するときにCO2は出ないのだろうか・・・、そして80万ほどの機材だろうが、この機材の耐用年数が10年とした場合、1年間に風呂を沸かすだけで8万円の灯油を使うだろうか。

こうしたことを考えると私たちの周りにあるエコブームと言うものも、結局自分の周囲からCO2を見えないように、いや見ないようにしただけのことのように思えてしまう。

またそもそも「これをしたらCO2が○○グラム削減」と言う話を聞くが、これはどこの誰が、どう言う計算式で求めたものなのだろうか、そしてその根拠はどこにあるのだろう・・・、などと考えてしまうが、そうした説明が一切なく、こうしたCO2削減商品やエコ商品が減税の対象になっていたり、補助金支給が行われている事実には大きな疑問を抱かざるを得ない。

そしてさらに極めつけは、このCO2の排出量に枠を設けて、その枠以上にCO2を出す国は他のCO2を余り出さない、つまり経済的後進国からその残った枠を金で買ってください・・・と言うありようで、こうした枠を国家が国内の企業に割り振って、その結果各企業は国家間と同じようなCO2取引に追い込まれていく現実には、さすがに開いた口が塞がらない。

いったい誰がこんなこんなことを言い出したのか、出てきて説明して欲しいし、「貴様は神か・・・」と聞いてみたいものだ。
そもそも地球温暖化の原因がCO2であるとする説そのものが、いまだに仮説の領域を出ていない・・・、最近の研究では温暖化の原因がCO2以外の物質であるとする説も出てきていて、それによれば凡そ燃焼と言うエネルギー変換があれば、全ての物質から地球温暖化の原因となる物質が放出される・・・と言う見解もある。

地球の表面積は計算式で求めることができる、また成層圏も観測ができているので、地表の空気量も厳密ではないが計算できるだろう。
しかし地上の空気成分の中でCO2の濃度を調べるためには、膨大な観測地点が必要であり、しかもこれは平面的な観測では求められない、また地球温暖化の原因には地球そのものが持つ太陽光の反射率のほうが影響は大きく、この反射率がどうして現在の反射率なのかは、その理由さえ分かっていない。

こうした段階でまるで天地創造の神のようにCO2の枠を○○トンと決める権利があるものは誰だ・・・、しかもそれに対して金銭を換算する計算式など誰が理解できているのだろう。
結果としてこうした神のような振る舞いをしている、またさせようとしているものの本質は資本主義なのではないか・・・。

昨年のリーマンブラザースの破綻から始まった、サブプライムローンなる詐欺商法の破綻により行き先を失った資本、資本主義は新たなるターゲットとして、今度は「空気」に対して侵略を始めようとしてるのではないか・・・。

初期の頃は土地取引によるバブルだった、つまり1つしかない土地に複数の利権をつけて、結局その土地が1つしかないことが分かった瞬間から破綻した。
そしてこの破綻により行き場を失った資本は石油へと移行し、湾岸戦争が勃発、それが終わると今度はローンや金融商品の保証と言う、さらに形の見えないサブプライムローンへと資本は動いて行き、このシステムが破綻するとまた石油や食料へと流れ、今度は「空気」にまで債権を発行し、金に換えようと言う訳である。

資本主義の本質は「拡大」にあり、利益を求めて外へ、新しい大地を求めて行こうとする力であり、こうした資本主義の行き着く先が帝国主義と言うものであるとするなら、自身を神とまで信じ込んだ帝国主義が、およそ地球がすべての生物に分け隔てなく永遠に近い概念で与えている「空気」すらも自身のものと考え、それをして金に換えようと言う新たな侵略を始めているとしか見えない。

人類がその種族維持のために、自分たちの環境を良くしようと考えること、これは生物の一種としては正しい考え方だろう。
だがそれに型や枠を作って、これを金に換えようなどと考えていると、地球やその地球の気候などによって、アッと言う間にそれは水泡に帰することになるだろう。

気がつけば「こんな当たり前のことで・・・」と思う理由で何度も破綻しながら、どうして本来人類よりも比較にならない程圧倒的な力を持つ地球が無償で与えている恩恵に対して、誰も権利など持っていないことが理解できないのか、私は人類のそうした部分が理解できない。

そしてコンビニ袋を提げて、どこか侘しい日本の男が私は好きだったし、何となく共感できるものもあった・・・、哀愁に満ちた日本の男の文化がこれから見れなくなるかと思うと、これはこれで少し淋しい気がするのである・・・。

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T・asada
このブログの記事は「夏未夕 漆綾」第二席下地職人「浅田 正」 (表示名T・asada)が執筆しております。

2件のコメント

  1. 「コンビニ袋と男」

    長髪で白髪になって居れば、その唐草模様の風呂敷をマントの様に羽織って、やや飛び跳ねるように歩けば、獅子舞の様で、子供には特に受けそう~~♪
    一頃、モスレム地域へのお土産は、風呂敷に凝って居た頃が有る。壁掛けにも使えるし。再度の訪問で、身に付いた使い方をしている方と逢った時は、ニッと共感した~~♪

    温暖化ガス排出抑制って、散らかった自分の家から、庭や道路にゴミを掃き出して、綺麗になったという事だろうと。
    世界中の火力発電所と全自動車が出すCO2に比べれば、寝言の範囲。

    地球の大気の成分で、酸素が多かったときにも、炭酸ガスが多かったときにも、人類は居なったが、多数の生物の消長が有って、現状に成ったのだが、人類らしきものが出て来てから未だ数百万年、今の人間ぽくなったのは数千年、これからどうなるかは不明だが、滅びて、痕跡も無くなって、地球外から見れば、全く何も変わらず・・
    買物は、歩いてなので、有償のところ以外は、レジ袋を提げて、トボトボと歩いているが、そう言う人とすれ違っても、会釈もしない、デイバッグに入れて、颯爽と歩いているひとも、別に何とも思わない~~♪

    1. ハシビロコウ様、有り難うございます。

      ちょっとくたびれたスーツに落ちた肩、夕暮れの道をコンビニ袋を持ってとぼとぼと・・・。
      ついでに小雨の一つも降っていれば、何とも言えない味わいなのですが、ここまで行くと一つの風景、文化と言っても良いような風情ですが、エコだの二酸化炭素だの、取ってつけたような話でこう言う景色が邪魔されるのは辛い。
      まるで詐欺のようなもので、地球環境に優しいと言いながら、最後は金儲けだけでぜんぜんエコでもなければ地球にも優しくない。しかもこれに乗せられる馬と鹿の多いこと、々々、どうしてこうも軽いのだろうと思いますが、エコなどせずとも経済が沈降すれば自然にエネルギー消費は少なくなるし、人口が減っても同じ事、日本などは自然に強力なエコ社会になってきているにも拘らず、エコの為にエネルギーを消費しているようなものです。
      もうすぐ元号が変わりますが、昭和、平成とガクン、ガクンと下がってきた日本、更なる落ち込みにならねば良いなと、思います。

      コメント、有り難うございました。

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